久遠寺へ 壱
翌朝、私達は清子の運んできた松花堂弁当のような朝食を部屋で食した。朝食の方は魚の練り物や干物など朝食然とした物だった。
「さて、じゃあ、あの美しい松子さんの所へお話を聞きに行こうとするか」
「そ、そうですね」
中岡編集は、昨日紹介された松子という娘の容姿をやけに褒める。この男は相手が美人だと対応が違ってくるのだ。逆にそうでもない対象だと扱いが雑になり失礼な事を口走ったりもする。私の場合はそうでもない対象に属するらしい。
食事が済むと、私達は屋敷内にある松子の部屋へと足を運んだ。
庭を抜け母屋に入り込み、一階部分から傾斜の急な階段を登り二階へ上がる。二階には松の間、竹の間、梅の間の三つが並んであった。松子の部屋は松の間なので一番奥側の部屋だ。私達は間違えないように注意する。
「し、失礼します。私、中岡と申しますが、お話を少々お伺いしたくて参ったのですが……」
襖戸の外から中岡編集が声を掛けると、すぐに中から声が戻ってきた。
「どうぞ、お入りになって下さい」
中岡編集はおずおずと引き戸を引き足を踏み入れる。私はすぐ後ろに従った。
部屋は結構広い書院造りの上品な部屋になっていた。部屋の中央には和卓が置かれ、柔らかそうな座布団が配してあった。
「お早うございます。お待ちしておりましたわ」
黒っぽい洋装姿の松子が笑顔を向けてくる。
昨日見た時は着物姿であったが、洋装の松子もまた美しかった。細い首筋が見え、何か洋装ならではの色気が漂っている。
「えっ、ま、待っていてくださったんですか? 僕を……」
中岡編集はその色気に魅せられてしまっていたのか変に動揺しており、上擦った声で聞き返す。松子は松子に聞けと云たわれたから待っていたのであって、中岡編集を待っていた訳ではないだろう。何が、僕を待っていてくださったんですか、だよ。あんただけじゃなく私も待っていたんだよ! 私は心の中で突っ込みを入れる。
「ええ、そろそろ、いらっしゃるのではないかと思って…… どうぞ、そちらにお座りください」
促され、私達は用意されていた座布団に座った。
松子はすぐに部屋に持ち込んでいた魔法瓶を使い、急須にお湯を注ぎお茶を用意してくれた。
「どうぞ」
お茶が私と中岡担当の前に差し出される。
「有難うございます」
私は頭を下げお茶を口にした。
そんな私の横で、中岡編集がいきなり真剣な面持ちになったかと思うと、何故か自己紹介をし始めた。
「あ、改めて自己紹介させて頂きますが、僕は中岡慎一です。一応出版社の編集をしております。中岡という姓もありますが、歴史上の人物である中岡慎太郎に似ているとよく云われます。年齢は四十五歳。現在結婚相手を募集中です」
そして例のごとく白い歯をみせびらかすかのような笑顔を振りまく。聞かれてもいない事まで云う必要がどこにあるのだろうか?
「そ、それはそれは……」
松子は苦笑を浮かべ小さく頷いた。
「それで、こっちは、僕が面倒を見ている新人作家の坂本亮子です。ペンネームは……」
「あっ、ちょっと、ちょっと、中岡さん、私の自己紹介はいいですよ、自分でしますから……」
私は変な名前で紹介されまいと慌てて説明を遮った。
「何を云っている。僕が松子さんに解り易いように説明しているんだぞ。邪魔をするな!」
中岡編集は興奮気味に云う。
「で、でも」
「……それでですね、ぺんネームは坂本龍馬子と云いまして、まあまあ売れている方ですかね。なぜ坂本龍馬子というペンネームを使っているかというと容姿が坂本龍馬に似ているからなんですよ、はははは」
こいつ、皆まで云いやがった。
声に出していない筈だが、私の心の中で云った突っ込みへの仕返しかよ。
その説明を受けた松子が、困ったような顔で私を見た。そして僅かに、はにかんだような笑いを浮かべると、
「確かに少しだけ似てらっしゃるかもしれませんね……」
と躊躇いがちに云った。
「い、いえいえ、全然似ていませんよ! 飽くまでも宣伝文句ですから……」
私は手を横に振り全否定をした。ただこめかみ辺りのヒクつきは止まらない。そんな私の心理を察したのか、松子は改まり、話を切り替える。
「……さて、それで私に聞きたいことは何でしょうか?」
松子は改まり対面に腰を下し、私と中岡編集を交互に見ながら聞いてきた。
「……恐れ入りますが、昨夜の穴山様のお話では松子さんが一番埋蔵金の事をお調べになられていると仰られていました。それで、いきなりで申し訳ありませんが、松子さんは現在どのぐらいのことまで把握されているかをお教え願いたく、且つ又、松子さんがお幾つでらっしゃるかや、はたまたご結婚されているのか、お付き合いしている方がいらっしゃるのか等々もお教え願いたいと思いまして……」
質問した中岡担当は僅かに顔を赤らめる。しかし恥ずかしがっている様子は薄く、目はぎらぎらとしていた。私は横で僅かに頬を掻いた。
「……私が結婚しているというのは、余り関係がない事だと思いますけど……」
松子は困惑した様子で聞き返す。
「いえ、大ありです。僕があなたの事を好きになってしまった場合。不都合が生じてしまうと困りますからね」
その言葉に松子は苦笑する。
「……そ、それでは私の事からで恐縮ですが、私は二十五歳です。結婚はしておりません。そしてお付き合いしているかたなどは特段居りませんけど……」
「ふふふ、左様で御座いますか」
中岡編集は松子を舐めるように見ると、僅かに気味の悪い笑いを浮かべた。
「それで、父が家族の中で私が一番調べているとお二人には説明していましたが、生憎ですが、実際の所を申しますと、まだまだ殆ど見当は付いておりませんし、埋蔵金がどこにあるのかなどは全く解っていないというのが現状でございます……」
松子は少し困り顔で答えた。
「見当はついていないですか…… では昨日、御伺いしました武功録の文言、身延の山にて拝み、天の岩戸なる龍口より入らずんば、備えを隠したる彼の地に辿り着くなり。戦の際には活用するべきなり。と云う部分なのですが、あの文言を読む限りでは天岩戸というのは身延山にあるように思えますが、松子さんはどうお考えですか?」
松子に恋人が居ない事に満足したようで、今度は真摯な表情に戻し中岡編集が質問を続けた。どうやら真面目な男を演じようとしているようだ。
「確かにあの文言からすると、身延の山に備えを隠したと読めます。それは誰が読んでもそう読めるので、私や姉達も身延の山を歩き回り散々探し回りました。ですが残念なことにそれらしい岩戸は発見できませんでした。大規模な発掘調査を行えば出てくる可能性もあるかもしれませんが、あの山は日蓮宗の総本山であり、日蓮宗の持ち物です。派手なことを行えば、発見した際に埋蔵金の所有権を日蓮宗と争わねばなりません。その場合は当然不利な立場に立たされる事でしょう。いずれにしても足を使って探し回った結果、埋蔵金、天岩戸のどちらも見つからなかったというのが現状なのです」
松子は俯き加減で答える。
昨日、穴山老人はその辺りの話は余りしてはいなかったが、相当独自調査をしているようだった。
「それでは、我らが祖先の名にこそ、分銅の礎へと通じる端緒となりけん。心眼をもって望むるべきなり、という文言の方は如何でしょう? 分銅とは恐らく分銅金を指す言葉でしょう、分銅金といえば、大名が有事の際に備えて備蓄した分銅型の金塊です。そこからすると穴山家の祖先の名に何か手懸りがあると目されますが?」
中岡編集は更に質問する。
「それに関しては私も一応調べてはみました。ですが、私共の家系はどうも本家筋ではないのか、江戸中期頃までしか遡れず、系図的に穴山梅雪まで行き着かないのでございます。そして、その名にも手懸り的な物は見当たらなかったというのが現状なのです」
「なるほど……」
――大分探し回った上で、それでも見付からないという事もあり、外部の人間である私達の意見を取り入れようと考えたのだろう。でなければ埋蔵金の一部を私達にくれるとは云わない気もしてくる。
「うーん、そうですか、なるほど、中々難しい問題なのですね」
中岡編集は腕を組んで考え込んだ。そして中岡編集は徐に質問する。
「……松子さん、因みにこの近くに図書館はありませんでしょうか?」
「図書館ですか?」
「ええ」
「身延の駅から久遠寺に向かう道より少し入った所に町立身延図書館がありますよ。少し解り辛い場所ですけど……」
「久遠寺の近くなのですね?」
「……図書館へ行かれるおつもりですか?」
松子が聞いた。
「ええ、資料を集めようと思って、それと折角なので身延山も見てこようかと……」
中岡編集は頭を掻きながら答えた。
松子は少し考えてから呟く。
「ならば私が身延山周辺をご案内致しましょうか?」
「えっ、宜しいのですか?」
中岡編集は予想外の提案に驚いて聞き返した。
「お二方が、どう探されるのかが少々興味がありますので」
松子は微笑んだ。
「お邪魔ですか?」
「いえいえ、お願いできるなら幸いですよ。男むさい行程より、美しい女性と一緒に調査を進める方が何倍も良いに決まっていますよ」
中岡編集は嬉しそうな顔で答えた。
「ああ、ごほん」
私は男むさい行程、というのを否定するかのように態と咳払いをする。
「あ、ああ、そうか、良く考えたらそんなに男むさくも無かったな…… まあいずれにしても大歓迎ですよ」
中岡編集は笑って誤魔化した。いい加減にしろ固太りめ!




