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暗黒球場  作者: 馬河童
13/31

7回表

 我々はブルペンから室内練習場へ移った。私とウイルソンに付いてきたのは星本と西沢さらに吉田と酒井、そして通訳。

 私はバットを一本手に取ると、軽くそれを振り抜いた。私の提案とはウイルソンとの一打席勝負だった。お互い勝った方の言う事を聞くという条件でだ。確固たる自信がある訳ではないが、日本の野球をバカにされて黙っている程お人好しでもなかった。それにもし打つ事が出来れば、確実に彼は私の言う事を聞くだろう。プライドの高い奴に限って、己れ以上の相手の力を見せ付けられた時は素直になるものだ。その確信はある。

 だが、リスクの大きな勝負であるのもまた事実だ。もし負けたらウイルソンの造反は決定的となり、さらに見物にきた主力選手の信頼をも失い兼ねない。正直な所、自分でも打てるかどうかはわからない。しかし、この勝負は一か八かの賭けだとしてもやらない訳にはいかなかった。今季の成績を占う上でも重要な闘いだった。

 何度か素振りを繰り返し、バットの感触に馴染んだ事を合図すると、ウイルソンはマウンドに上った。受けられる者がいないのでキャッチャーはなし。何球か金網に向かって投げると、

「OK」

 と指で印を作って見せた。

「よしっ」

 私は打席に入った。こんな勝負の掛かった打席に入るのは久しぶりだ。賭けられているものが大きいだけに、緊張感も大きい。あの引退試合に匹敵するものがある。

「よし、プレイ」

 金網の外で星本が臨時審判を努める。開始の合図を聞いたウイルソンは振りかぶった。

「ボール!」

 私の胸の高さの辺りを、あっという間に速球が通過していた。正直言って今の球は見えていなかった。久々の打席で緊張している事もあろうが、それ以上にウイルソンが本物である証だ。

 二球目もストレート、今度は私も反応してスイング。かろうじてバットの上っ面に当たり、真後ろへ飛ぶファウルとなった。

「フン……」

 ウイルソンは私がバットに当てたのを見て、鼻でせせら笑うような仕草を見せる。

 (来る!)それを見て次にナックルが来る事を確信した。何故と聞かれても答えようがないが、長年の経験からくる勝負感がそう語っていた。

「HA!」

 叫びを揚げてウイルソンが腕を振る。ナックルだ!スピードは先程のストレートより落ちるが、まるでホールが風に運ばれているかの如くふわりと揺れてくる。それも打つ自分さえもが一緒にぐらついてしまいそうな程の揺れだ。

 (捕らえた!)揺れに合わせてスイングを始動した私はそう思った。だが、バットは空を切っていた。最後の最後にボールは凄まじいまでの揺れを示し、バットを避けるかのように後方へ逃げていったのであった。

 ニヤリと笑うウイルソン。相当このナックルに自信を持っているようだった。「打たれる筈がない」といった自負にも似たものが表情にも滲み出ていた。

 ツーストライクに追い込まれたものの、私は追い詰められたとは感じていなかった。むしろこのプレッシャーを楽しんでいた。こんな素晴らしいピッチャーと対戦出来て、打者冥利に尽きる、そんな風に思っていた。次の一球を打てなかったら……、なんて事は全く頭になかった。

 四球目が投じられた。またナックルだ。目の前でボールが揺れている。それを思い切り強振した。だが手応えはなく、空を斬った感覚が手に残った。しまった三振か、と諦めかけた時、

「ファール……」

 星本のコールで何とかかすっていた事がわかった。見ていた選手達も思わずためいきを洩らす。

 正直、やられたと思った。だから、命拾いした事で随分と気が楽になった。もう一球チャンスがあると思うと、球もよく見えるような気がした。その証拠にこの後、私はナックルを三球連続ファールした。

 さすがのウイルソンもしぶとさに驚きを隠せないようだった。顔には苛立ちの表情が浮かび、暑くもないのに汗を流して手で拭っていた。乱暴な仕草でロージンを投げ捨てて、

「HA!」

 と叫んで投げ込んできた。

「ストレートだっ!」

 誰かが後方で叫ぶのが聞こえた。私も相手の握りでそれを察知しており、緩急に惑わされる事無く対応した。

「ファール……」

 打球は大きく右の方へ逸れていった。さすがにストレートは速い。うまく合わせたつもりだったが、威力もあり、食い込まれてしまった。ただ、このストレートを当てたのは大きかった。ウイルソンはさらに焦燥し、マウンドを蹴り始めた。

「いけますよ、監督」

「一発お見舞いしてやって下さい」

 吉田や西沢が後ろから声援を送ってくる。私も気持ちだけは現役選手に戻っていた。

「Nuu!」

 ウイルソンが唸り声を揚げて次の球を投げてきた。球が揺れてきている。ナックルだ。だが、今までより揺れ幅が少ない。私の目ははっきりとボールを捕らえ、それ目掛けてバットを振り抜いた。全身に球を捕らえた心地好い感覚が走る。

 打球は快音を発してウイルソンの脇をすり抜けて行った。同時に後方から騒ぎ立てる声が響く。

「さすが監督!」

「見たかウイルソン!」

 金網の外から固唾を飲んで見守っていた選手達が自分の事のように私のヒットを喜んでいた。無理もない、散々馬鹿にされていたのだから、溜飲も下がっただろう。

 当のウイルソンは下を向き、顔を上げようとしなかった。直立不動のまま全く動く様子が見られないので、私の方から歩み寄る。

「ナイスピッチング!」

 そう言って肩を叩くと、彼はようやく顔を上げて早口で喋り始めた。通訳がそれを訳す。

「自分の完敗だ、監督やコーチに対して無礼な真似をして申し訳なかった。ボスがこれ程までの打者とは思わなかった、自分のナックルを一打席目で打たれたのは初めてだ、と」 

 ウイルソンから先程までの荒々しさは消えていた。まるで憑き物が落ちたかのように晴れやかな、そして神妙な表情で語っていた。

「いや、それも勝ちたいという気持ちの現れだろうから、よくわかるよ。確かにキャッチャーが一人も捕れないんじゃ練習にならないもんな」

「イエス!確かに私は失礼な態度を取ったが、それも勝利への執着心から来るものだという事はわかっていただきたい」

「わかった。そういう意味では君は真のプロフェッショナルだな。勝つ為にあれ程までの執念を燃やすなんてな」

「そう言っていただけて光栄だ。それでボス、話を蒸し返すようで悪いが、キャッチャーはどうなるんだ?」

「俺が捕るぜ。石にかじりついてでもキャッチしてやる」

 西沢が話に割って入った。だがウイルソンは不満気な顔付きだ。

「それは最終的には君が捕ってくれるのが望ましい。だが、先程の様子からすぐには無理だと判断した。私は当面の事を言っているのだ」

「だから俺が意地でも捕るって……」

 と言い掛けた西沢を私がさえぎり、

「当面は私が捕ろう」

 と言った。

「そんな、監督……」

 皆が心配そうな顔で私を見る。

「論より証拠、やってみるか?」

 私はキャッチャーミットを借り、蹲踞して構えた。

「OK!」

 ウイルソンもやってみる気になったようで、マウンドに上がってロージンを手で弄ぶ。

 最初の数球、重く速いストレートをキャッチした私に、いよいよ問題のナックルが投じられた。ボールが綿毛のように重力を失い、ただ流れるままにゆらゆらとして向かってくる。私には何となくわかっていた、ここで捕ろうとしてミットを動かしてはならないと。皆、球を迎えにいって捕り損なったように見えたからだ。直前まで球を引き付けて……

「と、捕った!」

 傍らの選手が叫んだ通り、私は捕球した。揺れて何処へ行くか検討もつかないウイルソンのナックルを確かに捕っていた。

「Great!」

 ウイルソンから最大級の賛辞が送られた。そして確かめるようにもう一球投げてくる。

 今度も私はキャッチした。天性のカンとでも言うのだろうか、理屈では説明出来ないのだが、何球投げられても捕球出来そうな気がした。そしてその予想通り、私はその後投げられたナックル並びにストレートを全て捕球した。

「私の負けだ……、ボスは選手時代スーパースターだったそうだが、それをまざまざと見せ付けられた。あなたの元でなら納得のいくベースボール……いやヤキュウが出来そうだ」

「ウイルソン……」

「よろしく、ボス」

 ウイルソンの手は大きく力強かった。この握手で、私は優勝への光明が見えた気がしたのだった。

 この日のウイルソン事件は他の選手にもいい影響を与えた。ナックルを捕れなかった西沢はムキになって捕球の練習に取り組んでいたし、ウイルソンの球を目のあたりにした吉田や酒井も己れの球を磨く為に気合いを入れて投げ込みをしていた。ウイルソン自身もチームメイトのやる気は感じ取ったようで、それ以上不満を口にする事はなかった。内紛にはならず、むしろチームの活性化をうながし、図らずも好結果をもたらしたのである。

 この日はウイルソンの事もあって他の選手にあまり目を配れなかったが、もう一人の新外国人ジョーンズの打棒だけは目にすることが出来た。昨日フリー打撃で十三本の柵越えを放っただけあり、全身の力強さを感じ取れた。上半身は丸太並の腕をはじめとして鋼鉄のように固く引き締まっており、土台となる下半身も安定していた。変化球にもフォームを崩さず柔軟に対応するあたり、かなり期待が持てそうだ。

「ヘイ、ボス!オーハヨウゴジャリマス。ヨーロシクオネガイーネ」

 誰が教えたのか変な日本語まで操り、ストイックなウイルソンとは対照的に陽気な一面も見せる。この様子ならチームにもすぐに溶け込んでくれそうだ。今日も五十本中11ホーマー放ち、存分にそのパワーを見せ付けていた。


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