あなたの心をわたしにください3
◇◇◇
ホテルでの出来事など日々の些末にすぎないデイヴィッドは、少女に銀貨を渡したことなどすっかり忘れていた。
あれから数日後、いつものように事務所に出向こうと家の扉を開けて外へとでた。
境界壁を共有する細長い建物が連なった閑静な住宅街の一角である。
違う区画へ移動すれば完全に一軒が独立した一軒家が立ち並ぶのだが、デイヴィッドのような独身者、またはそこまでの稼ぎのない人間はテラスハウスに住むのが一般的だ。
いつもと同じ朝と違ったことと言えば目の前に影が現れたことだ。
「うわっ」
デイヴィッドはさすがに驚いた。
視界を遮ったのは自分よりも背の低い少女。銀色の髪をした少女だった。
「銀貨、返す」
紫色の瞳がデイヴィッドを睨みつけて右手をつき出してきた。その視線は挑むようでもあり、固い意思を感じさせるものだった。
デイヴィッドは数日前、自分が行く当てのない痩せた少女に施しを与えたことを思い出した。
「お菓子は……食べちゃったけど。お金は使ってない」
「ええと……、あなたはあのときの。って、どうしてここに?」
何しろホテル『ラ・メラート』で別れたのだ。自分の住まいが分かるはずもない。
「あのとき、わたしあなたの馬車を頑張って追いかけた」
「追いかけたって……」
デイヴィッドは呆れて言葉を失った。
馬車の速さに少女の足でついてこられるものか。
「あなた、街の途中でとまった」
「ああたしか事務所に寄りましたっけ」
デイヴィッドはあの日の行動を思い起こす。たしかホテルを辞したあと馬車に乗って事務所まで帰った。
バステライドの借りた彼の個人事務所である。
「そこからもう一度あなたを探そうと頑張った。一日じゃ無理だったからこれだけ時間かかったけど」
要するに何日もかけて地道にデイヴィッドの住処を探し当てたということか。
天晴というか恐るべしというか。とにかくものすごい根性である。
「ああそうですか」
その努力をもっと別の方へ発揮すればよかったのに。
「お金は十分足りていたはずですよ。あれを使えばもっと建設的なことができははずなのに」
「いらない」
少女は強く言った。
「どうしてです?」
もらえるものは貰っておけばいいのに。
「理由がない」
「理由?」
「あなたに施してもらう理由」
少女はまっすぐにデイヴィッドを射抜いた。強い光を宿した瞳だった。
この瞳をデイヴィッドは知っている。
少女は伸ばした腕でデイヴィッドの胸を押した。咄嗟に胸のあたりに移動させた彼の手に被せるように少女は握っていた手を開いた。カランと音を立てて硬貨が石畳の上に転がり落ちた。
「じゃあ返したから」
少女はあの時と同じドレスを着ていた。あのときよりも汚れている。
晩秋にしてはいささか頼りない、くたびれた深藍色のドレスは飾りも何もついていない簡素なもの。
「分かりましたよ。まったくもう。せっかくの人の親切を」
デイヴィッドは肩をすくめた。
要らないと言う人間に対してこちらが意固地になっても平行線をたどるだけだ。
返しに来たのなら素直に受け取っておくことにする。
デイヴィッドは仕方なく落ちた銀貨を拾うと身をかがめた。
少女はその場から離れようと身を翻した。
デイヴィッドはお構いなしに銀貨拾いに専念する。
「あ、あの~旦那」
上から声がかかってきたのはデイヴィッドが銀貨をあらかた拾ったころ。
デイヴィッドは立ち上がって御者の方を見た。声をかけてきたのは待たせてあった馬車の御者である。
「あの子供、倒れましたけど……。放っておいていいんですかい?」
おずおずとした口調を出す御者の指し示す方へ顔を向けると石畳の上に広がっているのは深藍色の塊、いや、ドレスの裾。
「ああもう、なんなんですかね、今日は」
デイヴィッドは、大きなため息をついた。
◇◇◇
少女は浅い呼吸を繰り返していた。
医者の見立てによると衰弱と、ここ数日の冷え込みによって風邪をひいたのだろうということだった。
あれからデイヴィッドは通いの女中がやってくるのを待って、彼女に命じて汚れたドレスから清潔なリネンに取り替えさせやり、客室の寝台へと運んだ。
女中は汚れた子供を部屋の中に入れることにわかりやすく難色を示したが、なんとか宥めた。(というか割増料金で手を打ってもらった)
今日のダガスランドで浮浪者、それも子供の浮浪者など珍しくもなんともない。家を持たない子供たちなど吐いて捨てるほどいるし、そういう子供を救うのは救貧院の役目だというのが女中の言い分である。
それはデイヴィッドだってわかっているし、家無しの子供を拾って歩いていては家がいくつあっても足りないのは重々承知している。
が、さすがに目の前で行き倒れられては寝覚めが悪いというものだ。
女中が少女の体をお湯で濡らした清潔な布で拭いてやる間(これも女中がどんな病気をもっているか分からないから嫌だと駄々をこね宥めるのが大変だった)デイヴィッドは馬車でひとっ走り、医者を呼びに行き、空き家になっているメンブラート邸へ赴きオルフェリアの残していったドレスやらなんやらをシモーネに言って取ってもらった。
なんで僕がこんなこと、と思わなくもなかったが、さすがに行き倒れた少女を勝手に脱がすわけにもいかないから適材適所というやつだ。使いっぱしりのほうがまだましというだけだったのだ。
『体力勝負と言うところでしょうな。ずっと空腹だったのでしょう。林檎などの果汁や牛の骨からとったスープ、それから水などを交互に飲ませてやること。栄養を取って薬を飲ませて、あとは本人の気力次第でしょう』
医者はそう言っていくつかの薬を置いて帰っていった。
デイヴィッドは仕事返上で少女に付きっきりで看病にあたった。
こうなったら最後まで付き合うのみである。
デイヴィッドは通いの女中と料理番を雇っている。それぞれに命じて必要なものをそろえさせ、女中と交互に少女にスープや水、それから果実水を飲ませた。
少女は苦しそうにか細い呼吸を繰り返すばかり。
重大な病ではないと知った女中は目に見えて安堵をし、それから少しだけ態度を軟化させて少女の看病にあたった。
デイヴィッドとしては死なれたら寝覚めが悪いなくらいだったのに、いつの間にか彼女の無事を祈るようになっていった。
寝台の中で横たわる少女はとても儚く、デイヴィッドが目を離したすきに天に召されてしまうのではないかと何度もやきもきした。白く痩せた顔と固く閉じられた瞳、そして浅い呼吸。
頼むからもう一度目を開いて、それから銀貨を返したときの心の内や、彼女の身の上を彼女自身の口から聞かせてほしい。
デイヴィッドらの献身的な世話の甲斐あって、少女は四日目に意識を取り戻した。
意識を取り戻した少女は状況に付いて行けず目を白黒させていたが、さすがにすぐに起き上がることなんてできるはずもなく、デイヴィッドと女中に看病されるままに身を任せていた。
◇◇◇
やわらかな白パンでつくった牛乳粥を食べられるくらいに回復した少女は、食事を下げに来たデイヴィッドに「どうしてわたしを助けたの?」と質問をした。
「どうしてって、それはやっぱり目の前で倒れた子を放っておくのは人間としてどうかと」
デイヴィッドは苦笑する。
さすがにそこまで冷血漢ではないつもりだ。
まあこれまでの人生色々と非情なことはしてきた自覚はあるけれど。
「だって、わたし……」
「いまは回復することだけを考えておけばいいんです。ああそういえば、名前聞いていなかったですね」
「……エウラ」
デイヴィッドの質問に少女は素直に答えた。
「エウラ……。リューベルンの妖精の名前ですね。確か氷の妖精でしたっけ」
「そう」
「ロルテーム風に言うとアウラですね。アウラの方が可愛い響きですね。アウラって呼んでも?」
アウラはこくんと頷いた。
「呼びたいように呼べばいいと思う」
「じゃあ遠慮なく。アウラはどうして仕事を探していたんです?」
「わたし……お世話になっていたおばさんの家を追い出されて。でも、行くところなくて」
「そうですか」
デイヴィッドはそれ以上聞く事をやめた。
病み上がりで話す内容ではないだろう。おばさんの家で世話になっていたということは頼れる両親は近くにはいないということだ。もしくはすでに亡くなっているのかもしれない。
「とにかく元気になるまでここにいてください」
「わたしもう動けるわ」
アウラは寝台から抜け出そうとしたが、しかしすぐにその体がくらりと傾いだ。
「ああほら。言った側から」
デイヴィッドが慌てて彼女を支える。
アウラは怯えたように固まった。
緊張した気配が伝わってきて、デイヴィッドは即座にアウラから手を離した。
「あ、すみません」
アウラは首を振った。
紫色の瞳が困惑気に揺れている。
デイヴィッドは彼女の瞳から視線をそらした。
どうにも、やりずらい。
彼女のふとした時の表情が、別の少女と被ってしまう。デイヴィッドが心を傾けた黒髪の少女と。
「今はまだ体が疲れているんです。しっかり休んでくれないと僕も困ります。あなたは僕がお金をかけた分も元気になって貰わないと」
アウラはおとなしく寝台に潜り込んだ。
「意味わからない」
デイヴィッドはふうむ、と一考した。
「あなたを助けるために僕は医者を呼びました。もちろんお金を支払って。僕が投資をした分あなたは元気にならないと僕はお金をみすみすどぶに捨てたようなものじゃないですか。どこの銀行だって、進んで倒産するような事業主にお金を出しませんよ。今のあなたは進んで倒産しようとする事業主と同じです」
「あなたリューベルン語しゃべれるの?」
デイヴィッドはアウラが正確に言葉を理解できるようあえて彼女の母国語で話しかけた。
驚いたアウラは目を見開いた。
「僕はロルテーム語もフランデール語、それからリューベルン語もしゃべれますよ。母国語はインデルク語ですが。こっちのほうが最近はあやういですね。使わないので」
いろいろな国で生活をしていたらいつのまにか身についてしまった。
「あなたインデルク人?」
「ま、そういうことになりますね。今僕が話した内容、理解しました?」
アウラは少し間をおいてから小さく頷いた。
「分かればよろしい。ではおやすみなさい」
デイヴィッドは教師らしく頷いて部屋から出て行った。
メンブラート家で一時家庭教師をしていたときの癖である。
そういえばアウラはユーリィレインと同じくらいだ。
彼女とアウラではだいぶ印象は違うが。




