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万屋少女は微笑まない  作者: 黒崎 千弦
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1-3

「薄い」

 右手のトンファーを柵へ立てかけ、ポケットからスマートフォンを取り出す。フラッシュを無効化し、ビルを切り裂いている壁を何枚か撮影していく。おそらくこれが壁に残された傷の正体だろう。それにしても壁が薄い。小指ひとつ分の厚さもない。厚さを報告するために小指と合わせて写真をとっておく。

「よし」

 今度は壁で閉鎖された路地を見下ろす。が、ビルの高さがそれなりにあり、光源がなく暗くてよく見えない。中に何がいるのかわからない以上、閉鎖された中へ降りることは避けたかった。

「しょうがない、か」

 ポケットからLEDのライトを取り出す。小さい灯りをつけ、壁で囲われた路地を照らした。壁から少しずつ照らしていく。

 光を反射する汚れたすりガラス、微かに揺れながら回り続ける室外機、年数が経ち茶色に染まった排気口。

 時折聞こえる車の足音をBGMに、それらが視界に入る。

 硬いコンクリートの壁、ゴミが溢れたポリバケツ。蓋がされていない瓶が詰め込まれたプラスチックのビールケースの山。おそらく居酒屋か飲食店でもあるのだろう。これだけなら何もおかしくはない。

 引きちぎられた両四肢、切り取られた首。開かれた腹部。えぐり出された両目。間に合わなかった現実と、被害者が出てしまった事実に優衣の胸の奥が少し苦しくなった。だが、ぐっとこらえる。なんとしても、犯人を捕まえなければならない、と心に刻みながら、現場を確認する。不思議なことに、これだけ酷い死体なら血の海が出来ていてもおかしくないが、見えるのは地面の上に置かれたように見えるこれらの死体だけだった。まるで、血など最初からなかったかのように、血液の後も、地面が濡れた後もない。

 さらに照らしていく。こちらを見ている赤い服の女。

「やばっ」

 優衣が明かりを消すと同時に、轟音。ビルが揺れる。

 慌てて柵を飛び越えた。後ろから何かが連続して壁に刺さる轟音が響く。おそらく、何かを挿して階段を作ったのだろう。硬質な軋む音を立てながら、こちらへ登ってきている。

 慌ててトンファーを拾い上げると、優衣は身体ごと振り返り、右手を前に、縦に構えた。肩幅より少し広めに脚を開く。右足を前に。左手はトンファーが腰にあたるように引き、身体はへそを正面からすこし斜めにずらす。膝を少し曲げれば、すぐに突きが打てる構えである。

 ゆっくりとその頭部がのぞく。やがて、それは屋上のへりへと手をかけ登りきった。その姿を優衣はまじまじと眺める。

 その姿は、地に降り立った天使のようだった。人間と寸分たがわぬ見た目をしている。その背丈はおおよそ150cmくらいだろうか。優衣よりも頭ひとつ分ほど小さなそれは、全体的に華奢な体つきに見えた。目を閉じた彼女のブロンドの髪は腰の高さまで伸ばされており、夜風に吹かれなびいている。まるで鮮血のような赤いドレスで全身を覆い、胸元で揺れるジャボの中央には綺麗なオレンジゴールドの琥珀が飾られていた。中世ヨーロッパの貴族のようなその姿をしたそれは、まるで何かの劇でも始めるかのように、スカートの端を持ってきれいにお辞儀をする。

 顔を上げ、閉じていた目を見開く。人間では到底ありえない、鮮血のような赤に染まった瞳が覗く。開ききった瞳孔でじっと優衣を見つめると、声をあげずに『それ』は嗤った。

 その様は、明らかに悪魔だ。天使などではない。狂気に満ち溢れたその怪物は、こちらを見つめ、ただ嗤い続ける。

「あんたには聞きたいことがある。おとなしくしてもらうよ」

 優衣が言葉を投げかけると、その怪物は口を少し開いたまま表情が固まる。と。

 まるで何かに怒るかのように、歯をむき出し、こちらを睨みつける。その口からは、異常に発達した犬歯が覗いた。

「吸血鬼!?」

 かつて、一度だけ優衣は吸血鬼と戦ったことがある。その時は危うく殺されかけた。おそらく、友人が助けてくれなければ、自分は今ここには立っていないだろう。まるで歯が立たなかった戦闘を思い出しながら、トンファーを握る手を強める。

 そんな優衣に気づいたのか気づいていないのか。おもむろに目の前の吸血鬼が右腕を肩の高さに合わせて伸ばす。

 赤い壁が溶けたように見えた。

 ――否。それは溶けたのではない。液体のように流れ、形を崩すと、その液体が吸血鬼の足元へと集まる。

 伸ばした右手へと向かうように、足元から液体が伸びると、それは一本の棒状の形を作り出す。吸血鬼の身長程度にのびたそれが、さらに足元の液体を吸う。棒がさらに伸び、上部に穂先を作り出す。馬上槍のような大きな穂先が、頭から上に作り上げられる。液体が地面を離れ腰の高さで固まった。そのままそれを振り下ろすと、ぶつかった落下防止柵はあっさりと悲鳴を上げて押し潰れた。

「……冗談でしょ?」

 優衣の言葉に反応したのか、していないのか。そのまま柵の残骸を飛び越え、駆ける。右腕を少し引き。避けようのない突きを一発繰り出す。

 迫りくる穂先を見て。優衣はただ笑った。

「『見える』なら、受けられる」

 槍が優衣の頭を貫く寸前。右手のトンファーで穂先を右にずらす。耳障りの悪い音を奏でながら、金属のパイプが穂先をこする。歪な楽器を演奏しながら、そのまま吸血鬼へと駆ける。

 息を呑んだのがわかる。目を見開いた吸血鬼に、容赦なく力をこめた左手で突く。が。

「霧化っ!?」

 確かに吸血鬼の身体、心臓部を狙った突きは空を切った。吸血鬼の能力のひとつ、自身の姿を霧へと変える能力で、弱点である心臓部ごと霧に変えたのだ。吸血鬼が意地悪く微笑む。優衣の身体は慣性の法則に従い、バランスを崩した状態で吸血鬼へと勢いよく、無防備に迫っていた。その首筋へと噛み付こうと吸血鬼は牙を向ける。勢いよく頭を振りかぶり、優衣の首筋に食らいつこうと牙が迫る。

 が。吸血鬼が目を見開く。それもそうだろう。迫った勢いのまま、牙が弾かれる。大きく後ろに体勢を崩す。

 その隙をついて、優衣は身体を蹴りつけて後ろへと跳ぶ。空中で後ろに下げた左足で柵に着地しながら、吸血鬼がさらに後ろにたたらを踏むのを確認する。

「あっぶな。なかなかやるね、あんた。ちょっと油断したよ」

 その声を聞いてか。吸血鬼は信じられない物でもみるかのように、優衣を見る。仕切り直すかのように、ふたりが構えた。再び、吸血鬼が右腕だけで槍を持ち上げる。

 動いたのは優衣が先だった。槍を構えた吸血鬼に、身体ごとぶつかりに行く。右手を下げ、左手を前に、タックルの要領で飛んできた優衣を、高い跳躍力で躱す。そのまま優衣の頭上から槍を振り下ろした。

 穂先を見ることなく、下げた右手のトンファーを半回転させ受ける。鈍い音が響く。そのまま右腕を大きく振り、槍を投げ飛ばす。槍の持ち手を一瞬観る。が、吸血鬼がいない。

「くっ」

 とっさの判断で、左腕を頭上にあげる。左腕に重みが降りかかる。ちらりと上を見ると、靴の底面が見えた。ちょうど靴のかかととつま先の間の隙間に、トンファーが挟まっている状態になっている。思いっきり踏まれたのだろう。そのままの体制で、優衣はもう一度右手を突き上げた。が、空を切る。

 すんでのところで優衣のトンファーを蹴り、優衣の前へと着地した吸血鬼は、楽しそうに微笑みながら、再び手を前に出す。

「やらせるか!」

 再び武器を出そうとしているのだろう。その前にケリをつける。そう思い、飛び出そうとふみだし。

 風が鳴いた。

「馬鹿野郎! さっさと逃げろ!」

 直也の声だ。直後、金属の雨が吸血鬼に降り注ぐ。

 降り注ぐ金属のいくつかが、優衣の足元へと転がってくる。縫い針。それも細く、短いものばかり。立て続けに降り注ぐそれをいきなり受け、吸血鬼は動けないようだった。とっさに柵から降り、路地裏へ向け走る。吸血鬼の数メートル横をすり抜け、その勢いのまま、地面を蹴りつける。柵を飛び越え、屋上のへりまで走る。そのまま反対側のビルにむけ、跳んだ。


 人間は誰しも、ある種の力を持っている。

 それは本来、生物が持つべきではない能力であった。

 だからこそ、身体の奥底に隠され、通常は気づかないまま一生を遂げる。


 だがしかし、稀にそういった能力に気づく人間がいた。


 それは時代によっては政治に使われ、人を統治するための手段として使われた。

 それは時代によっては戦いに使われ、人を殺すための道具として振るわれた。

 そして、時が過ぎ、この平成の時代においては、その能力の存在は隠匿され、存在しない物、架空のものとして扱われていた。

 優衣たち『萬屋・SHANGRI-LA』は、その平成の時代における、架空のものとされるものたち専門のなんでも屋である。


 優衣の持つ能力は「作用の力」。

 物理的な力というものには、必ず「作用・反作用」のベクトルが存在する。

 壁に手を付いて押してみれば、壁は手に押され、手は壁に押し返される。

 前者が「作用」のベクトルだとすれば、後者は「反作用」のベクトルである。

 このふたつのベクトルは、必ず一直線上になり、反対方向に同じ大きさの力が加わることになる。


 しかし、優衣の持つ「作用の力」は、このベクトルに干渉する。作用もしくは反作用の片方を無効化し、もう片方のベクトルを増幅させたり、あるいは両方のベクトルを緩和ないし増幅することが出来る。

 もちろん力が加わっていないときには使えず、また力は力でも磁力や電力のような直接的な作用・反作用を引き起こさない力と、作用・反作用でも重力と引力には干渉することが出来なかった。

 さらに、自分の体もしくはそれに触れている物体にかかる「作用・反作用」でなければ干渉できず、見ることの出来ないぐらい小さい、もしくは早いものでも干渉することが出来ない。


 壁を蹴って登れたのも、吸血鬼の槍を受けたられたのも。牙を弾いたのも。

 すべてこの能力のおかげである。


 そして今。

 慣性位の法則に則り、きれいな放物線を描きながら落下運動をする優衣は、目の前に迫る壁へと左脚を触れさせる。高さにして六階程度だろうか。

 脚と壁が勢い良くぶつかる。脚が壁を蹴るベクトルは働くが、壁が脚を押し返すベクトルを無効化する。壁全体にひびが入るが、そんなことは気にしない。そのまま左足を曲げ、バネの要領で壁を強く蹴った。今度は、脚が壁を蹴るベクトルを無効化し、壁が脚を押し返すベクトルを増幅させる。反対側の壁に向かって、勢い良く優衣が飛ぶ――否、跳ぶ。

 三階の窓ガラスと窓ガラスの隙間にある壁を同様に、かつ少し鋭角強めで蹴り飛ばし、優衣は地面へと迫る。綺麗に両脚をまげ、地面に触れると同時に前転。本来加わるはずの力を逃しながら立ち上がる。

「早く逃げるぞ!」

 直也が着地したばかりの優衣の腕を掴み、大通りへと駆ける。左手にはスマートフォン。おそらくそれで降り注ぐ針の雨を見ているのだろう。


 直也の持つ能力は「ポルターガイスト能力」。おそらく、一度は耳にしたことがあるであろう。漢字で書くとしたら「念動力」だろうか。

 物体を自由に重力を無視して動かすことができる。ただし、それにも限度がある。

 軽いものであればどれだけでも動かせるが、ある一定の重さを超えると疲労がたまり、しばらくすると動かせなくなる。重さにしておおよそナイフ7本分。それ以上の重量を動かすことは今のところできていない。動かせる範囲は特になく、見えてさえいればその範囲まで自由に動かすことができる。仮に視界になくとも動かすことは問題がない。ただし正確に目的の位置に動かすことはまだできていない。

 そう、針を降らせたのはこの能力のおかげである。


「こっちだ!」

 大通りに逃げ込んだあとは、そのまま来た道を引き返す。人の波を割きながら、とにかく逃げることを優先した。

 二人して息を切らしながら、繁華街まで出る。と、直也がその場に崩れ落ちた。

「大丈夫?」

 肩で息をしながらも立っている優衣に、地面に大の字になりながら首肯だけで返答する。遠巻きに人に見られていることを感じながらも、二人は呼吸を整える。

「ごめん」

 息を切らしながらも、先に謝っておくことにした。今回、勝手に動いたのは優衣なのだ。あのまま戦っていたら自分は勝てていただろうか。と、想像したものの、勝てるビジョンが見えなかった。

「あんまり無茶はしないでくれ。気持ちはわかるけど」

 優衣は先走ってしまうことがある。状況を判断するより、行動に移すことが多い。それは祥子からも散々言われていることで、直也も気にしてはいたことだった。今回、直也が補助要員として優衣と行動をしているのも、優衣が先走りすぎないようにするブレーキ役も兼ねていた。

「祥子さんに状況は報告した。後の調査は引き継いだから、帰ろう」

「うん」

 立ちあがり、直也は祥子に電話を掛けた。おそらく、逃げ切ったことを報告するのだろう。それを見ながら、優衣はひとり考える。

 どうして、先ほどの吸血鬼は人を殺しているのだろう。血が欲しいだけなら、あそこまでひどいことをする必要はない。声をかけて逆上したのも不思議だ。何に対して不快感を抱いたのかがわからない。なにより、彼女は一言も声を発しなかった。その理由はなぜだろう。

 考えてみても答えはすぐに出そうになかった。

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