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歴女作家 坂本龍馬子の奇妙な犯科録  作者: 横造正史
第三章
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宿坊体験  弐

 開山堂は塀に取り囲まれているような作りになっていて、その塀の内部には複数の建物が混在していた。内陣中央には八角造りの厨子がすえられ、本家の良弁の像が祭られているとの話だったが、我々は別の建物へと案内された。


 案内された建物の内部は、入口から続く長い廊下部の横に、教室のような部屋が並んでいた。まるで塾、いや寺子屋のような印象で、机と座布団が並べられている。


 私達はいくつかの部屋の脇を通過して一番奥に位置する部屋まで進んでいった。部屋に入る扉は部屋の後方に設けられていて、我々はそこから静々と入室する。


「それではお好きな場所にお座りになってください。一応、前の方がお勧めですよ」


 そこまで引率してきた良基が声を上げる。


 我々はぞろぞろと部屋の奥に入り込み、座布団に腰を下ろしていく。


 私と中岡編集は全五列配された机の三列目奥側、カップルは最前列のやや廊下側、老人は私と同じ三列目の廊下側、顔の長い男は性格的なものからなのか五列目の奥側、マスク男も五列目でどちらかと言うと扉側に腰を下ろした。


「では、そのまましばらくお待ち下さい。写経担当の僧がすぐに参りますので」


 そういい残すと、その良基は部屋を出て行った。


 三分程座布団に腰を下ろし部屋で待機していると、何故か徐にマスク男が立ち上がった。そして、横にいる顔の長い男の傍に寄ると耳元にマスクを近づけ何かを囁いている。顔の長い男は眉間に皺を寄せながら数度小さく頷いた。なんだろうと思い私は横目でその様子を窺った。


 マスク男はその行為が終わると後方の扉から外へ出て行ってしまった。マスク男が出て行ったのとほぼ入れ違いに、若く背の低めな僧が後方を気にしながら訝しげに部屋に入ってきた。


 その僧は私が最初に大仏殿に入り込んだ際に良弁大僧都の後方に良基と一緒に控えていた僧だった。


「あれ、あの方はどうなさったのですか?」


 あの風貌で声が掛け辛かったのか、背の低い方の僧は部屋の中にいる人間に問い掛けた。


「ああ、なんだか具合が悪いから、宿坊の方で休ませてもらいに行くと云っていたぞ」


 顔の長い男が面倒くさそうに答えた。


「そ、そうなのですか?」


 背の低い方の僧は、筆と半紙を乗せたお盆のような物を手に持ちながら、どうしたものかと考えている風だったが、そのまま我々の前に進み、教師然といった感じに立った。


「宿坊に帰られたのであれば、寂抄尼の方が上手く対応してくれるでしょう。では写経体験の方を始めたいと思います」


 背の低い方の僧は張りのある声を上げた。


「それでは、まず私は写経体験の講師を勤めさせて頂きます良貫と申します。宜しくお願い致します」


 我々は小さく頭を下げそれに答えた。


「では、半紙と筆をお配りしますね、本来は硯の上で墨を擦り墨汁を作る所から始めるのですが時間が掛かりすぎてしまうので筆ペンにて失礼させていただきます」


 そう説明するとその良貫は我々の前に数枚の半紙と筆ペン、文鎮を配っていった。


 そして再び我々の前に戻ると、少し大きめの紙に書かれた見本を上に掲げる。そこには、心如工画師 一切世界中 如心仏亦爾 心仏乃衆生 諸仏悉了知 若能如是解と五言律詩が書かれてあった。


「先程、本殿の方で読経の際に聞かれたかもしれませんが、そのお経と同じ物を写経していただきます。心を穏やかに、漢字一文字一文字に心を込めながらお書き願えればと思います」


 そう説明をすると、部屋の壁にその見本を貼り付けた。


「では、始めてください。解らない事があれば聞いて頂ければと思います」


 そうして、写経体験が始まった。


 正直、私は字を書くのが下手だった。書く字はどちらかというと丸っこく、はね方とかも良く解らない。それでも必死に文字を連ねていく。


 講師の良貫は部屋の中をゆっくり歩きながら私達の書いている経を眺めていた。


 良貫が私と中岡編集の傍まで来て、中岡編集の書いている文字を見た。ふと顔を上げると、良寛は中岡編集の書いている文字を見て、何か困ったような顔をしている。


 私も横に視線を送り、中岡編集の書いている字を見てみた。


 その文字は恐ろしく酷かった。筆圧が強く、兎に角太い。画の字などは真ん中の田っぽい部分が黒く塗り潰した四角と化していた。そして、文字が縦に真っ直ぐに書けておらず斜めになっている。


 こ、こいつ、習字習ったことあるのか?  


 私の文字も酷い方だが、中岡編集の文字は字がつぶれて解読不能となっている。


「こ、これは困りましたね……」


 困りましたじゃなくて、これは小学生から習字をやり直した方がいいと云った方が良くないか?


 そんな良寛と私の視線を感じて気恥ずかしくなったのか、中岡編集が顔を少し赤らめながら声を上げた。


「あ、あの、どうすれば真っ直ぐ連ねられますかね?」


 おいおい、真っ直ぐだけの問題じゃないぞ。


 私は心の中で突っ込んだ。


「そ、そうですね、仕方が無いので半紙を最初から折って、折り目を付けましょうか、その折り目の上に文字の中心が来るようにすれば、兎に角文字は縦に書けますから……」


 良貫は中岡編集の書き掛けの半紙を摘み上げると、脇に挟んでいた別の半紙で包み込んで丸める。中岡編集は恨めしそうに自分の作品が丸まっていく様を眺めていた。


 良寛は別の半紙を手に取り、まるで屏風のように折り目を付けていく。


「この折り目を意識して書いてくださいね。それと筆は根元まで押し付けずに半分位で止めて書いてください。そうすれば何とかみれるようになりますから」


 な、なんとかみれるようになる! 


 さり気ないけど、かなりの毒舌だぞ。


「は、はい……」


 中岡編集は気恥ずかしそうに頷いた。


 そうして、私は駄目な中岡編集を横目に、半紙五枚に無我夢中に五言律詩によるお経を書き記した。中岡編集も黒い塊を縦に羅列していった。


「さて、それではそろそろ一時間経ちますので、その写経に表紙を付けて記念にお持ち帰りいただけるようにする作業に移りましょう」


 良寛は厚手の和紙で出来た表紙を皆に配り、お経を書いた半紙をその和紙の後ろ側に連ね、千枚通しのような物で端の方を上から貫いていく。そして括り紐を机の上に置いていった。


「では皆さん、括り紐を後ろ側から前方に通し、紐をしっかり結んで下さいね」


 そうして私達の手元に自分の写経した簡易的な経典が完成した。


「それでは、以上で写経体験は終了になります。現在は午後五時でございますから、少し時間に余裕がありますが、六時から戒檀堂の方でお夕食となりますので、それまでには戒檀堂へお戻り下さい。ではここで解散とさせていただきます」


 その説明を受けて、顔の長い男は乱暴に作品を掴むと部屋の後ろ側の戸から出て行った。カップルは嬉しそうな顔で自分の作品を持ちゆっくり立ち上がり、笑顔の老人は満足そうな顔で自分の作品を手に持ち立ち上がり玄関へと向かって行く、中岡編集も読めるのか読めないのか解らない作品を大事そうに脇に抱えた。


 そうして、私と中岡編集は立ち上がり部屋を出て、開山堂の玄関から外へと踏み出す。




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