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暗黒球場  作者: 馬河童
14/31

7回裏

 二日が終了し、私には監督の大変さが身に染みていた。ウイルソンの件、西沢の打撃改造、酒井の処遇を巡る星本との争いなど、対応に追われる事が多い。慣れてしまえば何でもないのかもしれないが、監督一年生には各個が大きな宿題のようだ。その上、一年掛かりの宿題である「スターズへのサイン横流し」が心に根をはっていた。しばらく眠れぬ日々が続きそうな予感がした。


 そんな私の不安をよそに、キャンプは順調に進んだ。ケガ人もなく、本当にいい具合にだ。そして十二日目、紅白戦が始まった。

 紅組の先発はエース吉田、キャッチャーは中西というバッテリー。昨年までのレギュラーと一軍半の選手を、両軍に半々に散りばめた編成になっていた。私はここで己れをアピール出来る選手を見たかった。

 試合が始まり、白組一番バッターの吉原が打席に入った。練習とはいえ、実戦が開始した瞬間である。

 白組は先頭の吉原がショートフライを打ち上げ、続く二番三番も吉田の速球の前にあっさりと打ち取られてしまった。吉田はキャンプ初日から好調を維持している。速球にキレが加わり、そう簡単には打たれそうになかった。それがこの日のピッチングにも現われていた。

 対する白組はウイルソン・西沢のバッテリー。両者共に真価の問われる場面であった。まず先頭の殿村、二番丸山を内野ゴロに打ち取り、新外国人ジョーンズを迎えた。このキャンプ中絶好調のジョーンズは注目の的であり、観衆の声援も一際大きくなった。

 初球はストレートを見送り、二球目もストレート。球場内に破裂音が響き渡り、打球はレフト方向に飛んでいった。

「ファール」

 ボールはポールをわずかにそれた。

「ああ……」

 というため息が球場全体を包み込む。皆、ジョーンズのホームランを期待していたのであろう。

 しかし、その期待は見事に裏切られた。勝負球の三球目、ジョーンズのバットは空を切った。ウイルソンの長い指から秘球ナックルが投じられたのだった。そして西沢はそれを捕球した。ファンは失望させたかもしれないが、私には大いに希望が持てるこの勝負であった。

 そしてチェンジとなり、気を良くしたであろう西沢の打席が回ってきた。エース吉田とスラッガー西沢の対決に、またも観衆は沸いた。だが、これも期待に応える事無く簡単に三球三振で終わった。

 まだ西沢のフォームは固まっていない。いや厳密に言うとフォームそのものは良くなってきたが、タイミングの取り方などがまだ確立されていないのだ。そんな状況で、仕上がりの早い吉田の球に付いていける筈がなかった。今の西沢なら、二軍のピッチャーでも軽く三振を取れるだろう。

 試合は両投手の好投で早く進んで、均衡破れぬまま五回裏を迎えた。ここで白組のピッチャーが交代、ルーキー酒井がマウンドに上がった。これにはこの日一番の歓声が揚がった。如何に彼が注目されているかがわかる。

 その酒井はいきなり先頭の山下を三振に斬って落とした。それも配球はストレートだけである。スピードガンで計測してないので速さはわからないが、150km/hくらいは出ていたのではないだろうか。そして西沢もその剛球を苦もなく捕球していた。勢いに乗った酒井は続く後続もピッチャーゴロ、セカンドフライに打ち取り、上々の実戦スタートを切ったのである。

 紅組は吉田に代わって中継ぎのエース増本が登場。緩急を駆使して、一イニングを完璧に抑えた。

 そして七回裏、ツーアウトで酒井とジョーンズの対決が回ってきた。酒井はストレートで押すが、ジョーンズもそれに付いてくる。ツースリーのまま、ジョーンズが連続ファールで粘り、場内も固唾を飲んで見守っていた。

 十球目、酒井が全力で投げ込んだストレートはジョーンズのバットを粉砕した。ふらふらと上がった打球はセカンドに処理された。

「わあーっ!」

「すげえ!」

 場内がスタンディングオベーションで酒井を讃えた。公平な立場で見るべき私でさえも、手に汗握り、その剛球に興奮した。そして確信した、彼ならばローテーションの一角を任せられると。


 結局試合は両チーム投手陣が頑張り、0対0のまま引き分けで終了した。この時期、投手の方が仕上がりが早いので、当然の結果と言えるかもしれない。しかし、私は敢えて苦言を呈したい選手を二名呼び付けた。

「何故呼ばれたか、わかるか?」

「ノーヒットだから……ですか?」

 その一人、吉原が答えた。

「ヒットが打てないのは仕方ない。三割打者だって十回に七回は打てない訳だから」

「それでは……?」

「私が言いたいのは、君達がヒットを打つ為の打法をしていない事だ」

 そう言って私は二人の顔を見据えた。

「君達はいい足を持っている。なのに何故フライばかり打ち上げるのか?」

 二人共、私の問いには答えなかった。静まりかえって俯き加減に下を向いていた。

「今日の紅白戦、確かにピッチャーの出来が良かった。だが君達が転がして何とか塁に出れば、得点だって入っていた筈だ」

 そう、私が呼び付けたのは吉原、丸山という足のある掻き回し役的存在の選手達だった。紅白戦の中で彼らがフライを打ち上げてばかりいるので、一言言いたかったのだ。

「吉原、君はどういう気持ちで打席に立っているんだ?」

「まずは塁に出ようと……」

「そうか」

 別段、嘘を言っている感じでもない。となると、メンタル的な問題があるのかもしれない。とりあえず丸山に顔を移す。

「丸山、君はどうだ?」

「ええ所を見せてやろうと……」

「だろうな。君はそういう感じがする。大事な場面でヒットが出るのもその心掛けからだろう。それは悪い事じゃない」

「ありがとうございます」

 と言って誇らしげな顔をする丸山。

「だが、君のその考え方はともすれば自分勝手なものだ。野球はチームでする事を忘れては困る。必ずしも君が光らなくても、誰かが活躍する事でチームは勝てるんだ」

「はあ……」

 丸山は渋い顔をして頷く。無理もない、優勝争いに縁のないフェニックスでは「自分が目立ってやろう」と思う選手が出てきてもおかしくない。それでなくてもコテコテの大阪者である。関西人の気質がそうさせるのかもしれない。

「そうだな、フィフティ・フィフティくらいの気持ちになれないか?決して目立とうというのが悪いとは言わない。サヨナラの場面で自分を殺す発想はいらない訳だから。ただ君はタイプ的には足も速いしミートも巧いから、チームを生かせる選手だと思う。どうだ、もう少しゴロを打つバッティングを心掛けてくれないか?」

「はい……」

 丸山の顔はまだ釈然としない感がある。そこで私は考えた。

「君がもしゴロ打ちに撤すれば、三割は堅いと思うんだが……」

「えっ!ホンマですか、それ?」

 丸山は突然、大きな反応を示した。

「ああ、俺が保証する」

「そないな事になれば、ゴールデングラブに加えてベストナインやら月刊MVP、いやひょっとしたら首位打者なんかもあり得る……」

「そうだ」

 捕らぬ狸の皮算用か、とんでもない事を言い出す丸山だが、ここはお調子者の彼を乗せておいた方が得策と思い、後押しする。

「わっかりました監督、やりまっせ。ゴロ打ちして塁に出まっさ。よーし、早速打撃練習や」

 調子に乗った丸山は意気揚揚とグラウンドに舞い戻って行った。

「ははは、面白い男だ。さて……」

 私は残った吉原の顔を見た。今の丸山の様子を見ても、表情を変えない。というよりも、残された事がプレッシャーになって、笑う事も出来ないようだ。

「吉原、君はどうだ?もう少しチームバッティングを心掛ける気はないか?」

「え、ええ……」

「何だ、何か言いたい事があるならはっきり言うんだ」

 おどおどとした感じで口篭もる吉原は、何か言いあぐねているようにも見えた。

「ゴロを……打とうとはしています……」

「そうは言っても君の打ち方は明らかにアッパー気味だ」

「わかってます、今までもコーチに言われ続けていましたから」

「それじゃあ何故?」

「ですからわかっているのですが、身体が……」

「ひょっとして、緊張しているって事か?」

「はい、こんな事恥ずかしくて誰にも言えませんでした……」

「そうか」

 秋季キャンプで見た時から吉原は神経質なところがあると思っていたが、まさか打撃フォームにまで影響しているとは思わなかった。おそらく緊張から身体が堅くなってしまい、叩きつける打ち方が出来ないのだろう。

「ずっとそうだったんですが、誰にも言えなくて……。監督が話してみろと言わなければ、今だって言うつもりはありませんでした」

 それは彼の言う通りだ。もしこんな不安を打ち明ければ、簡単にレギュラーの座を奪われかねない。フライを打ち上げてしまいながらも試合で使われてきたのは、彼にそれだけの能力があるからだ。

「何故、私には話した?これを聞いて君をレギュラーから外す可能性だってあるんだぞ」「監督は……助けてくれそうな気がしたから……。ボクのずっと憧れていた王嶋さんなら、悩みも解決してくれそうな気がしたんです。どっちみち、このままでは選手として長くやれそうにないから……」

「ははっ、甘いっ」

 プロの戦士としてなんと甘い考え方か。こんなに甘ったれた選手だとは思ってもみなかった。

「やっぱり甘いですよね、精神的に弱いなんてプロ失格もいいところです……。自分でもそれはわかっています」

「確かにそうだ。……が、思い切って告白した勇気に打たれた。一緒に対策を講じようじゃないか」

「監督……」

 吉原の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「やってやろうじゃないか。君を必ず一人前の一番打者にしてみせるぞ」

 私の闘志に火が付いた。監督として、この選手達を絶対に優勝まで引き上げてやる気概が沸き起こってきた。


 個室に入って吉原の話を聞いてみると、彼は極度のあがり症である事がわかった。打席に限らず、実は守備でも物凄い緊張をしている事実も判明した。

「本当に球が飛んでくるのも怖いくらいなんです。自分の所には飛んでくるな、といつも思っていました」

「その割にはいいプレイをするじゃないか?」

「はあ……、でもいつも物凄く緊張して心臓がバクバクいっているくらいなんです。守備は経験で何とかカバーしているっていうか……」

「なあ吉原、君は野球が嫌いなのか?」

 私はまず根本的な事、プレイする以上そのスポーツを愛好しているのかを尋ねた。

「いえ、そんな事はありません。好きだから、ちゃんとしたプレイがしたくて緊張するんです」

「そうか、好きなんだな。じゃあもっと楽しもうと思ってプレイしてみたらどうだ?」

「楽しむ?」

「ああ、野球が好きなら楽しんでプレイ出来るだろう。さっきの丸山を見ただろう、あれは少しオーバーだが、あんな風に楽しくやる事も大事だぞ」

「しかし、勝たなくてはいけない試合の中で楽しむなんてボクには無理です」

「確かにチームプレーをしなくてはならない試合の中で楽しもうというのは難しいかもしれない。だがチームってそんなに堅苦しいものではないぞ。君は失敗する事を恐れているのだろう?」

「はい……」

「失敗を仲間が帳消しにしてくれるのもまたチームさ。今日だって私が説教をしてはいるが、打てなかった事にチームメイトが誰か文句でも言ったか?言わないだろう?」

「はい」

「特にこのフェニックスの選手はとても連帯感が強いと思う。だから君が一つ二つ失敗したところで、それを咎める奴なんていないし、むしろその失敗を取り返してやろうという奴が多い筈だ」

 これはキャンプを見て実感していた事だった。彼らのまとまりは本当に強固で、私がスターズで優勝していた時以上のチームワークの良さを感じていた。

「だからそんなに一人で背負い込む事はないんだ」

「ええ……」

「もう一つ、ひょっとして君は観客が気になるんじゃないか?」

「はい」

「やっぱりな。確かにこれは強敵だ。観客というのは味方にも敵にもなるからな。敵側の応援団は勿論、時には味方側さえも罵声を浴びせてくるもの」

「ボクはどうもワーッと衆人環視にさらされるのが苦手で……」

「あれだけ試合に出ていてもか?」

「はい。場慣れなんて言葉がありますけど、自分は全然そんな風にはなりません……」

「よく『観客をナスやニンジンだと思え』なんて言うが、そういう思い込みは出来ないのかい?」

「それも言われて何度かやってみましたが……」

「ダメだったという訳か」

 私の言葉に吉原は頷いた。それから私はじーっと彼の顔を見てみた。確かに、今私の目の前にいる時点で、彼はおどおどとしている。生来の気の弱さ・神経質が、試合になると彼の身体を縛り付けてしまうのだろう。となると、少しでもプラス思考にさせて、気持ちをいい方へ持っていくしかない。

「なあ吉原、こうやって私に話してみて、どういう気分になった?かえって苦しくなったりしたか?」

「い、いえ……、逆に少し気が楽になりました」

「じゃあ今の話し合いも無駄ではなかったって事だな。一つだけわかったんだが、まず君には恥ずかしがらずに精神面の話をしっかり出来る人間が必要だな。私も勿論聞くが、専門家を一人用意しよう」

「専門家……ですか?」

「ああ、いわゆるカウンセラーってやつだ。一人知り合いがいるから、彼を君の専属カウンセラーとして要請する。いいかな?」

「わ、わかりました」

「そして厳しいようだが、いい状態になったと私が認めるまでは、二軍へ行ってもらう。悔しかったら、自分で心を鍛えて昇格するんだ」

「は、はい」

「期待しているぞ。君が帰ってきた時こそ、本当のフェニックスになるのだから」

「はいっ」

 今までずっとびくびくしていた感じの吉原から、初めてはっきりとしたいい返事が出た。こうやって自覚してくれれば、精神面が強化される日もそう遠くはない筈だ。この日、吉原は一軍から離脱した。


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