9回裏
広島サーモンズとの開幕戦はデーゲームで行われる。我ら新潟フェニックスの面々は早々と球場入りしていた。試合前の練習、選手達は軽快に動き、開幕戦の緊張を感じさせなかった。こういう時、地元開幕は大きい。慣れた地で、しかも味方応援団に囲まれ、戦い易い事この上ない。皆、オープン戦を首位で終えた事で自分達の力に自信を得たようで、地の利にも恵まれたこの初戦、やってくれそうな雰囲気を漂わせていた。
ファンが続々と集まってきて、鳥屋野球場は満員になろうとしていた。大勢の地元フェニックス応援団が、試合開始前から声を張り上げ楽器を鳴らして場を盛り上げていた。ミーティングを済ませた我々が、そんな熱気溢れる球場に足を踏み入れる。すると雷のように歓声が鳴り響き、轟音が球場全体を取り巻いた。
「す、すげえ……」
「こんな応援初めてだ」
選手は皆、驚いていた。これ程の応援に囲まれるのは初めての経験なのだろう。幾らかそういう環境に慣れている筈の私でさえ、身震いした。
「どうだみんな、やってやろうって気になっただろう?」
私の問いに、
「ウッス!」
全員が大きな返事で答えた。皆の顔を見回すと、いい気合いの乗りをしている。決して応援に萎縮してはいない。むしろ強力な後ろ盾を得てやる気を奮い起こしたようだった。この調子なら、地の利を生かせるだろうと私は確信した。スタメンの選手達は勢い良くベンチを出ていき、守りに付いた。
若手人気アイドルによる始球式が終わり、いよいよ試合開始。先発吉田が初球を投げ込む。速球が猛烈な勢いで、破裂しそうな音を立てて西沢のミットに突き刺さった。
「ストライーク!」
審判の声が響くと一気に場内は沸いた。それ程インパクトのある初球だった。客席からは
「ヨシダ!ヨシダ!」
というコールが始まる。声援に後押しされ調子に乗った吉田は快調に速球を投げ込み、サーモンズ打線を三者凡退に斬って落とした。
勢いに乗った我々は一回裏の攻撃、集中打を浴びせ一挙五点を入れた。四番西沢のホームランには場内が大いに沸いた。
地元開幕での地の利を生かすと言ったが、この試合それが顕著に現われた。こちらはリラックスして戦えたのに対し、サーモンズの選手達は何処か動きが堅く、よそ行きのプレイをしているようだった。結局、吉田が三安打完封、西沢の二ホーマーを含めた先発全員安打で11対0の完勝だった。
「監督、やりましたよ」
勝利の瞬間、私に向かって全選手が喜びを示してくれたのはこの上なく嬉しかった。私は監督として公式戦での一勝を挙げたのだ。監督とは一度なると麻薬のように辞められなくなると聞いた事があるが、それを納得させられた瞬間だった。この勝利は今までのどんな勝利よりも嬉しく思えた。
続く第二戦の先発はナックルボーラーのウィルソン。彼の緩急自在のピッチングに面白いくらいサーモンズの打者のバットが空を切り、二試合連続の完封勝利を飾った。打も西沢とジョーンズが好調で、二人で七打点を稼ぎ出し、開幕二連勝を挙げた。
そして私は三戦目の先発にルーキー酒井を起用した。これは賭けでもあり、星本からも
「もう少し様子を見た方がいいんじゃないか?」
と言われたが、連勝して勢いに乗っている内に彼を使ってみたかった。勝てば最高に良い波に乗れそうだし、仮に負けても二勝一敗で開幕三連戦を終えられると判断した為だ。最終的には星本の了承も得てこの日の先発となった。
「どうだ、緊張しているか?」
私はブルペンから戻って汗を拭いている酒井に声を掛けた。
「はい、でもオープン戦の時に比べたらそうでもないです。あの時は本当にプロの初戦という感じで緊張しましたから」
と言う酒井の表情は、確かに清々しいまでに平常心に満ち満ちていた。
「それじゃあちょうどいい感じだな。適度に緊張感を持っているようで」
「はい。頑張ります」
「頼むぞ、期待しているからな」
と言って私が背中を軽く叩くと、酒井は
「はいっ」
と返事をしてマウンドに駆けて行った。
試合開始と共に酒井の快投が始まった。いきなり154km/hの速球を投げ込み、場内を湧かせるとそこからは奪三振ショー。初回、速球と高速スライダーを駆使してサーモンズ打線を三者連続三振に斬って落とした。
「やるじゃないか一年坊」
球を受ける西沢が頭を叩いて褒めたたえる。
「いやあ、まだまだこれからですよ。西沢さん、援護に一発お願いします」
酒井はにこにこしてそれに応える。何処か憎めないところがあり、本当に気のいい若者である。
「ようし、見てろ。早い内に楽にしてやるからな」
そう言った西沢が本当に先制ツーランを打ったのには、私も驚いた。酒井ははしゃぐように自軍ベンチから飛び出してそれを出迎え、西沢に抱きついていた。
これで酒井はさらに乗った。二回も三者連続三振で締めた。連続三振は三回の八人目で途切れたものの、何と完封どころかノーヒットノーランのおまけつき。速球の勢いは最後まで落ちず、リーグ記録に並ぶ毎回の十七奪三振は圧巻の投球であった。彼の大活躍で、フェニックスは開幕三連勝を飾ったのだった。
翌日の一面は酒井のノーヒットノーラン一色だった。各紙が新人離れした彼の力を称賛していた。そしてフェニックスの力が本物で、間違いなく優勝争いに食い込むであろうとも書かれていた。
この勢いは続いた。続く名古屋シャチホコズとの三連戦も投打が噛み合い三連勝、開幕から六試合を負けなしで乗り切れた。
私も監督をしながら、このチームのノリの良さに感心するしかなかった。期待に応えて活躍する選手達を本当に頼もしいと思う。だが、その気分を壊す事柄が迫っていた。ついに東京スターズとの三連戦を迎えたのだ。
名古屋戦の後、一日移動日が挟まっていた。この最初の三連戦は相手の本拠地東京ドームで行なわれる。我々は軽く練習した後ホテルに入り、前日を過ごした。そんな私に予想通り、下川さんから電話が掛かってきた。
「シゲ、いよいよ明日からだな」
「はい、よろしくお願いします」
「それはこちらのセリフだ。約束通り頼むぞ」
「はい……」
私は聞かれるままに、フェニックスのサインを全て教えた。物凄く嫌な気分になった。そうしている自分がとても情けなく思えた。
「よーし、わかった。それじゃあ明日よろしくな」
と言って下川さんは電話を切った。この晩、私は部屋で一人泣いた。何でこんな事になってしまったのかと、いくら考えても答えは見つからなかった。
夜が明けた。私はまた眠れなかった。だが眠気はなかった。欝勃とした気分が胸一杯に広がっていて、異様に頭も冴えていた。もう選手を信じるしかない。それが私に出来るせめてもの事だった。
我々は昼過ぎに球場入りした。久し振りの東京ドーム、私は妙な気分だった。以前はここを本拠地として、ファンの声援に後押しされてやってきた。事実、今日もSO初対決という事でドーム内が異様に盛り上がっていた。だが、今回は敵としてここへ帰ってきた。引退セレモニーの時、再び帰ってくると宣言したのが、図らずも別の形で実現した為そんな気分になるのだろう。
そう、その引退セレモニーで私はスターズに帰ってくると言った。あの時のファンの大きな声援は今も鮮明に記憶に残っている。しかし私はスターズの、いや下川さんの本当の姿を知ってしまった。スターズはファンを裏切っている。いくら常勝を義務付けられているとはいえ、相手からサインを盗み出してまで勝つ事をファンが期待するだろうか?私はあの時感動を与えてくれた全ての人々に申し訳ない気がしていた。そして今またその裏切り行為を繰り返そうとしている。こんな試合を、お金を払って見に来てくれているファンに見せていいのだろうか?ドームは空を覆い隠す、そんなある種の閉塞感に包まれながら試合は始まった。