伯爵家令嬢1
婚約破棄のリシィル視点で二部補完
クルーエルがようやく本編に登場したのでアップします
ユーリィレインがフラデニアの寄宿学校に向けて旅立つ日の朝。
付添人を申し出たリシィルは自室の鏡の前でくるりと一回転をした。いつものように髪の毛を一つにまとめているわけでもなく、侍女がふんわりとゆるく結い上げてくれた。
滅多にそでを通すこともない令嬢風の外出着と上着を身に着けて、ボンネットを被ればいっぱしのお嬢様の出来上がりだ。
「うわっ……」
リシィルは一人後ずさった。
自分でないみたいだ。
いつも舎弟を引き連れて、町娘と同じような装いをしてアレシーフェの街を自由に闊歩する。夜は屋敷を抜け出して酒場に繰り出して、街の女将さんと一緒になって飲んだり、愚痴を聞いたり、恋愛相談に乗ったりもする。
そんな自由気ままに過ごしているリシィルだが、一応肩書は伯爵令嬢なのだ。
鏡の中の少女は、確かに伯爵令嬢っぽくみえた。
リシィルは鏡に顔を近づけた。
普段あまり着飾ることがないので、ドレス姿を見るのがこそばゆい。
暮れの晩餐会の時だってここまで華美なドレスなんて着ないのに。
どうして自分はこんなレエスのついたドレスを着てみようなんておもったのだろうか。
「お嬢様。そろそろお時間です」
侍女の一人がリシィルを呼びに来て、リシィルは「いまいくー」と返事をして部屋を後にした。
階下ではすっかり支度が整っていた。
カリティーファはユーリィレインにぴたりと付き添っている。
普段生意気な口ばかりきく、大人ぶったところのあるユーリィレインだがこの時ばかりはいつもの強気な面持ちが顔から抜け落ちていた。
平時よりすこし白い顔は緊張のためだろうか。
カリティーファの横から離れようとしない。
「お嬢様方。準備ができております」
カリストがユーリィレインらを促す。従僕らが先に荷物を馬車に詰め込んでおり、あとは主役が乗り込むだけだ。
「大丈夫よ。国境まではわたしも一緒についていきますからね」
不安そうなユーリィレインをカリティーファがなだめる。
彼女もしっかりと外套を着こんでいる。
ユーリィレインはこくんと頭をさげた。
彼女はここ数日口数が少ない。
季節は一月も終わりに近いころだ。中途半端な時期にユーリィレインが寄宿学校に入ることになったのは、単に彼女の迂闊な行動のためだった。
馬車は二時間を少し超えたところで国境の町へとたどり着いた。
馬車に揺られている間、室内は静かだった。
誰も何も言葉を発することはなかった。
リシィルは、自分がユーリィレインのことを怒っているのか許しているのかよくわからない。
姉妹げんかにしてはいささか陰湿だったと思っている。ユーリィレインの一方的な嫌がらせで、オルフェリアはフレンと喧嘩をする羽目になったし、一歩間違えれば彼女の名誉が傷ついていたのだ。
普段こういう女性の機微にはうといリシィルだが、一応伯爵家の娘としての教育は受けている。
周囲の人間が、女性に対してどういう視線を向けるかとか、名誉を傷つけられた女性がどんな風に言われるかとか、そういうことは出入りをしている街での見聞きもあり知っているつもりだ。
けれど、肝心のオルフェリアがユーリィレインのことを許したのでリシィルはこれ以上何も言わないと決めた。
ユーリィレインだって、リシィルの可愛い妹なのだ。
たとえ趣味嗜好がまったく合わなくても。
馬車から降り立ったリシィルはうーんっと伸びをした。
国境の町は、それなりに発展をしている。
ここで通関審査があるから、人々は一度は足を止めることになる。関所を守るのは国の国境警備隊だ。
大昔はメンブラート家が私兵を持ち国境を守ってきた。
しかし時代が移り変わり、法律で私兵を持つことが禁じられた。その代りに国の軍隊が国境沿いを守ってる。審査を行うのも彼らの役目だ。国境沿いの守りを固める役目もあるため、それなりの規模の人間が詰めている街はにぎやかだ。
宿屋も多い。
トルデイリャス領の中でも、アレシーフェに次いで大きな町だ。
領主一家の通過ということで通常の審査の列には並ばずに警備隊の建物の応接間に通される。
書類の審査といってもリシィルたちの身元は確かなので、すぐに済む。どちらかというと挨拶の方がメインだ。
「お嬢、今日はまた……ずいぶんとめかしこんでますね」
「わたしだって一応伯爵家の娘だからね」
普段のリシィルからは想像もつかないくらいおしとやかな装いをした彼女に、すれ違いざまに舎弟らが恐る恐る話しかけてきた。
舎弟は国境警備隊の下っ端だ。
リシィルよりも年上の彼とは色々とあって、なぜだか舎弟になった。
彼らは生まれも育ちもトルデイリャス領で、領主一家のことは小さなころから地元の神様のようにあがめている。元気いっぱいのリシィルは小さなころから警備隊にも出入りをしていて、それでなぜだか彼らは小さなお嬢様を守るように、舎弟になった。(なぜに舎弟という言葉を使うのかは謎だったが)
「見違えるくらいにきれいっす」
「ありがとう」
リシィルはにこっと笑った。
面倒な挨拶はカリティーファに任せてリシィルは適当に警備隊の詰め所(国境審査室の入る建物)を歩いて回った。なんだかんだと勝手知ったる建物で、すれ違いざまに「お嬢、お久しぶりです」とか「お嬢、新たな出入りっすか?」とか「お嬢もついに結婚ですか?」とか聞かれる。
そんな中、一人の男性と出くわした。
「どうしてきみはいつも詰め所の中をうろうろ嗅ぎまわるんだ」
「失礼だな。別に嗅ぎまわっているわけじゃない。散歩をしているだけだ」
リシィルに厳しい声を出すのは、フェルート・クレビスという男だった。
淡い金色の髪に薄茶の瞳をした、リシィルよりも頭一つ分背の高い、国境警備隊をまとめる隊長職を拝している男性だ。
フェルートはリシィルを眺めた。
しばしの間彼は呼吸するのを忘れたかのように、リシィルに視線をやる。
リシィルは途端にむずがゆくなった。
どうして今日こんな格好をしたんだっけ。と、心の中で自問する。
「いつまでじろじろと見ているんだ? 失礼な男だな」
リシィルはたまらなくなって声を出した。
「悪い……。きみがいっぱしの令嬢に見えた」
「失礼な男だ。わたしはどこからどうみてみ令嬢だよ」
リシィルは面白くなくて横を向く。
ボンネットは外している。
少し茶色味のある金色の髪はゆるく結わえられており、リボンとピンで固定されている。
ドレスの袖から見える手は白い手袋がはめられている。
「そうだな。今のきみは、ちゃんとした令嬢にみえる。普段からそういう格好をしていればこちらも相応の敬意を払って接するのに」
「わたしはそういうの嫌いだ。誰もがみんなメンブラート家って言う」
リシィルは反射的に答えた。
リシィルの行動の裏にはいつもこの言葉がある。「メンブラート家の娘として恥じない行動を」小さなころから沢山の人たちに言われてきた言葉。
「仕方ないだろう。きみは正真正銘伯爵家の令嬢なんだから」
「わかっているよ。だったら、こう言ったら満足? ごきげんよう、クレビス様。国境警備の任務ご苦労様ですわ。メンブラート家の娘としてお礼を申し上げます。トルデイリャス領をお守りいただき、ありがとうございます」
リシィルは努めて涼し気な声を出して、普段滅多にしない、余所行きのすずらんのような笑顔を顔にはりつけた。
膝を折り、優雅にお辞儀をして回れ右をして立ち去る。
リシィルは伯爵家の娘だ。
父からはお転婆家業を仕込まれたが、それとは別に手配をされた教育係からは淑女の礼儀作法をきっちり仕込まれた。教育係は厳しかった。反抗をすると容赦なく食事を抜かれたし、エシィルも連帯責任を負わされた。小さな子供は言うことをきくよりほかはない。反抗するにも時と場所を選んでうまく立ち回る必要があることはこの頃に学んだことだった。
父と一緒のいたずらだと苦い顔をするものの、教師も何も言わなかったからだ。
「ああリルちゃんたら。どこに行っていたの」
「お母さん」
カリティーファは蒼い顔をしてリシィルを呼んだ。
警備隊とは顔見知りとはいえ、やはり緊張するのか呼吸が少し荒い。
「大丈夫?」
リシィルはこくりと首をかしげる。
「……ええ……なんとか」
カリティーファは蒼い顔をしながらも気丈に微笑んだ。
「審査は終わった?」
「ええ。どちらかというと挨拶がメインよ」
カリティーファとリシィルは並んで廊下を歩いた。応接間に入るとユーリィレインが一人、長椅子に座っていた。
「お姉様、遅いわ」
「悪い。ちょっと寄り道してた」
「もう。そんな調子じゃ日が暮れてしまうわ」
ユーリィレインは立ち上がってリシィルの方へ近寄ってきた。文句が口から出るくらいには調子が戻ってきたようだ。
元気になってくれてなによりだ。
カリティーファは娘二人を促す。
警備隊の詰め所から外へ出て、リシィルとユーリィレインは馬車へと乗り込んだ。
「いいこと、レインちゃん。先生の言うことはしっかり聞くのよ。あと、道中はクルーエルとリシィルを困らせないこと。それから、学院に着いたら手紙を書いて頂戴ね。絶対よ。わたしもお手紙たくさん書くから」
馬車に乗った娘に、カリティーファはたくさんの心配事を言い聞かせる。
「わかったわ。道中の心配はどちらかというとお姉様の方にしてあげてちょうだい」
「それもそうね。リルちゃん、くれぐれも変な喧嘩は売らない買わない関わらない。いいわね。レインちゃんの面倒をよく見てあげてね。あと、お酒はほどほどに。夜遊びも厳禁よ。ファレンストさんによろしくね」
「はいはい。わかったから」
長くなりそうな気配がしてリシィルはおざなりに手を振った。
残念ながら禁酒は聞けない相談だ。何しろフラデニアに行くのだ。
フラデニア産の葡萄酒をたらふく飲むぞ、というのが今回リシィルのひそかな楽しみだ。
「返事は一回よ。いいわね、絶対に羽目を外しちゃだめよ。あなたは伯爵家の娘なのよ、わかっているわね」
カリティーファはいつもの決まり文句を口にする。
「あーはいはい」
「お母様ったら、お姉様に言ってもどうせ馬の耳に念仏なのに」
それでも長々と注意事項を垂れ流そうとする母親に、ユーリィレインが呆れた声を出した。




