11回表
後半戦が始まった。オールスター明けの初戦は横浜ドルフィンズとの三連戦。我々はエース吉田を立てての必勝体制で臨んだ。前半戦、十二勝三敗の好成績でウイルソン、スターズの下原と並んでハーラーダービーのトップを走っている吉田は、オールスターでもいいピッチングをして調子に乗っていた。この日も好調な様子で、ブルペンでは球が走っていた。「今の自分は打たれる気がしない」そんな風に感じていたのではなかろうか。
それが増長に繋がったのか、この日の彼は簡単にドルフィンズ打線に付け込まれて脆さを見せた。内野安打で出塁されると盗塁され、ワイルドピッチ・四球を繰り返し満塁のピンチ。上擦った状態で相手の四番にストレートをスタンドに運ばれ、あっという間に四点を献上してしまった。調子は良いのに精神面のムラっ気が出て、実力を発揮出来ない悪いパターン。今年ここまで出なかった、昨年までの吉田の悪い面が現われてしまった。
悪かったのは吉田だけではない。リードする西沢にも油断があった。簡単に盗塁を許したのは問題だし、満塁になる前に吉田を励ましに行くべきだった。おそらく西沢は吉田が自分の力で何とかすると考えたのだろう。チームの「信頼感」が悪い方向に出た。そして他の選手も何処となく動きが緩慢で、相手を舐めているというか油断しているような雰囲気があった。
「四点くらい何とかなるさ」
ベンチに戻って来た時、一人の選手から出た言葉がこれだ。確かに意気を上げるには悪い言葉ではないが、この日に関しては明らかに相手を舐めて調子に乗っていた。四点は簡単に考えられる点差ではない。前半戦の勢いを過信して、そのようなセリフが出たのだろう。
結局、この日我々は11−1の大敗を喫した。投手陣は総崩れ、打者もジョーンズが一発を放ったのみ。後半戦、最悪のスタートとなってしまった。そしてその影響は翌日にも出た。
先発ウイルソンは待球作戦を取られ、ナックルの多投で握力の弱まる中盤から死四球を連発した。それでも何とか無失点に抑えていたが、球数が百球を越えたところで中継ぎエース増本に交代。その増本が大乱調で、連続四球で一点を与え、ストライクゾーンへ置きにいった伸びのないストレートを狙い打たれ大量失点を喫してしまった。
打線も「何とかしよう」と焦りの色が明らかで、ドルフィンズのエース野々村に手玉に取られて完封負け。さらに翌日の三戦目も先発に酒井を立てながら敗退、選手は浮き足立って何も出来なかった。サインの見落としや、消極的な見逃し三振などが多発した。
この結果には皆、意気消沈したようだった。この間スターズは三連勝し、我々は首位の座から引きずり降ろされた。無言でベンチを引き上げる選手達に、前半戦の面影はなかった。
試合後のロッカールーム、私は着替える選手達の前に顔を出した。皆、沈鬱な表情をしてうつむいたまま、黙々と着替えていた。そこには暗いムードが漂っていた。
「あっ、監督……」
最初に私に気付いたのは西沢だった。その声に反応し、皆が一斉に私の方を見た。
「どうした、元気ないじゃないか?」
私は選手達の顔を見回しながらそう言った。皆、押し黙って何も言おうとしない。すると、一人の男が口を開いた。
「監督、すいませんでした。今日の大事な試合、抑える事が出来ず……」
酒井だった。今日の敗戦を相当気にしていたらしい。彼の発言が口火を切り、皆が謝りだした。
「すいませんでした」
「この三連戦、何も出来ませんでした……」
「前半戦の好成績で調子に乗ってました……」
選手一人一人が、この調子で反省の弁を述べた。西沢を始めとして、あのお調子者の丸山ですら謙虚な姿勢で頭を下げていた。私は正直、驚いた。長いプロ生活の中で、こんな風に選手が監督に慚愧する姿を見たのは初めてだった。そして驚くと同時に、胸にぐっと来た。私はこんなにも信頼されていたのかと、彼らの心意気に素直に感動した。
「みんな、そんなセリフはまだ聞きたくないぞ」
私は大きな声で言った。それで皆が顔を上げ、こちらに注目した。
「もう諦めるのか?まだ後半戦は始まったばかりだぞ」
「監督……」
「私はキャンプから皆を見てきて、優勝出来るチームを作ったつもりだ。それがたかが三連敗したくらいで、こんなにも脆く崩れる選手達だったのか?君達はそんなにヤワじゃない」
私は叫んだ。選手の心に響くようにと。実際に戦うのは彼らだ、私に出来るのはこんな事しかなかった。
沈黙がロッカールームを包んでいた。しかし数秒後、津波の如く大きな盛り上がりが沸き起こった。選手全員がうなりとも叫びともつかない声を一斉に揚げたのだった。
「すいません……、いや、やります!」
「絶対ここから優勝します!」
選手は皆、自らを鼓舞するように声を張り上げた。そして各々が気合いを入れて身体を叩き合ったり、握手したり、腕を突き上げる真似をしたりした。一気にムードは変わった。選手達は戦う男の顔に戻っていた。いまどき古風な男達だとバカにする奴もいるかもしれない。でも、私はそんな彼らが大好きだった。本気で何かに取り組むには、多少なりともその事象にバカにならなくてはならない。彼らはそれが出来る男達だった。選手の盛り上がる状態を確認すると、私はそっとロッカールームを離れた。
「ありがとな、あいつらあれで立直れるよ」
不意に背後から声が掛かった。星本だった。
「見てたのか?」
「ああ。あいつら、本当にあんたを慕っているのがよくわかる。いいところでゲキを入れたもんだ。きっと明日からは大丈夫さ」
「うん。私もそう信じている。このまま落ちていくようなチームじゃない」
「頼むぜ、監督。あんたの舵取りが必要なんだからな」
星本に背中を叩かれ、私は握りこぶしを見せてそれに応えたのだった。
ホテルの部屋に戻った私は、一人でビールを飲みながらいろいろと思い出していた。熊沢オーナーといい、星本といい、選手達といい、フェニックスのメンバーは心に熱いものを持った奴らだ。久しく忘れていた情熱を思い起こさせてくれて、心から感謝の気持ちで一杯になる。そのお陰でこの一年、スターズの件を除けば、本当に充実していると思う。自分の野球人生最後を飾るに相応しい幕切れかもしれない。覚悟はとうに決まっている、後は選手を優勝へ導くだけだ。私は一人、部屋で気合いを入れ直したのだった。
翌日、元気を取り戻したチームに、さらに真の一番バッターが帰ってきた。精神面の鍛練の為、二軍落ちしていた吉原がついに一軍に合流したのだ。カウンセラーと二軍監督のお墨付きとあって、私は練習から彼の様子に注目した。
「吉原、待っていたぞ」
打撃ゲージに入ろうとする彼に早速声を掛けた。
「お待たせしました。期待に応えられるよう、頑張ります」
と言った吉原の顔は自信に満ち溢れていた。キャンプの頃とは明らかに表情が違っていた。喋り方もおどおどしたところがなく、はっきりと物を言う姿勢がうかがえた。
「ああ、本当に期待しているよ」
「連敗は今日で止めますから」
これがあの吉原かと思う程、強気な発言が飛び出す。それも増長している雰囲気はない。二軍にいた間に相当な精神修業を積んできたのだろう。練習を見ても、しっかりとしたゴロ打ち、堅実な守備を披露していた。
この日はホーム鳥屋野球場での大阪ナンバーズ戦、私は迷わず吉原を一番センターに起用した。ファンも彼を歓迎すると共に、連敗脱出を願って声を張り上げてくれていた。
「よし、地元で連敗脱出だ。やるぞ」
「オッス!」
私のゲキに選手全員が応え、スターティングメンバーが守備位置へ走っていった。先発は畑田、彼の頭脳的な投球術に期待を掛けるしかなかった。相手の一番青星は初球から打って出た。強烈な打球がピッチャーの脇を通り抜けて行く。
「あーっ!」
観客が一斉にどよめいた。ボールが芝に着く直前に、センター吉原がダイビングキャッチしたのだ。グラブを高く掲げて、補球を証明する吉原。
「アウトーっ!」
審判のジャッジと同時に、一気に球場が盛り上がりを見せ始めた。このファインプレイは流れをこちらに持ってくるに、十分なものだった。これで気を良くした畑田は後続をしっかりと抑えた。
「よーし、先制するぞ。頼むぜ、吉原」
ベンチに皆が戻り、西沢が言うと、
「おう。絶対出塁するから、頼んますよ」
吉原は自信ありげな顔をしてバッターボックスへ向かった。
「あれが吉原か……?」
ベンチは皆、吉原の変わりように驚いていた。そして打席でどういう結果を見せるのか、注目した。
打席に入った吉原は落ち着いているように見えた。ボールをじっくりと見て、一球も振らずにカウントツースリー。そして六球目、三遊間にゴロを打ったが、
「セーフ!」
足の速さを生かして、何とセーフ。再び場内が湧いた。攻撃でもパフォーマンスを見せた吉原に続けとばかり、チームも勢い付いた。二番殿村が犠打でセカンドにランナーを進めると、三番ジョーンズの一発が飛び出した。さらに西沢、山下にも連続ホームランが出た。そのまま打者一巡の猛攻で、初回で一挙七点、早くも勝負を決めた。
この後も展開は変わらず、畑田は完封、打撃陣も大暴れして大量17得点を挙げた。こうして我々は大勝で復活ののろしを上げたのだった。
そして再び連勝が始まった。一番吉原の復帰は大きかった。彼は精神面の強化に加え、完璧にゴロ打ちをマスターしていた。その為、出塁率が高くなり、後に続く打者がそれを返す形が出来上がった。おまけに丸山を七番に回せるようになり、抜け目のない打線を作る事が可能になったのだった。




