伯爵家令嬢4
「なんだい、もう帰るのかい」
出発の日。カルラは名残惜しそうな声を出す。
なんだかんだと長逗留をしてしまった。ルーヴェは刺激的な街だった。トルデイリャスには無いものがたくさんあって、新しい建築物だとか列車だとか、そういうものをこの目で見れたのはよかったと思う。
「うん。そろそろ領地のことも心配だしね。お祖母さんもありがとう、よくしてくれて。嬉しかった」
リシィルが本気の気持ちを込めてそういうとカルラは虚を突かれた様に少し目を見開いて、それからゆっくりと口の端を持ち上げた。
「歴史ある貴族のお嬢さんだから、どういう子が来るかと思ってたら、ずいぶんとくだけたお嬢さんでびっくりしたよ。けれど、オルフェリアのお姉さんだね。いい子で安心したよ。またいつでもおいで。女の子ならいつでも大歓迎さ」
「ありがとう。オルフェリアのこと、よろしく頼むよ。あの子、あんまり感情を表に出さないけれど、その分ため込みやすくて、繊細なんだ」
「あんたも、同じだと思うよ」
カルラはくつくつと笑った。
笑われたリシィルは思い当たる節がなくて首を小さく傾けた。繊細だなんて、まったくこれっぽっちも自覚がない。
「まあいいさ。道中気を付けて」
「お祖母さんも健康に気を付けてね。オルフィーとフレンの結婚式、楽しみにしているよ。あと、お土産もドレスもありがとう」
リシィルはカルラを抱きしめてから表へと出た。
馬車寄せにはすでに支度の整った馬車が停まっている。
行きよりもずいぶんと大荷物になったのはカルラからたんまりと土産を持たされたからだ。
なんだかんだと気に入られてしまい、ルーヴェ滞在中にドレスをいくつか作られ、それを持たされた。
ユーリィレインが聞いたら悔しがるようなレエスも刺繍もたっぷりとついたきらっきらのドレスである。
思い切り宝の持ち腐れだが、カルラの善意なので黙って受け取ることにした。これを着たら、もう少しおとなしくなるだろうか。
馬車に乗り込むとクルーエルが内側から扉を閉めて、やがて動き出す。
「あんたも、いい経験になったんじゃない? フレンに色々と連れまわされていたんだろう?」
リシィルはクルーエルに水を向ける。
リシィルは基本的に執事同伴で行動しない。その分フレンがクルーエルを連れまわして、商会の経理の見方だとかルーヴェ最新設備の視察に同行させていた。見聞きしたものは全て彼の糧になるから、と。
かなり余計なお世話である。
「ええまあ。リュオン様がルーヴェに赴くことがあってもきちんと案内できます」
「ああそう。そっちか」
まじめなクルーエルはリュオンに忠誠を誓っている。カリストの頼もしい後任だ。
「確かに、大きな商会のお金の管理の仕方を直接見せていただき、よい経験になりました。ミュシャレンよりもさきにルーヴェの街を見せていただき、それもよい経験になりました」
カリストの一族らしい言葉である。
彼らは元は公国だったトルデイリャスとメンブラート家に心酔しており、その分アルンレイヒの現王家を軽んじているところがあるからだ。
いまはリシィルが何を言ってもしょうがない。こういうのは、きっと今後リュオンがしっかり手綱を握っていくことになるのだろう。
ルーヴェ中央駅には先客がいた。
「あんたもこれからミュシャレンに帰るんだって」
「ああ。ようやく仕事がひと段落したんだ」
フレンである。
同じアルンレイヒ方面だが乗る列車は違う。行先が分かれるからだ。
駅舎は鉄柱がむき出しで、屋根にはガラスが一部使われている。とても近代的な造りで、こういうものを見れたのも良かったと思う。現在トルデイリャス領では、フラデニアの列車を延伸しようという案が持ち上がっている。取りあえずフラデニアの国境の町まで。国内のことなら、ファレンスト商会が鉄道会社に出資をすれば実現するだろうと言っていた。
トルデイリャス領へ、となるとまだまだ前途は多難だ。超えるべき問題は山積みだし、こういう先進的なことを取り入れようとすると必ず反対をする保守層がいるからだ。
「少し長居したけれど、楽しかった。自分でも気づいてなかったくらい、わたしも気を張っていたんだろうね。息抜きができて楽しかったよ」
そうやって自分で認めることができるくらいには回復をしていた。
そろそろ故郷が恋しい。食べものも人も森も全部。
「そうか。それはよかった。たまには出歩くのも悪くないだろう」
「まあね。ユーディとも友達になれたし」
「あんまり彼女を変なことに巻き込まないように。彼女はうちの大事な看板女優だからね」
「わかっているって。いつかトルデイリャス領においでって招待したんだ」
リシィルは笑った。
ユーディッテもいろいろなものと戦ってる。
誰だって、なにかしら窮屈なことを抱えている。
「それはいいね」
「うん。祭りで歌ってもらうと思って」
「……」
ちゃっかり発言にフレンが絶句する。
ユーディッテに提案してみたら、面白そうだと言ってくれたからいいじゃないか、と思う。
出資者が狭量だとユーディッテが苦労するなあなんて思った。
「お嬢様、そろそろ時間です」
クルーエルが呼びに来る。
「はあい。今行くよ」
「リシィル嬢、道中気を付けて」
「ありがとう。フレンにも世話になったね。オルフィーのことよろしく頼む」
リシィルはフレンに向かって手を振った。
「きみに言われなくてもオルフェリアは誰にも渡さないし、彼女を守るのは私の役目だよ」
フレンはリシィルの目を見てしっかりと頷いた。渡さないって、別にあんたのものじゃないんだけど、と問い詰めてやりたくなったが、あいにくと時間がない。
それについてはまた今度じっくりと話し合おうと心に決めてリシィルはクルーエルと共に列車に乗った。
リシィルがオルフェリアの心配をする時間はもう残りわずかなのかもしれない。
彼女はフレンの想いを受け入れるだろう。そうしたら彼女の隣には今後、夫という立場でフレンが並んで、オルフェリアを守っていく。
それを思うとさみしかったけれど、仕方ないのだなとも思った。
「ごきげんよう、フェルート様。お久しぶりね」
リシィルは優雅に腰を折った。
「また、ずいぶんと……その……」
「フェルート様。わたくしはメンブラート家の伯爵令嬢ですのよ。なにを驚いているのかしら」
リシィルは意図して普段よりも高い声を出した。小さく首をかしげる仕草は、ルーヴェで一度だけ観劇したメーデルリッヒ女子歌劇団の娘役を参考にした。
ユーディッテの舞台も見たかったけれど、現在新作公演に向けて練習中でフリージア組は休演だったのだ。代わりに練習する様子を見せてもらった。彼女の声はとても張りがあって、普段の声とはまるで違っていてびっくりした。高い声なのに、声に芯が通っていて深みがあり、リシィルの心にまっすぐに届いた。
とてもいい声だった。
赤いドレスを身に着けたリシィルは淑女らしく白い手袋をはめて、小さな帽子を頭にのせている。靴はかかとの高いエナメルのもので、全身セットでカルラが見立ててくれた。どうやらカルラの趣味はお人形の着せ替えらしく、オルフェリアに対しても同じことをしたのだと、楽しそうに目を細めていた。
ユーヴェ最新流行をまとったリシィルは別人のようにあか抜けていた。
帰りの国境審査の席でのことだ。
リシィルは例のごとく応接間に通されてお茶を供された。時候の挨拶を交わす段階でフェルートが絶句したのだ。
「わかっている……。だったら普段からそれらしい恰好をすればいいだろう。いいか、絶対に単身馬に乗って詰め所に来るんじゃないぞ」
フェルートは最初の衝撃から立ち直ったらしい。いつものように渋面でリシィルに忠告をする。
リシィルも、いつもならこの段階でプチンと頭の中で糸が切れて普段使いの言葉で受け答えをするところだ。
しかし。今日は違う。
「まあ、わたくしはメンブラート家の長女ですのよ。領地の視察をすることのどこがいけないのかしら」
不敵に微笑めばフェルートはぐっと詰まった。
(まずい……これはこれで面白い)
リシィルは内心ほくそ笑んだ。
これまでのお転婆とのギャップのためか、フェルートはおしとやかなお嬢様口調のリシィルをどう扱っていいのか測りかねている。
「それでは、ごきげんよう」
大弱りなフェルートが面白くてかわいくて、しばらくはこの路線で彼をからかってやろうと心に決めたリシィルだった。
ちなみに、屋敷についた途端ドレスを脱ぎ捨て普段着に着替えて遠乗りに出かけた娘に、カリティーファは盛大に嘆いたのだった。




