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歴女作家 坂本龍馬子の奇妙な犯科録  作者: 横造正史
第三章
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宿坊体験  参

 外はいつの間にか夕方の空気に変わっていた。


 真上の空は茜色と紫色が混ざったような色をしていて、太陽がある西側の方角は茜色の度合いが強かった。そして、逆光の為に西側にある中門、南大門が薄黒く見える。その夕日と和建築の織り成す陰影がとても素晴らしい景色を作り上げていた。


「綺麗ね」


 少し離れた場所からカップルの女性の声が聞こえてきた。


 カップルもその景色の素晴らしさに気付いたのかうっとりとした表情で見ている。


「君のほうが綺麗だよ」


 かーっ、そうだろう、そうだろう。幸せな一時だろうよ。


 私はやや捻くれ気味にそんな二人を眺めた。


 カップルの先には自分の書いた経典を見ながら歩いている老人の姿があった。あの老人はあまり景色には興味がないらしい。


「写経体験お疲れ様でした。この後は精進料理の方をお楽しみ頂けると幸いで御座います」


 見送りに出てきてくれた良寛が眩しそうな顔をしつつ頭を下げてくる。


「写経体験楽しかったです。ありがとう御座いました」


 私は改まって頭を下げた。


「いえいえ、お楽しみ頂けたのなら幸いで御座いますよ。では、行ってらっしゃいませ」


 良寛は頭を下げてから戒檀堂の方へと戻って行った。


 カップルのずっと奥側に俊乗堂だと説明を受けたお堂があり、良く見ると、そこの石段にさっき具合が悪いと言って出て行ったサングラスとマスクを付けた男が、俯き加減といった様子で座っているのが見えた。


「あれ、中岡さん。あの人、具合が悪いと言っていたのに宿坊に戻らなかったのですかねえ?」


 私は俊乗堂の方へ視線を向けつつ聞いてみた。


「ああ、宿坊まで戻ろうとしたが、あの方が楽だと思ってそうしているのかもしれないな……」


「具合は大丈夫ですかね? ちょっと声掛けしておきます?」


「えっ、声掛け? いいよ止めておこう。それにあの男なんだか話しかけづらいし、そっとしておくのが一番だよ」


 中岡編集が嫌そうに云った。確かに声を掛け辛い感じではあるが……。


 そう思いながら様子を眺めていると、私達がカップルの方を見ていると勘違いしたのか、その二人が私の方に近づいてきた。


「あの、写経体験どうでしたか?」


 カップルの女性の方が笑顔で私に声を掛けてくる。しれっとしやがって、さっき散々笑われた事を私は忘れていないぞ。


 とはいっても、私は嫌な態度など取らずに一応愛想笑いを浮かべながら受け答える。


「えっ、まあ、楽しめましたよ、出来はいまひとつですけど……」


「ご主人さんは結構手こずってらっしゃったみたいですけどね」


 その女が中岡編集に視線を送りながらとんでもないことを云いだした。


「ご、ご、ご、ご主人ですって! いえいえ、違います。誰がご主人なもんですか!」


 私は顔を激しく横に振る。


「えっ、じゃあ恋人同士で?」


 何云ってるんだ。中岡編集と私は随分年が離れているんだぞ!


「こ、恋人同士でもありません! ただの連れです。あんなろくに習字も出来ないような年を経た男が恋人であるもんですか!」


「そ、そうなんですか ……そ、それは失礼しました」


 私の激しい否定に、その女は怯み小さく頭を下げた。


 そんな最中、横から中岡編集不敵な表情で声を上げる。


「いやいや、御気になさらずとも大丈夫です。僕達は確かに付き合ってはいませんが、似た様なものですから」


 こういった時の中岡編集は油断が出来ない。一体何を云い出す気だ?


「えっ、似たようなもの?」


 女性は良く解らないといった表情で問い返す。


「ええ、僕の姓は中岡。そしてこっちは坂本と云います。ここまで云えばもうお分かりですよね?」


「えっ、さ、さあ、良く解りませんが……」


 女性は顔を横に振る。


「中岡と坂本とくれば云わずとも知れた仲。そうです。それは大親友なのです」


 解るかよそんなの! それに慎太郎と龍馬は、あたしとあんたとは関係ないじゃない! まったく何なんだよ大親友って……。


 「大親友なのですか……」


 その女性はいまいち良く解らないといった顔で、私と中岡編集の顔を交互に見る。


 恋人同士でもなく大親友…… なんだか複雑な気分だ。


 とは云うものの、他に適当な言葉が見付からないのも確かである。


「……いやいや、しかしながら習字は難しい。僕はとても苦戦してしまいましたよ」


 手こずっていた。と云われたからなのか、中岡編集は恥ずかしそうに頭を掻く。


「出来なんかより、体験した事が重要なんですよ、私はこんな心の奥底まで清められるような体験をした事が無かったんで、すごい感激していますよ、来て良かったわ~」


「いやいや確かに貴重な体験でしたね」


 中岡編集も同意の頷きをしてみせる。


「短い間ですけれど、宜しくお願いします。私は武藤京子です。こっちは大谷正志です」


 カップルの男性の方は横で小さく頭を下げる。


「僕は中岡慎一と申します。以後お見知りおきを……」


 中岡編集は少し格好を付けて云った。


「それで確か貴方は坂本……龍馬さん?」


 女性が探るように仰ぎ見る。


 誰が龍馬やねん! 


「違います。龍馬ではありません。私は坂本亮子です」


 私は憮然と云った。


「あっ、本当は亮子さんと云うのですね。今後は間違いないように気を付けます。以後お見知りおきを……」


 本当は、って何だよ。


「こ、こちらこそ……」


 私は再び堅い表情答えた。


 それから、カップルと私は一緒に大仏殿の裏側を通り、戒檀堂の方へ進んでいった。


 俊乗堂の傍を通過する時に石段の方を見ると、いつの間にかあのマスクにサングラス姿の男は見えなくなっていた。


 戒檀堂に戻ると、先程待合室になっていた部屋周辺の襖戸が開け放たれており、膳が縦に連なるように配され、その上に精進料理が並べられていた。どうやら座禅でもしているかのように廊下側に体を向け横一列になって食べるらしい。


「ああ、お戻りになられたのですね、人数分の料理を用意してありますので、お好きな場所にお座り下さい」


 料理の残りを運んできた寂抄尼に促される。


 我々はおずおずと料理の前の座布団に腰を下ろした。


 カップルの二人は奥側の隣同士、私と中岡編集はカップルの男性の横に順番に腰を下ろす。訝しげな表情をする顔の長い男は既に部屋に戻ってきていたようで、一番手前側の座布団に腰を下ろしていた。笑顔の老人も、もうすでに顔の長い男の横に腰かけている。


 この宿坊には寂抄尼以外に仲居風な女性が二人いるようで、その仲居が何度も廊下の奥と、この食事の用意された部屋を行ったり来たりしていた。


 ふと、一人の仲居が寂抄尼に近づき何かを耳打ちする。


 その耳打ちを聞きながら寂抄尼は困った表情を浮かべていた。


 しばらく悩んでいる様子だったが、仕方が無いといった表情をみせると、私達の方へやってきた。


「それでは、どうぞお食事をお召し上がりくださいませ」


「えっ、でも僕の隣の人がまだ来ていないようですけど?」


 中岡編集は隣の座布団に視線を落としながら質問した。


「その場所の生田様は、少し前にお戻りになられたのですが、具合が悪いと言うことだったので奥の部屋にお布団を用意させていただき、そこでお休みになられています」


 寂抄尼は困った様子で頬を掻いた。


「一応夕食が出来たとのお声掛けをしたのですが、お返事がないので、お食事を始めて頂ければと思います」


 その時、外からゴーンゴーンという大きな鐘を突いたような音が聞こえてきた。腕時計に視線を送ると丁度六時を指していた。


「どうぞお食事を始めてください」


 寂抄尼は再び促してきた。


 顔の長い男が箸を手に取り料理を摘み始めた。それをみたカップルも食事をし始める。中岡編集と私も箸を手に取った。老人は満足そうな顔で料理を口に運ぶ。


 料理は本格的な精進料理で、漆塗りの朱色の膳の上に、香の物、御飯、蕪の入った白味噌汁、平皿には湯葉、麩、椎茸の炊き合わせ、木皿には胡麻豆腐、もう一つの木皿には紅葉麩、こんにゃく、栗、ごぼうの盛り合わせ、しめじと青菜のおひたしが載っていた。


 私はじっくりと一品一品を味わっていく。




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