伯爵家令嬢2
フラデニアの王都ルーヴェへと到着したのは翌日の昼過ぎだった。
日程はあらかじめ手紙を書いて知らせていたため、ルーヴェのファレンスト家の屋敷ではフレンが待ち構えていた。リシィルとしてはどちらかというとオルフェリアに会いたかったのに、肝心の彼女はミュシャレンとのことで、さみしかった。
ついた日、少しだけルーヴェ市内をユーリィレインと散策することにした。リシィルは別にそういうのは興味なかったが、これから窮屈な寄宿舎生活をするユーリィレインのためにフレンが気を利かせてくれたのだ。彼は基本的に女性に対して気が回る方だと思う。
オルフェリアはフレンのそういったところに少し無頓着で、彼が歯がゆそうにしているのをヴェルニ館で何度か目撃した。
フレンの手配してくれた馬車に乗り込み、付添人としてファレンスト家の侍女が同行する。
「お嬢様方は何をご覧になりたいですか?」
「うーん。別になんでも」
リシィルは考えるのも億劫だったから相手に任せるような言葉を言う。
「わたしは……せっかくだからオペラ座とか、王宮が見てみたいわ」
ユーリィレインがぽつりとつぶやいた。
国境を越えてから彼女はずっと静かだった。やはり、昨日国境沿いでのカリティーファとの別れ際のやりとりは彼女なりの強がりだったのだろう。昨日もホテルについて早々部屋に閉じこもったし、人生初めての列車に感嘆こそしたものの、走行中はぼんやりと外を眺めていた。
「じゃあレインの行きたいところに行こうか。ミュシャレンのよりも、ルーヴェのオペラ座の方が大きいし華やかなんだろう?」
「それはもう。もちろんですわ。ルーヴェオペラ座は近年建築された建物で、伝統と新しいものを融合させた、このディルディーア大陸でも一番に素晴らしい建物のうちの一つですわ」
三十をいくらかすぎたくらいの年齢の侍女は自国の建物について絶賛する。
新聞の受け売りのような言葉を言う。
「中には入れるのかしら」
「申し訳ございませんわ、お嬢様。見学については事前申し込み制なのです」
侍女が眉を下げる。
急な観光なのはこちらの都合だ。仕方ない。
ユーリィレインは少しだけ唇をすぼませる。そういう仕草は愛らしいが、こればかりは仕方ない。それは彼女自身わかっているのか、それ以上は何も言わない。
「ま、仕方ないさ。レインはもうあと何年かして誰か男性にエスコートしてもらいなよ。これからルーヴェの寄宿学校に入るんだから、お友達をつくってそのお兄さんとか」
「まあ、それはよい考えですわね。見学ではなく、オペラ観劇のほうがお嬢様方にはお似合いになりますわ」
リシィルの言葉に被せるように侍女も言葉を紡いだ。
馬車はにぎやかな通りを進んでいく。
車窓から見える建物はどれも四階、五階はありそうな大きなものばかりで、バルコニーには花が飾られている。クリーム色の建物が延々と続いており、アレシーフェの街などとは比べ物にならないくらい大きな町だということが分かる。
オルフェリアは一足先にこの光景を見たのか。
広い世界へと旅立っていった可愛い妹。リシィルは森と野原があって、馬を駆けていればそれで満足だ。
狭い世界だとか、田舎という言葉だって悪くないと思っている。
けれど、世界にはこんなにも大きな街があるのか。
通りを歩く女性たちは今日のリシィルと同じように外套を羽織り、ボンネットをかぶっている。
男性の腕にそっと手を置く女性や、子供の手を引く女性、みなすその長いドレスを身にまとい、すました顔をして通りを歩いている。
馬車はやがて大きな広場、ヴァン・サーム広場で止まった。
「オペラ座のまわりはいつきてもこのようににぎやかですのよ」
リシィルは馬車から降りて伸びをする。広場から北へと延びる大きな通りの先に件のオペラ座はある。オペラ座前は大変混雑するとのことで、少し離れたヴァン・サーム広場で降りて辺りを歩きながら見学しようという段取りになった。
「このあたりは仕立て屋や帽子店や靴店、宝飾店などが軒を連ねておりますわ。ああそれと、外国からのお客様がお泊りになるホテルも」
「素敵……」
ユーリィレインは瞳を輝かせた。
彼女はドレスやきらきらした宝石が大好きだ。まだまだ子どもなのに、一丁前に淑女のたしなみなんて本まで読み漁っている。
「レイン」
「わかっているわよ」
リシィルの言いたいことを悟ったらしいユーリィレインはぷいっとそっぽを向いた。
これから贅沢とは反対側の厳しい寄宿学校に入ることになっているユーリィレインに、これらの光景は目の毒かもしれないと思うリシィルだ。
「さあさ、お嬢様方。こちらですよ」
慣れない人ごみの中たどりついた白亜の建物は、たしかに見事の一言だった。
おおきな柱には精緻な彫刻がされており、空想上の動物たちがこちらを見下ろしている。金箔がふんだんに使われていて、目がちかちかする。
「すごいのねえ」
「ほんとだ。オルフェリアもここに来たことがあるのかな」
リシィルのほぼ独り言だったが、ユーリィレインは「婚約者がいるんだもの、一度くらいは来たことがあるのではなくて」と早口で返答した。
じっくり眺めていると、お上りさんだと思わるから早く立ち去りましょう、とユーリィレインに背中を押されて一向はその後付近を散策したり、王宮の前を馬車で通ったりした。
翌日ファレンスト邸を出発し、旅は順調だった。
フラデニア南西部にある寄宿学校は街から少しだけ離れた丘の上に建っている。
街のはずれにある元は貴族の館だったというホテルに泊まった。
明日ユーリィレインは寄宿学校に編入をする。
「レイン、支度は終わった?」
「ええ、まあ」
居間をはさんでそれぞれの寝室を与えられた続き間が今日の寝床だ。
ユーリィレインは落ち着きがないのか夕食前も後も荷物を取り出しては中身を点検している。
「ファレンストさんって、どうしてあんなにも親切なのかしら」
「どうしたの、急に」
ユーリィレインの唐突な言葉にリシィルは声を潜めた。
「だって、わたし……彼にオルフェリアお姉様のこと酷く言おうとしたのよ。そうしたら、彼は怒ったわ。なのに、こうして色々と支度を整えてくれた」
それは初めて聞く言葉だった。
「あなた、そんなことフレンに言ったの」
「正しくは言おうとしただけ」
「ちなみに、なんて言ったの」
そこでユーリィレインはぷいっと横を向いた。
肝心のところでだんまりを決める妹を見つめて、けれど結局リシィルは問いただすのを放棄した。
「わたし……ずっとお姉様のことがずるいって思っていた」
代わりにユーリィレインはそんなことを言いだす。
彼女は衣装箱の中から、折りたたまれたドレスを取り出した。それは、濃い緑色をしたドレスで、飾りのほぼついていない簡素なものだった。襟についた幅の狭いレエスがかろうじてついているだけの、一見すると付添人用のドレスかと見間違うくらいのつつましやかなものだ。
「こういうドレスじゃないと持ち込んだらいけないのですって。でも、これ……ルーヴェでとても人気の仕立屋で作ってくれたのよ」
「そう。でも別にフレンが手配したんじゃなくて彼のお祖母様が用意してくれたんだろ」
忙しいフレンに変わってユーリィレインの身支度を整えてくれたのは彼の祖母カルラだ。リシィルとユーリィレインも挨拶をした。
だいぶ髪に白いものが混じった女性は、足が弱っていると言っていたが言葉ははっきりとしていたし瞳にも強い意思を感じた。
「けど、あの人がちゃんと気を使って、カルラ様に話を通してくれたからでしょう」
「わかっているんじゃん」
「どうして、フレン……お兄様はわたしにも優しいのかしら」
「点数稼ぎなんじゃない」
「誰への?」
「オルフィーへの」
「どうして?」
「どうしてって……」
それは二人の婚約が偽物だからだ。けれど、フレンはオルフェリアへ思慕を募らせている。
それはもう面白いくらいに。
さすがにそれは内緒ごとだからリシィルは言葉を詰まらせた。
少しフレンに対して意地悪な言い方をしてしまった。ごめん、と心の中で謝っておく。
「そもそもどうしてそういう話をするの、レインは」
リシィルは不思議に思って聞いてみた。
ユーリィレインはばつが悪い顔を作って下を向いた。
「お姉様は、オルフェリアお姉様の味方なんでしょう」
出てきたのはそんな言葉だ。
「どうして」
「だって、わたしにたいして怒っているもの」
「そりゃあ、姉妹げんかに第三者を巻き込めば怒りもするよ。レインのやり方は陰湿だったから」
ユーリィレインはリシィルのことを睨みつける。
「最初にお母様に言いつけたのはお姉様の方よ」
「でも、家族にだろう。監督者に仲裁に入ってもらうのは当然じゃないか」
「でも、告げ口したわ。わたしのこと、わがままだって」
「わがままだろう、レインは」
そのままの所感を述べたらユーリィレインは目を真っ赤にしてこちらを睨みつけてきた。
「なによ! お姉様だっていけないのよ! わたしに見せつけるように新しいドレスや宝石を身に着けていたもの! ずっと、ずっと興味のないって顔をして、わたしの前でひけらかすようにしていた」
「オルフィーはそういう意図はなかったと思うけど」
「思うけど、じゃないわ。わたしはそう感じたもの」
「ずいぶんと穿った見かただね」
「わたしが悪いっていうの?」
「オルフィーには婚約者がいるんだ。レインとは年齢だって違う。一足先に大人になったんだ、しょうがないだろう」
「たった二歳しか変わらないわ」
「そう思うんだったら、レインも誰かと婚約したらいいだろう」
リシィルはそろそろ面倒になってきた。
妹の癇癪に付き合うことほど不毛なことはない。特にユーリィレインのこれは一度始まると長い。
リシィルの言葉に虚を突かれたユーリィレインは黙り込んだ。
「……婚約者を探すにも、新しいドレスが必要だもの」
「そこ、かえるんだ」
結局ユーリィレインのわがままなのだ。
身から出た錆だ。少しはその虚栄心を寄宿学校で抑え込んできたらいいと思う。
リシィルにはあまり物欲が無いからこのへんの感覚はよくわからない。
「お姉様だって、お酒を取り上げられたら怒るでしょう。目の前ですごくおいしいお酒をひけらかされたら、ずるいって思っちゃうでしょう」
「う……それはたしかに」
姉の心情を呼んだ妹は的確なたとえをついてきた。
「あー、そうだね。欲しいものが目の前にあったら少しくらいは嫉妬しちゃうかもね。でも、今回のこれは軽率だったよ」
「それは……ちゃんとわかった」
ユーリィレインはそれだけ言って黙り込んだ。
それきり何も言わずにドレスを丁寧に畳んで衣装箱にしまい込んで、それでもその場を立ち去ろうとしない。
「ね、言いたいのはドレスのことじゃないんだろう。全部吐き出しておいた方がいいよ」
リシィルの言葉にユーリィレインは、彼女の方へと顔を向けた。
「べつにわたしは……」
「そう? ならいいけど」
リシィルは突き放す。
「……わたし……ずっとオルフェリアお姉様がずるいって思っていた」
「どうして?」
「だって……お父様を独り占めしていたから」
ユーリィレインは下を向く。
しばらくそのままで、なにか迷うような間があく。
けれど、決意したように口を開いた。
「生い立ちで同情を引いて、お父様の関心を一番に持っていっていたもの」
出てきた言葉は、かなり屈折していた。
「生い立ちで同情って……あなた」
「フレンお兄様にも同じことを言おうとして怒られたわ」
「だろうね」
リシィルもこれは聞いていて気持ちの良い言葉ではない。
オルフェリアも双子だった。双子で生まれたが、オルディーンと名付けられた弟は息をすることなくそのまま天へと召された。祖母はそれをオルフェリアの責任にした。
メンブラート伯爵家の、家族に落とされた暗い影だった。
「でも! わたしにはそう思えた! ずっと、ずっとお父様はオルフェリアお姉様にだけ甘かった」
「そんなことないと思うけど」
父、バステライドは子供たち全員に優しかった。
リシィルも小さいころからたくさん遊んでもらった。一緒にいたずらもしたし、馬の乗り方も剣の扱い方も狩りの仕方も教えてもらった。鳥が可愛いの、と言ったエシィルのために父は屋敷裏の森の中に鳥小屋を用意した。
「お姉様たちはお父様と一緒になって遊んでいたからだわ」
「レインも一緒に遊べばよかったのに」
「そういうことじゃなくて! お父様は何をするにも一番にオルフェリアお姉様の心を考えていたじゃない。可哀そう可哀そうって、いつも大事にしていた。こっそり街に連れて行ったりしていたのも知ってるわ。わたしは……ずっと、ずっと悔しかった。お姉様だけ特別扱いだったのが。それを、それを……生い立ちで同情を引いていると言って……どこが悪いのよ」
ユーリィレインは一気にまくしたてた。
最後は、呼吸が荒くなり、涙を流した。
ユーリィレインの瞳からぽろぽろと涙が流れる。
「それ、初めて言った?」
「……オルフェリアお姉様には言った」
「言ったんだ……」
リシィルは脱力した。
彼女のこの調子だと喧嘩の時に言ったのかもしれない。にしてもオルフェリアに言っちゃったのか。
「だって……」
ユーリィレインはリシィルとは目を合わせようとしない。床の辺りを見つめている。懸命に涙を引っ込ませようと顔に力を入れている。
まあでも。
さすがにカリティーファに言わなかっただけ大人になったということか。
「ああもう、ほら泣かない。明日は編入だよ」
リシィルは一呼吸してから、手巾を手にしてユーリィレインへ近寄った。
小さな妹は手がかかる。リシィルは自分の下に生まれた妹弟を愛している。面倒見がいい方なのだろう。
考え方はちっとも同じにならないけれど、それでもユーリィレインのことを突き放すことはできないし、感情の処理の仕方のわからない子供な妹をしょうがないな、と思うくらいには彼女にも情がある。
リシィルはユーリィレインの頭を自身の胸に引き寄せた。
「わたしだって、お父様に甘えたかった」
ユーリィレインはされるがまま、リシィルに頭をを預ける。
たぶん、こういう本音はカリティーファへ告げるよりもリシィルへのほうが言いやすいのだろう。
一度涙をみせた妹は心の中の一番繊細なところを口にした。
「はいはい。ごめんね、わたしたちもお父様のこと独占して」
「ほんとうよ。すぐに馬に乗ってどこかに行って」
「一緒に来ればよかったのに」
「馬は苦手……」
「だったね」
リシィルはユーリィレインの背中をさすってやった。
彼女はまだぐすぐすと鼻をすすっている。ユーリィレインはバステライドのオルフェリアへの思いにやきもちを焼いていた。
父の、オルフェリアへの思いはある意味屈折している。彼はオルフェリアを可哀そうだと決めつけている。彼は双子姉妹によく言っていた。お父様とオルフェリアは似た者同士なんだ。ともにこの伯爵家の被害者だ、と。祖母から謂れなき理由で非難されていたことを知っていたから、リシィルとエシィルはなんとなく、感覚的にバステライドが言いたいことを理解していた。
祖母の言葉はリシィルの胸の奥にも刺さっている。『おまえが男の子だったらねえ……』何度か言われた言葉だった。祖母は、リシィルが男の子でないことにがっかりしていた。健康で、体力もあって物怖じしない子供だったから。女の子でなくて男の子だったら。リュオンが生まれるまで親せきの人たちは何かの拍子にこの言葉をリシィルに浴びせた。その口で『おまえは女の子なんだから、もっとお嬢様らしくおしとやなかにしないといけないよ』などと言うのだ。
「それさ、わたしじゃなくてお父さんに言いなよ」
「え……?」
「あなたのそういう複雑な思いをさ、一度言わないとわかってもらえないよ」
「い、言えるわけ……」
ユーリィレインは涙を引っ込める。
「どうして」
「だって……恥ずかしいもの」
その理屈はよくわからない。どうしてリシィルに言えるのに、本人に対して言えないのだろう。
「でも、言わないとすっきりしないよ。一度思いのたけをぶちまけてやれって。べつに恥ずかしくないよ、家族なんだし」
リシィルは笑った。
そんなリシィルを眺めているうちにユーリィレインは落ち着きを取り戻していき、やがて手巾で瞳をぬぐいながらこくんと頷いた。
「でも……肝心のお父様が」
「あー、それね。そのうちふらりと帰ってくるよ、きっと。そのときはちゃんとわたしからレインのところに顔を出すように言ってあげる。そうしたら、一発殴ってあげな」
「殴るって……お姉様は発想が野蛮なのよ」
ユーリィレインは手巾を手の中でもてあそぶ。
「すっきりするよ。オルフェリアに八つ当たりするよりずっといい」
言われたユーリィレインはばつが悪いというようにリシィルから視線をそらした。
「考えておく……」
リシィルはにこりと笑ってユーリィレインの頭にぽんっと自分の手のひらを置いた。
そのままわしゃわしゃと頭を思い切り撫でた。
「ちょっと! 痛いわよ、お姉様」
ユーリィレインが抗議の声をあげた。




