2ー1
月日は流れて早くも10年。この世界で男女共に成人とされる15歳の誕生日を俺は今日迎えた。洗面台の鏡を覗き込んで、改めて時間の流れを感じた。
身長も伸びたし、魔法薬の知識も増えて作れる種類も格段に増加。それ以外だと変化がある。執事はアデラールのみだったけど、新たに1人が入った。
メイドはミラベルの妹で、俺より2歳上の元気娘が数年程前から働き始めてもいる。屋敷専属の料理人も1人だけだが雇用し、全ての食事を任せるようになった。
昔みたいにアリソンや、セリーヌが作る事もあるけど、回数は非常に減っている。アルフォンスは、正式に俺の用心棒として雇われる事に。
セリーヌとの関係は許婚のままだけど、結婚のタイミングは完全に当人である俺達に丸投げするとエクトルやボーヴェ男爵が言っていたっけ。
鏡で寝癖がないかの確認を済ませて、俺は廊下へと出ようとする。既に着替えも終わっているしね。
「若様、おっはようございます」
扉を開けようとした瞬間、ドタドタとうるさい足音が廊下から部屋へと近付いてきていた。そして、バンと開け放たれた扉から1人の少女が入ってくる。
「若様、お誕生日おめでとうございます。パチパチパチ、今日で15歳ですね!いやぁ、あの小さかった若様が、こんなに立派になって」
「アラベル、うるさい」
朝から屋敷内に響き渡る大音量の正体が、このメイドだ。既に屋敷で働いているミラベルの妹。常に大声であり、テンション高め。
俺達の指示は聞いているんだろうけども、何かとミスをする性格の持ち主。外見はミラベルに元気を足しただけの存在だ。髪型だけは違いアラベルはポニーテール。
「何を言うんですか!若様が今日で成人する、おめでたい日なんですよ!!」
「成人することくらい普通だろ。アラベルの声が大きいのと、どう関係するんだ?」
「どうも関係しません!」
「なら、静かにしてくれ。それに俺の小さい頃のことなんて、アラベルは知らないだろ」
「お姉ちゃんから聞いてます。だから問題な〜し、です!」
頭や耳にキンキンと響く声が間近で。どうやったら、黙ってくれるのか真剣に考えないと。将来、難聴になりかねないな。
とりあえず、普通にまともな対応を求めよう。その為にも話題転換は必須だ。
「今日の朝食は?」
「えっとですねぇ、あれ?何でしたっけ?」
度忘れしたのか、腕を組んで「う〜ん」と唸り出す。時間が掛かるから放置して、さっさと食堂へ向かうとしよう。
「ま、待ってくださいよ〜、若様〜」
後ろから慌てたように付いてくるアラベルを無視。食堂に入ると、両親であるエクトルとアリソン。祖父母であるトオルとオレリア。そして許婚のセリーヌの姿。
セリーヌは10年の月日が流れて、可憐な美少女へと成長している。髪型は相変わらずだけども、儚さが加わった。
「おはようございます」
「おはよう。タケル、15歳の誕生日おめでとう」
「おめでとう。立派に育ってくれて嬉しいわ」
「これからも、びしばし鍛えて――」
「おめでとう、タケル。今日は朝から豪華よ」
「タケル、おはよう」
トオルがバカな事を言おうとした瞬間、オレリアが思いきり後頭部を叩いて黙らせた。立って俺を待っていたのはセリーヌだけ。
厨房の方から、アデラールとフラヴィ、ミラベルの3人が配膳用のカートを押してくる。
「アルフォンスは?」
「彼なら外で素振りかな。アラベル、呼んできてくれ」
「まっかせてください!」
エクトルから指示を受けてドタドタと騒々しく走っていく背中。
「アラベル!」
メイドとしてあるまじき姿に、思わずミラベルが非難するような声を飛ばした。
「あううぅぅ、ごめんなさ〜い」
怒りというよりも、注意や威圧感を込めたミラベルの声を聞いて、走るのを止めて早歩きになった。
「また中庭?」
「あぁ。さて、料理も並んだ事だから食事といこうか」
アルフォンスは食事の時間でも素振りをしている事があり、呼びに行くのは大抵アラベルの仕事。そして、そのアルフォンスの立場も月日が流れて変化した。
当主であるエクトルに雇われた俺の護衛だ。トオルから免許皆伝をもらったと同時に、アルフォンスから申し出があったのだ。
変化に関してはまだある。だけど、それを食事をしながら述べるのは野暮だ。今は朝食といこう。並べられたのは、宮廷料理。
雇った料理人が、かつて王城で料理人として働いていたのだ。そんな人物をどうやって雇用したのか。6年程前にオレリアが失われた魔法を復活させた偉業に対する報酬だったりする。
今日は俺の誕生日であり成人の日でもある。その為に工夫を凝らした料理の数々が、朝から食卓に並んでいた。
□
食後の紅茶を飲んで一息。料理の皿は全て下げられ、今は家族だけが食堂のイスに座っている。
「タケル、改めて誕生日と成人おめでとう」
「父上、ありがとうございます」
カップを置いたエクトルが、俺の包へと向き直る。かなり真剣な表情だ。
「成人したんだ。何かやってみたい事とかあるのかい?」
エクトルの問いにセリーヌを含めて、一斉に視線が集まる。俺は数年前より成人したらの行動を考えていた。そして、それらの内容も伝えてあったのだが。
(改めてどうしたいかを聞きたいのかな?)
全員と視線を合わせてから俺は答える。
「前から言っているけども、この世界を旅したいですね」
全員が「やっぱりか」という視線に。このファンタジーな世界に転生したんだから、生きている内に旅をしようと思って悪いんだろうか。
セリーヌなんかは、横に座って小声で「私もタケルと一緒に旅するわ」と囁いてくる。実に嬉しい限りだ。
「旅の計画や目的は?」
「魔法薬の勉強を行いながら、各地を転々として様々なことを見たいです」
「そうか。でも魔法薬の勉強だけなら王立魔法薬学院にでも通えば良いんじゃないかい?」
王立魔法薬学院、オレリアと陛下主導で新設された学院であり、入学条件は成人を迎えている事くらい。その他は特に条項がない。
実は俺も陛下から入学しないかという話があった。だけど、旅をする方を選んだ。1ヶ所に留まっても知識は得られるだろう。
それでも、旅をして色々と覚えて体験したい。だから申し訳なく思いつつも断った。別に断っても罰則とかなかったけど。
それに迷宮にも興味があった。上級魔法薬の材料の大半は、迷宮にしかない。そのせいで、かつて陛下からもらった竜の品も使えていないのが現状。
「いえ。迷宮に(ダンジョン)にも行ってみたいんですよね」
「タケル、良くぞ言った!しっかりと鍛え――」
またバカな事を言おうとした瞬間、オレリアに往復ビンタされるトオル。この人は放っておこう。話が進まないからね。
「そうか。アルフォンスも連れて行くのかい?」
「えぇ。俺の護衛ですから」
その後しばらく旅の行き先を話し合った。その結果としては、魔法薬都市と言われるプレジール公爵領を目指す事に決まる。そこに迷宮はないけど、腕利きの魔法薬師が揃う場所だとか。
セリーヌと食堂を出た直後、アデラールがささっと歩いてきた。何か用事だろうか。
「タケル様、ベネトー様がお見えです」
「ベネトーが?」
2年前に商隊参加を止めて、パレゾー子爵領に商会本店を作ってからは手紙を通しての、やり取りしかしていないんだけど。
それに事前に訪問確認や、訪問予定の手紙も送らずというのは実に珍しい。
(成人祝いの言葉なら手紙で、受け取っているんだけど。なにか急用でもできたのか?)
数分間、訪問理由を考えてみたけど分からない。なので結局は本人に直接聞いてみる事にした。
「今はどこに?」
「応接室にご案内しました」
「分かった。行こう。セリーはどうする?」
「私は旅支度しているわ。出発は今日中?それとも明日?」
「明日だ」
俺の言葉に頷いてセリーは部屋へと走っていく。ちなみにだけど、彼女は1年前からシャルトル家に滞在している。どうやら俺にとって義父となるボーヴェ男爵から、立派な嫁になれと送り出されたそうだ。
気が早いだろうと思ったけど、オレリア曰く「生まれて数年で許婚や婚約が成立した場合は、成人になる1〜2年前から相手と同棲するのは普通」との事。
セリーヌもこれを当たり前のように受け入れて、今ではずっと我が家に住んでいるように思える程、すっかりと生活に溶け込んでいた。
彼女の背中を見送ってから、俺は応接室へと向かう。アデラールが先触れとして、小走りに向かっている。到着する頃には、紅茶も揃っているだろうな。そんな事を考えつつ歩き出した。
□
ベネトーから成人祝いの言葉をもらったけど、それからしばらくの間は無言になってしまった。俺としては彼が来た理由が、ただ祝いの言葉だけとは思えない。
だからと言って、他に用事があるんだろとは聞けなかった。本人から言い出すまでは黙っている。そもそも何と聞くべきか思い浮かばないのだ。
お互いに無言のまま10分が経過した後、ベネトーが懐に手を入れて白塗りの小箱を取り出した。それをテーブルの上にそっと置いて、何も言わず開けるように促してくる。
こんな面倒くさい事をするような性格じゃないのは分かっているけど、何を企んでいるのかは気付いた。だって小箱を置いた瞬間、俺が驚く表情を期待している雰囲気に変化したのだから。
しばらく小箱を見詰めていると、ついに焦れたのかベネトーが言葉で促してきた。
「開けてくれ。若様の成人祝いの品だ」
手に取ってみて気付く。樫の中でも特に高価な部分だけを使って作られていると。
(中身はかなりの物だな。なにを選んだのか、うん。素直に気になる)
蓋をそっと持ち上げて、小箱の中を見る。そこには銀色に輝く鈴が入っていた。しかも普通の鈴じゃない。複雑怪奇な紋様が彫られている。
鈴その物に触ってみると、ただの金属じゃないのは一瞬で分かった。
「ミスリル合金だな」
俺の言葉にベネトーが一瞬でニヤッと笑顔を浮かべた。ただし、驚かなかった事に不満そうだが。
「正解だぜ。そいつは「友愛の鈴」っていう物さ」
「「友愛の鈴」か。確か魔力を流して発生させる音に特殊な力があるんだよな」
「っお!良く知っているな!」
さっきまでの無言具合が冗談のように饒舌に。
「その鈴が発生させる音には、どんな魔獣も冷静になるんだぜ。数種類だけだが、その鈴の音で友好的な関係を築いたり、味方になってくれる存在もいるくらいだ」
「ほう?どうして、そんな物を持ってきたんだ?」
俺の問いに「待ってました」と言わんばかりの表情。
「旅に出るんだろ?なら旅路の途中で魔獣と遭遇した時のお守り代わりだ。本当に効果があるかは、分からないが若様なら使えるだろ」
「どこから、そんな自信が出てくるんだかな」
「へへ。商人は自信が一番ってね!」
「違うだろ」
「へ?」
行商人だろうが、商人だろうが本当に重要なのは自信じゃない。
「全商人に共通する大切な事は信用だろ」
「確かにそうだな!でも、自信だって必要だぜ?自信がない品物なんかが売れるかってんだ」
熱血漢溢れるような感じで言ってくるが、それは無視しよう。今はこれに関して確認するべき事がある。
「ミスリル合金製の物なら、なんであっても値段は張っただろう。何ルピーだ?」
本当に魔獣に襲われなくなるかは知らないけど、かなりの値打ちにはなる。さすがに、このまま受け取る訳にはいかない。ちゃんと支払おうと思っていたんだけど。
「金ルピー1枚と銀ルピー8枚。ただし、若様から受け取ろうなんて考えてないぜ。これは正真正銘、祝いの品だ。だから金なんか必要じゃない」
(本気かよ!?いや、さすがに冗談だよな?)
「爺や、ルピーを用意してくれ」
「若様よ、冗談とか悪ふざけで言っているんじゃねぇぜ。純粋に贈り物だ。受け取ってくれ」
俺が冗談だと判断したと気付いた様子で、急に真剣な雰囲気を醸し出す。事実として、本気なんだろう。ここは素直に受け取るべきか。
「分かった。ありがたく使わせてもらう」
突き返されるとでも思っていたのか、ベネトーは脱力しきった状態だ。
「若様よ、良い旅になる事を祈っているぜ。もしパレゾー市に来る事があるなら手紙を出してくれ。良い品を揃えて待ってから」
「あぁ。ありがとう」
ベネトーは俺が確かに受け取ったのを確認すると、早々に席を立った。どうやら、「友愛の鈴」を渡す事が目的だったようだ。
そして用は済んだから、宿屋へ帰るという。見送ろうかとしたら、明日からの旅支度に時間を割けと言って屋敷を出ていった。
□
旅支度の諸々を終えたのは、夕食後の事だ。旅の移動は10年の間に追加された帆馬車を使う事にした。野営道具を背負っての旅は、かなり厳しくなる。
大容量を収納する事が出来る魔法鞄とか、妖精鞄があれば、徒歩でも問題ないんだけど。こんな辺境の地には存在しない。
急いで確認する事もなくなって、明日までの時間が出来た。どう過ごそうかと考えて、老馬のユタカに乗って領内を散歩しようかな。
この世界の馬は驚く事に30年間は普通に生きる。ユタカは今年で27歳の高齢馬。走る事は難しいけど、トコトコと散歩くらいなら問題ない。
鞍を用意して向かうと、俺の存在に気付いたユタカが首を持ち上げぶるるっと鼻を鳴らす。鞍を取り付ける作業も慣れて、わずか1分で完了。
「ユタカ、一緒に散歩しよう。明日から乗れなくなるから」
耳裏を掻いてやり、背中へと上がる。手綱を操って、無理をさせる事もなく領内散歩を開始。トコトコとゆっくりと歩かせていると、見慣れた顔が森の方角から歩いてきた。
「クロエ!」
「あら?タケル様じゃない。どうしたの?」
アルフォンスと良く似た顔立ちで彼の従妹。10年前の狂い猛牛に追われていた帆馬車に乗っていた人物の1人。
「明日には旅に出るからな。ユタカに乗って領内の見納めしている最中だ」
「そっか。タケル様は今日が15歳の誕生日だっけ」
「あぁ。明日から王国内の各地を旅する」
「護衛は?」
俺の言葉に頷くと、急に顔を赤くしながらそんな事を聞いてきた。事情を知らない人間が見れば、「恋か?」って思うんだろうけど違う。
クロエが好きなのは従兄のアルフォンスだ。2人は同じ家で生活していて、村の人間達からは仲の良い従兄妹だと有名になっているくらい。
「アルフォンスだけだ。食事面はセリーヌ任せになる」
「え!?」
いきなり深刻そうな顔色を浮かべた後、俯いてぶつぶつと何かを言い出す。気が触れたかと思いそうになるけど、これが彼女の平常運転。
自分以外の女性がアルフォンスに好意を抱く可能性を酷く嫌がるのだ。
「それじゃあな。俺はユタカと散歩を続ける」
思考復帰に時間が掛かりそうだと判断して、放置しようとする。
「ちょーっと待って下さい!」
ユタカの前にずざっと現れて、予想外の事を言い出した。
「あたしもタケル様の旅に同行します!」
「え?」
「ですから、あたしも旅に同行するって言っているんです!」
(なにを言い出したかと思えば。どうせ、アルフォンスと離れるのが嫌なだけか)
「どうしてだ?」
「あたしがタケル様やセリーヌ様の食事を準備します。旅における専属料理人になります!」
断ったとしても、きっと無理矢理にでも付いてくるんだろうな。例え俺が却下しても、勝手に移動に使う帆馬車に乗り込みそうだし。
「アルフォンスに聞け。あいつの仕事は俺とセリーの護衛だからな」
俺がそんな事を言うと、クロエは真顔になって頷いた。そして、薬草が詰まった篭を揺らさないようにして走っていく。
「青春しているなぁ」
高確率でアルフォンスはクロエの同行を認めるだろう。何せシャルトル流剣術の免許皆伝となってからは、近くにいる人を絶対に守りきってみせると息巻いている。
(それにアルフォンス自身が知っている血縁者は、クロエだけだしな)
クロエの両親は狂い猛牛に追われていた時に、別の馬車に乗っていたらしい。危険分散の為に別れた後、クロエとその両親は再会が出来ていない。
どこに行ってしまったのか、その行方が分からないからだ。それだけに2人にとって、互いの存在は非常に大切になっている。
「ユタカ、もう少し付き合ってくれな」
また鼻を鳴らして返事をしてくれた老馬と共に、俺は領内の散歩を続けた。村に立ち寄った時、店や家の中から村人達が出てきて、祝いの言葉の雨を降らしてくれたよ。




