1回表
「四番 サード 王嶋 背番号5」
大歓声が東京ドームに響き渡る。九回裏、2対2の同点で打順は私−王嶋茂治に廻ってきていた。おそらくこれが現役最後の打席だろう。
私にとって今日は選手として最後の試合−すなわち引退試合だった。東京スターズに入団してから既に二十年の歳月が流れていた。いつまでも若くはない……。高卒ルーキーとしてプロ入りして、もう三十八歳だ。
思えば長いようで短いプロ生活であった。入団当初はピッチャーだった。今では誰も覚えていないかもしれないが、高校三年の夏には甲子園で優勝投手にもなっている。勿論卒業後はプロ入りする意志を持っていた。だから幼い頃から憧れていた東京スターズにドラフト一位で指名された時は、天にも登る心地がしたものだ。
東京スターズは常に優勝争いを演じ、その名の通りスター選手をたくさん抱えるチームだった。地元ということもあり、私は物心ついた頃からファンになっていた。小学校で野球を始めたが、将来は絶対にスターズの選手になるんだと心に決めていた程だ。そして中学高校と進むにつれ才能は開花し、念願の入団まで漕ぎ着けたのだった。
しかしプロは想像以上に厳しい世界だった。私はピッチャーとしては通用しなかった。いかんせん球種の少なさと速球のスピード不足は三年間頑張っても克服出来なかった。さらにスター揃いで選手層は厚く、私程度の投手は二軍に幾らでもいた。
そう、投手時代、私は一度も一軍に上がる事はなかった。夢見ていたプロ野球選手、それも憧れのスターズの一員になったものの、早くもプロ失格の烙印を押されたのだ。
そんな折り、投手を諦め、打者にならないかと進言してくれた人がいた。当時のスターズの看板打者、そして現監督の下川鉄春さんだ。下川さんは入団当初から私をかわいがってくれ、とても面倒見のいい人だった。その下川さんが私の打撃センスを買っていてくれたのだ。確かに高校でも四番でピッチャーだったから、打撃に自信がない事はなかった。しかし打者転向など思いもつかなかった。今の時代は結構そんな選手もいるが、当時としては極めて異例の事だったのである。
三年目のオフシーズン、私は下川さんと自主トレを行い、打者として生まれ変わるために猛特訓をした。スターズの四番、球界を代表する大打者の下川さんが私ごときに付き合ってくれたのだ。
「お前は下半身の馬力があるから、必ず凄いホームランバッターになる筈だ。今年、俺の前の三番を打つのはお前だぜ」
下川さんはそう言って励まし、鍛えてくれた。私も投手としてはもう通用しないことは悟っていたし、これで駄目なら引退だと心に決めて、死に物狂いで練習した。
そしてプロ四年目、私は打者としてようやく開幕一軍入りを果たした。勿論、最初は代打専門だった。しかし出場した試合で私は打ちまくった。特訓の成果なのか、すこぶる調子が良かった。オールスター前には下川さんの予言通り、三番を打っていた。
自分で言うのも何だが、私は投手よりも打者としての素質の方があったのだろう。下川さんの言葉通り、下半身の力は人並み外れてあったし、目も動態視力を含めてかなり良かった。打者転向一年目にして、下川さんとホームラン王争いをするまでになっていた。結局、その年はキングの座を譲ったが、打者としてやっていける自信を得た一年だった。
翌年からは三番サードのレギュラーの定位置をものにしていた。下川さんとのSO砲は他球団にとって脅威の存在となっていた。打撃タイトルは私達で独占し、スターズとしても繁栄期を迎えていた。リーグ優勝は当たり前、日本シリーズに勝つ事が毎年の目標となるくらい強かった。日本シリーズは勝ったり負けたりだったが、スターズ黄金時代は目前に迫っていると思われた。
ところが私が入団して十年目、スターズ栄光の四番打者下川さんが引退した。三十五歳という年齢で、自分の思い通りのバッティングが出来なくなったとの理由でだ。そしてその時から私がその後釜、スターズの四番に座ることになった。それから三年間、チームは低迷した。私は三冠王など個人的に成績は残していたが、チームとしては下川さん引退の影響か、何となく乗りきれず、リーグ優勝すら逃していた。
しかしそれを救ったのはやっぱり下川さんだった。引退から三年後、三十八歳の若さで監督としてスターズに帰ってきたのだ。下川さんの復帰からチームは黄金時代を迎えた。なんと日本一六連覇を達成したのだ。下川監督はチームの雰囲気を良くすると共に投手陣の整備、私の前を打つ新三番の育成など活性化を行なった。それだけではない。下川さんはサインを見破る達人だった。大事な局面で相手のサインを見破り、数多くの勝利をものにしてきた。私は改めて凄さを感じたものだ。
V6の間、私自身も打ちまくった。ホームラン王は毎年のこと、三冠王もその間に三回なった。ただ『ミスタースターズ』などと呼ばれ、いい気になっていたのかもしれない。 そのツケが回ったのか、今年のキャンプ中、私は腰痛を患った。すると途端にフルスイングが出来なくなってきた。腰が気になり、バットを思い切り振れなくなったのだ。それでもそれなりには打っていたが、例年に比べ活躍していないのは事実だった。四番がこのザマではチームの士気も上がらない。今シーズンは二位にはつけているものの、首位大阪ナンバーズには大きく水を空けられていた。
私は今シーズン限りでの引退を決意した。下川さん同様自分のバッティングが出来なくなったし、連覇を途切れさせた責任を取る気持ちもあった。年齢的にももう三十八歳、下川さんより三年も長く現役としてやってきた。ここらが潮時だろう。下川監督にも了承を頂き、今シーズン限りで引退する運びとなった。
そして迎えた最終戦。同点で2アウトランナー一塁の場面で、今日引退する私に打席が巡ってきた。
「タイム」
自軍から声が掛かった。下川さんが手招きしている。呼ばれるままベンチに向かった。
「何でしょう監督?」
「シゲ(私−王嶋茂治の愛称。下川さんはずっと私をこう呼んでいる)、ここは打つしかねえぞ。打ってミスタースターズとして華々しく引退するんだ」
下川さんは私に気合いを入れる為、ベンチへ呼んだらしい。
「わかりました。絶対打ちます」
私も珍しく『絶対』などという言葉を使った。現役最後の打席には今までにない雰囲気が漂っていた。
「いいか、初球を狙え。一球目は必ずカーブを投げてくる。それを狙うんだ」
下川さんは得意のサイン見破りなのか、そう言い切った。
「はいっ」
私は思い切り返事をした。今までお世話になった先輩の助言だ。このタイムをかけてのアドバイス、わざわざ私の事を考えていてくれたようで嬉しかった。下川さんの言う事が間違いである筈がない、初球カーブを信じるしかない。
打席に戻った私は相手ピッチャーを睨みつけた。ここは打つしかないと己れに言い聞かせ、構えを取る。
心臓が激しく鳴っているのが自分でもわかる。こんなことは珍しい。プロ最終打席ということで自然と緊張感が高まってきているのだ。
「タイム」
一度打席を外した。心を落ち着かせる為だ。このままでは打てない。(落ち着け、最後の打席なんだぞ)再び自分に言い聞かす。そして両手で頬を叩いた。
「よしっ」
気合いを入れ直し、再びバッターボックスに入る。
「プレイ」
球審の声が響く。サインの交換が終わり、ピッチャーが投球モーションに入った。闘志を剥き出しにして投げ込んでくる。
「カ、カーブだ!」
下川さんの言葉通り、初球にカーブが来た。何も考えずに強振する。次の瞬間、打球は放物線を描いてレフトスタンドに突き刺さっていた。
審判が腕を回すと同時に、ドームは割れんばかりの歓声に包まれた。球場内の全ての観客が私を讃えてくれているようだった。引退式用に準備したのか、紙テープや紙吹雪が舞い散らかった。
ダイヤモンドを一周する私は夢遊病者のようだった。引退試合に劇的なサヨナラホームランを打つなんて、本当に夢のようだ。ベースを周る間に今までの野球人生が次々と頭に思い浮かんできた。いろいろな事があった……。しかし、今のこの瞬間に勝る体験はなかった。私は今、野球選手として最高の瞬間を迎えていた。そして、もうすぐ二度と味わえなくなるのだ。嬉しさと淋しさが混じり合ったような感覚を抱きながら、最後のホームベースを踏んだ。
途端にスターズの選手がベンチから飛び出して来た。そして感慨に耽っていた私の全身を叩く。痛いけれど最高の気分だった。チームメイトも皆、私の引退を知っているので名残惜しそうに祝福してくれていた。
「やったな、シゲ」
サヨナラ騒ぎが一段落したところで、下川さんが声を掛けてきた。
「下川さん、いや監督のおかげです。ここまでやってこれたのも、そして今日サヨナラホームランを打てたのも」
私は感謝の意を込めて一礼した。
「止めろよ、そんな真似するのは。お前に力があったからだよ。実力のない奴じゃ三冠王はおろか、スターズの四番にだってなれっこなかったさ」
「下川さん…、本当にありがとうございました」
「おう。本当に長いプロ生活御苦労様だったな。ほら、引退セレモニーの場が用意されているから、とりあえず行って来いや」
下川さんはそう言うと私の尻を軽く叩いて、マイクの置かれているホームベースへ送り出した。
私は準備されていたマイクの正面に立った。それと同時に球場内から今まで聞いたこともないくらいの凄まじい歓声が沸き起こった。
「やめるな!」
「まだ続けられるぞ!」
嬉しいことに私の引退を惜しむ声が、ドームの屋根に反響してこだましていた。いつまでも止みそうにない歓声を前にして、とにかくマイクを掴んだ。すると場内は静まり返り、約五万の観衆の目が私一人に向けられた。
「ファンの皆様、今までの御声援、本当にありがとうございました」
と言って私は四方に向かって一礼した。途端に場内が再び騒がしくなった。
「王嶋ぁ、お疲れ様!」
「最後に夢をありがとう!」
ファンは暖かい言葉を投げ掛けてくれた。再び私はマイクを手に取り、話を続ける。
「長いようで短い二十年間でした。プロに入ってここまでやれるとは、夢にも思いませんでした。これも諸先輩、並びにチームメイト、そしてファンの皆様の声援のおかげだと思っております。私は本日をもって引退をいたしますが、これからも東京スターズへの御声援をよろしくお願いします」
私の言葉が終わるやいなや、今まで以上の大声援が巻き起こった。
「ミスタースターズ、また帰って来いよ!」
「今度は監督だ!」
私は引退を決意した時、いつか監督としてスターズに戻って来たいと考えていた。だから今の『監督としての復帰』の声には応えたい気持ちが湧いてきた。再度、マイクを握り締め、スイッチを入れた。
「必ず帰って来ます!監督として、絶対にスターズに戻って来ます」
私は興奮して叫んでいた。この予定外のパフォーマンスにドーム内は最高潮の盛り上がりを見せた。
引退の言葉を終えた私は場内を一周し、ファンに最後の挨拶をした。TVや新聞の取材も殺到し、挙げ句の果てに観客までがフェンスを乗り越え握手を求めてきた。球場内は多くの人間が入り乱れて、訳がわからない状態だった。私はそのたくさんの人間のターゲットだった。無数の人々にもみくちゃにされ、どうすることも出来なくなっていた。しかし気分は悪くない。みんな私の引退を惜しみ、最後のサヨナラホーマーを祝福してくれていた。プロ選手最後の日に最高の体験を味わうことが出来、私は本当に幸せ者である。
騒動が一段落し、私は監督室で改めて下川監督と向き合っていた。
「凄い人気振りだったな。引退するのが惜しくなったんじゃないか?」
ファンに殺到され頭からユニフォームまでボロボロになった姿を見て、下川さんが言った。
「いえ、もう今日で完全燃焼しました。悔いはありません」
「そうか。御苦労だったな。それでこれからどうするんだ?」
「引退式でも言ったように監督を目指します。そのために来年からは解説者として一から野球を勉強し直す気でいます」
「ふむ。スターズに帰って来たいって言ったな」
「はい。そのつもりです」
「だが俺はそう簡単に監督の座を譲らんぞ。四番のお前がいなくなっても、また来年から新しい黄金時代を築くつもりだからな」
この時ばかりは下川さんの表情が真剣なものになった。監督の座には相当な執着心があるようだ。
「わかっています。私だってそんなに慌てて監督になりたいとは思ってません。それに下川さんが今年の雪辱を果たすと予感しています。私の出番なんてずっと先の事ですよ」
私は下川さんの顔つきが険しくなったのを見て、とりあえず相手を立てておいた。
「まあ、いずれはお前がスターズの指揮を取ることになるだろう。それまでは俺に任せておけ」
と言って下川さんは私の肩を叩いた。
「はい」
「これからは新しい第二の人生だ。何か困った事があったら、いつでも俺のところへ相談に来いよ」
「はい、相談させていただきます。本当に今までありがとうございました」
私は頭を下げて背を向け、部屋を出て行こうとした。
「シゲ」
出て行く私を下川さんが呼び止めた。
「は?」
「頑張れよ。お前ならこれからの人生、きっとうまくいくさ」
「ありがとうございます。頑張ります」
そう応えると監督室を後にした。
下川監督やチームメイト、球団関係者への挨拶も終わり、私は車に乗り帰路を急いでいた。真っ暗な夜の道路を運転している間、色々な事が思い出されてきた。スターズに憧れた少年時代、甲子園の優勝マウンド、スターズに指名されてプロに入団、投手としての挫折、下川さんとの特訓での打者転向、三番サードのレギュラー獲得、SO砲としての活躍やタイトル争い、下川さんの引退で四番になったこと、三冠王の獲得、下川さんの監督就任からのスターズ黄金時代V6、腰を痛めての引退決意、そして今日の引退試合サヨナラホームラン。プロ野球選手として恵まれた生活が送れたと思う。
しかし、この後の人生どのように過ごすのだろうか。ふとそんな思いが胸の奥から湧いてきた。勿論、目標はスターズの監督だ。だが、その道程は甘いものではない。現在は下川さんが名監督として君臨しており、当分の間御鉢は回ってこない。しかもそれ以前に指導者たる知識は皆無に等しい。これから相当な修業が必要となろう。本当に楽ではない、苦しい日々が続くやも知れぬ。何か重苦しいものが私の胸を支配していた。