あなたの心をわたしにください8
歩いているとアウラはある一軒の店の軒先で足を止めた。
見覚えのある指輪が飾られていた。
「どうしました?」
「ううん。なんでもない」
「嘘はいけませんね、アウラ」
デイヴィッドはさっさと店の扉を開けて、中へと入ってしまった。
アウラはデイヴィッドを追いかける形で店内へと足を踏み入れる。
「それで、アウラは何を見つめていたんです? あそこには指輪ばかり飾られてしましたけど」
「いらっしゃいませ。あちらのコーナーでなにか気になるものでも?」
「べ、別になんにも」
アウラはしらばっくれた。
「それでしたら今すぐにマグアレア通りに戻って買い物することにしましょうか。あなたのドレスと靴と帽子と……」
「緑色の石のついた指輪!」
デイヴィッドが物騒なことを言い始めたのでアウラは被せるように叫んだ。
彼の給料でそんなに大量のものを買わせるのはしのびない。
「緑色の指輪ですか」
店主はカウンターからでてきて、窓際へと進んだ。
「ええと、どれですかな」
仕方なくアウラは店主に目当てのものを教えた。
店主はそれを取ってくれてアウラへ渡した。
「それがどうしたんです?」
「これ……お母様の指輪と似ていて」
アウラはぽつんとつぶやいた。
「ああそれですか。裏に刻印がされているんですよ」
アウラは慌てて指輪の裏を見た。
そこには贈り相手の名前の頭文字が書かれていた。
「お母様の名前と同じ頭文字……」
アウラはじっくりと指輪を眺めた。アウラが覚えている意匠とそっくりな形をしている。
船旅の最中に亡くなった母の遺品。
遺体を船の中へ置いておくわけにはいかないと、母は水葬と称して海へ流された。
「それがどうしてここに?」
デイヴィッドがつぶやいた。
アウラは唇をかみしめた。
「それを売りに来たのは婦人でしたよ。ええと、髪の色はお嬢さんよりも濃い灰色だったかな」
おそらくおばだろう。
彼女はアウラの荷物の中から目ざとく金目のものを見つけては取り上げたから。
曰く世話代とのことだった。
母の遺品だから返してほしいと何度も懇願したのにそのたびにうるさいとあしらわれた。
それがいつの間にか売られていた。
アウラは悔しくて目から涙が浮かんできたが唇をかみしめて必死に耐えた。
この店は質屋ということだ。
「そうですか。では店主、それをください」
デイヴィッドは店主に話しかけた。
「毎度ありがとうございます」
店主はデイヴィッドに猫なで声を出す。
デイヴィッドは財布を取り出して店主の提示した金額を払った。
どんなに困窮しても最後まで母はこの指輪を手放すことがなかった。
最後の最後、亡くなる直前に母は荷物の中に指輪が入っているからあなたが持っていなさいとアウラに教えた。
「でも、デイヴィッド」
アウラはたまらずに叫んだ。
デイヴィッドは目元をやわらげたままアウラを見つめた。
代金を受け取った店主はうやうやしくデイヴィッドに頭を下げて、彼はその仕草に片手をあげて応えてから店の扉を再び開けた。
一人で勝手に出て行ってしまうからアウラは慌てて追いかける。
「デイヴィッド、どうして」
追いついたアウラはデイヴィッドを問い詰める。
「どうしてって、あなたの大事な物なんでしょう?」
「そ、そうだけど」
「だったらありがとうって言って受け取っておいてください。あなたへの贈り物です」
柔和な目元が細められていて、さらに優しい顔になっている。
アウラの胸が締め付けられた。
彼は、いつもアウラに与えてくれるばかりだ。
「でもわたし……なにも返せない」
「そうですか? アウラに毎日出迎えてもらえるの、結構楽しみにしているんですよ」
「で、でも……」
それって別にわたしじゃなくても、と思う言葉をアウラは飲み込んだ。
「しっかりしまっておいてください」
デイヴィッドの言葉を受けてアウラは買い戻してもらった指輪を外套の内側のポケットにしまった。
彼にはアウラがダガスランドにやってきた経緯をかいつまんで話してある。
父が大学教授をしていたから、デイヴィッドはその話をもとにしてアウラとデイヴィッドの共通点を作り上げた。
彼は昔歴史研究者だったそうで、その関係でリューベルンにも行ったことがあるそうだ。
「わたし……そうだわ。わたしあなたに体をあげる」
アウラは名案とばかりに言い切った。
アウラだってもう十四歳で、体だって大人のそれになってきている。
彼女の言葉にデイヴィッドがぎょっと目を剥いた。
「アウラ何を言っているんです? ていうか、意味わかってます?」
こんな風に動揺した彼を見るのは初めてで、ほんの少しだけ嬉しくなった。
「意味ならちゃんと知っている。だから言ったの。わたしがあげられるもの、それくらいしかないから」
アウラの言葉を聞いたデイヴィッドは立ち止まってアウラの方を向いた。
そして少しだけ強い力でアウラの頭の上に手を置いた。
「そういうことは金輪際絶対に口に出してはいけません。世の中には変な男もたくさんいるんです。自分を安売りする発言は絶対に駄目です」
「どうして? だってデイヴィッドはお腹空いていたら女の人食べちゃうんでしょう。どうしてわたしは駄目なの?」
「なんとなく出所がわかりました。シモーネですね」
「あっ……」
アウラは慌てて両手で口を押えた。
結局デイヴィッドはそれ以上何も言うこともなく、ホテルへと戻ることになった。
なんとなく気まずいまま慰労会に参加をしたアウラはホテルの支配人らに紹介をされた。
あの時の少女だということは知られているので白々しいなとは思ったけれど、支配人らは特に言及するでもなくデイヴィッドの作り上げた話に神妙に頷いているだけだった。
銀色の髪を丁寧に梳かしてリボンを付けたアウラはどこからどうみても良いところのお嬢さんで、従業員らは彼女に好奇の視線をしばし寄越した。
居心地が悪いなと感じるとさりげなくデイヴィッドが近くへ戻ってきてくれて不躾な視線から庇ってくれた。
彼が親しくしているところを見せつけて、牽制してくれているのだ
そういう気遣いが面映ゆくてアウラはデイヴィッドの顔を直視できなくなる。
家に帰ってからもデイヴィッドは何事もなかったかのように振舞った。
結局アウラの提案は無かったことにされたのだ。
それはよかったのかもしれない。
彼の口調が案外に厳しくて、アウラはあのときびっくりしたから。
それに、本当に彼がその気になったらアウラは受け入れることができたのかも今となっては分からない。
だったらどうして自分をあげるなんて言ったのか。よくわからないけれど、あのときは本気でそれが一番だと思った。
◇◇◇
アウラと生活をするようになったデイヴィッドは以前よりも荒んだ生活を送ることは無くなった。
規則正しい時間に家に帰るようになったし酒の量も減ったと思う。
もともとそんなに飲む質でもなかったけれど、オルフェリアに振られてからは確実に量は増えたと自覚していた。
人に振られることがここまで堪えたのは彼女が初めてだった。
折しも季節は秋へ向かっている頃。
人肌が恋しくなる季節で、デイヴィッドは誘いを積極的に受けていく生活を送っていた。
かといってそういう女性とそれ以上の関係を望むわけでもないという、質の悪さも発揮していた。
シモーネがはっきりいうくらい最低だという自覚も持っている。
けれど、一人は寂しい。
だから少女を拾った。
最初は気まぐれだった。
オルフェリアと同じ瞳をした少女を見つけたとき、彼は目の前の少女に施しを与えた。話したら思のほかかしこそうだったので応援も込めて奮発したら数日後に返された。
その根性を別のところに向けたらいいのに、と思っていたら目の前で少女が倒れてさすがにこれで放置するとかないわーという己の心に住まう天使の声に従って(というか己の心に天使がいたこと自体にびっくりしたが)家へと運んで介抱した。
昏睡したアウラの面倒をみているうちになんだか情が湧いて、結局こじつけのような仕事を与えてそのまま家に留めている。
シモーネにもなんの冗談かと言われた。
デイヴィッド自身よくわからない。
けれど、彼女の迷子のような視線とか、時折見せる意志の強さとか頑なさとかそういうのを見ていると手放したくないと思ってしまう。
(自分では、身代わりにしているつもりはないんですけどね)
とは言いつつ、シモーネにはほぼ身代わりだと思われているのだろう。
癪に障るが、これ以上突っ込まれたくはないためデイヴィッドは釈明もしない。
デイヴィッドは酒の入った瓶を持ち上げてグラスの中に入れた。
場所は最近知り合った女の住まいだ。
自宅へ女を連れ込むことはこれまでだってなかった。大抵行為に及ぶのは相手の部屋ばかり。
女は寝台の中で横たわったまま。
デイヴィッドはグラスの中身を仰いだ。
年が明けて幾日か経った日、デイヴィッドはとある集まりで知り合った女に誘われて彼女の部屋へお邪魔した。
デイヴィッドは困惑していた。
原因はわかっている。
アウラの言葉だ。
彼女を庇護していると、日ごろの罪悪感が薄れるような気がする。自分でも誰か小さな者を守ることができると心を満たしてくれる。
だからつい必要以上になにかを与えたくなる。
アウラがロルテーム語で話す相手といえば自分とシモーネくらいなもので、どうにも心もとないからロルテーム語の教師でも雇おうかなどと考えてみる。
もう少し女の子らしい口調になってもらいたいし、このままシモーネと親しくなっていくとロルテーム語のスラングばかり上達してしまうではないか。
現にシモーネはアウラにとてつもなく余計なことを教えてくれた。
「どうしたの、難しい顔して」
女がデイヴィッドの方へ顔を向けている。
「別に、なんでもないですよ。仕事のことです」
「ふうん、そうなの」
女は金色の髪の毛を億劫そうにかき上げた。そうするとひどく艶めいてみえる。
デイヴィッドも健康な成人男性だ。
人並みに性欲だって持ち合わせている。
それに、冬場はどうしても人の温かさが恋しくなる。そういうとき、一晩だけ情を交わることのできる関係というのはひどくありがたい。何を考えるでもなく、お互いが熱を求め合って肌を重ね合うのだから。
「そのわりには、やわらかい表情だったわよ?」
「僕はもともとこんな顔ですよ」
「普段のあなたの顔なんて知らないわよ。わたしは今見たあなたから判断しているの」
「そうですか」
デイヴィッドはにっこりと笑った。
「もうすこし温めてください」
デイヴィットはグラスに残っていた酒を全部飲み干して女の肩に腕をまわした。
女はまんざらではないような、甘ったるい声を出す。
「あら、家に帰るのはいやなのかしら?」
「別にそんなわけでもないんですけどね」
今はまだアウラの起きている時間帯だ。
今日は彼女と顔を会わせる気分ではなかった。女を抱いた日に彼女に会えば、先日の言葉が否が応でも思い出される。
(まさか彼女からあんな言葉を言われるなんて思いませんでしたよ)
まだ十四歳の少女が、一端に自分をあげる、なんて言ったのだ。
紫色の瞳は真剣そのものだった。
決意を含んだ視線とかち合ったとき、デイヴィッドは悟った。彼女はその言葉の持つ意味をなにもかも知っている、と。
デイヴィッドは強い口調で彼女を諫めた。それから無かったことにした。
彼女は賢い。
きちんとデイヴィッドの意を汲んでそれ以上あの件を蒸し返すことはなかった。




