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ユーディッテ 冬の休暇3

 最初こそ緊張したユーディッテだったが、トルデイリャス領での休暇は思いのほか快適だった。

 アレシーフェの街で紹介された人たちはみんな気さくでよい人たちばかりだったし、リシィルの家族もみんな親しみやすい人ばかりだった。

 現在身籠っている前伯爵夫人は青い顔をしながらユーディッテに挨拶をしてきたが、これは彼女の平常運転とのことだった。

『うちのお母さん、人見知りが激しいんだ。最初はあんな風だけど、打ち解けてきたら口から心臓を出しそうな顔はしなくなるから』

 リシィルはあっけらかんと説明をしていたが、身籠っているのに口から心臓を出したら駄目だと思う。逆にユーディッテの方が心配してしまう。

「ここが旧市街の中心なのよね」

「まあね」

「ここで歌うの?」

「うーん。どうしようか」

 今日リシィルとユーディッテはアレシーフェの街に散策にやってきた。時間はお昼一刻前だ。街には年暮れ特有の、雑多な空気に満ち溢れていた。

 下見のようなことをしているのは、リシィル発案の年明けの鎧祭りの際一曲歌ってほしいと言われているからだ。

 伯爵家で歓待されている身のため歌うだけでよいのなら一曲と言わずいくらでも歌うつもりだ。

「今年はさ、去年みたいな目玉がなくていまいち盛り上がりに欠けるんだよ。オルフィーたちも里帰りしないし」

「さみしいわね」

「本当だよ。結婚した途端に独り占めするなんて、おっさんの発想は嫌だね」

 リシィルはオルフェリアが里帰りしないのがよほどさみしいらしい。何度も同じ言葉を口にしている。

 昨日ミュシャレンから帰郷した現メンブラート伯爵リュオンも同じようなことを言っていた。

 似た者姉弟ね、と言ったら『わたしはリュオンみたいにこじらせていない』と嫌そうに返された。

「そうね。来春にオルフェリア様はルーヴェに立ち寄るんでしょう。その時にあなたもルーヴェに出てきたらいいじゃない」

 オルフェリアはルーヴェ経由でロルテームへ引っ越す予定にしている。

「そうなんだけどさ。お母さんもその頃はますますお腹が重くなっている頃だし。今すぐうんと言えない」

「リルお姉さんだものね」

「わたしがしっかりしないとね」

 だから祭りも盛り上げる、とリシィルは続けた。

 ユーディッテはその後鎧祭りの模擬試合が行われる会場へと案内された。

 こちらは新市街寄りにある公園内に整備された場所だ。

「ここで去年フレンが決闘したのよね」

「うん。オルフィーを賭けてリュオンとね。あれは盛り上がったなあ。ものすごくいい余興だった」

 リシィルはしみじみと頷いた。

「もう。だめよ、弟の思いをだしにしちゃ」

「あれで吹っ切ると思ったんだけどね」

「フレンが負けていたらどうするつもりだったの?」

「それはそれで仕方ないかな、と」

 リシィルはさっぱりした口調だった。

 オルフェリアが聞いたら怒るに違いない。

「今年は目玉がないんだ。誰か決闘する人いないかなって思って探してみたんだけど、これが全然いなくてさ」

「そりゃあ、普通に暮らしていたら滅多にないわよ、そんなシーン」

 少なくともユーディッテの周りでは聞かない。

 そもそも決闘なんて貴族階級のものではないか。

「腕相撲大会じゃいまいち地味だし。国境警備隊の模擬試合だけっていうものね」

「あら、わたしの歌だけじゃ物足りないのかしら」

 ユーディッテは腰に手を当ててわざと芝居がかった声を出した。

 ぷうっと膨れて見せる。

「そんなわけじゃないよ。ユーディの歌、わたし好きだよ」

「ありがとう」

 リシィルはこの春ルーヴェに滞在した時何度か稽古場にも顔を出した。フレンが一緒なら大抵のところに出入りが許されるからだ。

 リシィルは女優としてのユーディッテを知る前に友達になった貴重な人間だ。その彼女がほめてくれるとこそばゆい。

「ただ、賭けが警備隊の模擬試合だけっていうのがねえ……」

 しみじみ言う台詞が賭け事ということにユーディッテはぷっと吹き出してしまった。



 午後からは馬車に揺られてトルデイリャス領の南部へと連れてきてもらった。

 冬のため、ブドウの木からは葉っぱが抜け落ちて茶色の幹のみが地面からまっすぐに生えている。物悲しい風景だけれど、春になり夏になると明るい緑色があたり一面を埋め尽くすという。

 緑色の合間から集落の明るい茶色の屋根や教会の尖塔が見え隠れする光景はきっととても美しいに違いない。ユーディッテはルーヴェ生まれで育ちもそのままルーヴェなので田舎というものがない。

 友達や知り合いが故郷の光景を懐かしそうに語る光景をこれまで何度も目の当たりにしてきたけれど、それはこんな風な光景だったりするのかな、などと考えた。

「小さな村だけれどね。昔からいい葡萄酒をつくるんだ」

 葡萄畑に囲まれた集落は積み上げられた石でできた家々が十数軒固まった、本当にこじんまりとしたものだった。井戸の周りで会話をしていた女将さんたちがリシィルに気が付いて慌てて近寄ってくる。

「これはこれは、伯爵家のお嬢様。ようこそおいでくださいました」

「ああ、突然でごめんね。友人に自慢の葡萄畑を案内している最中なんだ」

 おかみさんのスカートのすそには小さな子供がしがみついている。

 新参者のユーディッテをじぃっと見上げている。

 目が合ったのでユーディッテはにこりと笑いかけた。金茶色の髪をしたえくぼのかわいい男の子だ。

 彼は、笑いかけたユーディッテを見上げて、慌てて顔を下に向けた。

 まだ年端もいかない子供だ。

「まあまあ、自慢だなんて。ありがとうございますお嬢様」

「せっかくお越しいただいたのに、冬場だもんであんまりいい景色も見せることができずに申し訳ないですわ」

「しょうがないよ。こっちも急だったしね。村長はいる? できれば試飲もしたいんだけれど」

 リシィルの要望に別の女性がさっとその場から離れた。

 少ししてから、細身の老人を連れてきた。彼が村長なのだろう。その頃には村人たちがわらわらと外へと出てきていた。

 リシィルは村人たちと朗らかに会話をする。

 内容は今年の葡萄のできとか、来年の出来の予想や、オルフェリアの結婚の祝いの言葉まで様々だった。村人たちはリシィルを心から尊敬しているようだ。言葉の端々に感じることができた。

 春に初めて出会ったとき、リシィルは生れてはじめてのルーヴェの街に興奮して、気に入ったと言ってなかなか故郷へ帰ろうとしなかった。

 田舎から出てきた人間はルーヴェの華やかさに圧倒されて、すぐになじんでいく。まるで生まれも育ちもルーヴェ、というように。それでも彼らは故郷の話になると急に饒舌になる。水がおいしい、食べ物がおいしい、緑が濃いなどなど。

 リシィルも故郷の話をいくつか披露してくれたけれど、彼女はもう一つユーディッテに心の内を吐露した。おそらくユーディッテだからこそ、彼女は内緒ごとを打ち明けた。

 けれど、今自分の隣にいる少女は、間違いなく伯爵家を背負う者の顔をしている。

 普段は破天荒な言動をしているけれど、彼女の顔は領民を愛しんでいる、伯爵家の人間のそれだ。

「ユーディ、せっかくだから飲んでいってよ」

「ええ。ぜひとも味見させてもらうわ」

 リシィルの提案にユーディッテは即答する。

 お酒に目がないからだ。

 村長が村の貯蔵庫を案内する道すがら、ユーディッテは葡萄酒の作り方や村の成り立ちなどを聞かされた。

「我々はずっとメンブラート大公様にお仕えしております。それはもう、遠い昔からずっとですじゃ」

「メンブラート伯爵、だよ」

 リシィルはやんわりと村長の言葉を訂正した。

「同じことですよ。わたしたちにとってメンブラート様は今も昔も大公様の御血筋ですから」

 村長はすっかり白くなった眉毛を下げて、同じく白いあごひげをなでる。

「まったく。そういうことをよそで言うんじゃないよ」

「わかっております」

 村長はにこにこと返す。

 リシィルの故郷に来れてよかったな、と思った。

 そろそろ帰るよ、と言ってあっさりと故郷へ戻っていったリシィル。その後どうなのかな、と心の隅で何とはなしに思っていたけれど、彼女はきちんと地に足をつけて自分の道を歩いている。

 だったら、わたしはどうなんだろう。

 ふと、思った。

 ガラス製のカップに注がれた琥珀色の液体。かぐわしい香りが鼻をかすめる。

 ユーディッテ・ヘルツォークは、これから先何を糧に生きていくのか。

「ユーディ?」

 カップをじっと見つめたままのユーディッテにリシィルが不思議そうに声を出した。

「ううん。なんでもないわ。おいしそうね」

 ユーディッテは慌てて意識を現実に引き戻した。

 そしてくいっとカップの中身を飲む。ふんわりと葡萄の香りが口の中に広がる。白い葡萄から作られる酒は辛口の方が多いのに、これはとても甘い。

 女性が大好きそうな味のものだ。

 素直な感想を言うと、「このあたりの男どもは甘い酒も大好きですぞ」と村長はカッカと笑った。

「ルーヴェには置いていないのかしら」

 食後に飲みたい味だ。チーズやハムと一緒に、というよりは食後の甘いものの代わりに飲みたい、そんな味だ。炭酸水で割ってもおいしいかもしれない。そうしたら稽古の最中でも飲めるかも。などと考える。

「ルーヴェの方はまだみたい。一応フラデニアにも輸出しているんだけれどね。近しい地域どまりみたいだよ。ミュシャレンの酒屋には置いているみたいだけれど。というかこのあたりの地方ではわりと作られている酒だから」

「そうなの。早くルーヴェでも気軽に飲めるようになってほしいわ」

 ユーディッテは心底残念な声を出す。

「そんなに気に入ったんなら、お土産に持って行くといいよ」

「いいの?」

「うん。ユーディにはルーヴェでも世話になったし」

「わたし、なにもしていないわ」

「そんなことないよ。一緒に酒を飲んでくれたし、愚痴も聞いてくれただろう」

 一同は建物の外へと出る。

「お嬢様の友人の方に気に入って貰えて、こちらもうれしい限りじゃ。ぜひともお納めくだされ」

 村長の言葉も後押しとなり、ユーディッテは好意に甘えることにした。

 村長が村人に言って、葡萄酒の瓶を何本か取ってこさせる。

 リシィルや村長の好意だけれど、ユーディッテは何か代価を支払いたい。

 けれどお金を出す場面でもないし、ユーディッテにできることといえば。

 それはもう。これしかない。

 小さな村の広場の水場で馬車の馬たちが水を飲んでいる。

「あの! 葡萄酒のお礼にわたし、歌を歌うわ」

 ユーディッテはおずおずと申し出た。

 リシィルは目をぱちくりとさせた。

 それは他の村民も同じだ。

 リシィルは、ユーディッテのことを自身の友人としか紹介していない。一言も女優だとは言っていないのだ。だから、村の人間たちは伯爵家の令嬢が連れてきた友人が突然歌うと宣言をして口をぽかんと開いた。

 面白がったのはリシィルただ一人だった。



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