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暗黒球場  作者: 馬河童
19/31

10回表

 スターズの先発はエース下原。浮き上がるような伸びのあるストレートを投げる本格派で、昨年は十八勝している球界を代表する投手だ。今年も開幕戦に登板し、完封勝利を挙げている。初回、ウチのチームはそのストレートの前に三者凡退に討ち取られた。ボールの勢いに押され、凡打となってしまうのだ。

 一方、こちらの先発はウイルソン。キャッチャーのサインも横流ししてあるので圧倒的な不利にもかかわらず、彼の球はスターズ打線を手玉に取る。何処に行くかわからないナックルは打者のバットをかわし、ストレートも走っており打球を詰まらせていた。特に三番衛藤のバットを粉砕した剛球は凄かった。わかっていても打てない球を投げる、さすが本物のメジャーリーガーである。

 そして二回表、西沢の打席が回ってきた。下原との真っ向勝負は満員の観客を大いに湧かせた。意地になってストレートを投げる下原に、食らい付いていく西沢。ファールの連続で球数は十五球目に差し掛っていた。

「くあっ」

 と叫びを揚げて下原が投げ込んできた。バットを砕かんばかりにボールが飛び込んでくる。しかし、西沢のバットはその剛球を真芯でジャストミートした。

「うわーっ!」

 大観衆が一斉に驚嘆の叫びを揚げた。西沢の打球は一直線にバックスクリーンに突き刺さったのだった。

 まさにプロフェッショナルの勝負を見た気がした。密約など吹き飛ばすような、素晴らしい真剣勝負であった。こうした戦いが当たり前ではない勝利至上主義の亡者達の、何と浅ましいことか。この対決を見て、私はとても惨めな気分になった。一生懸命戦っている選手達に対して恥ずかしい思いで一杯であった。

 試合はこの一点が大きくモノを言った。下原は後続をしっかりと断ち切り、ウイルソンも負けじと失点を許さない。それにウチのチームが出塁しても、サインがバレているだけに、高確率で打ち取られてしまい、追加点は望めなかった。恐らく下川さんの指示が出ているのだろう。面白いくらいこちらの作戦は見破られた。これを打破するには、西沢のように一発を狙うしかない。そして下原から一発を打つのは至難の業だった。その様子を見ていた私は本当に辛かった。

 だが、ウイルソンは本当に踏張った。結局、三塁を踏ませない好投を演じ、何とフェニックスは1−0で勝利したのだった。信じられないが、サインが筒抜けながらも我々は勝ったのだった。七連勝、しかもライバルと目されるスターズに先勝して選手達は盛り上がっていた。いや選手だけではない、コーチ陣までもが喜びの感情を表していた。あの星本ですら、

「よし、これなら本当に今年は優勝できる」

 と確信めいた表情で意気込んでいた。そんな中、私は一人不安になっていた。いきなり勝ってしまった事で下川さんがどういう印象を持ったのか、図りかねたからである。

 解散してホテルの部屋に篭もった頃、予想通り電話がきた。重々しい気分のまま、私は出た。

「シゲ、今一人か?」

 下川さんの声はいつもと変わらない様子だった。

「はい」

「今日はやられたぜ。ウイルソン、さすが現役バリバリの大リーガーだな」

「はあ……」

「今日、そっちが勝ってくれて良かったぞ。あまり毎回こちらが勝つようだと、本当に怪しまれるからな」

 下川さんはとんでもない事を言い出す。あまりに勝負をバカにした発言で、内心腸が煮え繰り返るような思いがした。ただ半分安心したのも事実だった。勝った事で下川さんが不機嫌にでもなっていたら、家族がどうなるか心配でならなかったから。

「あれで……良かったんですか?」

 不安な私は本来聞くべきでないような事を尋ねた。

「ああ、十分だ。明日からもよろしく頼むぞ」

 と言うと、下川さんは電話を切った。

 ベッドに寝転びながら、私は訳がわからなくなっていた。今、自分がやっている事は何なのだろう。野球……、いや違う。駆け引きのような、別の何かをしている気がした。下川さんに操られるまま、今までに経験がないような悪い役を演じさせられている。まるで人形のようだ。こんな気分で一年間自分の精神が持つのだろうかとも思う。

 だがフェニックスの選手といる時は、確かに野球をしている実感があった。彼らといる時は間違いなく私は生きていて、充実していた。

「よし」

 私はこの時ある決意を固めた。とりあえずシーズンが終わるまでは今のまま、やれるだけの事はやってフェニックスの優勝を目指そう。そしてペナントレースが終わった時、全てを清算する……

 決心した事でよく眠れたようで、すっきりとした朝を迎えた。もう迷うまい。下川さんの言う事は聞くが、同時にフェニックスの優勝も目指す。この姿勢を貫くだけだ。もう私の行く道の先は半ば見えていた。舗装もされていない悪路だが、せめて優勝を手土産にしてそこへ突入したいものだ。七連勝の勢いを維持できれば、それも夢じゃない。

 だが現実は甘くなかった。第二戦、ついにフェニックスの連勝は止まった。この試合、先発に酒井を送り出したのだが、彼の速球がピンポン玉のようにスターズ四番ガンズに運ばれ、3−0で敗れてしまった。大リーガーガンズならば、いくら速く重くてもストレートとわかっていれば打つ事は難しくない。攻撃陣もことごとく裏をかかれて無得点に終わった。全て私によるサイン横流しが敗退の原因だった。

 続く第三戦も我々は敗北した。昨日はまだ試合になっていたが、この日は圧倒的なスターズの力の前に12−0の大敗を喫した。ただでさえ戦力が整って強いスターズが、相手のサインがわかるとなれば、もはや敵はいない。ウイルソンのナックルのように味方でさえ予測不可能なボールを投げるでもしなければ、投手が九回を抑え切る事は出来ないであろう。攻撃にしても出塁後の作戦は無意味に等しく、点を取るには初戦の西沢のように一発打つしかない。それを格上のスターズ相手にやるのがどんなに難しい事か、仮にも一流と呼ばれてきた私にはよくわかっていた。

 だが選手は元気を失ってはいなかった。皆、次の大阪ナンバーズとの三連戦では力を発揮し、連敗ショックを微塵も感じさせなかった。そして二勝一敗で乗り切ったのだった。 

 フェニックスの選手達は私の言う事を信じ、本当に力を付けていた。スターズ戦を除いて、ほぼ二勝一敗のペースで勝利を重ねた。投手陣は吉田・ウイルソン・酒井の先発三本柱の安定が大きかった。彼らはサインがわかっているスターズが相手でも、最小失点に抑える力を持っていた。打は四番西沢の安定に尽きる。キャンプ中の心配は何処へやら、シンクロを取り入れてからの安定感は群を抜いており、三冠王にも手が届きそうな勢いだった。それとゴロ打ちに撤している丸山が良かった。私の言い付けを守り出してから、彼の出塁率は一気に上がった。打率も三割代後半をキープし、足を生かして盗塁も数多く決めていた。精神修業を言い渡した吉原がまだ戻って来ない今、彼の存在は欠かせなかった。

 そしてフェニックスは前半戦を首位で折り返した。この結果には選手を始め、コーチングスタッフも皆、素直に喜んでいた。前半戦終了後、私は星本に誘われ新潟市内の飲み屋で話をした。

「前半戦、本当に出来過ぎと言っていいくらいの好成績だったな。あんたにはキャンプからいろいろと言ったが脱帽だ、ありがとう」

 と言って星本は杯を合わせる。

「私は何もしていないよ。選手が頑張ったんだ」

 本当にそうであった。私はむしろ影で足を引っ張っている。

「いや、奴らの力を引き出したのは間違いなくあんただよ。今まで選手・コーチをやってきて、こんなに選手の力を引き出している指揮官を見た事がない」

「ありがとう。そう君に言ってもらえると嬉しいよ」

 私はあの星本にこんな風に言ってもらえるなんて本当に嬉しかった。

「でも、まだ油断は禁物だ。スターズが二ゲーム差ですぐ後ろに迫っているからな」

「ああ……」

 一瞬、自分の中に緊張が走った。スターズという言葉を聞いただけでも、過度に反応してしまうのだ。

「そのスターズだが、どうしてこんなに勝てないと思う?ここまで三勝十二敗はひど過ぎないか?」

「ああ……」

「確かに奴らは強い。リーグ一の投手陣と攻撃力を持っているからな。だけどウチだって今年はそれなりの戦力を整えた筈だ。もう少し勝ててもいいような気がするんだが」

「そうだな」

「どうも俺は作戦がことごとく読まれているような感じがするんだが、気のせいか?」

「確かに……」

 真実を答えられぬ辛さが私の胸を締め付けていた。

「何だ、オイ、煮え切らない態度だな。古巣だからって気を遣ってるのか?」

「いや、そんな訳じゃ……」

「じゃあどうしたらいいと思う?このままじゃ本当にやばいぞ」

「む……」

 私は何も言えなかった。自分でかき乱している以上、具体策など言いようがなかった。

「何か変だぞ。ひょっとして何か心当たりがあるんじゃないだろうな?」

 はっきりしない私の態度に、ついに星本が疑いを抱いてきた。

「な、何もない。私だって考えてはいるんだが……」

「それにしたって具体策がないとどうにもならんぞ」

「私だっていろいろ試みたんだよ。でも全て下川さんに見透かされているようで……」

 私は嘘を吐いた。そうでもしなければ、彼の疑いが解けそうになかった。

「そうか。そりゃそうだよな。確かに下川さんはあんたの師匠格みたいな人だからな。監督として全て上を行っていてもおかしくないかもしれない。悪かったな、ひどい事を言った。すまん」

 謝る星本を見て、非常に申し訳ない気持ちになった。むしろ謝りたいのはこちらの方だ。結局、解決策など出る筈もなく、二人で飲み明かしたのだった。


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