3-1
仄暗い天井が、彼女の顔を覗き込んでいた。
唯一の部屋の窓から差し込む光が、一般的な人間の活動時間であることを知らせている。防音対策がしっかりされているのだろう、閉じられた扉からは廊下からの音は一切聞こえない。普段のベッドよりも柔らかく、背中に感じる心地よい触感で、ここが自宅ではないことに気がつく。
そうか。私は病院に運ばれたんだったっけ。
優衣がそんなことをぼんやりと考えていると、ノックの音がした。
「木ノ下さん、お食事の時間ですよ」
「がっはっは、様子を見に来てやったぞ」
扉から、白衣を着た初老の男性と、その助手である看護服を身にまとった女性が現れる。
男性の方は全体的に痩せており、腰が曲がっているのか杖をついて少し前かがみに歩いているのが特徴的だ。おおよそ医者とは思えない格好で、白衣の下に黒いTシャツを着ており、下に至っては紺のジャージである。白がところどころ混じった黒く長い髪を後ろひとつでまとめており、目元には茶色の丸いサングラスをつけている。初対面で彼が医者だと言われてもにわかには信じられないだろう。仮に信じるとしても、ヤブ医者だと思うに違いない。
一方、女性の方は同じく黒い髪を後ろでまとめているものの、白髪はなく代わりに前髪をヘアピンで留めている。健康的な肉付きでまっすぐ堂々と歩いている。左目元にほくろがあり、まつ毛がぴんと立っている。化粧がある程度制限される医療機関の中でも、健康的な肌色をしている彼女は美人に分類されることだろう。この二人が親子だとは到底誰も思うまい。
「都筑先生」
優衣にとってはよく見知った人物である。天才医師・都筑 涼介とその娘・都筑 妃水だ。
怪我をすると必ずこの病院に運ばれる。この医師も能力者であり、能力者の怪我や病気に対する支援をしている。涼介にかかれば、切断されない限り大抵の怪我は治る。ただし、かなりの破天荒な気質があり、通常の医者とは違う物の見方しかしない。
「まーたチンケな怪我で戻ってきやがって。まぁ、わしは儲かるからいいがの、がっはっはっは!」
「お父さん? そんなことを抜かしてると今日のお昼はありませんよ?」
「ま、まて、今のは笑わせようとした冗談で、ほ、ほら、クソガキ、笑え」
「患者さんにクソガキ呼ばわりですかー、いただけませんねー。これはお母さんに報告しますね、お父様?」
「ままま、まつのだ妃水、あれにバレたら何を言われるか」
「じゃあちゃんと医者らしくしやがってくださいね。あんまりふざけたことを抜かしやがるとメスを人には言えないような所に挿しますよ?」
にこにこと表情を隠さずこんなやり取りをしているのは娘だからだろう。優衣よりも7歳年上の彼女は、テキパキと検温を始める。
「吸血鬼との戦いがあったと聞いてます。今回は怪我ですし、この時間に起きれるのであれば問題ないとは思いますが、念の為、体温を測ったら採血をしますね。気分はどうですか?」
「うん、大丈夫だよ、妃水さん」
何度か入院していることもあり、優衣にとっては妃水ですら友達のように思っている。
「しかしまぁ、肋骨にヒビ入った程度、歩いて帰りゃ良かったじゃねぇか」
「お父さん? ダイエットしたいならそう言って頂戴? 晩御飯もいらないということね?」
「いや、ちょ、クソガキ! こいつなんとか止めてくれ!」
涼介の冗談に、妃水が笑顔で怒る。このやり取りはいつものことだ。思わず優衣が笑う。
「あいかわらずだね」
「うるせぇ、ったく、こいつの親の顔が見てみてぇぜ」
「眼の前にいますけど?」
都筑流のブラックジョークを聞き流しつつテキパキといつもの検査を終える。お互いに慣れているためそこまで時間はかからない。
「では、食事が終わったらまた来ます。食べ終わったらナースコールを押してくださいね」
「ありがとう」
あくびをしながら時計の針をちらりとみる。
午前10時。優衣が起きるには到底早すぎる時間を示していた。
ついに中巻の内容に入りました。
次回が少し量多めになるので、今回は少なめです。