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あなたの視線

婚約破棄よりフレンとオルフェリアの日常話


 カランと扉のベルが鳴る。オルフェリアは入口へと視線を向けた。

 貸本屋『ひまわり』の中へ入ってきた男性は、帽子を取りオルフェリアに軽く片手を上げる。夏用の瀟洒な上着を身にまとっている青年はオルフェリアの婚約者フレンである。

 フレンはオルフェリアに視線だけで挨拶をすると、書架の方へ足を向ける。

 オルフェリアはカウンターの中でつい彼の動向を目で追ってしまう。心の中が落ち着かない。

 なんだか自分だけがそわそわしているようで面白くない。彼はオルフェリアの視線に気づいているのかいないのか。新刊が並べられた棚をじっくりと吟味をしている。

 全部ロルテーム語で書かれた本である。

 ここアルメート共和国の港町ダガスランドはロルテーム語が公用語として使われているからだ。

 店内に客はまばらで、のんびりとしている。

 オルフェリアはカウンターの中で貸し出し客リストの整理をしていたところだ。

 オルフェリアがざわついた心を落ち着かせて仕事を再開して少しすると、フレンが本を差し出してきた。

「貸出いいかな?」

 オルフェリアはこくりと頷いてフレンが差し出した書籍の裏表紙を開く。

 淡々と貸出処理を進めていく。この間二人は沈黙したまま。

 フレンが話しかけてきたのはオルフェリアの作業が終わってフレンに貸出手続きの済んだ書籍を渡したとき。

「もうすぐお昼休み?」

 彼はカウンターに肘をついて気安く話しかけてくる。

 業務中に私語をするのがなんとなく嫌でオルフェリアはむっつりと黙ったままだ。

「私も丁度暇なんだ。一緒に昼ご飯にいこうか?」

 彼はわざとフランデール語を使ってくる。お互いロルテーム語で話せばいいのに。

 オルフェリアは困惑気味に口を中途半端に開く。

 こういう無駄な会話をする意図が分からない。彼はオルフェリアがどんな返事をしても、結局は店の外で待っているのだ。

 オルフェリアがどう対応していいのか思案しているのをフレンは暖かく見守ってる。というかもしかして遊ばれている?

 とりあえずオルフェリアは自分の職務を遂行することに決めた。

「……お客様、返却期限は二週間後です」

 丁寧にゆっくりとロルテーム語で発音してやると、フレンはおやっと片眉を持ち上げて苦笑を漏らした。

 用は済んだはずなのに彼は一向に立ち去ろうとしない。

 オルフェリアは眉を寄せる。

 どうしたものか、と頭を悩ませていると奥の扉が開いた。

「オルフェリア、そろそろ昼休憩だろう。あとはわしが代わるからゆっくりご飯でも食べておいで」

 店主の言葉にオルフェリアはタイミングが悪すぎるわ、とため息をついた。

 なんとなく、フレンの筋書き通りで面白くない。



 オルフェリアはフレンに連れられるまま通りを歩いて、広場へとやってきた。

 まっすぐ縦横に伸びる道の何区画ごとかに作られている広場。公園のように木々が植えられ、ベンチも置かれている市民の憩いの場である。

「フレン、わたしは仕事をしているのよ。私用の会話は駄目だわ」

 オルフェリアは彼に手を引かれながら文句を言った。

 フレンはそんなオルフェリアの様子を気にかけることなく上機嫌だ。

 広場の奥まったところにあるベンチに座らされたオルフェリアは彼から差し出された袋を手に持った。

「仕事をしているオルフェリアの元に通うのって新鮮だよね。貸本屋に通ううちに私がきみを口説き落として恋人同士になって、こうしてご飯を一緒に食べる、とか想像すると。そういう出会い方ももしかしたらあったんじゃないかって思えるんだ」

 隣に座ったフレンはオルフェリアのかけている分厚い眼鏡をはずした。

 オルフェリアはフレンの言葉を頭の中で咀嚼する。

 そういえばオルフェリアはミュシャレンでも貸本屋で働いていた。彼はそこでも会員登録をしていたのだった。

 その頃のオルフェリアはフレンのことをたまにやってくる上級会員そのいくつ、くらいにしか認識をしていなかった。

 彼の口にした、口説き落とすという言葉にオルフェリアは顔を赤くした。

 現在オルフェリアは父バステライドのけがの治療に一区切りがつくまでダガスランドに残っている。

 父の世話は母であるカリティーファが一手に引き受けているためオルフェリアの出番は少ない。

 そんなわけでオルフェリアは相変わらず貸本屋での仕事を続けているし、シモーネともたまにお菓子を食べに行ってはお互い舌戦を繰り広げる。

「こうして二人で外で昼食を取るのもいいよね」

 フレンは始終にこにこしっぱなしである。彼の表情を見たオルフェリアは、自分だけ真面目すぎるのかしら、と脱力して袋の中身に視線を落とした。中からサンドウィッチを取り出して口へ運ぶ。

「おいしい……」

「このあたりの人気店だって」

 蒸した鶏肉と葉野菜、それから卵と牛乳で作られたソースにはほんの少しだけ香辛料が混じっていて、口の中でぴりりと刺激が加わる。

 オルフェリアの素直な感想にフレンが自慢げに口を挟む。

 なんだかんだとフレンはまめだ。

 ダガスランドではオルフェリアも肩の力を抜いて、名家の令嬢ではなくどこにでもいる少女のように過ごすことができる。こんな風に恋人と広場の一角に腰を下ろして昼食を取ることだってできる。

 それはフレンも同じなのか、ほんの少しだけディルディーア大陸にいるときよりも砕けた言動をしている。

「そういえば。近くのおいしいって評判のクラブがあるらしいだ。今度行こうか」

「いいの?」

「ああ。私と一緒の時だけね」

「なあに、それ」

「港で取れたエビ料理が看板らしいよ」

 それは楽しみかもしれない。

「こっちはエビ料理が多いわよね。わたし、ダガスランドに来て一生分のエビを食べた気がするわ」

「オルフェリアはエビ好きだよね」

 フレンの言葉にオルフェリアはじっと考える。オルフェリアの母国アルンレイヒは内陸国で、川魚を食べることはあっても海の幸など滅多にお目にかかれるものではなかった。ロルテームやアルメート共和国に来てから食べる機会が増えた。

 その中でもエビは割と食べやすい。酢漬けのニシンは最悪だったけれど。

「そうかも」

「オルフェリアは気に入ったものを黙々と食べ続けるからわかりやすいよね」

「そんなこと……ないわよ」

 オルフェリアは眉間にしわを寄せる。

「そうそう、シモーネの出ている舞台もわりと評判いいみたいだよ」

「そうなの?」

 話題が代わりオルフェリアはフレンを仰ぎ見る。

「ああ。主演の女優の演技もいいし、あと端役だけど悪役のシモーネが堂々としていていいって」

「シモーネ、絶対に素だと思うの」

「それ言ったら怒られるんじゃないかな」

「もう言ったわ」

「そしたらなんて?」

「わたしあんなに性格悪くないわよ、ですって」

 オルフェリアは肩をすくめた。

 フレンは笑い声をあげた。

 二人は休憩時間の間中寄り添い他愛もない話をした。

 それだけでオルフェリアは楽しくて仕方ない。

 休憩時間が終わるころ、フレンはきちんとオルフェリアのことを職場まで送り届けてくれた。

 それでちゃっかり彼も店に入って、別料金を払って書架の本を店内で読みだすのだから質が悪いと思う。

 オルフェリアは仕事の最中も気になってちらちらとフレンの方を見てしまう。

 フレンはさっきからまじめな顔をして本を読みふけっている。

 彼が読んでいるのは確か経済学の本だったはず。

 オルフェリアは彼に自分の方を見てほしいのかほしくないのか分からなくなって、そんな風に考えてしまう不真面目な自分が嫌になって頭を軽く振った。

 今は仕事中なのだから。まじめに、仕事に集中しないと。

 それでも、普段はあまり見るのことのない彼の集中した顔がなんだか格好よく見えてしまって、やっぱり何度か彼の方に視線を向けてしまう自分が恨めしい。

 これは相当フレンに参っているなあと思うのだけれど、そんな自分が嫌にならないのだからやっぱり恋は色々とまずいと思う。


◇ ◇


 二人きりで並んで座ったオルフェリアは編み物の傍ら、何度かフレンを見上げる。

 彼は真剣な表情で新聞を読みふけっている。

 彼が読んでいるのはフラデニアから届いたばかりの新聞だ。

 ロルテームの主要な新聞は毎朝目を通していて、それは大抵オルフェリアが起き上がる前のこと。というかオルフェリアが遅起きなのは、フレンがオルフェリアを遅くまで寝かせないことに原因があるのだがフレンはいつもオルフェリアよりも早く目覚める。最近はオルフェリアもフレンと同じような時刻に目を覚ますことが多くて、そうすると彼は朝食が終わりコーヒーが運ばれてくると新聞を広げ始めてしまうのだ。

 今だってフレンはオルフェリアの視線に気づきもしない。

 熱心に記事を目で追っている。経済新聞から社会派のものまできちんとすべての記事に目を通している。

 オルフェリアも一応社交欄には目を通すが、難しい経済のことはまだ苦手だ。

 こういうときのフレンの顔がオルフェリアは好きだ。

 何かを考える真剣な眼差し。それはオルフェリアを見つめるときの、柔らかなものとは全く違う。きりりとした表情を眺めるオルフェリアは、結婚前にも同じようにフレンに見とれていたことを思い出す。

 あの頃と今とではずいぶんとオルフェリアの身辺も変わったけれど。彼を好きなことはずっとこれからも変わらない。

 と、じっと見つめすぎたのかフレンの視線が新聞から外れた。

「どうしたの、オルフェリア」

「ううん。なんでもないの」

 オルフェリアは自身の持っている編み物棒に視線を落とした。

 あなたに見とれていました、なんて恥ずかしくて言えるわけもない。

「そう。靴下仕上がった?」

 フレンは新聞を長椅子の前のロウテーブルの上に置く。

「もうすぐ」

 だってしばらく手を止めていたから。

「ひと段落したら私のものも編んでほしいな」

「フレンのを?」

「だめ?」

「だめっていうか……」

 今編んでいるのはこれから生まれてくる赤ん坊のものだ。とても小さな靴下は集中すれば一日でいくつも編めてしまう。

 けれど夫の靴下なんて、考えるとちょっと恥ずかしい。

「いいなあ。おまえはオルフェリアのお手製の靴下を履くことができて」

 フレンは膨らんできたオルフェリアのお腹を優しく撫でる。

 彼は日に何度も赤ん坊をあやすように、オルフェリアの腹に手を添える。

 嫉妬交じりの口調なのに、その声はとても甘くて。オルフェリアはきゅっと瞳を閉じる。じゃないと幸せが溢れて零れてしまいそうだから。

「えっと、じゃあ。もうあといくつか編んだ後」

「本当? 約束だよ」

 フレンは嬉しそうにオルフェリアのことを抱き寄せた。

 

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