弓曳き童子 肆
その源次郎が困りきった顔で中岡編集に視線を送る。
中岡編集は仕方が無いといった表情で、小さく手を上げて話をし始めた。
「宜しいでしょうか? 多分部外者の僕が一番冷静でいられると思うので、現在の状況を整理しつつ、一から説明させて頂こうかと思います」
皆の視線が中岡編集に集まる。皆一様に思考が働いていない様子で、反論する人間はいなかった。
「まず、僕の聞いたお話では、毎朝六時に女中頭の方が村上氏を起こす為にお声掛けをする事になっていたらしいのですが、今朝に限って返事がなく反応も無いと聞きましたが……」
「間違いありません。その通りでした」
中岡編集の説明に年配の女中頭が小さく頷いた。
「様子がおかしいと、他の女中の方達、呉羽さん、源次郎さんが集まってこられ、戸の隙間から部屋の中を覗き見ると、胸に矢を受けた村上氏が倒れているという事でした。僕もそれは見ました。それで僕が肩で戸を破ってみた所、お部屋の中にはこの惨状があったのです」
中岡編集は呼吸を整える為なのか小さく息を吐いた。
「村上氏は、僕が現状を見たかぎりでは床の間に飾られていたあの甲冑の引き絞った弓から発せられた矢によって殺害されたように見えます。実の所、あの甲冑の内部にはからくりの機巧が仕組まれているようで、まだ確証こそありませんが、弓曳き童子というからくり人形のように、矢を番え放つことが出来るかもしれません。そうだったとして状況を見ると、矢の一本は外れましたが、三本の矢が村上氏の胸に突き刺さり村上氏の命を奪ったものだと思われます。からくりが矢を放って殺害したという事自体が偽装の可能性もありますが、とにかく矢によって絶命させられたのは間違いなさそうです」
説明を聞いていた妻の初が指を差しながら呟いた。
「あれが外れた矢なのですか?」
「ええ、そうです」
中岡編集は厳しい表情のまま答えた。
「あの矢には文のような物が結び付けられているみたいですが、そこに何か書いてあるように見えますけど、何と書かれているのでしょうか?」
「えっ?」
中岡編集は意外な言葉を聞いて驚いた。
私も遺体や甲冑にばかり気がいっていて、壁の矢に関しては余り意識していなかった。
よくその紙を見ていなかったから気が付かなかったが、言われて改めて見てみると確かに墨で書いた文字のような物が透けて見えている。
「本当ですね気が付かなかった……」
中岡編集は床から四十センチメートル程の高さの壁に突き刺さっている矢まで近づいた。
その矢文のような物は近くで見ると半紙よりは幾分硬そうな和紙を折り畳んだ物のようだった。
「どうしましょう? 解いてみますか?」
中岡編集は同意を求める。
「ええ、開けてみて貰えますか?」
妻の初は頷いた。
「それでは、現場保存をしなければいけないと思いますが、一応開いてみます。なので皆さんの方では、最初は矢の首に紙が結ばれていた状態を記憶して於いて下さいね。最初はこうなっていたと後々説明する必要が出てくるかもしれませんから……」
中岡編集はそう断りを入れてから、作務衣の裾を使い指紋が付かないように注意しながら結ばれた和紙を解き開いていく。
「おお、何だこれは…… 和歌か……」
中岡編集が見えるように紙を広げた。 そこにはワザと下手に書いたような文字で和歌のらしき物が書き記されてあった。
「え、えーと、わ、わが恋は 三島の浦のうつせ貝 む、むなしくなりて 名をぞわづらふ と書いてあるようですね……」
中岡編集は聞き覚えの無い句なのか、読みにくい字だからか、顔を顰めながら読み上げる。
「そ、それは、鶴姫の辞世の句ですね……」
妻の初が呟いた。
「鶴姫?」
中岡編集が問い返す。
「鶴姫伝説です」
妻の初が答えた。
「えーと、そ、その鶴姫という方は何をされた御仁なのでしょうか?」
随分歴史に詳しい筈の中岡編集でも、その鶴姫という人物を知らないようだ。頭を掻きながら妻の初に質問した。
私も歴史好きではあるが、その鶴姫伝説というものを全く知らなかった。
「鶴姫は、室町時代後期に生きていた人で、伊予の国、大山祇神社の神主、大祝安用の娘です」
「そ、それで、その鶴姫には、どんな伝説があるのですか?」
「確か、室町後期の頃ですが、中国地方で勢力を拡大させていた周防大内氏が、伊予河内氏の勢力下である瀬戸内海に手を伸ばしてきたのです。伊予河内氏の一門である大祝家では、河内氏を巻き込む戦が起こると、一族の者を陣代として派遣する事になっていたらしいのです」
「大内氏と河内氏ですか……」
「鶴姫の生家大祝家でも戦に一族の者を派遣する事になりました。しかし、兄である安房が討ち死にし、とうとう大祝家からは鶴姫が戦に赴く事になりました」
「女の身で戦にと?」
中岡編集の質問に妻の初は小さく頷く。
「戦いが次第に激しさを増していく中、天文十年の戦いでは、激しく攻め立ててくる大内氏に抗戦し、鶴姫達はなんとか大内氏を追い返す事に成功します。しかし鶴姫の恋人であり右腕でもあった越智安成が討ち死にしてしまう事になるのです。そして鶴姫は先程の句を詠んだあと、失った兄や恋人を思いながら、若干十八歳で入水自殺をしたと云われています……」
「そ、そんな話が……」
中岡編集は驚き顔で呟いた。
私も室町後期から戦国初期にかけての伊予の地に、そのような歴史的逸話が残っていたという事を初めて知った。
「しかし、どうしてその句が矢に結び付けられていたのでしょうか? 村上氏を殺害する為に仕込まれた矢に付いていたという事は、何かの伝言や予告、忠告を意味するものの可能性がありそうですが、あの句の内容を聞いた上では大内氏とか伊予河内氏は出てきますが、村上氏とはあまり関係がなさそうですが……」
私は困惑しながら聞いた。
「さあ。それは私にも解りません…… でもその天文十年の戦いの際に、村上水軍が二つに別れ、一方は大内方、また一方は伊予河内氏の味方に付いて戦ったという話を聞いた事があります。もしかしたら、その辺りが関係しているのかもしれませんが……」
妻の初はそう呟くと静かに口を閉ざした。
「奥様、お話、どうも有難うございました……」
中岡編集は頭を下げ礼を云った。
そして改まり大きく息を吐いてから話を続ける。
「いずれにしても村上氏は、こっそりこの島に船で上陸した誰かに、若しくはこの島に滞在する誰かに殺されたのは間違いありません。こういった場合には直ちに警察に連絡をする事が重要になります。ですが困った事に、この島には通信手段がないということでした。村上氏の船には連絡手段があるのかもしれませんが、僕にはどうやって通信機を使えば良いか解りませんし、船をどう動かして良いかも解りません。源次郎さんのお話では、皆様も船に関しては詳しくないとの事でしたが……」
「……それでも、このままじゃ…… 何とか船を動かして、警察まで赴いた方が良いんじゃないですか?」
娘の飛鳥が震える声で聞いてきた。
中岡編集はその問い掛けに顔を顰めながら答える。
「ただ、問題がありまして…… もし外部から侵入した殺人鬼のような人物が存在するのでしたら、漂流を覚悟で、身を寄せ合いながら、何とか船を動かし島を離れるべきだと僕も思います。ですが避難する人間の中に殺人犯がいた場合、逃げ場のない船で暴れられ皆殺しにされる可能性もあります。その上で犯人に船を与えて逃がしてしまう恐れもありますけど……」
「じゃあ、どうしたら良いんですか?」
妹の呉羽が引き攣った顔で質問してくる。中岡編集は返答に困り口を閉じ頭を掻いた。
そこで私は小さく手を挙げた。
「幸いなのですが、本日午前十時頃、私達を迎えに漁船が来る事になっています。その漁船に警察を呼びに行ってもらうか、漁船の無線で連絡をしてもらうかをしてもらうのが一番確実なのではないでしょうか?」
「あっ、そうか、そういえば迎えに来てもらう事になっていたな……」
中岡編集は思い出し、喜色を浮かべた。
「そうでしたね、十時にお二人を迎えに来る事になっていましたね」
源次郎も頷く。
「となりますと、これから十時頃までは、これ以上変に現場を荒らすのは拙いので、一つ部屋で集まり、この中に殺人犯がいるのであれば、お互いがお互いを見張り、外部犯がいるのであれば、それに対し力を合わせ立ち向かえるようにしているのが一番なのではないかと考えます」
中岡編集は提案する。
「なるほどですわ、そうですね、確かにそうですわね」
妻の初は何度も頷いた。
「それで、皆さんが揃って留まっていられる広い部屋はどこかにないでしょうか?」
妻の初が少し考えた上で答えた。
「……でしたら、この天守閣部分の三層目の大広間では如何でしょう」
「大広間ですか、いいですね、では、そちらに移動しましょう」




