入信体験 肆
「サテ、続イテ、ナカエル中岡、ドウゾ、入室シテクダサイ」
オルガンティーノは懺悔室から半身を出して中岡編集に呼びかけた。
「僕には悔いることなんて全然ないのだけどなあ……」
中岡編集は渋々といった顔で中に入っていく。
しばらくすると、地声が大きい為なのか、部屋の中から囁くような会話が聞こえ始めた。聖堂内には他に人が居らず静まり返っているから余計なのかもしれない。
私は特にやる事もないので、傍に佇み聞き耳を立ててみる。
「ナカエル、貴方ニハ何カ悔イ改メル事ガ、アリマスカ?」
「いや、特にはありませんが……」
よく聞くと、ほぼ丸聞こえだぞ。
「イエ、人ハ、誰シモ、生キテイル中デ、何カシラ悔イル事ヤ、改メタイト思ウ事ガデテクル筈デス。何カアル筈デス」
しばらく沈黙が続く。
「いえ、無いです。僕は品行方正に生きてきましたから」
本当かよ!
「子供ノ頃ニ悪イ事ヲシテシマッタトカナドハ、ドウデショウカ?」
「いえ、ありませんね、僕は天国…… パライソに行ける程に品行方正ですよ」
憂いなど微塵もなさそうに中岡編集が云っている。
「デハ、妬ミ、嫉ミ、ナドノ感情ヲ抱イタ事ハ? 人ヲ羨マシク思ッタ時ナドハ? 大抵ノ人間ハソウイッタ感情ヲ抱イテシマウ事ガ多イト思イマスガ……」
「う~ん、無いと思うけど……」
考えているのかしばし沈黙が続く。
「はっ! そうだ、ありました。羨ましいと感じだ事がありましたよ!」
何か思いついたのか中岡編集は急に声を上げた。
「ナラバ、ソレヲ告白シテ、悔イルノデス」
「えーとですね、僕ことナカエル中岡は、歴史上の人物である中岡慎太郎に似ていると云われていまして、且つ僕は中岡慎太郎を深く尊敬しております」
「……ナ、ナカオカシンタロウ……デスカ……」
「その中岡慎太郎は幕末の志士であり、坂本龍馬と同じように尊皇攘夷、薩長同盟の為にひた走っていたのです。しかし! 同じように活動していたにも係わらず、取り上げられるのは龍馬ばかり、まるで龍馬の専売特許の如くだ。薩長同盟の際に立ち会ったからと云ってズルイぞ! 慎太郎だって走った。慎太郎だって走った。慎太郎は奔走していたんだ! それが証拠に、板垣退助は、世間で名高くなっている坂本龍馬より優れていたと思っている。西郷や木戸と肩を並べて参議になる実力を備えていた。と云ってくれているし、早川勇なども、薩長同盟の内実の功労は龍馬よりも中岡慎太郎の方が多いように思う。と云ってくれている。他にも慎太郎の方が頑張っていたという声も多い。人物としての評価は慎太郎の方が上だったのだ。だのに、中岡慎太郎の名前を知らない人がいる。僕はそれが悔しい、そして、龍馬が羨ましい!」
「……ハ、ハア……」
「貴方は中岡慎太郎を知っていますか?」
「エッ……」
しばし沈黙。
「残念ナガラ、ヨ、良クハ知リマセン……」
「じゃあ、龍馬は?」
「イ、一応デスガ、知ッテマス」
「ほら、これだ!」
中岡編集のやり切れないといった声が洩れ聞こえる。
「何故、龍馬を知っていたのですか?」
「本デ、薩長同盟ヲ斡旋シタ人物ダト読ンダ記憶ガアリマス」
「その本には中岡慎太郎の事は書かれてありましたか?」
「私ガ読ンダ物ニハ書カレテイナカッタヨウナ……」
「何故書いていないんだ! 重要な事だぞ!」
中岡編集が声を荒げる。
「ウ~ン、ソレハ締結ノ場ニ居ナカッタカラデハナイデショウカ?」
オルガンティーノが思い付いたように言及する。
「かーっ、馬鹿、馬鹿、馬鹿、解っていませんね! 薩長同盟は締結までの擦り合わせこそが重要だったのですよ、そして、そこで頑張って尽力したのが、初期は福岡藩の加藤司書や月形洗蔵、渡辺登などであり、その後は中岡慎太郎や坂本龍馬だったのです」
「…………バ、馬鹿ッテ……」
中岡編集は相手に気を使うのを忘れる位に興奮しているようだ。
「そもそも、薩長同盟は、幕府が長州藩を処分するような事があれば、薩摩藩は長州藩を支援しますよ、というもので、協力して幕府を倒そうというものではないのです! 薩長同盟が結ばれた翌年の十一月に薩摩と長州が出兵協定を結んだ時にはじめて共に幕府を倒しましょうとなるのです。ですが、それまでの間に、土佐と薩摩で協力して幕府を倒しましょうという薩土密約、更に安芸藩を加えた薩土芸同盟などがあり、徐々に倒幕の気運は高まっていき、そして徳川家が大政奉還はしたものの国家首班であり続け政を主に行っていく事を画策していた考えなどに反感を覚え、薩摩と長州がいよいよ倒幕という足並みを揃えるのです。でも、その前に土佐や安芸も足並みはそろえていました。なので、とちらかというと、薩長同盟より薩土密約の方が時代を動かしていたのです」
「ハ、ハア……」
「で、その薩土密約は中岡慎太郎が主に奔走し、そして取り纏めたのです。薩長同盟など忘れてしまいなさい! 重要なのは薩土密約です。さあ忘れないように、三度、薩土密約、薩土密約、薩土密約と繰り返し云ってみて下さい」
「エッ、エート、サツドミツヤク、サツドミツヤク、サツドミツヤク……」
「ほら、もう忘れないでしょ」
「エッ、エエ……」
一体なんの懺悔なのだろう……。




