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万屋少女は微笑まない  作者: 黒崎 千弦
2/14

1-1


 ――携帯が震える。

 朝。

 それは彼女にとって、とても気怠く、起きる価値すらない時間である。

 木ノ下(きのした) 優衣(ゆい)にとっての一日というのは、朝ではなく夕方から始まり、夜ではなく早朝に終わる。昼夜逆転生活に加え、ファーストフードやインスタントなどの偏食好きでそれらをほぼ毎日、一日二食摂り、運動はコンビニもしくはファーストフード店への往復と、仕事で『ほんの少し』動く程度である。そう呼べるかどうかは置いておいて運動をしていないわけでもなく、食料と言っていいかは置いておいて食事をとっていないわけでもない。それが、結果として細すぎず太過ぎないスレンダーな体つきを作っていた。当然、日中帯はカーテンを締め切り眠っているため、日焼けとは無縁の生活をしている。定期的に早起きして髪を切りに行き、スーパーで日用品を買い、呼ばれたら仕事に行く以外は日中帯に一切外出しない生活を送っていた。まさに、七大罪が一つ、『怠惰』という言葉は、彼女のためにあるものだと言っても過言ではないだろう。十七歳、中退していなければまだ高校生であるこの歳で勤勉な栄養士が見たなら卒倒し兼ねない程の不健康な生活をしている。そんな彼女にとっては、通勤ラッシュで溢れかえっているであろう朝八時という時間は、気持ちのいい夢の世界への切符を片手に、特等席(ベッド)で最高の景色()を見ている時間である。

 そんな彼女にとって、唐突なモーニングコールに出るという行為は、興味のないダイレクトメールをゴミ箱へ放り込むのと同じように億劫だった。

 布団を頭にかぶったまま、色白な腕だけを伸ばし電話を取る。

「もしもし」

 なんでかけてきた、という感情を全く隠さずに電話口に話しかける。

 発信主はみていないが、どうせかけてくる人間は少ない。相手も見知った人間だろう。

 全く問題はない。むしろ空気を読んでかけ直すべきだ、と彼女は寝ぼけた頭で考える。着信相手が誰だかは知らないが。

「おはよう、優衣。仕事よ。あとでカフェに来て」

 全く働いていない頭に、上品な女性の声が突き刺さる。知ってる声だが、それが誰だか考えられるほど、彼女の頭は起きていなかった。

 わかった、と答えたか答えてないか。通話を切り、そのまま見ずに放り投げると再び夢の世界へと戻っていった。


 日が傾きはじめ、夕日が差し込む頃。

 その日二度目の起床は、彼女にとってはやはり気怠いものだった。まだ眠そうな表情をしながらも、そのくせが強く跳ねている短い黒髪の頭で、仰向けになっている体勢から、頭突きの要領でかぶっていた布団をおしのける。大きなあくびをしながら目をこすり。部屋が茜色から黄昏色へと染まる景色を眺めながら、首をかしげた。

「……?」

 なにか変な夢を見た気がして少女は考える。誰かが電話をかけてくる夢だ。なにか夢の中で言われた気がするが、あまり覚えてないのでおそらくどうでもいいことだったのだろう。まぁいいや、と心の中で結論付けると、そのまま布団の上でうつ伏せへと体勢を変える。

 カーテンの隙間から、太陽が沈む前のオレンジ色の光が見える。どうせまだ五時にもなってないだろう、二度寝してしまおうか。そんなことを思いつつも、なんとなく時間を確認しようと携帯を手に取り。

 ――携帯が震えた。

「はい」

 寝起きの少し気だるそうな声で対応する。

 画面に書かれていた発信主は見知った人間だ。邪険にする必要もなく、簡潔に応答する。

「眠そうね、優衣。仕事よ。さっきも言ったけど」

 電話口からは上品な女性の声が語りかけてくる。

 少女にとってこういう電話はよくあることだが、その中でもひとつ、引っかかることがあった。

「さっき?」

「朝の話よ。もしかして、寝ぼけてた?」

 少し咎めるような語気で問われる。

 ぼやけた頭で脳を回転させてみる。

 ――そういえば、夢に出てきたのも祥子さんだった気がする。

「あれ、夢じゃなかったんだ」

「あなたね……」

 気の抜けた答えに呆れているのか、ため息をつく。

 電話口の女――宮瀬 祥子は、それでも優衣を見捨てなかった。

「まぁいいわ。なるべく早めにカフェまで来てくれるかしら?」

 目をこすりながら、優衣は見えない相手に頷く。

「できれば、武装を持った状態で来てね」

「わかってるよ。うん、大丈夫。たぶん」

「……迎えに行ったほうがいいかしら」

 優衣は眠そうに目をこすりながら、大丈夫だよ、と返す。

「大仕事?」

「それなりにね」

「アイちゃんは?」

「今回は後方支援(バックアップ)。一応、補助人員(サブ)はいるけど、基本的にはあなたひとりよ」

「ひとりかぁ」

 とつぶやきながら、銀髪がきれいな少女のことを思い浮かべる。つい先日、腰まであったロングヘアをついにボブカットまで切り落とした彼女は、そのうすい真っ赤な瞳よりも顔を真っ赤に染めていたのをふと思い出した。私より年上のくせに恥ずかしがっちゃって、可愛かったなぁ、などと思いふける。

 そんな友人が今回は後方で動いている。となると退屈しのぎのおもちゃ、もとい頼りになる仲間がいない。

「不安だなぁ……」

 主に待ち時間の暇つぶしがである。

「とにかく、状況を説明するから、一度店まで来てちょうだい」

「朝ごはんよろしくね」

「もう夜になるわよ。栄養の採れるものは作っておくわ」

 再び呆れながら返す祥子に、「わかった」と返しながら電話を切る。あくびこそするものの、頭はすでに仕事モードへと切り替わっていた。



 夜七時を回った頃。

 喫茶店『SHANGRI-LA』。都内にある寂れた喫茶店だが、名物であるきのこのデミグラスソースオムライスやハニーフレンチトースト目当てで来る常連もおり、赤字にならない程度には賑わっている個人経営の喫茶店である。従業員数はキッチンを含め十名。一部を除き男女共に基本が白いワイシャツに黒い腰巻きエプロン、黒のスラックスで制服を統一されているため、端正に見えるのも評価が高い要因のひとつである。制服に対して非常に好印象を持っているファンもおり、アルバイト募集の張り紙が出ていないにも関わらず履歴書を持ってくる客が後を絶たない。無論、全て面接すらされず断られているが。

 そんな落ち着いた雰囲気の喫茶店のバックヤードで、二度寝をして元気十分な少女は、朝食と呼ぶには非常に遅い食事を摂っていた。そんな少女を呆れたように見つめながら、店主である宮瀬(みやせ) 祥子(しょうこ)はティーポットの中身をカップへ注ぐ。

「なんで二度寝するのよ」

 少しぬるめの紅茶が独特な香りを部屋に広げる。猫舌の祥子にとっては最適な温度だ。

 後頭部の下辺りでお団子にまとめた茶髪。下縁のない赤色のメガネの下には、すこし目尻がつり上がり、細長いまつげをつけた目が隠れている。いつも生真面目な顔で物事を語るのが祥子という人間だった。

 彼女の咎める声に対してフォークをくるくると回し、レタスを突き刺しながら答える。

「しょうがないじゃん。朝なんだから。そりゃ二度寝するって普通」

 テーブルには、優衣の朝食となるシンプルなトマトのツナレタスサラダにフレンチトースト、喫茶店特有の香りがよいブレンドコーヒーが並んでいた。プチトマトを手づかみで口に放り込みながら答える。

 二度寝にしても起きることが遅いことについては、ため息をついて言及するのを諦めたようだ。

「お行儀が悪いわよ」

 小言を右から左に流しつつ、フレンチトーストをかじりながら、今回の依頼書を手に取る。

 クリップには、一件目と書かれた付箋と、飛び散った肉片の写る写真が留められている。コンクリートの壁には一本のひしゃげた鉄パイプが刺さっており、そこには頭部、胸部、両足、両腕がバラバラの状態で突き刺さっていた。丁度、中心を射抜くように。

「殺人鬼、ねぇ?」

 あまり食事中に見るには相応しくない写真をクリップから外しまじまじと見る。まるで気にした様子もなく、フレンチトーストをさらにかじると、優衣は問いかける。

「猟奇的すぎるだけの、一般人の仕業じゃないの?」

「いいえ。それでは説明がつかないのよ」

 翔子はさらに別の写真を取り出した。見ると、同じ現場の別アングルであることがわかる。壁に一筋の大きな爪痕のようなものが、縦にまっすぐついていた。それも相当、細く深く削られているように見える。コンクリートから中の鉄骨がところどころ見えている。

「こんなものをただの人間が付けられると思う? 人間だとしたらそれなりの能力者の仕業よ」

「つけようと思えば付けられるんじゃない? ほら、でっかいチェーンソーとかで」

 行儀など全く気にせず、くるくるとフォークを回し、レタスに突き刺す。

「いいえ、どう考えても無理なのよ。これが付いているのはどこだと思う? 地表から、十階建てマンションから地上までよ? 地表までは単純に一階あたり三メートルとして計算しても三十メートルはある。普通の人間ならまずは登れない高さだし、こんな傷をつける方法がない。それに加えて、外に出ている雨水排水用のパイプを一本も切らずに、かつ壁には地表から十階の高さまで同じ幅で傷を付けている。こんな傷が四本も残ってるのよ。こんなに綺麗に傷をつけた壁に対して、死体の切断面は引きちぎったような跡だった。この傷跡はただの鋭利な刃物や何らかの道具で付けられたにしては違和感が残るし、それだけの技術を持っていながら、死体の切断面は『斬る』のではなく、『ちぎられている』。もうあべこべなのよ。ただ殺すのが目的ならこの傷を付けた道具で切るなり突くなりすればいいじゃない。そもそも、こんな傷をつけた理由がわからない。どんな理由があるのかしら?」

 店長は更に写真を何枚か出して続ける。どれも、別の路地裏が写っていた。そして、肉片がそこかしこに写っている。食事中にはふさわしくない写真を、まるで慣れているかのように一枚一枚手に取りながら、黙々と朝食を口に運ぶ。

「これは二件目の犯行現場。ここを見て。同じような傷がやっぱりあって、今度の死体は綺麗に切断されている。切断された腕は脚に、脚は腕につけられ、腹は切り裂かれ切り取られた腸が首に、腹には切り取られた生首が入ってたそうよ。こっちは三軒目。これはまだマシね、ひしゃげた鉄パイプに死体が吊るされている。腹が切り開かれて、そこから引き釣りだされた腸が首に巻き付いていなければ、見ようによっては自殺にも見えたかもしれない。これは四軒目。これは二人も殺されている。男性と女性。カップルだったのかしらね。このカップルは指が全てちぎられて、口の中に綺麗に揃えて入れられていたそうよ。挙句の果てに、首はすげ替えられて女性の髪で縫われている。

 この事件の共通点はみっつあってね。ひとつは現場に残る壁の傷。もうひとつは気持ち悪い死体ばかりが残されていること。そして最後のひとつは、これはマスコミにも流れていない情報なのだけれど、どの現場でも血が全て抜き取られている。どう考えても人間業じゃないわ」

 それぞれの死体の写真の他に、壁の写真、死体をどけた後の写真を祥子が広げる。死体写真はどれもグロテスクなオブジェクトのように鎮座しており、よほど神経が図太いか、慣れてしまった優衣のような人間でなければ、きっと吐き気を催すだろう。どの壁を映した写真にも、まるで豆腐を切ったかのように、縦に切り裂かれた大きな傷が映し出されている。共通してどの現場にも似たような大きな壁の傷が見受けられる。

「こんなものをただの一般人がやったのなら、相当気が狂っている。どの事件の第一発見者もみんな病んで精神病院送りになったそうよ。というか、そもそも、身体をどうやって人間が引きちぎったのかしら?そんな力なんて人間が出せると思う?血を一滴も残さずにそのくせ死体だけを残しているのも意味が分からない。もし血抜きをするんであれば相当な水が必要だけど、コンクリートや地面に全く血液の後を残さずに血抜きをやれるとは思えない。もっと言えば、こういう一つ一つの小細工を行うことで、時間がかかって見つかるリスクが高まる。いくら猟奇殺人鬼だって、時間がかかるような小細工をしてまで、捕まるリスクを上げるかしら?」

 指のなくなった手のひらの写真を見ながら、プチトマトにフォークを突き刺す。赤いトマトの汁が、レタスの中に飛び散った。

「今までの件数は全部で四件。全ての事件でこの縦の傷と、違和感の残る死体が残されている。それも通りすがりの人たちを無差別に襲ってる。年齢も性別も無関係にね。被害人数はまだ少ないわ。この前の事件に比べればね。だけど目撃者もなく、手がかりも何ひとつ無い。そんな行為を平然と行える人間がいたとしたら、それはかなりの確率で能力持ちよ」

 それもとびっきりに凶悪なね、と付け加えながら翔子が新聞をテーブルに置く。

 一面記事には、ブルーシートの写真と「狂気の無差別殺人」「現代の切り裂きジャックか!?」などと言った煽り文句が踊り出ていた。警察でも犯人の特定ができず、目撃証言を集めようにもすべての事件において目撃者が見つかっていないらしい。

「さすがにこんなもの、おおっぴらに出すわけにもいかないから、有る程度の報道規制はかけてるみたいだけど。路地裏なんて何が通るかわからない場所で、こんなことが続けば、もっと大変なことになるわ」

「祥子さん、おかわり」

 新聞記事を一瞥しながら、優衣は皿を差し出した。話を聞いているんだかいないんだか。深いため息を吐きながら祥子は皿を受け取る。優衣は気にせずに砂糖を入れながらコーヒーをくるくるとかき混ぜる。一口入れると、苦そうに顔を顰めた。どうにも甘さが足りなかったようだ。

 それを眺めながら、祥子は皿を近くの自動操縦掃除機の上に載せる。優秀な彼は、小さな電子音を鳴らしてまっすぐのれんの下をくぐり、キッチンへと向かっていった。

「他にデータは?」

「ないわ。目撃者がいなければどうしようもない。生きている証人がいればよかったのだけど」

 死体はしゃべらないもの、と、まるでお手上げかのように両手を上げる。

「じゃあ、私達じゃどうしようもないんじゃないの?」

「そうね。お手上げ状態。依頼人からは他の機関や組織にも依頼をかけていると言われているわ。できるだけ捜査員を集めて一気に犯人を捕まえたいみたいね」

「それで捕まるといいけどねぇ……」

 ブレンドコーヒーにミルクを注ぎながらつぶやく。砂糖をスプーンで掬って入れ、そういえば今日は友人を見ていないことに気がつく。

「ところでアイちゃんは?」

「今日はおやすみ」

 昨日夜勤だったの、と言いながら、店のシフト表を指差す。アオイと書かれた予定表の欄は、昨日は17時から24時までの勤務、今日は一日休みということになっていた。アオイという名前だが、彼女のことを二人は愛称としてアイと呼んでいる。

「え、お店で働かせてるの?」

「評判いいのよ。可愛いから。固定ファンも居るし、売上に随分と貢献してくれてるわ」

 信じられないものでも見ているような顔をしている少女にこともなげに祥子は言ってのける。実際、店の売上も二割増しくらいで上がっており、店内のアンケートでも「アオイちゃんの勤務時間を増やしてほしい」という声が上がっているほどだ。が、そもそも彼女は「協力者」ではあるが、「同じ組織に所属している人間」ではない。この喫茶店は、従業員のほぼ全てが能力者で構成されている。人がいても怪しまれず、資金源にもなり、かつここの店舗は立地的に交通の便がいいので集まりやすいというのが表立った理由だそうだが、実際のところは祥子の趣味なんじゃないかと優衣は思っている。その推測がほぼ確信へと変わった瞬間だった。

「まぁ、いないならしょうがない、か。で」

 電子音を立てながら自動操縦掃除機が戻ってくる。皿には新しいフレンチトーストが乗っていた。お使いを達成してきた彼の頭から出来たてのフレンチトーストが乗った皿を取りながら、優衣は尋ねる。

「今回の標的は、その犯人?」

「ええ。確保できれば御の字よ。でも命の危険を感じたら、生死は問わない。アイちゃんも、今日はいないけど明日以降は協力してくれるわ」

「わかった。ざっくりやればいいのね」

 フレンチトーストにフォークを刺しながら問う。少し多めのはちみつが、皿にねっとりと溢れ出た。

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