あなたの心をわたしにください7
「それって一緒の寝台で眠ること?」
この間彼女と話した会話を思い出しながらアウラは口を開いた。
「一緒に眠っていちゃこらするのよ」
「いちゃ……んん?」
「ま、いいわ。全部教えてあげる。何も知らないとそれはそれで身を守れないことだってあるもの」
シモーネは誰かに言い訳するように独り言を言ってそれからアウラにまっすぐに視線を据えた。
アウラも神妙な気持ちになる。
それからシモーネは色々なことを教えてくれた。
おもに男女の関係について。
大人の男と女が寝台の中で何をするのか、ということと、男が女を見定めるような視線が意味すること。
愛人になるなと彼女が忠告したわけをアウラはこのときちゃんと理解した。
そしてやっぱりというか、男女関係についてアウラはショックを受けた。
それは別にデイヴィッドとのことじゃなくて、彼に拾われる前に世話になっていたおばの家で起きたことによるもの。
おばの息子がアウラに抱き着いてきた。
息子はアウラよりも四つ年上で、働いていた。だから当然アウラよりも力が強くて、その彼がおばの留守を見計らったかのように背後から抱き着いてきた。
アウラはそのとき声を出すことができなかった。
突然のことでびっくりして、それからびったりと両腕で羽交い絞めされるような姿勢で、彼の息が耳元をかすめた。
恐怖で固まった。
何が自分の身に起こっているのか分からなかった。
家の中へと戻ってきたおばは悲鳴を上げた。
『何をしているの!』と彼女が叫べば息子は声を上擦らせて『こ、こいつが誘ってきたから……』とすべてをアウラに擦り付けた。
アウラはまだ体が強張っていて何も言うことができなかった。おばは鋭い視線をアウラに投げつけてきた。氷の矢のようなまなざしでアウラは余計に動けなくなり、結局言い訳もさせてもらえないままアウラは碌な荷物も持たされずに家を追い出された。
『ふしだらな女は出ておゆき』
おばの言葉が頭の中で何度も繰り返された。
「どうしたの?」
急に黙り込んだシモーネが心配そうな声を出した。
「ううん……。色々と腑に落ちた」
行き場を失ったアウラに声をかけてきた男がいた。その男は舐めるようにアウラのことを頭から足の先まで眺めた。
その瞳が怖くてアウラは慌てて走り去った。
男たちの視線の意味を正確に理解した。
だからアウラは今更ながらに恐くなった。
あのまま路上をさまよっていたらアウラは何も知らないままに男たちに蹂躙されていたかもしれない。
おばが家に戻ってきてくれてアウラは結果的に助かった。
「ま、あんたも色々と大変なことがあったみたいね」
アウラの動揺を、おそらくシモーネはなんとなく察したのかもしれない。
「ほら、お菓子でも食べなさいよ」
シモーネはアウラの持ってきた焼き菓子を手渡してきた。
お菓子を口にいれたら、その甘さでいささか緊張が解きほぐされた。
デイヴィットからはそういう視線や空気を感じたことはない。ただの保護者と庇護されている者という距離しかない。
見返りに体を求められることもない。
そのことに安堵しつつ、胸の奥がかすかに疼いた。
彼は寂しさを別の女性で埋めている。
アウラを拾ったのも寂しかったからだって言っていた。
「どうして、デイヴィッドは他の女性と一緒に眠るの?」
「お腹が空いていたって言っていたわね、あの男」
「お腹がすく? 空腹だと女性と一緒にそういうことしたくなるの?」
「なんていうかもののたとえよ。要するに欲求不満だったんでしょう。あいつも男ってこと」
アウラはよくわからなくて首をかしげた。
シモーネはアウラの疑問に答えてくれた。
男には性欲というものがあって、恋愛感情とかそういうのとは別にして体の欲求が勝るというのだ。だから娼婦という職業が存在する。
「とにかく、今日ここでの内容はあいつには言ったらだめよ」
「どうして?」
「わたしが色々と教えたってデイヴィーが知ったらたぶんわたしが殺される」
「そんなことデイヴィッドはしないと思うけど」
「本気で殺すとかじゃなくて、ああもう、あんたもう少しロルテーム語勉強なさい。冗談も通じないじゃない」
それはたぶんこれまでのアウラの人生の中でそんな物騒な冗談を言う人間がいなかったからだ。
大学教授だった父と専業主婦だった母。両親二人はシモーネが話すような言葉は使わなかった。
「とにかく話は終わり。わたし眠たいの。ちょっと寝かせて」
「昨日は夜更かし?」
「ま、わたしだって恋人くらいいるもの。二人で仲良くしていたってこと」
アウラは顔を赤らめた。
さっき教えてもらったことを、彼女は恋人としていたということか。
体よく追い出されたアウラはとぼとぼと帰路につく。
メンブラート邸からデイヴィットの家まで徒歩で二十分くらい。デイヴィッドならもっと早く着くかもしれない。
アウラが今身につけている外套もいつの間にか用意されていた。ボンネットはメンブラートのお嬢様のものだった。
デイヴィッドがわざわざアウラのために丈や袖の長さなどを調節してくれた。(もちろん仕立屋に頼んでだ)
もう使わないものだからアウラが好きに使っていいですよ、と言われていて好意に甘えている。それに、これを使えばデイヴィッドに余計なお金を使わせることもない。
今日一日でたくさんのことを知ったアウラは頭の中がぐちゃぐちゃだった。
デイヴィッドは寂しさを別の女性で紛らわせている。
わたしでなにかできることがあればいいのに。デイヴィッドには沢山のものをもらった。
アウラはデイヴィッドに何も返せていない。
家に戻るとデイヴィッドのほうが先に帰っていた。
「おかえりアウラ。どこへ行っていたんです? 心配しました」
デイヴィッドは玄関まで迎えてきてくれた。
これではいつもとは逆だ。
「ごめんなさい。出迎えできなくて」
「いや、それはいいから。それで、どこへ?」
「シモーネのところ」
「ああ、彼女のところですか」
デイヴィッドは安堵したように息を吐いた。
「すっかり仲良しさんですね。彼女口が悪いでしょう。いじめられていないか心配です」
アウラは首を横に振った。
「ううん。彼女親切。わたしの知りたいこと教えてくれるし」
「知りたいこと? 僕だって教えてあげますよ」
「だ、だめ!」
今日聞いた男女の色事を思い出したアウラは即座に叫んだ。
というか普通に会話をしていたけれど、デイヴィッドはアウラ以外の女性を抱いているわけで。
そういうとき、彼は一体どんな風なんだろうと思い至ってアウラは階段を駆け上った。
「アウラ?」
「な、なんでもないっ」
どうしてこんなことを考えてしまうのだろう。
アウラは外套を着たまま寝台の上に飛び込んだ。
◇◇◇
新しい年を祝うとき、アウラはいつも両親と一緒だった。
今年、二人はアウラの側にはいない。
その代りに隣にはデイヴィッドがいる。
アウラとデイヴィッドはホテル『ラ・メラート』へとやってきていた。
今日は一年の感謝を込めた従業員の慰労会の日。
デイヴィッドは不在のオーナーの代わりに少しだけ顔を出すとのことでアウラも同行することになった。
「そう言えばアウラとこうして街を散策することなんてあまりなかったですね。年暮れには贈り物を贈り合う習慣があるでしょう。なにか欲しいものはありますか?」
慰労会の時間まで余裕があったため、現在二人はホテル界隈を冷やかしながら歩いている。
マグアレア通りからすこし外れた小さな通りだけれど、品質のよいものを置いた店が点在している。
「デイヴィッドからはたくさんもらっているから……とくにほしいものはない」
住むところと食べるものを与えてくれるだけでアウラは満足だ。
「そう言われるとつまらないですね。もっと保護者らしいことをさせてください」
保護者という言葉になぜだか胸の奥がざわついた。
「じゃ、じゃあわたしもあなたになにかあげる」
アウラは名案とばかりに言葉を弾ませる。
「アウラからですか? うーん、何がいいのかな」
予期せぬ言葉だったらしくデイヴィッドは珍しく考え込んでいる。
「子供は子供らしく大人から与えられておけばいいんですよ」
ははは~、と気の抜けた笑い声と共にそんな言葉が返ってきた。
「わたし、もう十四よ。子供じゃないし」
「僕からみたら立派な子供ですよ。昔家庭教師をしていた時の生徒よりも子供ですし」
「そんなことしていたの?」
初耳だった。
「ええ、バスティの命令で潜入工作をしていたときに」
「潜入工作? バステライド様って実業家ってきいた」
「ま、大人の世界には色々とあるんですよ」
「ふうん?」
はぐらかされてしまった。
「そのときの生徒って女の子?」
「ええまあ。男の子もいましたけど」
「ふうん」
二人はそのまま通りを歩いていく。
時折デイヴィッドはアウラを見ているようでもっと遠くのものを見つめているようなことがある。
それは彼がかつて家庭教師をしていたからなのだろうか。
そういう視線に気づくとアウラは彼をこちら側へ引き戻したくなると同時に声を掛けられなくなる。




