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歴女作家 坂本龍馬子の奇妙な犯科録  作者: 横造正史
第三章
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考察  壱

 屋敷に戻ると松子は母屋に引き上げて行った。私達は清子に促され自分に宛がわれた庵に引き返す。


 部屋にはまた松花堂弁当のような物が用意されていた。それが私達の本日の夕飯らしい。中岡編集は舞茸の天婦羅を箸で抓みながら図書館で借りてきた本に目を通していく。


「食事が済んでからにしたらどうですか?」


 私は煮物を口に運びながら声を掛ける。


「いや、今日得た情報を忘れない内に、再検証しておきたいと思ってね。とにかく今日解った事は、日蓮上人や身延山、そして、その奥の院となる七面山に何か糸口がありそうだという事だ。武功録の内容に重なる文言がとても多いからだ」


「確かに身延山、特に七面山に何かありそうですね」


「ああ、だから手始めに僕は日蓮上人の生涯を細かく調べてみようと思ってね」


 中岡編集が開いている本は日蓮の生涯というタイトルだった。


「君は食べながらで良いから聞いてくれ、ちょっと日蓮の生涯を読み上げてみよう」


 私は頷く。


「まず、日蓮上人は貞応元年に安房国長狭郡東条郷の片海という漁村で産まれたらしい。幼名は善日麿という名前で、天福元年、十二歳の頃に安房の国にある清澄寺に入門、その後十六歳の時に正式に清澄寺の道善房を師匠として出家し、是聖房蓮長という名に改めたとの事だ」


「日蓮は千葉県出身の人だったんですか?」


「そうみたいだな、それで出家した後、仏教の教義の本質を正しく見極める為に、比叡山や高野山、奈良の六宗、七大寺、四天王寺等に遊学に赴き修行したようだ。そして、慶長五年、日蓮が三十二歳の年に、南無妙法蓮華経の題目を唱える法華教こそが仏教の教義の本質であると訴え、自らが籍を置いていた清澄寺の持仏堂で念仏を破折し実践に踏み出す事となると……」


「どういう事ですか? それと破折って何?」


 私は聞き覚えのない言葉を聞いて思わず質問する。


「つまり、自分で宗派を作り上げ、自分が学んでいた浄土宗の本尊を打ち壊したということだよ。そして蓮長の名を捨て日蓮と号したとの事さ」


「結構酷い事しましたね」


「ああ、そこまでの覚悟を以っていたとも云えるだろう。しかし、その事を清澄寺が在する土地、安房国東条郷の地頭である東条景信が憤り、日蓮上人は安房の地を追われ鎌倉へと赴く事になる。その後、鎌倉の名超の松ヶ谷に草庵を構え、鎌倉で広まってた念仏と禅宗の破折を胸に、法華教を広める為の辻説法を繰り返す」


「自分の宗教を広める努力は良いですが、他の宗教を壊す必要は無いのではないですか?」


「うーん、人の数は決まっているから、改宗させないと広められない状況だったとも云えるかもしれない……」


「成程……」


「それで、その当時である文応元年は異常気象や大地震などがあり大飢饉や火災及び疫病の流行が続いていた世相だったのだが、日蓮上人はその事を足掛かりにし、天変地異が続いている原因は、国中の人間が正しい法に背いて邪教を信じている事だと称し、邪教を廃し、正しい法を信じないのであれば、自然叛逆難や他国侵逼難が次々に起こるであろうと記した立正安国論を、時の幕府の最高権力者である北条時頼に提出したのだ」


「そ、そこまでしたのですか、かなり強引ですね」


「凄い行動力だと思う。しかしだな、その事により幕府や他の宗派から目を付けられ、日蓮上人が四十歳の年に幕府により伊豆の伊東へ流罪に処される事となってしまう」


「流罪ですか…… まあ、そこまでやったら当然とも云えますね……」


「ただ、その件での罪は軽微で、一応二年程で放免されたようだな」


 中岡編集は口が渇いてきたのか、お吸い物を手に取り口を付けた。


「しかしながら、世相は更に悪い方向に動き、日蓮上人が立正安国論を幕府に提出をした五年後である文永五年に、幕府の下へ蒙古からの国書が到着する。俗に言う蒙古襲来の時期だ。その内容は、蒙古の求めに応じなければ兵を用いて侵攻するという旨が示されていたと云う」


「いつ敗走、元の船。ですね、日蓮の時代は丁度その時代だったんですね」


 私は歴史の授業を思い出しながら呟いた。


「ん? いつ敗走、元の船とは?」


「語呂ですよ、い、つ、は、い、が一、二、八、一で語呂になっているのです」


「ほう、そんな覚え方があったのか、知らなかった……」


 中岡編集は関心したように呟いた。


「いずれにしても、日蓮上人は自分の訴えていた事が都合よく現実になったのもあり、安国論御勘由来を幕府に提出し、再度、邪教を廃し、正しい法を信じるように求めた。しかし、そんな日蓮上人を危険視した幕府は、日蓮上人を呼び出し尋問する事にした。その尋問の際に日蓮上人は幕府や諸宗を批判した罪で捉えられ、腰越龍ノ口刑場で処刑され掛る事になったと……」


「……んっ、龍ノ口刑場…… だと?」


 そこまで説明してから中岡編集は、再度その部分を読み返した。


「龍ノ口…… 龍口ですね!」


 私も思わず声を上げる。


 龍ノ口、龍口、という関係が深そうな名称が出てきて私は驚きを隠せない。


「ちょっと脱線するぞ、その龍ノ口刑場という部分を細かく調べてみたい」


 そして、中岡編集はその龍ノ口刑場というものについて細かく調べ始めた。

 色々な箇所のページを捲り、かなり真剣に見入っている。図書館で一緒に借りてきた広辞苑まで広げて調べていた。


「……な、なるほど、龍ノ口刑場があった龍口という場所は、現在の神奈川県藤沢市片瀬南東部、江ノ島駅近くに位置し、龍口りゅうのくちという名称はかの地に古くから伝わる五頭竜伝説にちなんで付けられたとの事らしいぞ」


 ある程度把握出来たのか、再び中岡編集の説明が始まった。


「江ノ島の近くなのですか、此処から随分離れてますけど……」


「まあ距離の事は置いて於いて、伝承によると、五頭竜というのは鎌倉市深沢にあった沼に棲んでいた龍で、様々な天変地異を引き起こしす荒ぶる龍だったらしい。本当の事かどうかは解らないが、龍を宥める為には子供を生贄として捧げる必要があり、生贄を差し出していた場所は古くは子死越と呼ばれていたらしい、それが変化して現在の地名は腰越になっていると書かれてあるぞ」


「腰越が子死越ですか…… なんだか凄くなってきましたね」


「うん、伝承によると、その龍が江の島の弁財天に惚れ求婚したという。しかし嘗て悪事の限りを尽くした事を理由に弁財天はそれを断った。その後、五頭竜は改心して、日照りの際には雨を降らせ、天変地異を起こさなくなったという。やがて片瀬にある龍口山に姿を変えこの地の守護神になった。というものだった。山の中腹には龍が口を開いたような形をした岩があり、龍は今でも江ノ島の弁財天を恋焦がれるように見つめているという。一応、龍口の地名が付いている付近が頭部に当たる為、龍口と呼ばれるようになったという事のようだ」


「となりますと、かなり昔から龍ノ口という地名だったという事ですか?」


「そのようだな、龍口という地名は相当古くからあり、先程の伝承に因んで龍口明神社という神社が創建されていたようだ。この神社は五三八年に建てられた物らしく。玉依姫命と五頭龍大神を祭っているとの事だった。玉依姫命は海神族の祖先でもあるらしく龍神としても崇められたようだ」


 段々、古事記、日本書紀にみられるような神話じみた話になってきた。


「五三八年というと飛鳥時代ですね、そこまで昔なのですか?」


「地名としてはその辺りに成立しているのは間違い無さそうだ。だが時は流れ、鎌倉時代初期に至ると、片瀬や腰越付近で首実検や処刑が行われるようになった。まあ刑場として主に使われるようになった訳だ。日蓮を始め、蒙古の使者である社世忠や北条時行の処刑なども行われたらしい。源義経の首実検も腰越の浜で行われたという話も伝わっているので、若しかしたらこの龍口付近で行われたのかもしれない」


「鎌倉時代辺りから刑場として使われるようになったのですか、神様が住んでいる場所なのに……」


「しかしながら、日蓮上人は処刑されかかるものの、天変地異の為なのか奇跡的に処刑を逃れ、減刑の上で佐渡へ流刑に処される事となった。それもあって日蓮の弟子や日蓮宗の者からすると、日蓮が処刑を逃れ奇跡を起こした地だという事で神聖視されていった。その後、日蓮の弟子、日法が龍口寺という寺を建立したと……」


 私はそこまでの説明を聞いた上で、少し考えてから口を開いた。


「……とすると、片瀬の龍口は我々が探している龍口とは少し違うような気がしますね」


「違うというと?」


「私的には、この地は武功録に出てくる龍口とは直接の関係は無さそうな気がします。まず龍口明神社の方は伝承が古すぎますし身延山も出てきません。位置的にも穴山梅雪との接点などは見出せませんし……」


「まあ、確かに」


「処刑場としての龍口に関しては、日蓮が処刑され掛るが奇跡的に助かった場所であるという事だけですよね? 龍口寺に関しても、日蓮自身が建立した訳ではなく、その弟子が日蓮を称える為に建立したという事ですし、関係がありそうで、関係が無いのではないでしょうか?」


「確かに僕もそう感じる。しかしながら、龍口という言葉自体と日蓮には、何かしらの関係がありそうだとは感じるが……」


「私も龍口と龍ノ口、日蓮に関しては関係はありそうだと思います。でも、この場所に関しては関係は薄いと思います。まあ、片瀬の龍口という地名がどういう歴史を辿って名付けられたかという事を学び、少し勉強になった気がしますけど。その先の生涯において日蓮上人が龍口という名称を何処かに流用した可能性はあると思います」


「なるほど、じゃあ、その後の日蓮の生涯を確認してみるとしよう」


 中岡編集は脱線していた所から再度戻った。


「え~と、それで、その神奈川県藤沢市片瀬にある龍口で日蓮上人は処刑されかかるものの、奇跡的に処刑を逃れ、減刑の上で佐渡へ流刑に処される事となる。佐渡に着いた日蓮上人は塚原三昧堂という死骸置き場のようなお堂に置き去りにされた。まあそこで朽ち果てるように仕向けたのかもしれない。その堂は一間四面程の狭いお堂で雪が隙間から入り込んでくるような場所であったようだ」


「それじゃあ死罪と余り変わらないじゃないですか」


「僧侶であるから殺すと罰が当たりそうで、直接手を下さず殺害しようとしたのかもしれないな…… いずれにしても、日蓮ももう五十歳だ。あまり活動的な事も出来なくなる。開目抄を、その後一ノ谷に移ってから観心本尊抄を著しながら佐渡で過ごしたらしい。そして、文永十一年、日蓮五十四歳の年に、四年の歳月を経てようやく放免され、身延一帯の地頭である清和源氏、甲斐源氏武田流の南部実長の誘いにより、身延山に入山して久遠寺を開山する」


「ようやく武田氏の名前が出てきましたね。でも身延山近くの領主は南部氏じゃなくて穴山氏じゃないのですか?」


「確か、室町時代は南部氏の所領だったのだが、南部氏が東北に国替えになって穴山氏が入部したような記憶がある。まあ、その辺りは後で検証しよう」


「了解です」


「それで、その後九年もの歳月を身延山中で過ごすも、寄る年波なのか病を得て、湯治の為にと常陸の国へ赴く途中、武蔵の国池上で倒れ、池上氏の館で十月十三日の辰の刻に死去、その池上氏の邸宅は現在の池上本門寺となっているとの事だった」


「ああ、だからなんですね、さっき本堂の天井に描かれた龍を見た時、何処かで同じような龍を見た記憶があったのですが、そういえば池上本門寺の天井にも同じような龍が描かれていましたよ」


「本門寺も法華経の寺だし、日蓮終焉の地であるから追従したのかもしれないな……」



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