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伯爵家令嬢3

 翌日ユーリィレインは寄宿学校に編入を果たした。

 学校の応接間まで付き合ったリシィルは、学校支給の制服に身を包んだユーリィレインが教師に連れられて出ていくのを見送ってから学校を後にした。少し目が赤かったけれど、なんとななるだろう。

 石造りの堅牢な建物に十三から十七までの少女たちが集められ厳しい規律の元集団生活を行う。

 生徒数は全部で三十人ほどとのことだった。

 リシィルは応接間で寄宿学校の建学の精神や教育方針、学校生活における規律などを丁寧に説明をされた。保護者の代理としてリシィルは普段のお転婆を完全に封じ込めて清楚な微笑みを顔に張り付けて学校の教員に接した。

 教員はメンブラート家の名前を存じ上げており、「必ずお嬢様を家名に恥じぬ立派な淑女に教育します」と請け負った。こういうとき、六百年を誇る実家について改めて実感する。

 リシィルの知らないところでもメンブラート家の名前は威力を放っている。

 かつての公国で、多くの王侯貴族と姻戚関係をもつ家系。家系図を紐解けばどこぞの王家へ娘が嫁いだとか、婿養子に行ったとか、そういう話が枚挙する。

 そういう意味ではディルディーア大陸の主だった一族とはほぼ親戚同士になる家柄なのだ。

 リシィルは執事のクルーエルと一緒にルーヴェへと戻った。

 妹が一人いないだけで妙にさみしい道中だった。




「フレンさは、オルフェリアのどこが好きになったの?」

「なんだい、唐突に。というかきみはいつまでルーヴェに居座るつもりなんだ?」

 質問に質問に返されてリシィルは眉を跳ね上げる。

 リシィルはユーリィレインを送り届けた後もルーヴェにとどまっている。リシィルがルーヴェにとどまっていると必然的にクルーエルも足止めをされているが、優秀な彼は顔には出さない。

 その代りにフレンの方が先に文句を言ってきた。

「馬主の集まりに顔を出すって言ったじゃないか」

「それは聞いたけれど、いくつか顔を出しただろう」

「うん。思ったよりも楽しかったし、みんないい人だった」

 リシィルはフラデニア人のあまり形式にこだわらない柔軟な態度や考え方が好きになった。

 とはいえ、人それぞれ貴族階級には威張っている人間だっているし、リシィルが受け入れられたのは加盟によるところだってあるのは十分にわかっている。リシィルだっていつまでも子供ではないから、自分の家の名前の価値がどういうものか、ということくらい把握しているつもりだ。

「それならよかった。成果が十分にあったのならさっさとトルデイリャスへ帰ったらどうだい?」

「うわ。あからさまに追い払われている。だいたい、ここはフレンの屋敷ではないだろう。カルラ御祖母さんだって、好きなだけ居たらいいって言ってくれているよ」

 リシィルが現在滞在している屋敷はフレンの祖父母の屋敷だ。

 フレンはルーヴェ市内中心部からそう離れていない地区に別途こじんまりとした邸を持っていて、そこから仕事に通っている。

「お祖母様は女性には甘いんだよ。元々可愛いドレスとかを着せるのが好きだからね」

「ああそれね。わたしもドレス選びさせられて閉口した。世話になっている身だから受け入れたけど、おおよそわたしらしくないだろう。こういうドレス姿って」

 現在リシィルは室内着にしてはやや派手なドレスを着ている。

 普段のリシィルからは考えられないくらいの代物だ。赤とピンクの中間色はスカート部分にひだをたっぷりと取り、後ろで大きなリボンで止められている。室内履きだって、走ったら破れるのではと思うような薄く繊細な絹のものだ。刺繍で花模様が刺してあり、リシィルには似つかわしくない。

「そう? 今のきみはどこからどうみてもいいところのご令嬢だよ」

「ああそう。そりゃどうも」

「でも、どうせならオルフェリアのそういうドレス姿が見たかった」

「まごうことなき本音だね」

「当たり前だろう」

「だったらわざわざ顔を見せに来る必要もないのに」

 律儀な妹の婚約者は、婚約者の姉への気遣いのつもりか仕事の合間にこうして顔をのぞかせる。

「きみがルーヴェで悪さしていないかオルフェリアが心配しているからだよ。なに酒飲んでこん棒振り回しているんだ」

「ああ……あれね……」

 リシィルは目を泳がせた。

 喧嘩は売らない買わない関わらない。カリティーファから言われた言葉を一つも実行できていない。

 ルーヴェに戻って早々、フレンに友人を紹介してもらった。

 彼の仕事先で支援しているという劇団の女優たちで、酒の趣味が合い意気投合した。

 最近になってフレンはオルフェリアと手紙のやり取りを始めた。その前からユーディッテらはオルフェリアに手紙を書いており、その流れの中でそんな話になったのだろう。

「オルフェリアに余計な心配をさせるな」

「うるさいなあ。あんたはあれか、一丁前にオルフィーの夫のつもりか」

 リシィルは意趣返しも込めて言ってやる。

 現在絶賛片思い中のくせに、という意味を込めた視線を送ってやるとフレンは彼女の言いたいことを正確に理解したらしい。悔しそうに口元を歪めた。

「別にオルフィーの心配には及ばないし、そのうち帰るよ。アレシーフェの街のことも心配だし」

 ただ、大きな街に来て新しいものに出会って、それが思いのほか面白かった。

「だったら早く帰ったらどうだい」

 フレンはリシィルを追い出しにかかりたいらしい。

「あんたはさ、オルフィーのどこが好きになったんだ?」

 リシィルは冒頭の台詞をもう一度言った。質問にはまだ答えてもらっていない。

「というか、どうして私がオルフェリアのことを好きだという前提なんだ」

「あれ。違うんだ。ま、友人だって言うならそれでいいけど。オルフィーにフレンは合わないよね。おっさんだし。偽装婚約が終わったらカリストあたりが近隣の領地の倅でもあてがうんじゃないかな」

 往生際の悪いフレンにリシィルはそらっととぼけた返しをした。

 それを聞いたフレンは「そんなこと私が許すはずないだろう」と畳みかけた。かなりわかりやすい。

「じゃあ認めるんだ」

 フレンは肺の空気をすべて出すように長く息を吐いた。

「ああ。私はオルフェリアのことが好きだよ。これでいいかな」

 お互い向かい合うようにファレンスト家の私的な居間の長椅子に座っている。

 彼の態度は年末の滞在時中でわかりやすいくらいわかりやすかったけれど、彼の中ではおそらく何かしらの葛藤があったのだろう。

「うん。そっか、やっぱり好きなんだ。どこがそんなにもよかったの? やっぱり顔?」

「そんなわけないだろう。……やっぱり、私が相手だと不足なのかな」

「いや、単に聞いてみたくて。フレンはメンブラート家の家名とかどう思ったのかな、とかその辺も。それに、あの子結構辛らつだし、あんたも喧嘩していたじゃないか」

 なんとなくフレンに聞いてみたくなった。

 彼はメンブラート家の名前をどう思っているんだろう。

「確かに。最初は苛立ったこともあったよ」

 フレンは思い出し笑いをする。

 苛立つとか言っている割にその瞳はやわらかくて、現在彼がどれくらいオルフェリアを大切に思っているかうかがい知れるような声色だった。

「けど、ふとしたときに見せてくれる本音とか、笑顔とかそういうのに惹かれていった。最初は仕事の相棒でしかなかったのに、私にもっと感情を見せてほしいって思うようになっていったんだろうね。可愛いって思うよ。怒っている顔ですら愛おしいんだ」

 思った以上に激甘な言葉が返ってきてしまい、リシィルはフレンの頭のねじが一つ二つはずれているな、などと失礼な感想を持った。

「私に対して遠慮をしないでほしいし、もっと甘えてほしい」

「もういい分かった」

 放っておくと延々と垂れ流されそうでリシィルはフレンの言葉を遮った。

 フレンは名残惜しそうに口を閉ざした。

「それで、メンブラート家の名前については?」

「ああそっちか。私は別に貴族じゃないからね。歴史のある伯爵家のお嬢さんの割にはお高く留まっていないな、とは思ったけれど」

「ふうん」

 リシィルは聞いた手前一応相槌を打った。

 オルフェリアだって口ではああいいつつも態度は丸わかりで、あきらかにフレンに対して恋心を抱いている。

 それはもう盛大に。妹の変貌ぶりに喜ぶべきなのか寂しがるべきなのか、ちょっとわからない。

「ま、オルフィーにとってみたらいい傾向だと思うけどね。家族以外の人と接して、明るくなったよあの子。ユーディもいい子だし」

 年上の女優を捕まえてそんな評価を下すリシィルだ。

 素のオルフェリアを好いてくれていて姉としては嬉しい。彼女とは酒の趣味も会うし、美人なのに気取ったところがなくて好感を抱いた。それを本人に言ったら『あなたも相当の美人さんなのに気取っていないじゃない』と返された。リシィルはあまり自分の顔に頓着が無いからきょとんとした。

 聞きたいことは聞けたのでリシィルは立ち上がった。

 今日はこれからユーディッテと約束がある。

「じゃあ、わたし出かける準備があるから。あんたもさっさと仕事に戻れば」

「ああそうするよ。あと、人のことをおっさん呼ばわりすることは金輪際やめてもらいたいね」

 リシィルは出て行こうと、扉に向けていた顔を後ろへやった。

「そういうことを気にしているところがすでにおっさんなんだよ」

「きみは一言余計なんだよ」




「フレンてば本当にオルフェリア様のことが好きなのね」

 舞台稽古の合間を縫ってユーディッテと繰り出した酒場で、ユーディッテはチーズを肴にくすくすと笑った。

 ルーヴェのとある会員制のクラブだ。

 主に役者を顧客とするこの店へは、会員同伴なら部外者でも入ることができる。

 店内は雑多な雰囲気にあふれている。

「うん。見ているこっちが恥ずかしくなる」

 夕方ごろから二人は蒸留酒をなめている。

「わたしとしてはいい傾向だと思うけれど。フレンてば昔から……とと。こういうことってあんまり言わない方がいいのかしら」

 相手が婚約者の姉だということを思い出したユーディッテが口元を押さえる。

「いや、今更だろう。遠慮せずに言ったらいいよ」

 ユーディッテの方が年上なのだが、少女役を演じる彼女は雰囲気にどこか十代のような初々しさがあり、リシィルはついお姉さん口調になってしまう。

「じゃあ、ここだけの内緒ね。彼って、ほらお金持ちだし優しいし、顔もまあ整っているからもてるでしょう。けれど、いつでもそつがなくって全員に平等だったから、ちゃんとお相手を見つけられるのかしら、なんて心配していたのよ。まあ、わたしに心配されるなんて心外でしょうけど」

「そう? ユーディに心配されたら嬉しいなわたしは」

「あらやだ。そういうこと言われたら勘違いしちゃうわよ」

 うふふ~、とユーディッテはリシィルにしなだれる。お酒を飲んだユーディッテは普段にもまして上機嫌になってスキンシップが多くなる。前に同席した別の女優の話によると、これは対女性限定の仕草とのことだ。酒に強いユーディッテはめったなことでは酔いつぶれないとは彼女の言だった。

 ユーディッテはグラスを傾けて蒸留酒をもう一口含んだ。

「だからね、お姉さんホッとしたのよ。フレンがオルフェリア様みたいな可愛い婚約者を連れてきて」

 フレンよりも年下のユーディッテは今度はまるでお姉さんのように安心した顔をした。

「わたしは別に……オルフィーの相手がフレンじゃなくてもよかったんだ」

「あら、手厳しい」

 リシィルは酒の勢いもあって言ってしまった。

 正直に言うとやっぱりさみしい。

 オルフェリアまで自分だけの一番を見つけてしまったことが。

「これまで小さな世界にいた妹が旅立ってしまってさみしいんだ。ずっと心を塞いでいた妹が、フレンに癒された。それを望んだのはわたしだけれど……それでもやっぱり……さみしい」

「身近な人が、自分を置いていってしまうとさみしいわよね。わかるわ……。わたしも同じだから」

「リエラのこと?」

「うん。わたしだけ置いてけぼりされちゃったって感覚……たぶん一緒」

 リシィルは一番最初にフレンから紹介をされた中で、髪の短い中世的な雰囲気の女性を思い浮かべた。

 少し低い声と優雅な身のこなしの女性だった。

 彼女は、元は男爵家の出身だと聞いた。

「ユーディはさ、わたしのこと伯爵家のお嬢様だって身構えたりする?」

 突然の話にユーディッテはきょとんとした。

「ええと。そうね。最初の印象はオルフェリア様のお姉さんって思って、ずいぶんと気さくなお人だなって思ったわ」

 ユーディッテは正直に答えた。

 リシィルはその答えに笑った。

「ありがとう。そうだよね、みんなそう言うんだ。で、素のわたしを見て幻滅するか説教をする」

「幻滅?」

「おおよそ伯爵令嬢らしくないから。普通令嬢はこん棒を振り回さないだろう」

 ユーディッテはそこで先日の酔っ払い騒動を思い出したのか、くすくすと笑った。

「あなた、だって。かっこよかったんだもの。それに……舎弟がいるって何事」

「勝手についてきたんだ。仕方ないだろう」

 実は今、このルーヴェにはリシィルの舎弟が数人滞在してる。

 勝手についてきた、というか追いかけてきた。『姐さんに何かあったら俺たち死んでも死に切れません』と言われた。クルーエルは見ないふりをしている。それが正解だと思う。

 で、ユーディと飲み歩いていたときに酔っ払いに絡まれていたらどこからか舎弟が飛び出してきてリシィルにこん棒を投げてよこした。

 リシィルはついこん棒で酔っ払いを追い払ってしまったのだ。結構な騒動になってしまったのは反省している。

「でも、いいじゃない。領民から慕われていて。ああでも、結婚しても舎弟ってずっとあなたと一緒にいるつもりなのかしら」

「うわ。やめてよ、そういう想像」

 リシィルはぎゅっと眉を寄せた。

「わたし、どうなるんだろう」

「なにが?」

 リシィルの唐突なつぶやきに、ユーディッテが律儀に返事をする。

「結婚とかわからない。けれど周りが許してくれない。わたしもたぶんいつかお嫁に行かないといけなくなると思う」

 今はまだ自由であることを許されている。

 カリティーファはリシィルの自由すぎる行動に完全にさじを投げている(と信じたいが、たまにまだ希望を捨てていない発言をする)。カリストはおそらく貴族との縁組は無理そうだと思っているはずだ。

「そうね。リルの階級だと逃げられないかもしれないわね」

「せっかく馬の育成をしてみようと思ったのに」

 女だとできることも制限をされる。

「たまに思うんだ。わたしって何なんだろうって」

「あら、哲学的」

「そういうんじゃなくて。なんていうか、たぶん、家名が重いって思っているのはわたしも一緒なんだ」

 舎弟たちがリシィルを守るのは、リシィルがメンブラート家のお嬢様だからだ。

 領民たちはメンブラート家に忠誠を誓っている。先祖代々トルデイリャス領に暮らしてきた人々にとって領主一家は絶対的な存在だから。

 リシィルは、ルーヴェに来て領地とは何のかかわりもないユーディッテに初めて本音を話した。

 こんなこと、トルデイリャス領の民の前では言えない。

「別に、領地が嫌とか今の生活が嫌いだとかそういうことではないんだけれどね。今楽しいし、好き勝手してるしさ。お祭りとか企画するのも楽しいし。でも……たまに、どこか遠くへ遠乗りしたくなるんだ」

 リシィルは故郷が好きだ。ミュシャレンに出ていきたいとも思わないし、アレシーフェの街を闊歩して酒飲み大会を主催したり、領地を思うままに馬で駆けたりすることが楽しいと思う。けれど、領民は大体がリシィルの顔を知っていて、どこに行ってもお嬢様と声をかけられる。

 そういうのがたまに重く感じることがある。

 我ながらどうしたというのだろう。こんなこと、今まで誰にも言ったことがなかったのに。エシィルにだって言ったことがない。

「わたし思うわ、たまに。ユーディッテ・ヘルツォークという名前が重く感じる。新作を演じるときとか、リエラが去った後の公演を思うと、ね」

 ユーディッテが小さく口の端を持ち上げた。

 少しだけ困った顔をしている。

 新聞の評論が怖く思うときもある、と。

「ユーディは人気の女優さんじゃないか」

「それでも、よ。こんなこと……あまり人には言えない。もちろん、フレンにだって」

「わたしも……フレンには言えないな」

 二人は見つめ合ってくすりと笑った。

 酒が入っているからこその本音だった。

 お互いに背負うものがある。背負うものについて自覚があるからたまに、ほんの少し重たく感じる。

「そう思うのが悪いことだと思わないわ。だって、ずっと頑張っていたら辛くなるもの。糸はね、張り続けていると予期せぬところでぷつんと切れてしまうのよ。だから、たまには少し緩めてあげないと」

「じゃあ、わたしはだらだらとルーヴェに居座っているのは、少し糸を緩めたいって思ってからなのかな」

「そうかもしれないわね。心が先に気づいていたのよ」

「そっか」

 リシィルはふっと息を吐いてグラスに残っていた酒をぐいっと飲みほした。


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