1ー9
1ー8、戦闘シーンは、かなり変更しました。
なので初稿を読んだ後だと、「あれ?」となる方がいるかもしれません。
「タケル、起きて。もう朝だよ」
「ん〜。もう少し」
「食事が冷めるからダメ」
身体を何度か揺すられて、やっと目を覚ます。寝返りして声の主を見ようとすると、意外と近い距離に顔があって驚いた。さすがに、それで行動を止める事はしないけど。
誰であろう許婚のセリーヌだ。寝返りしたら、まさか互いの唇が当たるまでもう少しの距離だとは考えていなかった様子。
「ご、ごめんなさい」
何度かパチパチと瞬きした直後、慌ててベッドから下りていく。ベッドから起き上がって、視線を向けると顔を赤くして恥ずかしそうに俯いていた。
それに関して何も言わないでおく。それよりも起き上がった瞬間、手首と背中に痛みが走る。これは昨日の夜、トオルに投げられた事によるダメージか。
「セリー、着替えるから廊下に出て。もしくは先に食堂へ行ってもいいけど」
「廊下で待っているわ」
パタンと扉を閉めて彼女が出ていったのを確認してから、いつもの魔法薬作成時の服装に早着替え。
(っあ!祖父さんが畑をダメにしたってセリーに伝えないと)
昨日の実戦訓練で、トオルがロアエの種を植えた場所に木剣を差してしまった。本人に悪気はないんだろうけど、木剣を投げる時に、落下地点を考えていなかったのは問題だ。
今思い出しても、実に腹立つ。そういえば、入浴を済ませて、さっさと寝た後、中庭から怒声が聞こえたような。
(今は考えても仕方ない。食後にでも種蒔きさせよう。そうしよう。拒否しようものなら、1週間くらい断食させてやる)
「お待たせ」
廊下に出ると、セリーが首を傾げた状態でオレリアの部屋の方を見ている。
「どうかした?」
「えっと。オレリア様が誰かを叱っている声が聞こえたような気がして」
(祖父さんめ、祖母さんにたっぷりとお説教されるがいいさ。魔法薬だけじゃなく、普通に薬を作る人間にとって仕事場を荒らされたようなものだからね)
時々、オレリアの部屋から漏れ聞こえた「起きたばかりなのに無理をさせて」や「どれだけ大変だと思って」とか「貴方は本当におバカさんですね」などだ。
普段は物静かというか、怒った場面に遭遇する事が少ないオレリアの怒りに、今頃は縮こまっているか、土下座している頃だろう。
「こ、声をかけなくて大丈夫かな?」
さすがに心配なのか、不安そうにセリーヌが聞いてくるけど、俺の答えは決まっている。
「怒られて当然の事をやったんだ。放っておけばいいよ」
「でも」
「祖父さん、俺とセリーがロアエの種蒔きした場所に、木剣を突き刺していたから」
後で知ってショックを受けるよりも、先に教えておいた方が良いだろう。そう思って告げたら、「タケルと一緒に植えたのに」と落胆。
「気分転換をかねて、父上にどこかへ連れていってもらえないか聞いてみよう」
そっと彼女の手を握って、俺は食堂の方へと歩き出した。その直後にトオルの絶叫が聞こえてきたけど、完全無視で通す事にしたよ。
食堂に着くと、既にアデラール達が配膳を終えている。どうやらアルフォンスも一緒に食事のようだ。それを確認して席に着くと、エクトルが声をかけてきた。
「2人ともおはよう。タケル、父上と母上を呼んできてくれないか?」
「祖父さんなら、祖母さんに叱られていますよ」
「母上が怒るのも珍しいが、どうしてだい?」
「あなた、もしかして知らないんですか?」
俺が答えるよりも早く、アリソンが介入した。
「何をだい?」
「お父様は、タケルとセリーがロアエの種蒔きをした畑をダメにしかけたんですよ」
「そうなのかい?でも、どうして?」
「昨日の夜、タケルとアルフォンスの実力を確かめていたんです。そうしたら、お父様ったら確認もせず木剣を放ってしまって。それが畑に」
「な、なるほど」
エクトルが「父上なら確かにやりかねないな」と呟いた直後、トオルの悲鳴が屋敷内に響いた。
「先にいただきましょう」
アリソンは特に気にした様子もなく、朝食を始めるように促したのだった。母は強しだな。思ってから気付いた。使う場面が違ったと。
□
食事を終えた後、エクトルから今日の訓練は中止して乗馬練習と、御者練習をしようと話があった。俺としては体力的な問題があったから、幸運だったね。
服装はいつものではなく、動きやすさを重視したデザインの物だ。裏庭へと回ると、既にエクトルとアデラールが3頭の馬に鞍を着けている。2頭は茶毛、1頭は黒毛だ。
馬は商隊のを見た事があるけど、シャルトル家では馬などいかなかったはず。
「タケルが眠り続けている間に、商隊と連絡を取って5頭買ったんだ。ここにいない2頭は、知り合いに頼んで購入した馬車用の馬なんだけど、パレゾー子爵領から帆馬車を引いてくる最中。でも今日の午後には届く予定だ」
俺の思考を読んだらしいエクトルが、教えてくれた。それにプラスするようにアデラールが補足してくれる。
「タケル様とアルフォンス君に乗っていただきますのは、貴族子弟の乗馬経験に付き合った老馬です。実に大人しく、良く指示を聞きますので、ご安心ください」
アデラールが補足した直後、自己主張するように2頭の茶毛馬がぶるると鼻を鳴らした。
「名前は?」
「トオル様が、ユタカとコジロウと名付けました」
もしかして、日本でも有名騎手の名前を使ったのだろうか。もし俺の知っている騎手なら、非常に有名で優秀な人達だったはず。
競馬をした事はないけど、テレビでの特番で賞金王とか紹介されていたっけな。
「父上、まさかとは思うけど、いきなり1人で乗れとは言いませんよね?」
トオルは同じ転生者だから敬語を使いたくない。だけど、エクトルとアリソン、オレリアは間違いなく、この世界の家族。爵位が下から2番目だとしても、一応はエクトルやアリソンに対して敬語にするよう意識だ。
「最初から無理をさせるつもりはない。タケルもアルフォンスも子供で体格が小さいから、僕とアデラールの前に座らせて操馬を覚えてもらうよ」
良かった。トオル式みたいに、最初から実践なんかをさせられたら大ケガ間違いなし。それを避ける事が出来るだけでも、幸運と考えるべきかもしれないな。
綱を引かれて歩いてきたユタカとコジロウ。俺は2頭の頭や耳を軽く掻いてみる。気持ちが良いのか、ぶるるっと鼻を何度か鳴らして顔を寄せてくる。
「お待たせしました」
馬を撫でていると後ろから声を掛けられて振り返ると、そこにはアルフォンスの姿が。
「アルフォンス、乗馬経験は?」
「ありませんね。タケルさんは?」
「俺もない」
そんな会話をしていると、いつの間にか先に馬に乗ったエクトルとアデラールが、馬上から手を伸ばしてきていた。
「掴まって」
俺はエクトル、アルフォンスはアデラール。最後の1頭だが、アデラールが自分の馬と一緒に綱を持っている。
「父上、ユタカとコジロウの見分け方は?」
馬の見分け方など、出会ったばかりじゃ分からない。だから聞いてみると、意外と見落としがちな方法だった。
「蹄近くの毛を見てごらん。茶色がユタカで、白がコジロウ」
落馬しないように支えてもらいながら、足元の毛を見ると確かに違いがある。これで見分けが可能だ。
「それじゃ、森まで行ってみようか。着いたら、1人での乗馬練習」
「はい」
「が、頑張ります」
エクトルが軽く両足でユタカのお腹を蹴る。ゆっくりとトコトコと歩き出したのは良いんだけど、首が上下に意外と動くせいで少しだけ怖い。
ただ、それもすぐに落ち着く。老馬というだけあって、ユタカは俺の感情を察したようだ。首振り動作を抑えめにして、揺れないようにしてくれる。
「ありがとう」
感謝の気持ちを込めて、耳裏を優しく掻く。ぶるるっと鼻を鳴らしての返事があった。
(馬に乗ると、こんなに高いのか。今まで見慣れたはずの光景や風景が真新しく見えるな)
精神的な余裕が出来てきたタイミングで気付いた。コジロウに乗っているだろうアデラールと、アルフォンスの姿が横にないと。
気を付けて後ろへと視線を向けると、2ーメトル程の後方の後を着いてきている。
(アルフォンスも、首の上下運動が怖いんだな)
本人は必死に隠しているつもりなんだろうけど、表情が引き攣っていた。それも10分程の時間で改善されたけど。理由は単純。
森の入り口近くに到着して、地上へと降りる事が出来たからだ。
「じ、乗馬。へ、平気。こわ、こわ、怖くない」
まるで壊れたラジオやカセットテープのような状態。思わず優しく肩をポンポンと叩くと、感動したような表情に早変わり。
(よっぽど怖かったんだろうな。コジロウはそれを感じ取らなかったか。あるいは、アルフォンスの感情が伝わりすぎて落ち着かなかったか)
こんな状態の人物を乗せていたコジロウの方が急に可哀想に思えてくる。それでも、コジロウが暴れたりしなかった理由は何となる分かるような。
老馬だからこそ、乗り手の感情なんかを多少なりとも感じるはず。だからこそ、落ち着いていたのかもしれない。
「タケル、少し休憩としよう。適当なタイミングで声を掛けるから、そうしたら今度は1人での乗馬練習だからね」
「分かりました。最初は父上や爺やが手綱を引っ張ってくれるのですよね?」
「もちろんだとも。慣れるまでは、僕達が手綱を握るから安心して構わないから」
エクトルの言葉に安堵していると、アルフォンスがようやく正気を取り戻したようだ。
「まさか、馬上があんなに高いなんて。それに、首の上下運動が……あぁ。神様、どうかお守りください」
正気に戻ったと思ったけど、どうやらまだ時間が必要な様子だ。ここは、黙って聞こえていないフリをしよう。アルフォンスの名誉の為にもね。
□
最初に鞍に跨がる時には、エクトルに手伝ってもらった。そうじゃないと、乗れなかったからね。隣を見ると緊張でガチガチになったアルフォンス。
その様子を見るに、下手に声を掛けると一瞬でパニックになりそうな予感だ。ここは、放置しておいた方が俺自身の安全の為にもなるだろうな。
エクトルに基本的な手綱の動かし方などを簡単にレクチャーしてもらう。それを一通り覚えたら、手綱を引いてもらっての歩行練習。
2人で乗っていた時と違って、不安はあるけどユタカはゆっくりとした足取りだ。まるで、初心者の為に気を効かせるベテランのような感じ。
それも無理ない事か。ユタカからすれば、俺は完全にド素人だ。森の付近をグルグルと歩行して、慣れてきたら今度は速足に。
時々、身体が緊張で強張ると、その都度エクトルから姿勢を維持するようにとかの指示があった。ようやく慣れてきたと思ったのは、手綱を引いてもらっての歩行と速足レッスンから1時間以上くらいが経過した後。
「少しは慣れてきたかい?」
「はい。ただし、本当に少しだけです」
エクトルの確認に、答えると彼は満足そうな表情だ。
「馬に乗った初日で、慣れが出来るのは良い事だよ。今度は自分で手綱を握るんだ。ユタカの目の前を歩くから、安心して練習に励むと良い」
「ありがとうございます」
トコトコと歩くような、ゆっくり移動が15分を過ぎただろう頃から少しずつ変化。少しずつ速度が上がって、そして今では軽くなら速足もさせられる。
「よし、僕はもう1頭に乗る。タケル、後を追うように操馬を心掛けるんだ」
「はい」
アデアラールが3頭目の手綱を受け取り、いとも簡単に鞍へと跨がる。少し前に出てくると、振り返った。
「不安になったら、すぐに言うんだよ」
俺が返事をするよりも早く、エクトルは3頭目を歩かせ始める。その時になって、まだユタカとコジロウの名前だけしか聞いていなかったと気付く。
「父上、その馬とこれから届く馬に名前はあるんですか?」
ユタカを驚かせないように耳を掻きつつ、確実に聞こえるだろう音量で。
「まだ決めていないんだ。タケル達に練習させる馬にだけ先に名付けたから」
(そうなのか。う〜ん、ダメだ。思い付かない)
折角の機会だから1頭くらいは名付けてみたいけど、肝心の名前が思い浮かばない。そんな事を考えていると、エクトルの乗る3頭目が少しずつ速度を上げていた。
「ユタカ、小走りで追おうか」
手綱を微調整して、自分の向かいたい方向と出したい速度を伝えるように動かす。すると、俺の意図に沿うようにしてユタカが小走りを始める。
チラッとエクトルが俺の方に視線を向けた。ちゃんと付いてきているし、小走りになっていて満足そうに何度か頷いている。
そのまま、しばらく乗っていると徐々に速度も上がって最終的には走らせる事が出来た。風を切っている感覚は本当に心地良い。
ただし、老馬であるから速度を保てる時間や距離にも制限はある。それでも久しぶりに走れたのが嬉しいのか、ユタカは満足そうだ。あくまでも俺が見た感じでだけど。
(さて、そろそろ森の入り口へ戻ろうかな。アルフォンスも乗れていると良いんだけど)
森の方向へと走らせようとした時、どこからか誰かが呼ぶような声。周囲を見渡しても姿は見えず、空耳かと思ったけど。
「――る。――――ケル!」
間違いなく呼ばれている、ユタカを声が聞こえたような方向へ向かわせると、今度はしっかりと聞こえた。
「タケルー!」
「セリー!」
屋敷の方角からバスケットを手にしたセリーヌが、片手を振りながら歩いてきていた。
「もう1人だけ乗せられそうか?」
返事がなければ、降りて手綱を引こうと思っていたんだけど、ぶるるっと反応が。
(これは問題ないってことかな?)
「父上!お手を借りたいのですが!」
「分かった。すぐに行くから、少し待っていなさい」
距離が離れていたけど、大声で呼び掛ける。すると答えながら、3頭目を走らせてきた。
「どうしたんだい?」
「セリーを乗せたいんです」
彼女の方向を指差すと、エクトルは自分の目でも存在を確認。そして、少しだけ悩むような表情を浮かべてから「良いよ」と短く答えてくれる。
セリーヌの元へ向かうと、驚いた表情で俺を見上げていた。
「タケル、乗馬できるようになったの?」
「ついさっきね」
そんなやり取りをしていると、エクトルがセリーヌの隣に降りた。
「セリー、タケルの後ろに乗ってみるか?」
「いいんですか?」
「あぁ。だいぶ操馬も覚えたみたいだから」
セリーヌは悩む素振りもなく頷いた。エクトルがそっと抱き上げて、俺の後ろへと乗せる。
「セリー、しっかりと腰に掴まって」
「はい!」
元気良く答えた彼女を乗せて、森の入り口とのんびりと向かう。ユタカも2人を乗せる事に慣れているのか、全く嫌がる様子がないのは助かった。
「もしかして、お昼を作ってきてくれたのか?」
バスケットを持っている時点で、見れば分かるんだけども確認。
「えぇ。トオル様が顔を腫らした状態で、作り方を教えてくださったの。サンドイッチだと言っていたわ」
大きさから考えて、彼女を含めた5人分だろう。
「ありがとう。昼前に屋敷に戻ろうかと思っていたんだけど、その必要がなくなった」
「そう?それならよかった。それとオレリア様から伝言」
「なに?」
オレリアからの伝言は、トオルにお説教を行った事と顔の治療はしないと。それと、トオルにロアエの種を再度購入させて、種蒔きさせるという内容だった。
「そっか。祖父さんも、これに懲りて反省するかな?」
「そう思うわ。もし反省していなかったら、またタケルが顔を叩くとか?」
セリーヌは冗談で言ったつもりの様子だけど、俺は普通に頷く。
「反省していなかったら、身体強化して平手打ちしよう。そうしよう」
俺の物騒な呟きに、驚いたようだが小さな声で「ほどほどにね」と返事があった。