3回裏
決意を固めた私だが、熊沢オーナーに連絡する前にまだするべき事が残っていた。恩人でもある下川さんへの報告だ。下川さんはリーグ優勝を決めたとはいえ、日本シリーズを控えた忙しい身体。私は電話でお知らせする事にした。
「おう、シゲか。どうした?」
「この度は優勝おめでとうございました」
「おう、そのセリフはTVでも聞いたぞ。お前の予想通りになって良かったよ。それより電話してきたって事は何か用があるんだろう?」
「はい」
「何だ、どうしたあ?」
「実はフェニックスの監督を引き受ける事にしたのでご報告を、と思いまして」
「そうか、やる気になったか。俺もその方がいいと思っていたんだ、今後の為にもな」
「自分もそう思いました。そしておこがましいのですが、今年のスターズを見て挑戦してみたいとも」
「そうか、勝負師の血が騒いだか?まあいい、そうなると来年からは敵だ。一切情けはかけんからな」
「はい」
「それじゃあ俺が日本シリーズ終わったら一度会うか?話したい事もあるしな。こちらからまた連絡するよ」
「わかりました。それではシリーズの勝利を願っています」
「おう、またな」
電話は切れた。下川さんへの報告を終えた私はこの晩、家族にもフェニックスの監督をやる気である事を知らせ、拍手喝采を浴びたのだった。
翌日、アポイントを取って新潟まで出向き、熊沢オーナーと会見した。電話でお答えするのも失礼だし、何より監督になる気なので、直接お会いして話したかったのだ。
「わざわざ新潟までおいでいただき、ありがとうございます。それで監督の件ですが……」
私の意志を知らないオーナーの顔は、決断を心配して少しばかり強ばっているようにも
見えた。
「お世話になります」
「い、今、何と?」
「未熟ではありますが、フェニックスの監督を努めさせていただきたいと思います。よろしくお願いします」
「ほ、本当かね?」
「勿論です。わざわざ冗談を言いに新潟まで来ませんよ」
「ああ……、ゆ、夢じゃなかろうか……。律儀なあなたの事だ、わざわざ新潟まで出向いてくれて断られるのかと思っていましたよ」
「今年のスターズを見て燃えてきたんです。自分のいなくなったあのチームに挑戦してみたいと。そしてオーナーの熱意に打たれました。男としてそれに応えたいと思いました」
「ああ、ありがとう……、ありがとう、王嶋さん」
オーナーは歓喜の表情をして、何と抱きついてきた。
「オ、オーナー……」
「私は以前からあなたが自分のチームに来てくれるのを夢見ていた。あなたのようなスター性のある選手が来てくれたらどんなに盛り上がるかと……、ずっとずっと思っていたのです。そしてその時こそ優勝を狙える時だと。確かにスターズには劣るかもしれませんが、今のあなたでしたら、充分に渡り合えるだけの力量を持ち合わせている筈です」
「そ、そこまでの自信はありませんが、とにかく精一杯やらせてもらいます」
「ああ、天にも昇る心地だ……。あなたがフェニックスに来てくれるなんて……。今日は球団を設立して以来、最高の一日になりました」
オーナーは私の監督就任が本当に嬉しかったようで、心から喜んでくれていた。私もその笑顔を見て、良い決断をしたと感じた。
この後、条件が提示され契約が交わされた。一年契約で、年俸は何と二億円!これにはさすがに驚き、
「ち、ちょっと待って下さい。そんなに貰えません」
と言わざるを得なかった。
「いや、これは正当な評価です。あなたがウチのチームに来る事は、兼ねてからの私の夢だったのです。夢にお金を投資するのは当たり前の事ですよ」
「しかし、こんなに貰っては選手やコーチに良く思われません」
「いやいや、あなたの実績を考えたらそんな事は誰も言えませんよ」
「ですが……」
私は固辞した。こんな金額をチームの人間が知れば、憤懣やる方ない筈だ。星本あたりは黙っていないだろう。
「わかりました。でしたら出来高という事では如何です?」
「出来高……ですか?」
「とりあえず年俸は一億円として、リーグ優勝を成し遂げられた場合、もう一億上乗せする。これでどうです?ウチのチームは一度も優勝していない。それを達成されれば一億くらい安いものだ」
「リーグ優勝……」
「如何です?」
「よしやりましょう。それでお願いします。それだったら正当報酬という事で励みにもなりますし」
「それじゃあ一年契約の年俸は一億円、それに優勝出来高一億円という事で」
「ちょっと待って下さいオーナー、一年契約という事ですが……」
私はこれが腑に落ちなかった。あれだけ熱心に誘っておいてたった一年の契約でいいのか。
「ええ」
「こういう言い方は何ですが、私は一年間でいいんですか?」
「あっ、そういう風に解釈されましたか……。それはこちらが舌足らずでした」
「と言いますと?」
「王嶋さんはスターズの監督になるのが最終目標でしたよね?」
「いえ、その……」
「ははは、正直に言って下さって結構ですよ。無理を言って監督をお願いしたのはこちらの方ですから」
「す、すいません」
「こちらとしましては、なるべくあなたの将来に差し障りがないようにと考えての一年契約案だったのですが。例えば再来年、もしあなたにスターズの監督を努める機会が回ってきてもウチと複数年契約しては話が簡単に済まなくなるし、何よりあなたにご迷惑を掛けてしまう、そういう事態を避ける為、単年とさせていただいたのです」
「そうだったんですか、そこまで考えていて下さったとは……。変な勘繰りをして申し訳ありません」
「いえいえ、一年契約に疑問を持ってくれて、こちらとしてはかえって嬉しいくらいですわ。本音を言えば何年でもやって欲しいくらいですから」
「ははは、でも一年契約、燃えてきました。後がない背水の陣を敷いているみたいです」
「さながら王嶋さんは斉の韓信ですな」
オーナーは私の『背水の陣』という言葉を取って昔の中国の英雄になぞらえる。
「じゃあオーナーは高祖ですね。漢の国を一緒に建国しましょうか」
「はっはっは、私は『狡兎死して走狗煮られる』なんて真似はしませんからな、とにかくあなたを信用しますよ。存分に腕を振るって下され」
「やります。見ていて下さい」
私はオーナーに優勝を誓い、契約を済ませた。
ペナントレースは終了した。何と両リーグの順位は私の予想とピッタリ。これには自分でも驚き、昨オフの勉強が実を結んだと実感した。MHKのスポーツニュースでそれが披露され、視聴者からお褒めの手紙やファックスをいただいた。この一年で最も嬉しい出来事であり、来年への自信に繋がる成果であった。
私のフェニックス監督就任は、日本シリーズ終了まで伏せておく事にした。そんな話題でシリーズの盛り上がりに水を差しては申し訳ないと思ったのだ。そして幸いにもその動きは報道陣には感付かれていないようだった。
そんな中、日本シリーズは始まった。私も解説や取材で球場に出向いたが、そこで見たのは圧倒的なスターズの強さだけだった。激戦の末、パワーリーグを制してきた福岡イーグルスがまるで子供扱い。エースは強力打線に打ち込まれ、クリーンナップは完璧に抑え込まれる始末。まるで大人と子供程の差がそこにはあった。結局スターズの四連勝で、あっさりと勝負を決めてしまった。
このとんでもない強さのスターズを見せられて、私の闘志に火が付いた。今シーズン、何処の球団も歯が立たなかった相手を自分が封じる事にこそ意味がある、そう思った。日本一を決めて浮かれ騒ぐスターズの選手達を見ながら、誓いを新たにしたのだった。
日本シリーズから二日後、新潟フェニックスは重大発表があると言って報道陣を球団事務所に集めた。熊沢オーナーと球団広報が用意された席に腰掛けて記者連中と対峙した。取材陣も何の発表かわからず、訝しそうな表情をして、席上のオーナーから発せられる言葉を待っていた。
「報道関係の皆様、寒い中ご苦労様です。本日、お集まりいただいたのは、新監督を発表する為です」
オーナーの言葉に報道陣がどよめく。それもその筈、フェニックス球団はシーズン中から現監督の留任をほのめかしていたのだ。そしてそれは彼の了承の上で言い続けられていた。
「それは驚きました。てっきり監督は来期も代わらないものと思っていましたから。それで、一体どなたに就任要請を?」
代表して一人の記者が質問を浴びせ掛ける。
「ある大物に依頼して、快諾をいただきました」
「大物?それは……」
「紹介しましょう、王嶋茂治新監督です」
オーナーに名前を呼ばれると共に、私はカーテンの内からフェニックスのユニフォームに身を包まれた姿を現わした。途端に会場全体が騒つき、歓声が上がる。
「お、王嶋、ミスタースターズの王嶋がフェニックスの監督に!」
「ほ、本人だ!」
「何で突然フェニックスに?」
報道陣の騒めきはなかなか収まらなかった。私が席に着いた時、ようやく静かになり、その場にいる全ての人間の目が己れに集中しているのがわかった。
「皆様、ご苦労様です。只今、熊沢オーナーの方から発表がございましたように、私、王嶋茂治が来期の新潟フェニックスの監督を務めさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願い致します」
言葉が終わるか終わらぬかという内に、記者団の方から質問が殺到した。
「王嶋さん、何故、フェニックスの監督を?」
「スターズとの関係はどうなっているんですか?」
「いつ頃、決心なさったのですか?」
あまりの騒ぎに収拾が着かなくなり、たまりかねた球団広報が立ち上がって、
「すみません。皆様、質問は一つずつ順番にお願いします」
と言う程だった。これでやっと記者達も落ち着き、代表者が立って一人ずつ私に問い掛けてくる運びとなった。
「フェニックスの監督になると決心したのは、今シーズンのスターズの優勝を見てからです。それまでに熊沢オーナーの方から熱心にお誘いいただいていたのですが、まだ迷っている段階でした。強いスターズを見て勝負師の血が騒いだというか、まあとにかく挑戦してみたいと思った訳です」
「私は現役時代から王嶋さんにウチのチームに入って欲しいと願っていたのですよ。そして選手としては昨シーズン引退してしまわれた。そこでこれは好機とばかりに口説きまくったのです。監督としてウチのチームに来てくれと」
オーナーが私の言葉に続いた。
「しかし、王嶋さんはスターズの監督を目標としていたのではないですか?」
「はい、それは今も変わりません」
「ということは腰掛けでフェニックスの監督をなさるのですか?」
「ちょっと、それは失礼でしょう。王嶋さんは私のしつこい勧誘に応じてくれた訳で、こちらとしても将来的な道は保障しております。それが故の一年契約であり、決してフェニックスの監督を腰掛けでやってもらうようなつもりはありません」
とオーナー。
「オーナーの言う通りです。確かに将来の目標としてスターズの監督がありますが、現時点ではフェニックスの監督を精一杯務めさせて頂く事以外考えていません。ただ、そんな先の事まで考慮してくれ、スターズともうまく話をして下さったオーナーには本当に心打たれました。その為にも一年目から優勝を狙っていきたいと思います」
「優勝……ですか?今年のスターズを解説席から見て、死角はあると思いますか?王嶋さん本人も今年はかなり推されていましたが……」
「死角はないです。相手の弱点云々以前に、まずチームの力を底上げしたいと思っています。そうすれば勝負に絶対はありませんから、勝機も見えてくると……」
「なるほど。王嶋さんの手でチームそのものを強くしていこうという事ですね?」
「そのつもりでいます。今年優勝したスターズの胸を借りたいと思います」
「具体的な方針はあるんでしょうか?」
「そうですね、まだフェニックスの選手を直に見ていないのではっきりとは言えません。秋季キャンプで選手の力を見極めて、それからになりますね」
「下川さんとのSO対決についてはどう思いますか?」
「スターズ=下川さんのチームだと思っていますから、先程も申しましたように、胸を借りるつもりでぶつかっていきたいです。それと、SO対決と言われて球界が盛り上がるのでしたら大いに喜ばしい事です。その話題性に負けずに頑張りたいと思います」
「新潟フェニックスというチームについての印象は?」
「現役時代、何度か優勝争いしているので力はあると思います。現在コーチをやっている星本君との対戦は特に印象に残っています。昨年のキャンプを見せていただいた限りでは彼を筆頭に、チームとして強くなろうという気持ちを持っているので有望だと思っていますが」
「その星本さんとはうまくやっていけそうですか?」
「チームに残ってくれる以上は大丈夫でしょう。別に互いに憎しみを持っている訳ではありませんから。彼とは現役の時からいいライバル関係でした」
私はここでハンカチを取り出して額の汗を拭いた。それを見た球団広報が、
「申し訳ありませんが、質問は以上とさせていただきます。本日は遠いところをお集まりいただき、誠にありがとうございました」
とこれで質問を打ち切った。記者達の熱は冷めそうになく、キリがないと判断したのだろう。その判断は正しかったと思う。記者連中のしつような質問攻めに、私も辟易し始めていたくらいだ。そのまま記者会見は終了し、我々はバックステージに引き下がり、報道陣も帰っていった。
「いやはや大変でしたな。王嶋さんが出てきた途端にあの騒ぎだ。やはりあなたの人気は凄い」
報道陣の去った後、オーナーは騒ぎ立てるように言った。
「はあ、自分でも驚きました。まさかあんな質問攻めに会うとは……」
今だに流れ落ちる汗を拭いながら応える。さすがにくたびれた。
「いや、それがあなたの人気ですよ。そのスター性に私は惚れたんですから。あなたには自然 と人を引き付ける魅力がある」
「そんな、褒め過ぎですよ」
「いやいやもっと自分に自信を持って下され。あなたはそれだけの人なんですから」
「そうですね。私が弱気では選手も意気消沈してしまいますからね」
そんな話の最中、我々のいる部屋のドアが開いた。
「失礼します。王嶋新監督がいらっしゃっていると聞きまして……」
「星本君……」
それは星本だった。
「やあ、まさかあんたがウチの監督になるとは思ってもいなかったよ」
「私が密かにずっとお願いしていましてね。やっと王嶋さんの承諾を得たのですよ」
オーナーが口を挟んだ。
「一生懸命やらせてもらうよ。よろしく」
私はそう言って手を差し出したが、星本はそれを払い除けた。
「ほ、星本君……」
「あんたにフェニックスを私物化させる訳にはいかない。このチームは俺の故郷なんだ。それだけは覚えといてくれ」
現役時代を彷彿させるような鋭い目付きで睨みつけてくる星本。私を外敵か何かだと認識しているようだ。
「言いたいのはそれだけだ。失礼しました」
頭を下げて彼は部屋を出て行った。まるで風のように来て風のように去って行ったのだった。
「困りましたな。星本君があんな挑発的な態度を取るとは……」
オーナーが心配気な顔をして呟いた。
「彼は生粋のフェニックスの選手ですから。気持ちはよくわかります。突然、私のような外様が迎えられたら面白くないでしょうし、チームを守りたいと思うのも無理はないでしょう」
「な、何か王嶋さん、嬉しそうな顔をしてますな。早速、問題が起こったというのに……」
「今の星本を見たら、何だか現役に戻ったような気分になりまして。現場復帰するのがわくわくしてきましたよ」
「それでこそ王嶋さんだ。期待してよろしいんですな?」
「任せておいて下さい。やりますよ」
私はオーナーに来期の奮闘を誓ったのだった。