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暗黒球場  作者: 馬河童
17/31

9回表

 開幕前日、選手全員とのミーティングやコーチとのスタッフミーティングを終え、帰途に着こうとした時だった。

「ちょっと……、話があるんだが」

 それは星本だった。ミーティングでも特に発言せず、押し黙っていたようだった。その彼が今になって私を呼び止めるとは、胸に含むところでもあるのか。

 我々はホテル近くの飲み屋に入った。店へ着くまで星本は終始無言で、一緒にいる私まで緊張感を覚えた。

「いったいどうしたんだ、こんな開幕直前の夜に……」

 杯を酌み交わしながら、私が口火を切った。

「あのな……」

 星本は言い掛けて黙り込む。

「珍しいな、君が口篭もるなんて」

「ふん、言いにくい事くらい俺にだってある」

「何だよ、呼び付けたのは君じゃないか。何でも言ってくれよ」

「そうだな……。じゃあ……」

 すると不意に星本は私に向かって頭を下げ、

「悪かった」

 と謝してきた。

「悪かったとは、何が?」

「キャンプ中、あんたのやる事成す事に反対してきたが、今回は俺が間違っていた。それを謝りたかった」

「星本君……」

「酒井の起用といい、西沢の打撃フォーム改造といい、みんな正しかったよ。あれでウチのチームは今年優勝出来るかもしれん」

 星本は私の顔を直視出来ないようで、俯き加減に言葉を紡ぐ。これが彼のいい所なのだ。一本気な面を持つ彼は、自分が間違っていたと悟れば、素直にそれを認める男なのだ。そこにカリスマ性がある。私もそんな星本だからこそ、好敵手として認め合ってきたのである。

「星本君ありがとう。これでやっと今年やっていく自信が出来たよ」

 私は嬉しくなった。星本との共闘、それこそが一番の難問だと思っていたのだから。ようやく自分を認めてもらえたような気がした。

「協力は惜しまない。絶対優勝しようぜ、監督」

 星本が燃えるような目で乾杯を求めてくる。日本酒を一気に飲み干して、我々は更に杯を重ねたのだった。

 二時間程星本と酒を酌み交わした後、私はホテルに戻って自室で一人きりになった。シャワーでも浴びようかと思った時、不意に携帯電話が鳴った。

「もしもし」

「シゲ、今一人か?」

 声を聞いた途端、一瞬にして星本との良い気分の余韻が何処かへ行ってしまった。身体が強ばり、固まったようになる。声の主は下川さんだった。

「はい……」

「いよいよ明日から開幕だな。緊張してるか?」

「ええ」

 だがそれは答えたのとは違う緊張であった。明日開幕する事の緊張感ではなく、下川さんという脅威への緊張感だった。

「頑張れよ、ウチと当たるまでせいぜい調子を上げておくんだな」

「そのつもりです」

「開幕戦というのは一種独特のムードがあるからな。下手な采配すると、そのままチームの雰囲気を壊しかねないから気を付けろよ」

「はい……」

 返事をしながら、一体何のつもりなのか、そればかりが気になって仕様がなかった。

「おっと、大事な用件を忘れるところだった。約束のサインの件だが、間違いなくやってくれるんだろうな?」

 やはりきた。下川さんの目的はそれ以外にない。

「はい。その代わり……」

「安心しろ。お前さえちゃんとやってくれれば家族に危険が及ぶ事はない」

「わかりました……」

「ウチと当たるのは開幕して七戦目だったな。前日にまた電話する。明日から頑張れよ」

 電話は切れた。せっかくの開幕への好ムードを掻き乱された気がした。ようやく星本と分かり合えた気がして喜んでいたのに、この電話で一気に落胆してしまった。

 実を言うと、オープン戦の連勝気分に酔ってスターズとの密約など頭の片隅に追いやられていたのだ。そこへ今の電話である。改めて背負った十字架の重さを思い知らされた。そして星本を始めチームに対する罪悪感で胸が一杯になってきた。この夜、私は眠る事が出来なかった。


 もやもやした気分で朝の光を仰いだ。今日から本当の戦いの始まりなのに、私は昨晩の電話で意気消沈していた。一睡も出来ず、最悪の気分だ。そんな私の気も知らず、朝日は眩いばかりに照り輝いていた。この光が心を救済してくれないかと、願うのみだった。    

 気が晴れない私はトレーニングウェアに着替えてランニングに出た。まだ朝の六時だったので、誰も起きている気配がない。ホテルを出て、新潟の川沿いをゆっくりと走った。泥が堆積して濁った色をした信濃川の水は、私の心を現わしているかのようで不快になった。寝不足状態での走りは休まっていない身体を酷使しているようで、気怠さも増してくる。一体、何をしているのかと自分を責めたくなってきた。

 しかし、汗を掻いてくると次第に気分が変わってきた。身体が心地よく湿り気を帯びてくる。スポーツマンの血が流れるせいか、寝不足の絶頂である筈なのに、一種のランナーズハイにでもなったかのような感じで、清々しささえ覚えた。本当に陽の光が私を浄罪してくれているみたいだった。段々とやる気も戻ってきた。スターズの妨害がなんだ、他の試合を全部勝つくらいの心持ちでやってやる。そんな気持ちが心の底から沸き上がってきた。元々、困難があればある程燃えるタイプの人間である。ランニングをする事で、「やってやれない事はない、いややってやる」という気持ちを取り戻せたのだった。

 そしてこの気持ちを更に高揚させたのは、西沢・吉田・酒井の三名と出くわした為だった。ランニングしていたのは私だけではなかった。

「あっ、監督。お早ようございます」

「君達、こんな朝早くからどうしたんだ?」

「皆、興奮して早くに目が覚めてしまったので、軽くランニングを……」

「ふふっ」

 思わず笑みがこぼれる。この選手達は私の理解者だ。本当の事は言えなくても、私の気持ちを行動で代弁してくれている。「やってやる」と思っているのは自分だけじゃない。

「監督、何がおかしいんですか?」

 西沢が尋ねてくる。

「いや、何でもない。やる気出てきたぞ。今日は勝つからな」

「はいっ」

 我々四人は上機嫌のまま、川沿いを走り続けた。青空が太陽を際立たせるように広がり、これからの光明であるかのように思えた。


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