湯治場 捌
そのまま静々と私は部屋までの廊下を進んでいく。温泉で芯まで温まっているので夜の涼しさが気持ちいい。
部屋に戻ると中岡編集が炬燵に入って寛いていた。
「戻りました」
炬燵の上には性器信仰の本が開けられており、読んでいたことが見受けられる。
「この湯治宿って結構人が泊まっているのですね、殆ど誰もいないと思いきや、道鏡って人のお連れさんの坊主とか年配の女性とかが居ましたよ」
「まあ、これだけ部屋数があるんだ、それなりにいるだろうさ、ただ稼働率は低そうだけどな……」
「確かに稼働率は左程ではないですかね……」
私は頷く。そして改まり後を続ける。
「それで、浴場で一緒になった女性なんですが、その方から変な話を長々と聞かされましたよ」
「変な話? 何だねそれは?」
私は思い返しながら言葉を発する。
「いえね、宦官の話なのですが、中岡さんは宦官はご存じでしたか?」
と、問い掛けると中岡編集がビシッと止めるように手の平を向けてくる。
「いい! 聞きたくない!」
「聞きたくない?」
どういう意味だ?
「僕はトラウマなんだ。宦官の話は。だから聞きたくない!」
「トラウマ?」
「ああ、子供のころに司馬遷の話を読んだ時にトラウマになったんだ」
「司馬遷? 司馬遷って宦官なんですか?」
中国史に関しては私は疎い、趙高は偶々知っていたが基本的にはよく知らないのだ。
「司馬遷は宦官じゃない。史記という歴史書を編纂した人物なんだ。でも宮刑で性器を失ってしまったんだよ、それで宦官と同じような扱いは受けてしまったが……」
「宮刑?」
「去勢する刑罰だよ」
「去勢ですか? 宦官と同じ」
「いや、逆だな、宮刑に処された者が、その後、宦官になったとされている。とにかく、その宮刑に処される描写が恐ろし過ぎて、少年中岡は怖くて怖くて仕方がなくなってしまったんだよ」
中岡編集は強張った顔をする。
「そんなに怖いのですか?」
「ああ、恐ろしい、切られた後に、通称、蚕部屋と呼ばれる部屋に閉じ込められ苦しむ描写とかが…… それだけでなく男として男性器を切り取られて、人でありながら無意味な人になってしまうような部分の恐ろしさが加わっているんだ」
「そうなんですか……」
女の私にはそこまで恐怖は伝わってこない。
「と、兎に角、宦官の話は僕にはしないで!」
中岡編集は必死に訴えてくる。
「う~ん、なら、もう寝ましょうか? もう十時だし、やる事もないし……」
「そ、そうだな腰を労わる必要もある。とにかく寝る事が一番だしな……」
そうして、私達は各々別の部屋へと入り込み眠る事にした。
窓から見える景色は徐々にだが確実に白くなっている。雪が降り積もっているのだ。




