洞窟内へ 参
私と中岡編集はその瞬間を見届けると、脱兎の如く警官の傍へと逃げ込んだ。
「ぼ、僕です。僕が通報したんです。僕という死体が転がっているだろう事を踏まえまして……」
中岡編集のその言葉を聞いた穴山家の人々は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。つい先程まで仲間になるだの云っていたくせに、余りの変わり身の早さにも驚いているようでもあった。
「あなたが殺される? 一体それはどういう事ですか? 死体はないんですか?」
警官たちは困惑した様子で聞いてくる。
「死体はありません。というか僕とこの連れが殺されかけていたんです」
「殺される? あなたがたが? この人達にですか?」
「な、何を云っているんですか中岡さん、私達があなた方を殺すはずなんてありませんよ、変な事を云わないで下さいな」
静子か無理やり柔和な表情を作りながら声を上げた。
警官たちが静子や家族に視線を送る。私達以外の一行は黒ずくめの揃いの登山服を着ているので、確かに怪しい事は怪しい。
「しかし、殺されるなどと、随分物騒な事を云っていますが、そんな事を本当にこの方々がするのですか?」
警官が信じられないといった表情で中岡編集のほうを見た。
「……ええ、すると思います。現に、ここにいる人達は二日前に殺人を犯していますから……」
「さ、殺人ですか?」
「ええ、殺人です。二日ほど前、身延町の下山、その下山の山奥にある旧家で老人が死んだ件ですがね」
「ああ、穴山家で起きた事故ですね、今、遺体解剖中の……」
「おお、知っているのですか、なら話が早いですね。ここにいる方々は、その穴山家の家族です。……実はあの事故は事故ではなく事件だったんですよ、穴山老人を殺害したという事件だった……」
「な、なんですと」
警官は驚いて聞き返してきた。
「な、何を云っているんですか中岡さん、人聞きが悪い、そんな筈ないじゃないですか、主人は事故で三階の部屋から転落したんですよ」
静子が嫌立ち気味に声を発する。
「そ、そうだ、あれはどうみても事故だったぞ」
桐子の夫である義景も少し焦り気味に声をあげた。
「いえ、あれは巧妙に偽装された殺人事件だったようです。家族や使用人も含めてグルになって偽装したね」
部屋を調べていた時に傍にいた松子が、充血した目で私達を見つめていた。
「いや、事故だ。殺人事件などであるはずがないぞ!」
桜子の夫である良知が云った。
「ふふふ、それならば、その説明をここにいる推理小説家である女坂本龍馬こと、坂本龍馬子に解説させましょうか?」
中岡編集が自信ありげに私を見ながら云った。
「ほう、推理小説家の坂本龍馬子さんなんですか、この人が……」
知っているのか知らないのか良く解らないが、警官は興味深げに私の顔を見た。
「ええ、ほら、坂本龍馬にとても良く似ているでしょう」
そ、それは今に至ってはどうでも良いじゃないか!
私は云われてムッとする。
「確かに似ていますね」
なにっ!
「……い、いえいえ、に、似てなんていませんよ。飽くまでも宣伝文句ですので……」
私は顔を横に振りながら否定する。
「そんなモッサイ女に何が解るって云うんだ!」
良知が苛立ちげに云った。
モッサイだと! 私は再度ムッとする。どいつもこいつもなんでこんなに私に対して失礼な事を云うのだ! 私は少し剥れ顔のまま、静かに口を開いた。
「わ、私のペンネームなどはどうでも良いのです。モッサイかモッサク無いかも関係ありません。いずれにしても重要なのは穴山家で起きた事件です。そうしましたら、及ばずながら、推理小説家としての見解を述べさせて頂きます…… 良いですね聞いてくださいね!」
私は憮然としながら云った。
「え~と、あの事件は、楼閣最上階で穴山老人が一人で寝ていて、その上で寝ている部屋には鍵が掛かっていて誰も入れない、寝室から周縁部分に出る襖戸が開け放たれていたという条件があった上で、誰も入れない部屋から落ちたので、事故による転落死と結論付けられたのだと思います」
私はモッサイと云った良知の目をジッと見つめながら後を続けた。
「ですが、私は事故だと結論つけるにはおかしな点に幾つか気が付いたのです……」
「ほう、それはどんな事ですか?」
警官が興味深げに聞いてくる。
「……では説明致しましょう。まず穴山家の屋敷は天守閣に良く似た形をした建物です。それも層塔型天守閣に近い形状をした物です。層塔型天守閣は同じ形状の建物を積み重ねて作るので、一階、二階、三階の面積が左程変わらないのが特徴なのですが、やはり和建築ですのでマンションなどのような訳にはいかない所があります……」
説明している私に、家族達の刺す様な視線が突き刺さる。私は意に留めないようにしつつ、小説の解説編のように淡々と話し進めた。
「そんな層塔型天守閣に似た構造でありますから、各階の境目には屋根が設けられています。その屋根は六寸勾配の一間程張り出した形状で、二階と三階の境には飾り窓である唐破風もありました。とても美しく綺麗な唐破風です。二階と一階の境には唐破風はありませんが六寸勾配の屋根はあります。三階と二階の面積差に関しては一割減といった感じで三階の方が狭くなっています。一応、穴山老人が寝ていた三階には幅一メートル程の周縁が屋根の上に張り出しているのですが、その張り出した幅を差し引いても、酔って落ちたとしたのなら、屋根に全く接触せずに落ちるのは至難なのではないかと思うのです……」
「な、何云っているんだ。高さがあるんだぞ、徐々に外側に落ちていくだろう」
良知が声を荒げた。
「……いえ、酔って誤って落ちたのなら手摺り近くに落ち、二階と三階の境にある屋根、唐破風、そして、二階と一階の境の屋根の端に接触してから落ちるはずです。しかしながら屋根や破風には損傷がありませんでした……」
私は自分が書いている小説の探偵役をイメージしながら厳しめに云う。
「じゃ、じゃあ酔って、階段がある方と間違って、歩き進んで行った結果、手摺りに脛を引っ掛けて落ちてしまったんじゃないのか?」
「……残念ですが、その場合でも屋根には当たってしまうでしょう。それに穴山老人が落ちた場所は石垣の端から五メートル程離れていました。歩いて落ちたのなら五メートルは離れないでしょう……」
「どうしてだ、そんなの解らないじゃないか? 徐々に外側に落ちていったからだろ!」
「……計算上では、高さ十五メートル程の高さの建物で、あの位置に落下するなら時速十四キロメートル程の速度で高欄部分から外側へ飛び出さなければならないのです。時速十四キロメートルというのがどの位の速度か解りますか? 時速十四キロメートルというのは自転車が普通に走っている程の速さになります。酔っていた穴山老人がそれほどの速さで飛び出したとはとても考えられない……」
「なっ!」
良知の顔が強張る。
「検証を行った警察関係者の方々は、検証経験の殆どない天守閣という特殊な建物だったという事、屋根に載る周縁や末広がりの屋根により、張り出し具合が見極めきれずに見誤ってしまわれたのではないかと思います。また密室状態だったことも手伝って事故という判断をするに至ってしまったと……」
中岡編集は腕を組み、不敵な顔で家族達を見詰めていた。
私は大きく息を吐いてから家族達を見据える。
「……私としてはあの状態から鑑みまして、穴山老人は二階の部屋の窓から放り投げ落とされたのではないかと推測いたします」
「となると二階の部屋にいた人間が殺害したと云う事ですか?」
警官が聞いてくる。
「ええ、二階の中央の部屋にいた人間が怪しいと思います……」
二階の中央の部屋の静子が冷たい視線で私を見る。
「二階と三階の間の屋根にしろ、一階と二階の境となる屋根にしろ、そもそも屋根に当たるとは想定していなかった犯人は、逆に屋根に当たらないように穴山老人を放り投げたのではないかと考えます。ですが被害者は老人とはいえ大の大人です。一人の力であのように遠くに投げ飛ばせるとは思えませんから、一人ではなく数人掛りで放り投げたと……」
警官が黒い登山服を着た集団を訝しげに見た。
私の話を聞いていた次女桜子が苛立たしげに声を上げた。
「で、でも、おかしいじゃない、それじゃあどうやって父の部屋を内側から鍵を掛け、開かなくしたのよ、中に父がいたからこそ鍵が掛かっていたんじゃないの?」
「そうだ、誰があの部屋の鍵をかけたと云うんだ、あの部屋は警察が突き破るまで密室状態で誰も入れなかったんだぞ」
桜子に同意するように、夫である良知も声を荒げる。
「あんなのは取るに足らない簡単な仕掛けで出来ますよ、片開きの襖戸の戸溝に角棒が嵌っているだけの鍵ですから、戸溝に角棒を立て掛けておいて戸を何度か開け閉めしていれば、戸溝に角棒が上手く嵌って鍵が掛かったようになる事もあります。失敗した場合には何度か挑戦することも出来ますし……」
私の言葉を聞いた桜子と良知は引き攣った表情でお互いの顔を見合わせる。
「事故として処理された事を鑑みますと、まるで穴山老人が寝ていたかのような細工に効果があったのではないかと思います…… 事故か事件かの判断が付かないような状況ながら、廊下側からの戸が密閉された中での酩酊状態、開け放たれていた廻り縁側の戸、落ちやすい低い柵、これらの要因から事故として片付けてしまったのではないかと……。しかしながら、屋根に当たった気配がない、落ちた位置が建物から遠過ぎるという部分等々を踏まえまして、改めて事件としてと再捜査をしていただいた方が良いと私は考えますが……」
私は警官を見ながら云った。桜子と良知はただただ私を睨みつけていた。
「ふう、それでは、こんな所でモッサい私の説明は終わりとさせて頂きます……」
私は小さく頭を下げ説明を終えた。家族達は憮然として私を見詰めている。
そこで不敵な顔をしていた中岡編集がここぞとばかりに声を上げる。
「ふふふ、どうじゃ観念せい! おんしらの企みは全てバレているぜよ!」
先程まで、家族になる結婚してくれ! と激しく叫んでいたのが嘘のようだ。
しかしながら、なんだか最期で手柄を横取りされた気分だぞ。……でも、どうしてそこだけ方言で?




