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ダイラと無くした思い出2

 それから数日は平穏に過ぎて行った。

 といってもそれはダイラにとっては、ということだけでモンタニェスカ領地では政治的な駆け引きが水面下で行われている。

 リューベルン連邦も一筋縄ではいかないからだ。現在のリューベルン連邦は二つの商業自治都市と三つの公国、そして四つの王国から成り立っている。自治都市を除いた七つの君主の中から連邦選定皇帝が選ばれ、リューベルン連邦をまとめていく。

 ダイラも上級学校時代に一応歴史の授業を受けている。各国のおおまかな歴史を習っていたが、リューベルン連邦はころころ名前を変えるから面倒な地域のひとつだった。

 つい二十年ほど前まではリューベニア帝国だった。それが瓦解して連邦になった。

 とまあ、そんな高度な政治の話は一回の女官であるダイラには関係がない。

 今一番厄介な案件。それは。

「ダイラ、いっしょにご飯食べよう」

 カルロスは食堂にやってきたダイラを見つけるやそばにやってきてなれなれしく肩に手を置いた。騎士たちの間ではもはや日常光景になってしまったようで、誰も何も言わない。

 女官仲間だけが物言いたそうな視線を投げてくるだけだ。

「わたしはこちらで取ります。カルロス様はあちらで騎士の皆さんと一緒に取ってください」

 ダイラはあくまで事務的な声を出した。

「俺があっちにいくと、ほら。みんなくつろげないだろ。だから上官は別の机のほうがいいの。ダイラとも打ち合わせしとかないといけないことだってあるだろう。レカルディーナ様の警備のこととか」

「……」

 これを言われると断りづらくなる。

 ダイラは嘆息した。何も言わずに席に着席すると小間使いがナイフやらを用意してくれる。やがて昼食が運ばれてきた。女官や近衛騎士らは通常の使用人よりも立場が上になるから、食堂も専用のものを使っている。

「そうだ。あれから、あの変な男とは会っていない?」

「ええ、まあ」

 カルロスは小間使いに食後のコーヒーを言いつけて、やがて運ばれてきたそれに口をつける。

 昼食が終わっているのならさっさと退出して、訓練でもしていればいいのに、と思う。

「今度街へ行く時は絶対に俺に知らせること」

「どうして?」

「俺たちは恋人同士だよ。いや、婚約者じゃないか」

「寝言は寝て言ってください」

 ダイラは即座にカルロスの言葉をたたき落とした。

「でも、このあいだダイラちゃん反論しなかったよね」

 カルロスはにっこり笑みを深くした。

 くつろいだ様子で頬杖をつき、こちらをのぞきこんでくるその態度が余裕しゃくしゃくで気に障る。

「あのときはあれ以上面倒事にしたくなかったからです」

「ということは、俺のこと虫よけくらいには便利だって思ってくれているんだね」

「そうですね。あくまで体のいい虫よけ、ですけど」

 ダイラは低い声で念を押した。

「うんうん。信頼してくれているんだな、ってしみじみ思うよ」

 ダイラは思わず横を見た。

 カルロスは相変わらず顔面に笑顔を張りつかせたままだ。

「よく、そこまで物事を都合よく解釈できるわね」

「そうかな。ダイラちゃんてあんまり人に頼るの好きじゃないだろう?」

 ダイラはぐっと言葉に詰まった。

 その通りだからだ。物心つく頃から母は働いていて、自分はお屋敷のお嬢様の面倒をみる立場で。早くから自立を意識させられた。上級学校に行かせてもらうことになった時も、一人で下宿することを選んだ。学費以外を稼ぐために働いた。勉強もした。その頃ぐんと美しくなったダイラには言いよってくる男もいたけれど、(基本鈍いが、鈍いダイラにもわかるくらいあからさまな男というのは存在するのだ)そういうのを全部蹴っ飛ばしてひたすらに成績上位を保った。

「でも、俺のことは別かなって。少しくらいはきみの頭の中にかすってくれるくらいにはなったかなって」

 カルロスは楽しそうにダイラのことをのぞきこむ。

 ダイラは残りの昼食を攻略することに勤しんだ。塩漬けの豚肉をゆでて、野菜と一緒に煮込んだものとパン。付け合わせは野菜の酢漬け。

「それで。レカルディーナ様の件というのは嘘なのかしら。だったら、金輪際あなたの話は適当だと、頭に刻むことにするわ」

「や、それはちょっと困る。ちゃんとそれも話すつもりだったよ」

 カルロスは苦笑して、今日の晩さん会の段取りと警備の変更点。それから出席者の簡単な経歴をつらつらと上げていった。

 一見軽そうに見えるが、職務には忠実なのがカルロスだ。レカルディーナの正体が露見した時もあっけらかんと受け入れた。それはほかの近衛騎士隊の隊員もそうだけど、きっとそれはカルロスやアドルフィートの教育もあるんじゃないかとダイラは思う。

 チャラいところを見せなければ、尊敬できるところもあるのに。

 ダイラは少しだけ不満だ。同じ同僚として互いに尊敬しあうだけではいけないのだろうか。

 別に、ダイラは将来の旦那を探すために女官になったわけではないのに。




 その翌日。

 ダイラは急きょベルナルドの補佐官に呼び出された。レカルディーナの女官として、彼女の身の回りの品々を磨いたり整理していたりしていると、至急『牡鹿の間』に来るよう言われた。ダイラが城の見取り図を頭の中に浮かべながら、件の部屋へたどりつくと。

 そこにはベルナルドとレカルディーナ、近衛騎士隊の隊長に副隊長に、その他何人かの事務官などなど。

 今回の使節団の有力な顔触れがそろっていて、ダイラは面食らった。

 なにか、まずいことでもしでかしただろうか。

「ダイラ……」

 沈黙をやぶったのはレカルディーナだった。

 困惑したように緑色の瞳を揺らしている。その横にぴったりとベルナルドが張り付いている。

 彼からはこれといった表情は読み取ることができない。こちらを見つめる表情はどちらかというと不機嫌そうにゆがめられている。

 ベルナルドの隣に立つ側近がおもむろに口を開いた。

「今日、とある客人が城へとやってきた。彼は、この城に自分と浅からぬ縁を持つ娘が働いているとのたまった。名をダイラ。昔、自分と縁あった女の娘だ、と」

 ダイラは目を見開いた。

「彼の名はアウグスト・フォーテ・モルテゲルニー。ゲルニー公国の、継承権第一位の人物だ」

 側近の男はダイラをおいてきぼりにするように言葉を紡いでいく。

「なん、ですって……」

 ダイラはかろうじてそれだけを口にした。

 頭が付いていかない。

 浅からぬ縁とはいったい何の縁だろう。知らない。

「彼は口にこそしなかったが。いや、もっと直接的なことを言えば、きみが自分の娘なのでは、とそう思っているようだったよ。本人もまだ半信半疑なんだろうけど」

 くたびれた金髪をした王太子の側近は淡々とした口調で話しつつダイラの様子をうかがう。

「おまえの父親は亡くなったのではなかったのか?」

 と、これは王太子だ。

「ダイラのお父さんは、ダイラが生まれる前に亡くなっているって、お母様からそう聞いているわ。カテリーナも急に亡くなっちゃって大変でした。って言っていたもの」

 ダイラの代わりにレカルディーナがベルナルドに説明する。その声はとても必死だった。

 ダイラとレカルディーナはともに同じ屋敷で、時には姉妹のように育ってきた。レカルディーナも小さいころに疑問に思ったようで、カテリーナに聞いたことがあるのだ。

 ダイラと同じことを説明されて育っている。

「フラデニア人だって。そう聞いているわ。なにかの間違いよ……。いまさらお父さんとか……」

「やめて。父だなんて言わないで」

 思いのほか強い口調が出た。

「ごめんなさい」

 レカルディーナは素直に謝った。

「王太子妃様、安易に謝罪の言葉を口にしないでいただきたいですな。ダイラ、女官の身分で王太子妃様になんて言葉づかいをする。まずはおまえのほうが不敬を謝罪しろ」

 別の側近が口をはさんだ。

「申し訳ございません。王太子妃様」

 ダイラは深々と頭を下げた。

 レカルディーナは、きゅっと唇をひき結んだ。ダイラはつい昔のようにぞんざいな言葉遣いをしてしまうことが、まだある。そういったときこうして上げ足を取られる。

 ダイラは後ろ盾のない娘だから、なおさら風当たりが強くなる。

「今はそんな小さいことはどうでもいいだろう」

 ベルナルドが面倒そうに声を出した。

「しかし……」

 側近は渋面を作る。しかしベルナルドはそれで動じるような人物ではない。

「おまえのほうがうるさい。とにかく、客人を待たせている。というか帰ろうとしない。だいたい、微行をしていると情報が入っただけで半信半疑だった人物がこうも簡単にこちらに姿を現したことに驚きだ。おまえちょっと行って話してこい」

「……何をでしょうか」

 ベルナルドから顎を向けられたダイラは一応の抵抗をしてみせた。

「知るか、そんなこと。おまえのことが知りたいんだろう。だったら、ここで押し問答をするよりあいつの前で自分の父は死んだと宣言してこい」

 ダイラの抵抗を、ベルナルドは即座に切り捨てた。

 自分が何を言えばいいのか。というか、彼は本当にダイラのことを娘だと思っているのか。

 彼とこのあいだ話した印象だけでいえば、どちらかというとカテリーナの行方を知りたいようだった。おそらく、彼はダイラの母に未練があるのだ。だから、彼女とつながりそうなダイラに目を付けた。

「話をする前によろしいでしょうか。そもそも、どうしてリューベルンの公子ともあろうかたがおしのびでアルンレイヒにいるのでしょうか」

「彼は亡命をたくらんでいるからだ」

 再び側近が口を開いた。最初に声をかけてきたほうの、まだ年若い側近のほうだ。

「亡命……」

 側近は、現在のゲルニー公国の置かれている状況を簡潔に述べた。

 ダイラ以外の人間は黙って聞いている。ということは、いま説明されている事柄はここにいる人間たちにとっては知っていて当然のことなのだ。もちろん、レカルディーナの耳にも入っているのだろう。

 彼女はダイラよりも狼狽していた。

 ダイラが感情を顔に乗せない分、昔からレカルディーナがダイラの代わりに怒ったり泣いたり、笑ったりしてきた。

 ダイラにとってレカルディーナは泣き所だ。ダイラの、危なっかしい愛すべき仕えるべきお嬢様。

(ばかね。あなたがそんな顔する必要もないのに……)

 いつも、感情表現豊かなレカルディーナを眺めていると、逆に冷静になれるダイラだ。

 ダイラは胎をくくった。

「わかりました。行ってまいります」

 ダイラは抑揚のない声を出した。

 側近に連れられて部屋から辞そうとしたそのとき。

「まってください。私もその席に同席させていただけませんか。先日、彼女と一緒に公子殿下と相対しました。彼女一人では荷が重いでしょう」

 カルロスである。

「同席なら私がいたしますが」

 金髪の側近は不機嫌そうに眉をゆがめた。

「あなたはライネスとはたいした面識もないでしょう。彼女をよく知っている私のほうが適任だと申し上げます」

 カルロスはにらみつける視線を不敵な笑みで封じ込めて、それからベルナルドのほうへ視線を向けた。

 彼はいったい何を考えているんだろう。ダイラなんかにかまわなければいいのに。

 余計な軋轢なんて、そんなもの面倒なだけなのに。それも自分のために。

 ベルナルドはカルロスの視線を受け止めて、それからレカルディーナーに目を向けて、最後にダイラを見た。

「いいだろう。リバルスに任せる」

 ベルナルドの一言が決定事項だった。


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