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普通なら痛いという言葉だったはずだ。だけど、実感から言ってしまえば、熱いという感覚が妥当だろう。そんな暢気な考えをしながら、それどころではない状況を把握する。
今から数分前の事だ。高校の入学式帰りに、近くのコンビニに立ち寄って昼食用の弁当とジュースを買った後。
信号待ちをしていた時の事。会話したこともない他の新入生達と並んでいたら、後ろから何かがぶつかってきた。人にタックルされたような感覚じゃない。
もっと、こう、金属の塊が速度も落とさずに突っ込んできた感じの方が適当かもしれないな。その衝撃で身体は浮き上がって、アスファルトへと叩き付けられる。
悲鳴と絶叫が聞こえ始めて、誰かが命乞いをするような声が聞こえた。身体の節々に激しい痛みを感じながら、やっとの思いで起き上がる。
声のする方向へと振り返ると、それは映画やドラマのワンシーンのようだ。電柱に衝突して変形し、ボンネットから煙を上げる車。
その車の運転手と思われる20歳くらいの青年が、包丁を片手に近くにいた人を無差別に斬りつけていた。無数の血溜まりができている。
あまりの事態に理解が追い付かない。青年は学生もサラリーマンも、主婦も妊婦も関係なく包丁で斬り、滅多刺しにしていた。
視線が合ったと思った頃には、包丁が俺の腹を刺している。そうじゃない。現在進行形で、何度も腹や胸を刺されているんだ。
でも不思議と痛みは感じない。止まる事を知らずに流れだし続ける血を前にしても、思考が追い付かない。刺されたのだと認識しても、感じるのは痛みじゃなくて熱さだ。
(熱い、熱い、熱い、熱い)
刺された腹や胸が火傷したように熱い。身体を起こしているのが辛くて、横になってみる。ペチャっという音に首を動かすと、間違いなく発生源は俺だ。
刺された場所から俺の血が流れ続けている。まるで水道管が破裂したかのように溢れ続けていた。
(もしかしなくても、これって連続通り魔事件に巻き込まれた展開か)
熱さが急に寒さに変わった。俺は身体を起こそうとして力が入らない事に気付く。
「最悪の入学式だったな」
「ホントだよな」
俺の呟きに誰かが答えた。声のした方へと首を動かして視線を向ける。同じ制服を着た同じ歳の少年がいたよ。
「なぁ、俺達は死ぬのか?」
俺のそんな問いに少年は、この状況に不釣り合いな笑みを浮かべる。
「だろうな。お前、腹と胸を滅多刺しにされてたぞ」
こんな状況なのにも関わらず、あまりにも普通に話してしまえる。いや、こんな状況だからか?
「知っているよ」
言われなくたって、刺された場所が寒くなっているから分かる。俺はこれから死ぬんだなぁって、他人事みたいに考えていた。
「わりぃ。先に……い……」
言葉を全て言い切る事もなく、俺はさっきまで話していた同級生が死んだのを見た。
(目を開けているのが辛い。急に眠たくなってきたな)
授業時間とかでつい、先生達の話し方が単調で居眠りしそうになる感覚。それが近い。
(俺も死ぬんだな。高校入学式の当日に連続通り魔事件で死ぬなんて、考えもしなかったけどさ)
遠くからサイレンの音が聞こえる。救急車かパトカーのどっちかだろうな。もう関係ないか。俺はもう助からないだろうし。
(本格的に眠たくなってきた)
「し……しろ」
(耳元で誰かが言っている。けど、うまく聞こえない。眠いから放っておいてくれよ)
そんなこんなで俺は思考をやめた。身体が軽くなったような感じもするけど、今は関係ない。寝かせてくれ。急激に意識が遠退く。
「こ……い」
誰かの声が聞こえた気がする。せっかくだから、その声の方へと意識を向けてみよう。あれ?目を閉じているはずなのに、何か光っているような。
□
長い長い眠りから目覚めるかのように、俺の意識がゆっくりと戻ってくる。寝返りを打とうとして、身体を動かそうとするけど、全く思い通りにならない。
(ん?ちょっと待てよ)
連続通り魔事件で死んだはずだよな。それなら身体なんてないはずなのに、何で寝返りをしようとしているんだろ?
「父上!タケルが寝返りをしようとしていますよ!」
「静かにしろ。タケルが起きるじゃないか」
タケルって誰の名前だよ。俺の名前は違うんだけど。まぁ関係ないか。それよりも、寝返りがしたい。聞いたこともない声が2人分。
1人は低くて渋味のある、ダンディーな感じだ。もう1人の声はどこにでもいる大学生くらい。
「頑張れタケル!もうちょっとだぞ」
だからタケルって誰だよ。それよりも、うまく寝返りが出来ないぞ。どうなっているんだよ。
「貴方、もう少し静かにしてください」
「ごめんアリー。でもさ、僕らのかわいい息子が寝返りしようとしているんだよ」
「見れば分かります」
なんか新しい声が追加されたぞ。間違いなく女性の声。おっとりとした感じの声。
(ちょーっと待てよ。俺、死んだはずだぞ!?寝返りが無理なら、せめて顔を見てみよう)
いつもよりも時間をかけて、目を開いてみる。そこには知らない黒髪紫瞳の40代くらいおっさんと、見た事もない優男風の20代くらいの金髪碧眼、そして同じ20代くらいの薄い金髪を長く伸ばして胸元でリボンを付けた紫瞳の女性。
(誰だよ!?)
「貴方のせいでタケルが起きてしまったじゃありませんか」
「ご、ごめんよアリー」
アリーと呼ばれた女性が両手を伸ばしてそっと、大切そうに抱き上げる。そのままポンポンと優しく頭まで撫でてきたぞ。
これって、どういう状況なんだよ。ていうか20代の女性が俺を抱き上げられる訳が。
(ん?んんん〜?)
抱き上げられた拍子に、鏡が見えるぞ。
(俺、赤ん坊になっている!?)
「うーだーばーう!?(どうなっているんだ〜!?)」
「はいはい、どうしたの?」
(ウソだろ。まともに言葉と声も出ない。どうなっているんだよ)
「ミルクの時間はまだ早いわね。どうしたのタケル?」
タケルって俺の名前!?ちょい待ち。何で知らないどこかの人妻さんに抱っこされているんだよ。
「う〜ん」
「エクトル、そんな表情をしてどうした?」
「待望の我がシャルトル家の男児なのに、どうしてタケルは泣かないのかと」
(シャルトル家?待望の男児?ますます意味が分からない)
「きっと我慢強い子なんだろう。大丈夫だ」
はい、大丈夫じゃありません。何となく状況を理解する事は出来ているんだけどね。
(これってあれか?ラノベやゲームによくある転生しました的な話か?)
「タケル、もう少し寝ていなさいな」
赤ん坊の姿の俺を抱いている女性はアリーって呼ばれていたな。転生したと仮定して、この人が母親って事でいいんだよな?
じゃぁエクトルって呼ばれたのが、父親でいいのか。となると黒髪紫瞳のおっさんが、祖父さんって事で間違い。
そっと揺りかごの中に戻してくれるのは、ありがたいんだけどさ説明プリーズ。
「父上と同じ黒髪に紫の瞳。もしかしなくても、転生者ですよね?」
「そうだろうな。今はタケルを寝かせてやれ。後で念話で話してみるから」
「分かりました」
何か納得しちゃっているよ。俺にはさっぱり分からないんだけど、今は赤ん坊の身体のせいか疲れやすいみたいだ。うとうとしてきた。
目を開けているのも難しくなってきたから、また改めて状況を確認しよう。っとその前に時計ってこの部屋にないのかな。
「タケル、今は午後1時だ。しばらく寝ていなさい」
俺の考えを読んだかのようなタイミングで、おっさんが時間を教えてくれた。一応、感謝しておこう。
□
2回目の目覚めは誰かに頭を撫でられた感触によって。眠気を我慢して目を開ければ、そこにはおっさんが。おっさんに頭を撫でられて、喜ぶような人間じゃないぞ。
俺が起きたのに気付いたのか、おっさんは笑顔を浮かべる。起こされた側としては不満だぞ。
「念話」
『私の声が聞こえるかな?』
何か言っているなぁと思った直後、頭の中におっさんの声が響いてくる。どういう原理なのかは知らないけど、知りたい事を答えてくれそうだから返事をしようか。
「うーあ(聞こえる)」
『話そうとしなくていい。念話は、互いの意識を繋いで会話がやり取りできる魔法だから』
(魔法?)
『そうだ。君は日本で死に、この世界に転生した』
いきなり転生って言われて、はいそうですかと納得ができるかよ。
『この世界は魔法が存在する。魔法を使うための魔力も』
(魔法と魔力ねぇ)
普通に考えれば頭がおかしいんじゃないかと思うよ。でも、状況が状況だけに否定する事もできない。そもそも、まともに発声する事が無理な赤ん坊と会話が成立している時点でファンターなんだよな。
『何か知りたい事は?』
色々と聞きたい所だけど、今の俺にとって重要な事を考える。この世界で生きるための知識だな。それと自分の状況を理解するための情報。
その中でも特に確認しておきたい事から解消するか。
(ここはどこなんだ?)
『トゥーロン王国の極東、シャルトル男爵領。私が1代で男爵位を築き上げた』
聞いた事もない国名だな。さて次々と質問していこう。
(この世界での俺の立場は?)
『エクトルとアリソンの息子。私からすれば孫だ』
(エクトル?アリソン?)
『この世界における君の両親だ。エクトルが父親、アリソンが母親』
あの20代の男女で間違いないだろうな。それ以外に心当たりもないし。それに俺の事を息子って言ってたしな。
(おっさんの名前は?)
『私か?トオルだ。それから君の名前はタケル。この名前をこれから名乗る事になるから慣れてくれ』
慣れろって言われてもな。あぁ、でも。うん。日本で家族に名前を呼ばれなかったから、話せるようになる頃には慣れるだろうからいいか。
(これから俺はどうなる?)
『この世界の住人として生きる。爵位を継ぐもよし、自分のやりたい事を見付けて専念するもよし。君次第だ』
そうか俺次第か。まずはこの世界で生きていくための知識は必須だな。
(なぁ祖父さん)
『何だ?』
(とりあえず、この世界で生きていくのに必要な知識を教えてくれ)
俺の言葉にトオルは一瞬だけキョトンとしたが、すぐに返事をしてくれた。
『当たり前だな。最初は文字の読み書き。次にこの世界のお金。それが済んだら、王国の歴史や魔法なんかを教える。それに生まれながらの貴族なんだから、社交ダンスやテーブルマナーも覚えてもらう』
トオルが浮かべた笑顔は、いかにも苦労しましたって先達の顔だ。今から不安になってくるが、今はとにかく赤ん坊の身体に慣れる事が優先。
少しでも早く馴染めるようにトオルも力を貸してくれるだろう。最初の目標は両親や家の事について知る事が先決。
『それとだが、今は日本の季節でいう春頃だ。ただし、こちらの世界は少しだけ冷えているぞ』
部屋を出ていこうとして、途中で振り返ったトオルから追加情報。こっちにも季節があるのか。四季があるのかは、これからのお楽しみって事で。
□
トオルから簡単な説明があってから数日後、小さな変化が2つ。1つは部屋の天井にカタカナとローマ字を合わせた文字の表。読みやすいように日本語も隣に書いてあった。
もう1つは、トオルがゲーセンなどで使われるコインを持ってきた事だ。
「念話」
今回はトオルが何と言ったのか聞き取れた。どうやら魔法の発動に詠唱などはいらないらしい。らしいというのは、他に魔法発動する瞬間を見ていないからだ。
『こっちの世界でのお金を見せる。順番に色と金額を教えるから覚えるように』
黒ルピー1枚1円、緑ルピー1枚10円、青ルピー1枚100円、赤ルピー1枚1000円、紫ルピー1枚1万円、銀ルピー1枚10万円、金ルピー1枚100万円の順番。
(金ルピーなんて、使われるものなのか?)
『爵位持ちや商人なら最低でも10枚は持っている』
1千万も持っているのかよ。
『伯爵にもなると、金ルピーだけで50枚。侯爵と公爵なら500枚くらいは持っているな』
金持ちじゃん、めっちゃ金持ちじゃんかよ。ならシャルトル家が持っている金ルピーはと聞いてみると、王様から特別支給で30枚はあるとの事。
(特別支給って、何があったんだよ)
『爵位を得る前と得た後に、ほんの12回ほど陛下のお命を救っただけだ』
(ほんのって数じゃないだろ!?)
『細かい事は気にするな。こっちの世界じゃ、国王は命を狙われてこそ名君だから』
いや、その基準ってか考えはおかしい。ただの暴君じゃないのかよ。念話で突っ込まなかっただけ俺は偉いと思う、うん。
「お父様、タケルの所でしたか」
おっとりした声の人物は、アリソンだ。そう言えば、今になって疑問になったぞ。聞いてみるか。
(祖父さん。エクトルとアリソン、どっちが直系なんだ?)
「タケル、お母さんとお散歩に行ってみる?」
『アリソンだ。エクトルは婿入りだぞ』
トオルとアリソンは紫瞳だから、確かに血が繋がっているんだろう。でも、髪の色は違うよな。
『アリソンは瞳の色だけ私譲りで、外見は全て祖母さん似だ』
俺の思考を読んだかのようなタイミングだな。でも、祖母にはまだ会ったことないぞ。離婚しているとか?
(祖母さんは、どこにいるんだ?)
俺の質問が聞こえた訳じゃないだろうが、答えはアリソンからだった。
「タケル、お祖母様に会いに行きましょう。宮廷魔術師指南役のお仕事も一段落した頃でしょうからね」
宮廷魔術師指南役?そんな肩書きがあるのか。祖母さんスゴい人なんだろうな。優しい人だといいんだけど。
「さぁタケル。行きましょうね」
(祖父さん、祖母さんってどんな人?)
『穏やかな性格だから心配するな』
幸せそうな顔を浮かべているのを見ると、よっぽど好きなんだろうな。
□
こっちの世界の祖母さんが指導に使っているという部屋に到着。何やら複雑な紋様が描かれた扉なんだけど。どんな人物なのかは予想も付かない。
転生してから1度たりとも顔を見た事がないし、名前を聞いたこともなかったな。
「お祖母様、アリソンです。タケルの顔を見せに来ました」
「お入りなさいな」
アリソンに負けないくらいに、おっとりとした感じの声だ。トオルが言っている事が本当なら、アリソンは母親似で間違いない。
「失礼します」
俺を落とさないように抱き寄せながら、扉を開けてアリソンが中へと入る。
(落ち着いた感じの部屋だな)
窓から射し込んでいる太陽光が、室内を照らす。こちらの世界の観葉植物らしい物が窓際に置いてある。壁際には大きめの本棚が1つ。
そこに詰め込まれている本は、どれもページ数が多いようで分厚い。ほとんどのタイトルが読めなかったが、辛うじて2冊だけ読めた。
(魔法薬入門書と薬草学入門書か)
いかにもなタイトルに興味を持ったけど、その前に確認する事がある。祖母の顔だ。部屋の片隅に置かれたイスに座っていた人物が歩いてきた。
「タケル、初めまして。お祖母ちゃんのオレリアよ」
外見はアリソンが年齢を重ねた姿。本当に似ている。自分を抱っこしているアリソンと祖母のオレリアを何度も見比べてしまうほどだ。
唯一違うのは瞳の色だ。アリソンは紫瞳だが、オレリアは鳶色をしていた。
「お祖母様、抱っこなさいますか?」
「えぇ。タケル、いらっしゃいな」
アリソンからオレリアへとそっと移される。最初は気付かなかったけど、抱っこされてから気付いた。
(何か甘い匂いがする)
具体的にどんな匂いが近いかを思い出そうとして室内を見渡そうとするも、その前に軽く身体を揺すられた。
「タケル、お祖母ちゃんに顔をよく見せて」
耳をくすぐる位置で囁くように言われる。ちょっとむず痒い。
「本当に髪と瞳の色はお祖父ちゃんにそっくりねぇ。でも顔立ちはお父さん似かしら」
「だーう?(そう?)」
「あら、何て答えてくれたか気になるわね」
オレリアが俺を抱っこした状態でイスに座る。その時になってイスだけでなく、机も置いてある事に気付いた。机上には、試験管らしい物がいくつか。
そのうちの1つから甘い匂いが漂っていた。気になって手を伸ばそうとしたけど、全然届かない。
「これ?これはね、安らぎ香の元なのよ。嗅ぐ人によって香りは違うんだけど、心を落ち着かせる効果があるのよ」
オレリアは俺が興味を持ったと思ったらしく、アリソンに本棚から薬草学入門書を取ってこさせる。その後、しばらくは現在0歳の俺に入門書を絵本がわりに読んでくれた。