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歴女作家 坂本龍馬子の奇妙な犯科録  作者: 横造正史
第六章
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予想の付かない事態 壱

「あら、気が付いたらもう午後一時なのですね」


 松子が大広間の壁に掛かっている時計に目を遣りつつ呟く。


「ええ、もうお昼過ぎですね……」


 私も同様に時計に視線を送る。知らぬ間に随分時が経過していた。


「私はお腹が減ってきましたわ…… お魚が食べたい……」


 松子がまた魚が食べたい事を言及し始めた。正直ずっと魚々と云っている。


「え~と、実のところ、私は朝ごはんをたっぷり食べましたからお腹はそれほど……」


 私の説明を聞いた中岡編集が横でうんうん頷いていた。そうなのだ我々は炊事場で朝ごはんをたらふく立ち食いしてしまっていたのだ。


「私の方は母が亡くなっていたり、朝から本当に色々な事があって、精神的になのか、お腹は減っていないわね……」


 阿国は堅い顔で呟く。


「ねえ、阿国さん、前に干物があると仰っていましたけど、それは頂けるのでしょうか?」


 松子が躊躇いがちを装いつつ、かなり積極的に問い掛ける。


「えっ、ええ、提供するわ」


「因みに何のお魚ですか?」


「岩魚とか、山女とか鮎の干物だけど……」


「まあ、山女もあるのですか! それを頂いても?」


 嬉々として松子は訴える。


「え、ええ、別に良いけど……」


「良かった! 凄く嬉しいわ、そうしたらお料理始めようかしら…… 阿国さん、干物はどちらに?」


「炊事場の冷蔵庫の中に仕舞ってあるわよ」


「冷蔵庫の中ですわね、それじゃあ……」


 そそくさと松子は広間を出て行こうとする。


「ああ、松子さん! 僕もお手伝い致します。それと危ないからボディーガードもしないと!」


 中岡編集が熱く強く言及する。


「いえ、別にお手伝いはいりませんわ、ボディーガードですか…… 居てくれた方が安心ですけど、もし、中岡さんが犯人だったら、私は直ぐに殺されてしまいますわね」


 松子は軽く笑いながら云った。


「ぼ、僕は犯人じゃありません! だって貴方が好きだから!」


 いきなり何を告白しとんじゃこいつは! それに貴方が好きだって犯人かもしれないぞ!


「中岡さんのお気持ちはとても嬉しいですわ、でも、一人で大丈夫です。この大広間から出て右側は全部の部屋を確認したじゃないですか? 炊事場もその他の部屋には誰も居なかったし、上に行く階段は無いし、道鏡さんと定美さんは上の階層にいらっしゃるし、一番奥の大女将の遺体がある部屋は何か怖い気がしますけど……」


「えっ、僕をお疑いで?」


 悲しそうな顔で中岡編集が問い掛ける。


「いえ、私としては中岡さんは犯人ではないと思っています。でも犯人の可能性が全くない訳ではありません。ならば二人より一人きりで居た方がリスクは低いように思えます。それと阿国さんと中岡さんと坂本さんがこの場で相互監視をし続けて下さったり、この大広間より右奥側に誰も行かないように見張って下さったりして頂いた方が安心かと思います」


「は、はあ…… 見張るのですか……」


 当然の事ながら、信用はされないようだ。


 確かに松子の云う事は尤もだ。誰も信用できない状況である。そんな中で無人である事を確認したエリアに入り込み、自分に近寄る事が出来る経路を見張ってもらえば、一人で居る方が安全である。


「宜しくお願いします」


 松子はぺこりと頭を下げて、廊下を右手奥へと進んで行った。我々はそれを只々見送った。


 改めてだが、この建物のある本館は大凡正方形の形をしており、正面中央に玄関部、その奥に受付。受付前の左右に伸びる廊下の右側には大広間、中広間、小部屋、炊事場、小部屋、小部屋、小部屋と並んでいる。


 その一番奥の小部屋で大女将が殺害されていたのだ。


 一方、左側には共同の厠、客間が五つほど並び、その横に上へと繋がる階段がある。階段を登らず脇をを抜け回廊を二回右手へと曲がり、建物の裏手側に至ると、共同厠、男湯、女湯、混浴湯と並んでいる。混浴湯を通過した廊下の奥側には外へと繋がる勝手口、また大女将が殺害されていた廊下の奥側にも外へと繋がる勝手口があった。


「断られちゃいましたね……」


 私は中岡編集に声を掛ける。


「僕と一緒の方が安全なのに……」


 中岡編集は負け惜しみを口ずさんだ。


「まあ、此処で相互確認をしながら廊下を見張っていれば松子さんは安全ですよ。見守りましょう」


 私は小さく数度頷きつつ云った。


「解ったよ」


 中岡編集は仕方が無さそうな表情で答えた。


「しかしながら、何故こんな湯治場で殺人事件が起こったのでしょうか? 不治の病を得て自暴自棄にでもならない限り殺人なんていう考えに至らないような気がしますが……」


 やる事もないので、私は再び考え込み呟く。


「確かに…… 雰囲気的にはクローズドサークルでの無差別殺人の様相だな」


 中岡編集は腕を組みつつ答える。


「ねえ、阿国さん、湯治客の中で不治の病の人はいるのですか?」


 思い付いたような表情で、中岡編集が阿国の方へ顔を向け問い掛ける。


「不治の病…… 皮膚病やヘルニアは不治じゃないし…… 強いてあげれば治らない病として糖尿病の道鏡さんかしら? あとリウマチを患っている蛭子さんと淡嶋さんかしら……」


「糖尿病か…… 治らないとはいえ、食事制限とかをすれば現状維持が出来る病だし、不治の病という雰囲気じゃないな…… リュウマチも完治しない病気だとは云われているが進行は遅いし、緩和療法をしながら付き合っていくものだし自暴自棄になるような感じじゃないな……」


 中岡編集は眉根を寄せながら唸る。


「動機がみえてきませんね」


 私も首を傾げる。


 そんなこんな色々思案を続けているうちに、いつの間にか時間が随分と経過していた。


「ん、あれ、もう大分経つけど、松子さん戻って来ないぞ?」


 中岡編集が思いだしたような表情で声を上げる。


「また凝った料理を作っているんじゃないですか? あの人、料理に対して凝り性みたいな感じだから……」


「でも、もう三時だぞ、予想以上に長くないか? 手こずっているなら、僕は手伝いに行こうかと思うが……」


「いや、でも邪魔するとムッとしそうなんで、炊事場の外から様子を見てくる位にしたらどうですか?」


 もじもじしている中岡編集に私は提案してみる。


「そ、そうだな、とにかく心配だから、僕、見てくるよ」


 そそくさと広間を出て中岡編集は炊事場方向に廊下を進んで行った。


 心の内が見え見えだぞ。


 しばらくすると、炊事場の方から中岡編集と思しき、うわあああああああああああああああっ、という叫び声が聞こえてきた。


「な、何?」


「え、ええ、中岡さんの叫び声ですね! 何かあったんでしょうか! 行きましょう!」


 私と阿国は慌てて炊事場方向へ走り向かう。


 廊下を少し進み炊事場へと至ると、炊事場に一歩踏み込んだ所で中岡編集が驚愕表情で固まっていた。


 その視線の先を見ると、そこには調理用に使用する為に準備されていたであろう刺身包丁で背中を突き刺された松子の姿があった。


 調理台に前のめりで突っ伏している。目はかっと見開かれたまま只々時間が止まったかのように固まっていた。


「松子さん! 松子さん!」


 後ろに近寄った私と阿国に対して、中岡編集は振り返り、強張った顔を見せる。


「うわあああああああああああああっ! 大変だ! 龍馬子君! 松子さんが、松子さんが! 殺されているんだよ!」


「見ているから解ります、しかし、い、いつ、どうやって! 一体どうやって!」


 私の混乱は半端ない。


 私達は廊下を見張っていた。目でも耳でも見張っていた。誰も広間の外側の廊下を通過した者は居なかった。


 広間から奥の通用口までの戸締りは間違いなく確認し、外から入れないようにしたし、内部には誰も居なかった筈だ。


 そんな混乱した心持のまま、再び、松子が殺されていた奥側に視線を送ってみると、調理台と調理台の隙間で見にくいが、床に何かその場に似つかわしくない黒い物体が横たわっているのが見えた。


 その黒い物体の表面は黒い毛で覆われていた。


 私の体は一瞬のうちに総毛立つ。


 な、なんだ、一体、あれは? 獣? 猩々? 野獣? 


 しかしながらその黒い物体には動きはみられない。


 私は恐る恐る、その黒い物体に近づいてみた。鋭い爪の生えた大きな手、大きな開かれた口からのぞき見える牙。


 ……く、熊なのか?


 よく見るとそれは黒い熊だった。そしてその熊は頭の部分や腕の部分は左程ではないが、胴の部分は通常より薄い。いや厚みがない。


 毛皮分の厚みは見られるが、内臓等がないような感じだ。更によく観察すると背中の部分の毛皮が折り重なり、切り裂かれていることが解った。


 この熊は生きていない……。


 そこで私は大きく息を吐いた。野生の生きた獣が襲い掛かってくることが無くなったので、少し安心したのだ。


「お、おい、龍馬子君! 松子さんの前の調理台を見てくれ!」


 中岡編集が緊張した声で呼びかけてくる。


「調理台ですか?」


 私は呼びかけに応じて調理台に視線を送ると、まな板の上に赤い文字らしきものが書いてあるのが見えた。


「か…… な…… やま……ひめ」


 血文字…… ダイイングメッセージ? 


「かなやまひめ、と書いてありますね、何の意味でしょう?」


 私は困惑しつつ中岡編集に声を掛ける。


「いや、僕にも解らんぞ……」


 どうやら、背中を刺された事で肺や食道から出血し、それが喀血なり吐血なりで口から出てきた血液を指で書き記したようだった。


 私はそっと松子の首辺りを触ってみた。予想していたより随分冷たくなっている。死後一時間から二時間位といった所だろう。


「一体何を意味しているのだろうか?」


 中岡編集は困惑した様子で小さく首を傾げる。


「……それだけではなく、中岡さん、阿国さん! あっちに熊の毛皮があります……」


 松子の遺体に集中し気が付いていないようなので、私は熊の事を二人に告げる。


「えっ、熊?」


 中岡編集が視線を調理台の床へと送った。


「う、うわああああああっ、く、熊! 熊だ!」


「熊の毛皮…… あっ、剥製…… その熊の毛皮、玄関にあった剥製じゃない?」


 阿国はその熊が玄関部に飾ってあった熊の剝製だとすぐに気が付いたようだ。


「どういうこと、剥製の中の綿を抜いて被って松子さんを襲ったってことなの?」


 熊は黒い毛皮の熊だ。確かに、影になっている部分を黒い毛皮被って移動されたら気が付き難いかもしれない。


 でも、黒い毛皮だけで気が付かれずに玄関部から炊事場方向に移動できるものなのだろうか?


 我々の隙を窺って? 私達は油断していたのだろうか?


「いずれにしても、松子さん…… 嗚呼、松子さんが殺されてしまった……」


 いずれにしてもまた殺人事件が起きてしまった。相当な警戒をしていたにも関わらず……。


 そして、犯人の意図が解らないクローズドサークルに於ける無差別殺人の様相を呈して……。



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