伯耆の国 壱
久しぶりに書きはじめました。お付き合い頂けると幸いです。
この章に関しては至って真面目に書きますが、用語的によろしくない物が出てくる可能性がありますので、苦手な方はお避け頂きますようお願い申し上げます
椎間板ヘルニアとは。
背骨に於ける腰部分にある椎骨と椎骨の間にある軟骨が変性し飛び出す症状である。
ヘルニアという言葉は、何かが飛び出す。という意味らしく、椎骨と椎骨の間の軟骨が飛び出し、付近にある神経を圧迫する為に腰や足に激しい痛みを生じさせるのである。
その椎間板ヘルニアは五割から八割近くは自然治癒で痛みが改善するとされている。しかし症状が酷い場合や、慢性的な痛みが続き、改善が見られない場合には手術により飛び出した軟骨を切除する方法が取られる場合があると……。
「僕は手術はしないぞ!」
「いや、でも、改善がみられない場合は手術をしなければ駄目だと……」
「嫌だ、手術は絶対にしない!」
私の前に座る中岡編集は頬を膨らましつつ顔を横に振った。彼は腰痛で苦しんでいた。
病院では軽度の椎間板ヘルニアだと診断され、痛みが引かない場合は手術に至るという説明を受けていた。
「き、君には出来るのかい? 背中だよ! 背中を切り裂いて、更に背骨と背骨の間の軟骨を切り取るんだよ! そんな恐ろしい真似は僕にはとても出来ない。そんな事をしたらショックで死んでしまうよ!」
中岡編集は引き攣った顔で訴える。
「まあ、私もそんな手術は怖くてやりたくはありませんけど、幸い私は痛くはありませんのでね……」
私は冷たく言い放つ。
「くっ、他人事だな……」
「そもそも他人事ですからね…… まあ、麻酔して痛みも無いからショック死はしないでしょうし、既に実績のある手術ですから死ぬことはないでしょう。このまま痛みが治まらなかったら仕方がないので受けてもらうしか……」
「でも、ほら、五割から八割は自然治癒するとされているようだし、まあ、僕の場合も時間が経てば治るよ」
希望的な観測だな。
「自分次第ですから好きにして下さい。痛みに耐えられ、痛みが消えれば手術の必要は無いし、痛みが消えずに、その痛みに我慢できなければ手術をするしかですからね……」
「大丈夫だ。これから向かう場所で療養に努めればすぐに治る筈だよ!」
「はいはい、そうだと良いですね」
私は適当に受け流した。
もう、こんなやり取りを何度も何度も繰り返している。中岡編集の中での葛藤が続いているからだ。腰が痛いという現実と、手術をしなければならないという怖さとの葛藤だ。その事が頭に過ると一々言い訳を口にし始めるのだ。
彼は今まで生きてきた中で一度も手術をした事がないようで、手術が怖くて怖くて仕方が無いらしい。それで、取り合えず地味な方法で胡麻化そうとしているのだ。手術をしない地味な方法を。
そんな訳で、私と中岡編集は療養する為の目的地に向かっていた。腰の痛みを和らげる為の療養だ。その療養に何故だか私も付き合わされている。
云い遅れたが、私は小説家である。そして、前に居る中岡慎一は出版社の編集であり、私の担当編集なのである。
私の小説家デビューの際に担当編集として紹介されたのが中岡慎一なのだが、その初対面の場で彼は私に失礼な事を云ってきた。それは、君は坂本龍馬に似ているね。という言葉だった。
そして、事もあろうに、私のペンネームを花園絵梨香という名前から坂本龍馬子という名前に強引に変えてしまったのだ。脳みそが沸騰するほど頭にきた。
まあ、そんな紆余曲折を経ているものの、中岡編集の腰痛療養に同行する事になり療養施設に向かっているという訳だ。
「しかしながら、何故に私も一緒に療養に赴くのですかね? 一人で向かえば良いじゃないですか?」
改まって私は訴える。
「だから、何度も云ってるでしょ! 僕は療養で君は取材だ! その場所は取材し甲斐のある施設なんだよ!」
「本当ですか? そんな取材し甲斐のある療養施設なんてありますかね?」
私は猜疑的な視線を送る。
「あるんだよ! とっても興味深い取材対象が……」
そんなやり取りをしている間に、私達を乗せた新幹線は岡山駅へと到着した。ここから在来線で倉敷まで行き、そこからは伯備線で江尾駅まで向かうのだ。
中岡編集は腰を庇ったゆっくりとした足取りでホームを移動し乗り換えを行っていく。私は適当に補佐しながら付いていった。




