ダイラと無くした思い出5
翌日のこと。
ミュシャレンから急きょ呼び寄せた人物が到着した。
忙しい合間を縫ってベルナルドらは時間を作った。現在この城にはザイエン王家の使者も滞在している。アルンレイヒとの国境線ぎりぎりのところでしばし軍事遠征をおこなうザイエン家側にアルンレイヒとしては正式に抗議をしている。
けん制の意味も含めて今回は軍隊も引き連れてきた。駐屯基地に逗留する軍人を増員するためもある。
そんな緊迫した情勢の中、ゲルニー公国の跡継ぎが登場したのだ。
しかもレカルディーナが姉のように慕うダイラの父候補だという。ことの次第によってはダイラの身の振り方は今後大きく変わってくるだろう。何しろアウグストには跡継ぎとなる子供がいないのだ。
公女ということになれば彼女の人生は一変する。政治的切り札としてほしがる手勢が名乗りを上げるだろう。
ベルナルドはカテリーナ一人を呼びつけたのだが、付き添いとしてパニアグア侯爵夫妻も駆け付けた。
両親の登場にベルナルドの隣にいるレカルディーナがぽかんとした表情を作った。侯爵夫人オートリエはカテリーナの傍らにしっかりと張り付いている。どこか緊張した面持ちのまま入室し娘への挨拶も短く済ませ、口をきゅっと結んでいる。
ベルナルドとレカルディーナが長椅子に座り、その後侯爵夫妻とカテリーナが後に続いた。飲み物を運んできた女官が下がったところでベルナルドはカテリーナに向かって口を開いた。
部屋の隅には文官が二人ほど控えている。公式な発言として残ることになるからだ。
ベルナルドの正面に座ったカテリーナは沈んだ顔をしながらも、それでもなにか秘めたる決意のような意思の硬さを感じさせた。こういう顔はなじみがある。きっと少し前の自分も同じような顔をしていたからだ。
己の心をのぞきこまれないよう、幾重にも膜を張っていた。
「それで。真偽のほどはどうなんだ」
しかしベルナルドは尋ねないわけにはいかない。
黒に近い茶色の髪の毛に薄茶の瞳をした年かさの女性は、しかし目じりに入ったしわを差し引いても美しい容姿をしている。ダイラが年を重ねれば彼女のようになるのだろう。髪と瞳の色が違うだけで、生き写しのようにそっくりな親子である。
ベルナルドの前置きをはしょった端的な質問を受けてカテリーナは唇をかみしめた。
パニアグア侯爵夫人はいたわるような視線をカテリーナに向ける。オートリエの視線を受けてカテリーナは彼女と視線を絡め、さらに逡巡したように虚空を眺め、それから乾いた唇と湿らせるように唇を小さく舐めてから口を開いた。
レカルディーナも息をひそめて成り行きを見守っている。
「彼女の父親は……。ジョルシュ・ホッフマンという男性です。リューベルン系フラデニア人で故国のりんごを商う商売をフラデニアでしておりました。わたしは彼と出会い、彼の子を身ごもりました。ダイラの瞳の色は父親譲りです。リューベルン人はほとんどが紫色の瞳をしていますから」
最初こそ言葉を途切らせたものの、カテリーナは流暢に最後まで言い切った。
「いまゲルニー公国のアウグスト殿下がこの城に滞在をしている。彼は言外にダイラが自分の子なのでは、と言った。彼にも思い当たる節があるのだろう」
ベルナルドがさらに口を開けば、カテリーナは一瞬だけ顔をくしゃりとさせた。
アウグストという言葉に反応したようにも思えた。
「……たしかに、アウグスト殿下とわたしは友人関係でした」
「友人か」
友人とはまた、使い勝手の良い言葉だ。
「フラデニアで知り合ったとき、アウグスト殿下は身分を隠してらっしゃいました。何度かお話をするような間柄でした」
「だが、彼は自分もダイラの父親だと名乗り出るに値する根拠があるんだろう」
ベルナルドは言葉を重ねる。質問する側としてもあまり気持ちのよい話題ではない。とくに今、隣にはレカルディーナがいる。男どもに囲まれるよりかは知った顔が同席していたほうが良いかと思ったが、ベルナルドはその判断を下したことを後悔した。
「ベルナルド殿下に軽蔑されてもかまいません。若いころのわたしは周囲から美しいなどと称賛され思いあがっておりました。実際軽蔑されるような女だったのです」
「カテリーナ……」
レカルディーナが思わずといった体で小さくつぶやいた。
「わたしは、恋人がいる身でありながらアウグスト殿下に恋われて思いあがりました。そういうふしだらな女だったのです」
幼いころから屋敷で働いてくれた侍女の過去を聞き、頭がついていかないのだろう。深層の令嬢には刺激が強すぎる内容だ。
「それなのに父親はジョルシュ・ホッフマンのほうだと断言できるのか?」
ベルナルドはさらに言葉を続ける。嫌な役回りである。オートリエは目を伏せてこの場の誰とも視線を合わせないようにしている。
「はい。それだけは間違いありません。ダイラの父親は亡くなったジョルシュです」
「どうして断言できる?」
「女にはわかるのです。自分の身に宿った子種がどちらの男ものか、ということが」
カテリーナは堂々と言い切った。
ベルナルドのほうにしっかりと視線をよこして、少しだけ口角をあげて肯定してみせる姿はとても凛凛しかった。
「わかった。それだけ聞ければよい」
ベルナルドは会見を打ち切りにした。
ベルナルドがカテリーナとオートリエを再び呼び出したのは夜も更けた頃合いのことだ。
この時間になってようやく時間を作れたといったほうが正しい。
婦人を呼びつけるにはふさわしい時間でないのは百も承知しているが、なにしろ忙しい身なのだ。
呼び出しに応じてくれた二人に、ベルナルドは謝意を述べた。
「今ここには俺とおまえたちしかいない。今の俺は、ただのレカルディーナの夫だ。彼女の夫として、俺はダイラのことも買っている。王太子ベルナルドにではなく、レカルディーナの夫に対して、真実を話してほしい」
ベルナルドは真摯に言葉を重ねた。
彼の言葉に対して、婦人二人は顔を見合わせる。
長い沈黙が場を支配した。
「……お話するべきことは、さきほどお話しました。あれが公式の文書として残るのであれば、わたしはそれで満足です」
カテリーナは頑なだった。
かたい声で淡々と自分の意見を紡いだ。
「本当にあれは貴殿の本心か? 俺にはどうにも自分だけが泥をかぶろうとしているように思えてならない」
「わたしの若気の過ちです。泥などかぶってはおりません」
「だがアウグスト殿下はあきらめていない。今日もダイラにしつこく付きまとっていた。どうしても自分との血のつながりを見つけたいんだろうな」
ベルナルドの言葉にカテリーナは目を見開いた。
「ダイラはすでにアウグスト殿下と何回も会っているのですか?」
カテリーナが驚愕し、あわてた声を出す。
「最初にダイラに接触をしてきたのはふらふらと出歩いていた公子のほうだ。どうやら長年こじらせてきた初恋を爆発させたらしいな。おまえの消息をたどる手掛かりをつかんだと大喜びしている。レカルディーナ付きの女官だと何度言っても呼び寄せようとする」
「アウグスト殿下に、その。わたしのことは……」
カテリーナが苦しそうに喘いだ。
「もちろんおまえを呼び寄せたことは内密にしてある」
ベルナルドの言葉にカテリーナとオートリエがほっと息をついた。
「ありがとうございます。ですが、ダイラには今後彼の公子にかかわらないように命令してください。わたしからこんなことを言えた立場ではないことは承知なのですが……」
元々わたしはダイラの宮殿仕えには反対だったのです、とカテリーナは力なく言い添えた。
オートリエのおかげで街の上級学校を出させてもらい、卒業後はその経験を生かしてどこかの商会や事務所で働くよう言うつもりだった、と。それがなぜだか宮殿で女官の仕事を見つけてきた。
「アウグスト殿下と関係ないのなら、ダイラがどこで働こうとも一向に構わないだろう」
ベルナルドは冷たくあしらった。
カテリーナは力なくうなだれた。
「それは……そうなのですが……」
「俺は別に興味本位で尋ねているわけじゃない。彼女を守るためにも真実を知る必要がある。本当に、今日の会見で述べたことが真実なのか?」
公式的には母親の証言としてダイラの父親はただの商人ということに収まる。しかしベルナルドにはどうにも解せない。あれだけはっきりとアウグストが父ではないと断言できるものなのか。
「あの子の父は……、いいえ。ジョルシュは……」
カテリーナは観念したのかぽつりぽつりと覇気のない声で昔話を始めた。
母がモンタニェスカ領に入ったと聞かせられたけれど、ダイラはカテリーナと対面する気になれなかった。
彼女の過去を垣間見たということが一因だった。
ダイラの知る母は、やさしくてまじめで浮ついた話のひとつもなくて。誰に言い寄られても毅然とした態度で跳ね返す人だった。
それのなのに。父と付き合っていたのに、アウグストとも関係があっただなんて。
潔癖なきらいのあるダイラには時間が必要だった。
今母に会えば、おそらくきつい一言が飛び出すに違いない。
父がいたのに、別の男とも付き合っていたの? しかも、寝台を共にしたのか、と。もしかしたら、もっと口汚なく罵ってしまうかもしれない。そんなことしたくない。
母はダイラをここまで立派に育ててくれた。
手放そうと思えばいくらでも手放せたのに。ただ運が良かった、そういう人もいるかもしれない。
たまたま仕えていたお屋敷のお嬢様がやさしい人だった。彼女が娘を生んだのも幸運だったと。
それでも子供に煩わされたくないのなら、孤児院に預けることだってできたのにカテリーナは手元に置いて育ててくれた。
そんな母を軽蔑したくない。
なのに。
突如会われた男のせいで母の過去をのぞいてしまった。そのことも後ろめたくてダイラは一歩踏み出せない。
アウグストがダイラのことを気にしている、ということはすでに城の人間には知れ渡っている。
人々の物言いたげな視線にさらされながらダイラはここ数日職務をこなしている。
アウグスト付きの女官として彼を世話したのはほんの数日のみでその後はお気に入りの女官を返してちょうだいとレカルディーナがダイラを奪い返したからだ。ダイラとしても助かった。
それに懲りずにアウグストはダイラを呼びつけようとするが、ダイラは王太子妃付きの女官である。本来の職務が優先だと使者を通してあしらえば今度はその王太子妃ごと呼び寄せる始末だ。
権力を持つ人間というのは時に、いや往々にしてふざけている。
レカルディーナはゲルニー公国の公子殿下をむげにすることもできずに交流を深めるという名目で歓談に付き合った。
歓談にはほかにも婦人が何名か同席していたから、アウグストもあまり深い質問はしてこなかったが、時折こちらを熱心に見つめる視線を感じればダイラは居心地を悪くした。
そんな風に午後の時間が過ぎて、ダイラは短い休憩時間をもらって城の裏手を歩いていた。
なんだかめまぐるしくて、大きく息を吸いたくなった。
モンタンニェスカ領の居城は城下町ネイマルを見下ろすように小高い丘の上に建っている。
城の裏手には森が広がり、よく手入れをされている。狩り場として代々の領主が遊戯を楽しんでいた、とのことだ。
当然のことながら森の中には狩猟小屋も点在する。
しかしダイラは城から出ることもなく裏庭を歩いて、時折足元にぶつかる小石を蹴ってみたりする。
そんな風に歩いていると背後からじゃり、っと小石を踏む音がした。
振り返ると金色の髪に青い瞳をした青年が片手をあげていた。
「やあ、俺も休憩なんだ」
「……」
ダイラは眉根を寄せた。
「ほんとうだって。俺だっていつもサボっているわけじゃないよ。いや、昔から真面目に働いているから」
カルロスはダイラの無言に何か感じることがあったのか、聞いてもいないのに弁解を始めた。
「別になにも言っていません」
「そうか。そうだよね。うん、きみと一緒のタイミングでよかった。最近あまり顔を合わせられなかったから」
カルロスはダイラのすぐ横に並んで手を握ってきた。
ダイラは無言で隣のカルロスを睨みつける。なんなんだ、この手は。
ダイラの言いたいことを察したのか、カルロスはやさしい瞳のままで口を開いた。
「ダイラが弱っていないか心配で。俺の元気分けてあげようと思って」
「わたしは子供ですか」
「きみは立派な淑女だよ。でも、俺はどんなに淑女なきみでも心配したいんだ。惚れた女なんだから」
惚れた女。
惚れるってなんだろう。好きということだろうか。
はじめて聞いたわけでもないのにダイラの耳に惚れたという単語が残る。
「わたしはカルロス様のことなんて、なんとも思っていません」
「なんとも?」
「ただの同僚くらいにしか思っていません」
ダイラは握られた手を振り払った。
それはあっさりとほどけた。ほどけて思う。そんなにもあっさりほどく位なら、最初から握らなければいいのに。強い力で握らないのなら、どうして触れてくる。
「ちゃんと食べてる? 眠れている?」
カルロスはダイラの冷たい言葉にめげることなく穏やかに話しかけてくる。
「心配しなくても食欲もいたって平常です。よく眠れています」
「そう。ならよかった」
きっとカルロスのところにもダイラの噂が届いているのだろう。
ダイラと、彼女の母について。
真偽がわからないほど人々は面白い方向に噂をする。ダイラが本当にゲルニー公国の跡継ぎの落とし胤なのかどうか、まことしやかにささやかれているはずだ。
「あなたは、わたしのことなんて気にする必要ないんです」
「どうして?」
「あなたには関係のないことですから」
ダイラははっきりと言った。
ダイラに構うとカルロスの評判だって悪くなる。身持ちの悪い女の娘に入れあげる近衛騎士と。
「それ、きみが言うんだ。俺の気持ち知っているくせに」
カルロスは珍しく険のある声音を出した。今まで聞いたこともない、皮肉交じりの口調に、ダイラは失敗したことを悟った。
いつもダイラは口が過ぎてしまう。
「わたしは一度もあなたの気持ちをうれしいと言った覚えはありません」
「ダイラちゃん。強情もあんまり張りすぎると俺だって、いろいろ考えちゃうよ」
いつの間にか二人は向かい合っていた。
カルロスは表情の読めない顔をして、こちらを見下ろしている。
いろいろって何だ。勝手に人のことを好きになったのはそっちのほうなのに。いつダイラがカルロスに言い寄ったか。色目を使ったか。
そんなこと、一度だって無い!
「そうですよね。所詮は身持ちの悪い女から生まれた身ですものね。平気で男を手玉に取るところは似ているのかもしれませんね。では、夢から覚めたと思えばいいじゃないですか。金輪際わたしにかまわないでください。わたしは、あなたの……、職務に対してだけは真摯に向き合うところ、結構評価していましたよ」
さようなら、と言ってダイラは踵を返した。
自分で言っておいてなぜだかとてもみじめな気持になった。
あんなこと言うつもりもなかった。
ダイラ一人のことならほかにも言いようがあるのに、ダイラはカテリーナのことも卑下した。
最低だ。
歩いていた足は、次第に早足になってそれから駈け出した。
どこかへ逃げ出してしまいたかった。




