フレンと年下の偽装婚約者1
フレン視点で書いてみました。舞台裏です
最近フレンは首をかしげてばかりいる。
原因はオルフェリアである。つややかな黒い髪に薄い紫色の瞳を持った、まだ十六歳の伯爵令嬢は一見するとどこか熟練の職人が丹精込めて作り上げた人形のような美しい顔立ちをしている。しかし、口を開くと声は想像を裏切らないくらいの可憐さなのだが、その内容にがっかりすることになる。要するに、おおよそ深窓の令嬢らしくらいくらいはっきりした物言いをするのである。
と、別にこれはフレンにとっては今更だ。
オルフェリアの率直な物言いに付き合うこと数か月。
もう慣れた。彼女の見た目と台詞が合っていないことも、フレンに対してかなり辛辣な口調であることも。
なのに、ここ最近おかしい。
オルフェリアと喧嘩をしているときでさえ楽しいのだ。
フレンは内心首をかしげる。
気が付くとオルフェリアのことを目で追っている。最初の頃は十一も年下の少女から辛辣にやり返されて、むかつく……とか思っていたのに。
フレンは自分の心の変化に戸惑っていた。
なにしろ相手は年下の、十代の伯爵令嬢なのだ。しかも偽装婚約相手である。
偽装婚約と知っているのはフレンとオルフェリアと、アルノーだけである。
だから他の人間の前ではフレンはもれなく今が楽しくてたまりません、という春真っ盛りな男性として扱われる。
「そういえば、二人でゆっくり話したことはなかったかもしれませんね」
会員制のとあるクラブで現在フレンはインファンテ卿、ヴィルディーの夫と二人きりで飲んでいた。
「そう言われれば、改めて二人きりと言うのは初めてですね」
フレンは知人と食事を取っていたのだが、その知人が酒の席までは付き合わずにそそくさと帰ってしまい(妻に尻に敷かれているのだ)フレンも別のクラブに顔を出そうかと思っていたところ、インファンテ卿に呼び止められたのだ。彼も別の男性らと談笑していたのだが、姪っ子の婚約者と二人きりで話しておきたいと、個室へと連れてこられた。
フレンの前にはブランデーが置いてある。
「今日は私にごちそうさせてほしい。いつも私たちの分まで土産やらなんやら気を使ってもらってすまないね。ヴィルディーもすっかりルーヴェの菓子を気に入ったようだよ」
「いいえ。お気になさらずに」
フレンはそつなく微笑み返す。
インファンテ卿はフレンの父親と同じくらいの世代の男性だ。栗色の髪の毛には少しだけ薄い色のものが混じり始めている。
「オルフェリアはきみと婚約をしてから目に見えて明るくなったよ。伯父としてもお礼を言わせてほしい。昔に比べると表情が豊かになったからね。ヴィルディーも安心している」
穏やかな声である。
フレンを信用しているのだろう。
フレンは少しだけ居心地が悪くなる。なにしろ、オルフェリアはフレンの本当の婚約者ではないからだ。
「私は何もしていませんよ」
フレンはそれだけ返した。
「謙遜しなくてもいいよ」
インファンテ卿はにこりと笑った。
彼にとってもオルフェリアは娘のような存在なのだろう。この夫妻は仲が良い。愛する妻がかわいがる名のことを好いているのだ。
インファンテ卿はそれからフレンにオルフェリアが自分らの邸に住み始めたころのことを話し始めた。
フレンにとっては初めて聞く話だ。
オルフェリアは普段あまり自身のことを話さない。フレンが水を向ければ少しだけ打ち明けるが、それでも必要最低限のことを簡潔にまとめる。
インファンテ卿の話に耳を傾けながらフレンはブランデーを口に運ぶ。
田舎の領地から王都へとやってきたオルフェリア。専用の侍女を雇い入れることも固辞して暮らし始めた彼女は、率直な言動が原因で同じ年頃の令嬢たちとなかなか良好な関係を結ぶことができずにいた。
ヴィルディーは積極的に彼女をいろいろな場所へ連れて行った。
「あれだけきれいな顔をしていると話しかけるのも気が引けるのか、なかなか友達もできずにいてね。それがある日……と、そういえばファレンスト君は知っているのかな。彼女がその……」
それまで饒舌にオルフェリアのことを話していたインファンテ卿が急に言いよどんだ。
「知っているって、何がですか?」
フレンは聞き返した。
彼女の経歴はあらかたは知っているはずだ。オルフェリアに質問状を渡して書かせたからだ。
「ええと、その。きみがどう思うかあれなのだが……。オルフェリアはああみえてなかなか好奇心が強くてね。ここだけの話にしておいてもらいたいのだが、実はきみと婚約をするまで貸本屋で働いていたんだよ」
インファンテ卿は声を潜めた。
普通オルフェリアの階級の女性は働かない。働く必要が無いからだ。
「一応知っていましたよ。彼女から聞いていましたから」
フレンは何でもないように受け流した。
そういえばそんなこともあったな、と思う。思えばフレン行きつけの貸本屋『メル・デ・フィオーニ』で働いていた店番の少女と同じ顔をした令嬢をちょくちょく顔を出していたミュシャレンの社交場で見つけたのが事の始まりだった。
あれだけの美貌の人間が二人もいるわけがないと確信をもって観察してみれば、なるほどどちらも同一人物と悟るのに時間はかからなかった。
「そうか、オルフェリアはきみには話していたんだね。よかった……」
インファンテ卿はほっと胸をなでおろした。
「そういえば、よく皆さん許しましたね。オルフェリアは伯爵令嬢ですし、まさか皆さんに内緒で」
「いやいや、それはないよ。私たちに相談してきたからね。まあ最初は反対したけれど、彼女が自分から何かをしたいと言うのはめったにないことで、ヴィルディーが伯爵夫人に手紙を書いたんだよ。で、返信に『オルフェリアちゃんの好きにさせてあげてほしい』って書かれてあってしぶしぶ認めたんだ」
フレンはようやく得心がいった。
オルフェリアに一度聞いたことがあったけれど、働くことに興味があって的な言葉しか返ってこなかった。
「貸本屋を選んだのは?」
「ああそれはオルフェリアの希望だよ。実家にいたころ行きつけの貸本屋があったみたいで、前から興味を持っていたそうだ」
「伯爵令嬢なのに貸本屋を愛用しているんですか」
彼女の階級ならば本が欲しいと言えばすぐに買い与えてくれそうなものである。
高価な本は庶民にはまだ手が届かない代物である。また、手は届いても毎月沢山出版される本を自由に買い漁れるほど財布のひもを緩めることもできない。
オルフェリアならばそんなこととも無縁だろうに。
ちなみにフレンが貸本屋を利用するのは自分の屋敷に本をたくさん増やしたくないからである。はやりの本などは一応目を通すようにしているが、全部を所蔵しようとは思わないから貸本屋を利用する。
「彼女の父親の影響のようだよ。よく連れて行ってくれたようだ。息抜きも兼ねていたんだろう」
インファンテ卿はメンブラート伯爵の人となりを思い出したのか、小さく息を吐いた。
フレンは行方知らずのメンブラート伯爵の人となりは知らない。もうずいぶんとミュシャレンの社交界へ顔を出していない伯爵の評判を聞こうにも皆そこまで親しくしていなかったようで、当たり障りのない言葉しか聞こえてこないのだ。
「オルフェリアが貸本屋で働き始めてからは気が気でなくてね。私もずいぶんとこっそりと見張っていたものだよ。たまにはヴィルディーも一緒になってね。元々私の懇意にしていた書店が出した店だから、融通も効きやすかったけれど……」
インファンテ卿は当時のことを思い出したのか苦笑を漏らした。
「あれだけ可愛いと心配になりますね」
「そうなんだよ。余計な虫がつかないかと気が気じゃなかった。彼女は大事な姪っ子だし預かりものだしね」
インファンテ卿はそう言ってブランデーのグラスを傾けた。
「ああ、べつにきみのことをあてこすっているわけじゃないよ。きみとオルフェリアは読書の会だっけ? 共通の知人のサロンで知り合ったんだろう」
「ええ」
フレンはうなずくだけにしておいた。
そんな風にオルフェリアの過去を誰かを通して垣間見れば、フレンの心は少しざわつく。
今も貸本屋で働いていたらと思うと、フレンの心はちりちりと焦りにも似たような感情がうずまく。
もしかしたら誰かがオルフェリアに懸想していたかもしれない、声をかけていたかもしれない、などと思うと理由のわからない焦燥感が身を焦がす。
彼女は気づいていないだけで、あからさまな秋波を送っていた男がいたのかもしれない。
「さっきからなあに? わたしの顔、何かついている?」
「え、いや。何でもないよ」
「そう」
オルフェリアは少しだけ腑に落ちないような顔のまま前を向いた。
現在ファレンスト邸にはオルフェリアが訪れている。
というのも、フレンはオルフェリアに婚約指輪を贈ることにしたからだ。ミネーレの率直な疑問から、フレンは肝心の婚約指輪をオルフェリアに渡していないことに気が付いた。
偽装婚約をしてから色々とありすぎてすっかり失念していた。
彼女も何も言わないのだから仕方ない。アルノーも何か言ってくれればよかったのに、と秘書官に責任を擦り付けてみる。
「宝石商まで呼んで、大げさよね」
オルフェリアは明らかなに気乗りしないようだ。
応接間にはフレンとオルフェリアの二人きりである。演技なしの彼女はフレンに素っ気ない。
それもフレンの気に食わないことのうちの一つだ。フレンの前でオルフェリアはめったに笑ってくれないからである。
「必要経費だよ」
「今の今まで忘れていたくせに」
「そっくりそのままお返しするよ。こういうのって普通女性の方からねだってくるものじゃないか?」
少なくともフレンの周りの女性とはそういうものだった。
少しでもフレンと親しくなると、急にあれがほしいとかこれが見たいとか言い出す。オルフェリアには物欲がないのかあの店の新作が欲しいとか、夜会用に新しい首飾りがほしいとか、そういう台詞を言わない。代わりにミネーレが嬉々としてフレン支給の予算を消化していく。
「し、知らないわよ。そんな普通……」
オルフェリアはそっぽを向いた。
一時期ぎくしゃくしていたが、女組のミュシャレン公演も終わった今、二人はこれまで通り軽口を叩きあう関係に戻っている。
フレンはふいにオルフェリアの頬を指でつついた。
「ちょっと。何をするのよ」
「別に……」
オルフェリアが眦を持ち上げてフレンを見上げる。薄紫色の瞳がまっすぐにフレンを射抜く。
笑った顔は見られないけれど、怒った顔になら頻繁に出会える。彼女の怒った顔も嫌いではない。
「あなた、最近訳が分からないわ」
「そう? だいぶわかりやすいと思うけど」
「どこがよ……」
オルフェリアはそれきり黙って、やっぱりフレンから顔を背けた。
どうやら完全に機嫌を損ねてしまったらしい。
どうやって機嫌を直そうか、などと考えていると従僕が部屋へと入ってきて宝石商が到着した旨を伝えた。
宝石商を部屋に招き入れるとオルフェリアは少しだけ自身の周りに張り付かせていたぴりりとした空気をやわらかくした。
フレンは演技と称してオルフェリアの手を握る。一瞬びくりと反応をしたオルフェリアだが、その数秒後観念したようにフレンの手を握り返してきた。恋人のように、指と指を絡ませていないだけフレンは手加減しているのである。そういうところを少しは慮ってほしいと思う。
宝石商は「お二人とも仲がよろしくてうらやましいですな」などとみえすいたお世辞を言いつつ、持参した宝石たちをフレンらの前に広げていく。
広げられた宝石を目にしてオルフェリアは小さく口を開いた。
濃紺の天鵞絨の上には大粒の宝石が乗せられている。
ダイヤモンドやサファイヤ、ルビー、などなど。どれも一級品だ。
「ファレンスト様、今回は指輪をご所望だとか。このダイヤモンドなどはいかがでしょうか。ここ最近では一番の出物です」
男の指さしたダイヤモンドは、なるほど大きく傷もない美しい代物だ。
「どう思う、オルフェリア?」
フレンは形式上オルフェリアにお伺いを立てる。
内心は、もうそのダイヤモンドで手打ちにしようと決めているのだが、こういうのは女性の意見が尊重されるのである。
「えっと……。ちょっと、その高価すぎるというか」
「……」
オルフェリアは素直につぶやいた。
「高価すぎる……。い、いやあ、まあそうですな。確かに少し、いやかなり値は張りますがね。なにしろファレンスト様の元にお持ちするんですから変なものは持ってこれませんよ」
冷や汗をかいたのは宝石商の男である。
小さいとかもっと大粒の方がいいとか言われるかと思ったら高価すぎるというなんともつつましやかな感想を聞かされたからだ。
フラデニア屈指の金持ちであるファレンスト家の次期家長が婚約指輪を贈るというのだ。宝石商も張り切って宝石を用意したのである。
「わたしにそこまでお金かける必要はないのよ。もっと、地味なのでいい」
(まだ言うか、この娘は)
フレンは握ったままだったオルフェリアの手にぎゅっと力を込めた。
彼女の空気の読めなさ加減はまだまだ現役である。
「は、はあ。地味ですか……」
宝石商は困惑しきりである。
彼とて貴族の女性から地味な石を所望されたのは初めての経験だった。通常貴族階級の女性は見栄っ張りで、宝石商相手でも精一杯見栄を張る。間違っても地味な石が欲しいなどとは言わない。
フレンは予定を変更することにした。
「私の可愛い婚約者は恥ずかしがり屋でね。来た早々悪いが今日は一度終いにしよう。後日改めてどんなものがいいか、私の方から知らせるよ」
「はい。かしこまりました」
「本当、悪いね」
フレンの言葉に宝石商は荷造りを始める。
宝石を持ってきてものの五分で商談が終わってしまった。彼としてもやるせないだろう。
しかし、これ以上続けてもぼろが出るだけである。




