ダイラと無くした思い出4
フラデニアは自由な気風の国で、若いころのアウグストにはただただまぶしいだけだった。
公国の将来を担う存在だといってもそれはまだずいぶんと先のこと。父大公はまだ若く、そして健康体だった。
アウグストは将来の勉強と称してフラデニアに遊学中だった。
本当は逃げ出したかった。リューベルン連邦が誕生してすぐのころだった。連邦政府は不安要素を抱えていた。アウスバーグ王国の国王が選定皇帝の座に就いたが、反対勢力だってまだくすぶっていた。
そういうのを全部丸投げをしてルーヴェへとやってきていたときに、彼女と出会った。
黒に近い茶色の髪を左右に編み、後ろに持ってきた髪を巻いて垂らした髪形をして、夏の森のようなはっきりとした緑色のドレスを着た美しい令嬢だった。
かわいらしいというよりも、美しいと形容することが似合う、凛とした美貌の持ち主だった。
彼女は夜会に慣れていないようだった。妙にかしこまって、話しかけると丁寧な言葉遣いで返事をしてくれた。そういう、敬われる態度が嫌で何度もやめてと言ったことを覚えている。
彼女は名前を明かしてくれなくて、きっとお忍びなのだろうなと思った。
お忍びの割にはルーヴェのいくつかの夜会で鉢合わせた。
そのたびにしつこく話しかけた。美しい彼女の周りにはアウグストと同じように言い寄ろうとする虫どもが大勢いて、彼女が彼らと話すのを見るたびにやきもきした。
多分、一目ぼれだったのだろう。
彼女は美しかった。そして、謙虚で、笑顔が素敵で、聞き上手で、慣れてくると柔らかくほほ笑んでくれた。けれどアウグストの度が過ぎると、すっと表情が硬くなる。まなざしに氷の冷たさが宿って、声が低くなる。びっくりするほど冷たくなるのだが、そこにぞくりとした。彼女に出会って新しい扉を開いてしまったのだ。
どうやら彼女には仲の良い令嬢がいるようで、金茶髪に緑色の瞳をしたきれいな女性だった。美貌の二人が並ぶと絵になった。金茶髪の少女は彼女と同じ年頃で、彼女はいつもその令嬢を立てるように後ろに控えていた。それなのに、時折二人で視線を合わせて忍び笑いをする。まるでいたずらっ子がなにかをしかけたときのように。
そんな二人の様子を観察するうちに気がついた。
彼女は、あの令嬢の侍女なのだと。きっと、いたずら好きの令嬢に付き合って、自分もお嬢様のふりをしているのだ。だから、彼女は誰に対しても物腰が柔らかいのだろう。
騙されてふつうなら怒るところなはずなのに、アウグストは面白がった。
何度も何度も言い寄って、きみの正体に気づいてますよ、なんて思わせぶりに話せばようやく彼女は観念したのか名前を教えてくれた。
カテリーナと名乗った。
アウグストの勘は当たっていたようで、お屋敷のお嬢様が着せ替え好きで是非カテリーナを着飾りたいと言ってきかなかったから付き合った、と。夜会に一緒にまぎれてみれば姉妹のように楽しかったので何度も付き合ってと言われたとのことだった。
アウグストは自分の正体も明かした。
リューベルン連邦の公国の跡取りだと知ると恐縮しきりで、もう会わないと言われたけれど、嫌だと突っぱねた。カテリーナも最後は折れた。
お互いもう引き返せないところまで想いを宿していた。
アウグストは本気でカテリーナをリューベルンに連れ帰ろうとした。しかし、侍従らに大反対をされた。
当たり前である。公国には親同士が決めた許婚がいるのである。アウグスト個人ではどうしようもできない、国同士が決めた結びつき。リューベルン連邦では形成する国同士政略結婚が当たり前だ。
けれどどうしても彼女をあきらめきれない。
生まれてはじめて自分は愛を知った。彼女でなきゃだめだった。
カテリーナは、アウグストの情熱に身も心も許してくれた。愛する人と肌を重ねる幸せを初めて知った。
二人の逢瀬は、しかし長くは続かなかった。
結局アウグストは国に連れ戻されることになった。
カテリーナはある日突然アウグストの前から姿を消した。
もしかしたら、侍従のうちの誰かが何かを言ったのかもしれない。それは突然のことだった。
アウグストはカテリーナの勤め先へと赴いた。最後に、国に帰る前にどうしても会いたかった。けれど、勤め先に行ってみると。カテリーナはクビになったと聞かされた。
どうやらお屋敷のお嬢様の逆鱗に触れて、解雇をされたとのことで紹介状も書いてもらえなかったと、噂好きな門番が教えてくれた。
カテリーナの実家にもどこにも彼女は姿を現していないようだ。ほかの使用人にも話を聞いたが、やはり行方を知っているものはいなかった。
行方を知りたがったが、自分も帰郷する日が迫っていた。
結局何の手がかりもないままアウグストは公国へと帰った。帰って、少ししたのち、許婚が嫁いできた。
それでも結婚生活は順調だった。公子の義務としてめとった王女との間に男の子を一人設けた。それなのに、妻も息子もやはり病で亡くなってしまった。自分も罹患したのに、どうしてだか生き残った。
むなしく思った。家臣も父大公も、再婚を迫った。このままだと次を継ぐ者がいなくなってしまうからだ。弟がいたが、彼はアウグストが子供のころに病で亡くなっていた。だったら父がもう一度子供を産ませればいいのに、と無責任に思った。しかし父の妻、アウグストの母も存命のためそれは難しい相談だ。
アウグストは思った。
自分が継いでも、子供がいなければ継承権は従兄にいくだけだ、と。現在のリューベルン連邦は小競り合いが絶えない。ロルテーム王国の東隣ネイデン王国と国境を有する公国は独立派で、ことあるごとに独立を画策する。ほかの商業自治都市や王国だって、主導権を奪い返そうと虎視眈々と狙っている。まとめるにはまだまだ時間のかかる地域なのだ。
けれど、それで困るのは生活をする国民だ。男が兵隊に取られ小競り合いに巻き込まれ死んだら、一家は困窮する。他国では列車の建設が始まっているのに、それもままならない。いつまでも連邦内でもめていても仕方ないのに。だったらせめてゲルニー公国だけでもアウスバーグ王国と一緒にしたほうが無駄な小競り合いは起らないのではないかと。
自分はさっさと舞台を去ろう。父は現在病気で、余命いくばくもない。母のことだけが気がかりだが、父亡き後は実家に身を寄せればよい。自分が交渉すれば皇帝だって母の立場くらいは保証してくれる。継承権を放棄して、大陸を渡ろうと考えるのに、思い出すのは若かりし頃愛したカテリーナのことだった。
彼女はいまどうしているのだろうか。
きっと夫を持って幸せに暮らしているに違いない。いまさら会いたいなんて、どの口が言うのか。
理性ではわかっているのに、心が渇望する。せめて一目あいたい、と。
だから未練がましくアルンレイヒまでやってきた。
亡命先を、支援先を見つけるなんて名目で。隣国に亡命することなんて政治的にも難しいにきまっているのに。
アルンレイヒは、カテリーナの元の主であるファレンスト家のお嬢様が嫁いできた国だ。
フラデニアで行方の知れないカテリーナ。もしかしたら、元主だったファレンスト家のお嬢様なら、なにかしら足跡をつかんでいるかもしれない。
そう思ったら一縷の望みにすがらずにはいられなかった。
ダイラはため息をついた。
今日アウグストから聞かされた彼の半生を聞いて、頭を抱えたくなった。彼の言うカテリーナは十中八九ダイラの母親で間違いないだろう。
自由すぎるお屋敷のお嬢様で、ファレンストなんて姓の女性はオートリエ以外に知らない。しかも、アルンレイヒに嫁いでいるファレンスト家のご令嬢。
彼の話は筋が通っている。
確かにアウグストはダイラの母であるカテリーナと若かりし頃浅からぬ仲になったのであろう。
しかし。
それとこれとはまた別問題だ。
ダイラは知らずに眉間にしわを寄せた。
ダイラが幼いころ父について尋ねたとき。母は悲しい顔をしながらもダイラに教えてくれた。
『あなたのお父さんは、リューベルン系フラデニア人で、故郷のリンゴを商っている、ジョルシュ・……という人よ』
カテリーナはほかにももう二言三言なにか話してくれたようだが、幼いころのことだ。一度聞いただけでは父親の姓までは覚えきれなかった。ダイラの記憶にあるのは自分の亡くなった父がフラデニア人で、りんごを売っていたということくらいだ。
(だから、彼が父親であるはずがないのよ……)
もしかしたら母は二人の男と関係をもっていたのだろうか。ダイラは自分で考えたその可能性を瞬時に否定する。それでも、アウグストは言っていた。身も心も自分に許してくれた、と。
カテリーナが二人の男性を手玉に取るような女だとは思いたくない。なにしろ自分の母親なのだから。
だったらまだアウグストが自分の身分を笠に着せて無理やり凌辱したという真相のほうがありがたい。
どのみちダイラには頭の痛い話だが。
そんなことをつらつらと考えていると。
こんこん、と扉をたたく音がした。
「ダイラ、ちょっといい?」
入ってきたのはレカルディーナだった。なぜだかベルナルドも一緒だ。
「レカルディーナ様」
「様はいらないわ。二人きりだもの」
後ろのお邪魔虫のことを言及しようかと思ったけれど、ダイラは結局何も言わなかった。
レカルディーナにとっては二人きりということなんだろう。どうでもいいけれど、夫になったベルナルドは始終レカルディーナを視界に入れておかないと気が済まないようで面倒くさい。こんな束縛夫のどこがよいのか、正直ダイラにはわからない。
「ダイラの隣、座っていい?」
「ええ」
アウグストから解放されて、ダイラはちょうど一人きりで控えの間にいるところだった。
レカルディーナと一緒に、ダイラは長椅子に腰かけた。ベルナルドは扉の近くに立ったままだった。
「ねえダイラ。わたしにもっと、頼ってね。そりゃあダイラはわたしより年上だし、お姉さんだし、わたしのほうが迷惑かけっぱなしだけど。わたし、ダイラのこと大好きなのよ。だから、わたしが迷惑かけまくった分も、わたしに迷惑かけて? もっともっといろいろなこと話してくれるとうれしい」
レカルディーナは変わらないな、と思う。
彼女はいつだってまっすぐで、ダイラに侍女以上の気持ちを注いでくれる。それが彼女の美点でもあるけれど、同時に危ういとも思う。
「あなたはもう王太子妃なのよ。いつまでもわたしにそんなことを言っていたらだめよ」
ダイラはあくまでも事務的な声を出す。
そんなダイラの言葉にレカルディーナは顔をゆがめた。
「わたしだってダイラのこと心配したい!」
「あのね……」
「どうしてカルロスのこと教えてくれなかったの? 言い寄られて嫌なら嫌って言ってくれればわたし彼に一発お見舞いしたわ。ダイラを取らないで、って。恋愛相談くらい何でも聞くのに。ダイラはわたしのことずっと見守っててくれたじゃない」
ダイラは脱力した。
そっちのことか。
「嫌ならわたしが直接殴るから大丈夫」
「じゃあ、嫌じゃないの? 彼のこと好きなの?」
「……ふつうの同僚だと思っている」
「そうなの~? それはそれで、カルロス的にどうなのよ」
レカルディーナは頭を抱え始めた。てっきりアウグストのことだと思ったのに、レカルディーナの中ではカルロスがダイラに言い寄っていることのほうが重大事項だったようだ。
「ねえ、わたしに遠慮とかしないでね。彼のこと好きなら一緒になってね。嫌いならわたしのお姉さんになに手を出しているのよ! ってわたしが追い払ってあげる。アウグスト殿下のことだってそうよ。だから、お願いダイラ。一人で悩まないで」
レカルディーナは早口でまくしたてた。必死な様子に心がほんわかと温かくなる。
ダイラは口元をゆるめた。
いつ笑うの、なんて聞かれるけれど、たぶんそれはこういうとき。
「レカルディーナったら。結婚しても変わらないのね。手を出すとかどこでそんな言葉覚えてくるのよ」
「シーロから」
あの男め。ダイラは心の中で悪態をついた。
「わたしは大丈夫。度が過ぎるようなことをしてきたら一発どころか二三発殴るから」
腹が立つことにカルロスはそのあたりいつも絶妙なさじ加減なのだが。
「だったら俺が殴ってやるから心配するな」
なぜだかベルナルドが口を挟んできた。
そしてこちらに向かって歩いてきた。
「レカルディーナはおまえのことを心配している。俺が妬くくらいに」
ベルナルドはぽん、とレカルディーナの頭の上に自身の掌を載せた。王太子に妬かれたら身体がいくつあっても足りないからレカルディーナには即刻ダイラの心配はやめてもらいたい。
「それと。レカルディーナの実家に使いをやった。そのうちおまえの母を連れてやってくるだろう」
ダイラの頭が一瞬真っ白になった。
そっちが本題か。
「ダイラごめんね。わたしもさっきベルナルド様から聞かされて。怒っていいのよ? わたしも怒るから。なんだったらわたし今日からあなたの部屋で寝るわ」
「レカルディーナ」
ベルナルドが大きな声をだした。
レカルディーナはダイラの代わりに怒ってくれているようだが、とばっちりは絶対にこちらのほうにくるからその抗議方法には異議を申し立てたい。
「いいわよ、べつに。諸悪の根源はあの軽はずみな公子殿下なのだから。こちらの皆さんとしては母を呼び出してことの真偽を図るのは当然だわ」
「それは、そうだけど……」




