8回表
さて、この日はもう一悶着あった。酒井の起用法を巡る星本との争いである。紅白戦を見て、より一層酒井に惚れ込んだ私は監督室に星本を呼び、言った。
「星本君、今日の試合でわかっただろう、酒井がプロで通用するということが」
「またその話か。何であんたはそんなにせっかちなんだ。今日活躍したからって、次もいいとは限らないだろうが。トータルで見て、シーズン使えるかどうかを判断するのが俺達の仕事なんじゃねえか?」
「君の目は節穴か?」
私はいつまでもGoサインを出さない星本にしびれを切らした。
「何いっ」
「トータルで判断、確かに正論だよ。だけど見るべき者が見ればわかる筈だ、酒井がプロで充分通じるという事が。それとも君にはそれを見る目がないのかい?」
「むっ……」
「まあいいよ、投手コーチは君だ。君がまだ判断を下し兼ねると言うのなら待つよ」
そう言って私はその場を離れようとした。その時、
「待て」
と彼から声が掛かった。
「何か?」
「ふん、俺だって酒井の実力くらいわかってる。ただな……」
星本はそこで言葉を切った。
「ただ?」
「いいのかい、はっきり言わせてもらって」
直言居士の星本にしては珍しく発言をためらっているようだった。
「ああ、何か言いたい事があるなら、遠慮なく言い給え」
「じゃあ言おう。はっきり言ってあんたのやり方が選手を壊し、チームを壊すんじゃないか心配なんだ。酒井は将来ウチのエースを張れる男、一年目にあんたに使われまくってぶっ潰れてしまわないか不安なんだよ。酒井だけじゃない、西沢だってそうだ。あんな風にバッティングフォームを大幅に崩してしまって、立ち直れなかったらどうするんだ?」
「そうか、そういう事か……」
星本の告白によって、今までの彼の反対の理由がよくわかった。実際の所、彼は酒井の起用云々ではなく、私の指導方針そのものに反対していたのであった。それはこの新潟フェニックスを誰よりも愛するが故の反対だった。突然土足でやってきた私に、明らかな反感を抱いているのだ。
「なあ、あんた、本気で優勝する気があるんだろうな?今のままじゃ、チームをぶっ壊しに来たとしか思えないぞ」
「星本君……」
一瞬、下川さんの顔やスターズのユニフォームを着た自分の姿が頭をよぎったが、それを打ち消し、私は言った。当然優勝する気はあるからだ。
「勿論だ。逆に言わせてもらえば君は選手に過保護過ぎる」
「何だと」
「酒井しかり、西沢しかり。君は選手をそんなに信頼出来ないのか?私が酒井を一軍に上げたり、西沢のフォームを変えたりしたくらいで彼らがダメになると思っているのなら、君は彼らの力を見くびっている。彼らはそんなにヤワじゃない」
「そ、それは……」
さすがの星本も今の言葉は効いたらしく、表情を曇らせた。
「君が私を信用出来ないというのはわからんでもない。チームへの愛着が人一倍だという事もよくわかる。だからといって、選手をも信用出来なくなるなんて、コーチにあるまじき事だ」
「ちっ……」
「まあいい、どちらが正しいかは開幕すればわかる。君の言う通り、酒井に関してはオープン戦の予定登板が全て終わるまで白紙にしておこう。それでどうだい?」
「わかった、そうしよう」
星本はそれだけ言うと、強烈な音を立てて扉を閉めて部屋から出て行った。
私達の間には大きな溝がある。彼は明らかに私を敵視している。どうやっても星本と手を携えてやっていくことは出来ないのか、そう思うと先行き不安にもなってくる。ただ彼はチームへの愛情は物凄いものがある。そんな姿を見ると、助力を得る事が出来れば、これほど頼りになる者もいないと思われた。
ならば如何にして彼の協力を得るか。それはウイルソンの時と同じ、実力を示すしかない。私の方針通りに酒井や西沢が活躍してくれれば、星本もこちらを認める筈だ。こんなにわかりやすい構図はない。そしてそれだけやり甲斐がある仕事である。絶対に星本を振り向かせてみせる、この時私はそう決意した。
そして紅白戦も進み、各選手が順調な仕上がり具合を見せてくれて、私は安堵した。ジョーンズは二戦目以降毎試合ホームランを放っているし、他の打者もまずまずの調子を見せていた。ちなみに丸山は初戦以来、ゴロ打ちに撤してコツコツと打率を上げ、何とチーム内首位打者となっていた。
投手陣も万全の状態。吉田・酒井・ウイルソンの先発陣を始め、増本・山田のリリーフ陣も好調を維持している。惜しむらくは彼らに続く新たなピッチャーが出てこなかった事だが、それを差し引いても皆の出来はいい。
問題は西沢のバッティングだ。守備の方はウイルソンのナックル・酒井の剛球を捕球したり、リーダーとしてチームをまとめたりするなど問題ないが、打撃はついに紅白戦中には良くならなかった。ヒットもわずか二本、惨憺たる成績であった。ただ言い訳させてもらうならば、この間私は練習に付き合いはしたが、何のアドバイスもしなかったのだ。それはあくまで西沢の自主性に任せてみたかったからに他ならない。だが、さすがにタイムリミットがやってきた。私はオープン戦開始前日、いつものように夜間練習に現われた西沢を座らせて話をした。
「どうだ西沢、開幕までに何とか出来そうか?」
「監督……、俺は監督が期待するような選手じゃないのかもしれません。はっきり言って今どう打ったらいいかがわからないんです……」
それは彼がキャンプ中、初めて見せた弱気な姿だった。おそらくずっと悩んでいたに違いない。しかしチームを引っ張る立場上、気丈に振る舞っていたのだろう。
「なあ、打てない原因は何だと思う?」
「タイミングです。球を呼び込む打法に変える事は出来たと思うんですが、その為か食い込まれる事が多いのだと……」
「よくわかっているじゃないか。それなのに対策が立てられないのか?」
「いろいろと試してはいるんですが、どうもうまくいかないんです……」
「そうか」
さすがにこれ以上考えさせるのは酷な気がした。それでなくてもチームの要である。バッティングの不調がチーム全体に影響を及ぼさないとも限らない。
「じゃあ私に考えがあるんだが、やってみるか?」
「監督が?はい、何でもやります、教えて下さい」
「なあ、シンクロって知っているか?」
「聞いた事はありますが……」
「まあ言葉はどうでもいい、一種のタイミングを取る方法だ」
「そ、それはどうやるんですか?」
「決まったやり方はない。幾つか方法があるからな。簡単に言うと、ピッチャーが投げる際に脚を上げてその後重心を下げる瞬間に重ね合わせるように、バッターも重心を下げるという事だ」
「重心を?」
「そうだ、『いっせーのーで』というタイミングを自分から作り出すような方法だ。私も現役の時はよくわからなかったが、引退して勉強し直していた頃、当時のビデオを見たら確かに左足のかかとをチョンと踏み込んでいた。無意識の内にシンクロを取り入れていたんだ。そしてそれは強打者と呼ばれる選手のほとんどが行なっていた」
「そんな技術があったなんて……」
「みんな無意識にさ。もっとも中には知っていてやっていた選手もいたかもしれないが。とにかくそれだけ使える方法ということさ」
「監督、是非教えて下さい。俺にあったやり方を」
「わかった。あすのオープン戦の開幕戦、徹夜明けで臨む覚悟があるか?」
「はい、やります」
こうして私達の特訓は、一人の打撃投手を加えて朝まで続いた。