安土へ 弐
中岡編集は食べ干した駅弁の蓋を静かに閉じると、改まって胸から手帳を取り出しながら説明し始めた。
「さ、さてと、そうしたら目的地が近づいてきたのもあるし、いつものように今回の調査内容を説明しようと思うが……」
「分かりました。了解です。どうぞ話を始めて下さいな」
私は苛立ちが収まらないままに返事をする。
中岡編集は小さく頷くと、ぺらぺらとページを捲り、ゆっくりと声を上げた。
「え~とだな、今回の調査は変だ。奇妙だ。不可思議だ。今まで以上にへんてこりんなのだ。そして、なろう的とも云えるだろう」
「なろう的?」
聞き覚えのない言葉を耳にして、私は思わず問い返す。そもそも今回の調査場所が安土だという事以外に何も知らされていないのだ。
「ああ、なろう的だよ。若者に人気がある小説のスタイルらしいのだが、現代に生きる主人公が、架空の中世の世界や、戦国時代に転生し、その世界で大活躍するという物なのだ。僕もよくは知らないが、俺、強ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぞ! と叫びながら無双するらしいぞ」
中岡編集は真面目な顔で説明してくれる。
俺、強ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぞと叫ぶ? それ本当か? そして叫ぶ意味が何かあるのか?
「また、逆のスタイルもあって、架空の世界の悪魔王が現代社会に転生したり、信長や秀吉が現代世界に転生して社会生活を営むという物も多い。それらは苦労しながら社会で出世していくといった内容が多いかな~」
「ほう、面白そうですね、信長とか秀吉が現代で働くって、それどんな感じなのですか?」
私はちょっと首を傾げつつ質問する。
「えっ、どんな感じだと? う~ん、それはだな……」
中岡編集は少し考え込む。
そして唐突に……。
「……おい、貴様、余が誰だか分かっておるのか! 無礼者め! 余は信長ぞ!」
「はいはい、信長さんね、じゃあ、君はのぶ君と呼ぼうね! 済まないけど、お弁当の検品をお願いするね」
中岡編集は右を見ながらと左を見ながらを器用に繰り返しつつ、落語家のように話し始める。
「の、のぶ君じゃと!」
「お、お前、わ、儂が誰だか分かっておるのか! 儂は秀吉じゃぞ!」
「はいはい、秀吉さんね、じゃあ、君はひで君で! そしたら、レジ打ちをお願いね」
「の、のぶ君、ひで君じゃと! な、な、な、なんと無礼な! 御館様やこの儂に対して!」
「そうじゃ、貴公、無礼だ! 余は許さんぞ!」
「はいはい、無礼で何でも良いから、ちゃんとバイトしようね。家賃払わないとアパート追い出されちゃうんでしょ? しっかり働いてね」
「ば、馬鹿にするな! や、家賃如き、余等はちゃんと払えるわ!」
「そうじゃ、そうじゃ!」
「うん? お金はどうやって準備するのかな?」
「えっ………… いや、……ね、年貢じゃな……」
「…………ふ~ん、どこの誰から取り立てるつもりなの?」
「……………」
「…………さてと、二人とも頑張って働こうね……」
小芝居をし終えた中岡編集が改まって私を見る。
「……まあ、こんな感じの内容だよ」
「はあ…… な、何だか凄いのですね」
編集をしているから色々なジャンルに接する機会が多いようだ。
「で、今回の調査対象は、正に現代世界に転生してきたという織田信長だという人物なのだ。いや、噂では本能寺の変の際に炎の中で光に包まれ消えたかと思ったら、現代世界へと輪廻転生していたとか、本能寺から254メートル程しか離れていない場所にあったという南蛮寺に居た伴天連達が、信長の遺体を密かに運び出し、それを復活の秘術を用いて転生させたとか云われているらしい。そして、現代世界では新興宗教の教祖の座に就いているという……」
「戦国時代からの転生者ですか、それも織田信長とは相当凄いですね……」
まあ、かなり胡散臭い感じだが。
「……し、しかしながら現代では新興宗教の教祖だとは、何だか随分と信長像とは赴きが違いますが……」
「いやいや、そうでもないぞ、信長という人物は天下統一だけでなく、宗教世界をも牛耳り王となろうとしていたきらいがある。キリスト教を支持していた訳ではないが利用しようとしていた。そして反仏教的であり、仏教を毛嫌いしてというのもあったからね」
「比叡山焼き討ちとか、石山本願寺に於ける石山合戦とか、高野聖千三百人の処刑とかをしていますものね、仏教を破壊しようとしていた所も……」
私は浅い歴女知識を披露する。
中岡編集は軽く笑い小さく頷いた。
「ああ、信長は仏教が嫌いだった。堕落しきった当時の仏教が嫌いだった。それを破壊する際に第六天魔王と名乗っていたというのもあったしな」
その説明を受けて、私はずっと疑問になっていた事を聞いてみる。
「あ、あの、信玄との文のやり取りで、第六天魔王と名乗ったという逸話は知っていますが、その第六天魔王というのが、そもそも何かというのを私としては理解出来ていないのですが、それは一体?」
中岡編集はニヤリと笑った。
「第六天魔王というのは、天魔とも云われているが、仏教の世界における他化自在天の主だとされている存在だよ」
「他化自在天?」
私は首を捻る。
「仏教には色々な神々がいるのだが、一番偉いのは如来達になる。その次が菩薩達になるのだが、菩薩というのは如来になる為の修行中の身なのだ。有名な弥勒菩薩などは、釈迦如来が滅びる五十六億七千年後に人々を救済する為に修行をしている最中だ。そして、如来の化身とか使者とかという位置付けで存在する明王。更にその下に仏の用心棒として天界に住む天部の者達が存在する。この天部の者達には、阿修羅とか帝釈天とかが居るのだが、彼等は元々はヒンズー教の神々で、アスラらインドラといった神々が仏教に帰依して天部の神々になったとされているが、まあ、都合よく部下や用心棒として配されちゃた訳だ」
「はあ……」
聞いてはみたものの、難しくて何だかよく解らなくなってきたぞ。
「他化自在天というのは天界に於ける一つの区分を指す言葉でもあり、擬人化した神様そのものを指したりもする事もあるのだが、天界には無色界、色界、欲界の三界があり、その一番下部にあたる欲界は更に六欲天という六つの世界に分けられている。他化自在天、化楽天、兜率天、夜摩天、刀利天、四大王衆天がそれだ。その一番上であり最高位に位置するのが他化自在天になるのだよ」
「は、はあ……」
「死んで天界に送られるも、天界の下層である欲界の者達は読んで字の如くまだ欲が残っており、欲を完全には断ち切れず快楽を享受してしまう訳だ。その欲界の一つ他化自在天の主である第六天魔王は仏教の修行を妨げる魔として、釈迦やその弟子達の修行の邪魔をしたり、日蓮も法華経で修行を邪魔する存在だと説いていたりもする。つまり第六天魔王とは仏教修業を邪魔し邪念を囁く西洋の悪魔的な存在と云う訳だ」
「な、なるほど……」
解ったような解らないような状態だが私は取り合えず頷いておく。
中岡編集は軽く笑いながら説明を続ける。
「随分脱線してしまったが、実はその転生者という人物は自分が信長の転生者であると云うだけでなく、その第六天魔王の生まれ変わりでもあると云っているらしいのだよ」
「信長の転生者というだけでなく、第六天魔王の生まれ変わりですか…… そうなると魔王が現代に転生してくる設定と信長が現代に転生してくる設定の二重取りになっちゃってるじゃないですか」
魔王信長が現在に転生とは凄いぞ。
「そうだな、二重取りだ。まあ、そういった転生者だと名乗ったからこそ、教祖として支持を得られているのだと思えるがな……」
「なぜです? 信長である事と教祖である事は余り関係がなさそうですが」
中岡編集はゆっくり顔を左右に振った。
「信長が第六天魔王と名乗った理由は、仏教に仇なす者であるという所からきている。つまり仏敵であると云っている訳だ。そして、その人物が広めている新興宗教というのが、キリスト教的な宗教であり、ちゃんと踏襲できているのかは定かではないが、戦国時代当時に布教されたものを再興したものだと云う事らしい」
「信長の転生者で、第六天魔王の生まれ変わりで、古いキリスト教の教祖ですか……。となると確かに信者が付きそうな設定ではありますが……」
何やら説得力があるぞ。
「それだけではなく、嘗ての信長の部下達も転生して現代世界の人物として現われ、その教団の幹部として教団を盛り上げる為に尽力しているとの事らしい。ルイス・フロイスの生まれ変わりとかまで居るらしいぞ……」
私は顔を顰める。
「そこら辺まで来ると、かなり胡散臭い気がしますが……」
「ああ、胡散臭いな」
中岡編集は頷きながら笑う。
「兎に角、兎に角だ。今回はその怪しげな新興宗教の胡散臭さを白日の下に曝け出し、そんな怪しげな宗教に入信してしまった息子を連れ戻して欲しいというのが今回の依頼なのだよ」
その調査内容を耳にして、私は戸惑いを隠せない。
「あ、あの、中岡さん。何だかちょっと今までとは赴きが違いませんかね? 今までは史跡や施設の調査で、その際に事件に巻き込まれ、その事件を解決していたといった流れでしたが、息子を連れ戻して欲しいというのは本職の探偵さんや警察さんに依頼するような案件で、私達が首を突っ込むような事でも、私達に依頼してくるような事じゃない気が……」
「いや、でも、面白そうじゃないか、転生してきた信長だよ、そして、蘭丸とか勝家や長秀だよ、直接会話をしてみたいだろ?」
中岡編集は嬉々とした顔で云ってくる。
「そりゃあ、歴女としては、信長や秀吉と直接会って話が出来るならしてみたいですが、胡散臭いですし、かなり危険な匂いが……。それに、そんな簡単に連れ戻したり出来るのですか? もう入信してしまっているのですよね? 退会させたり面倒な事が多いのじゃ? それだけじゃなく、そんな教団を調査なんて簡単に出来るのですか?」
私は眉根を寄せる。
「調べた所、入信に関してはかなりウエルカムな所があるようで、簡単に入れるようだぞ。それと体験とか仮入信とか、そういったものも用意されているらしいし……」
「体験とか仮入信ですか…… でも、そんな仮だったとしても、入信なんてしてしまったら後が怖いですよ、教団から逃げたら追っ手がきたりしそうじゃないですか」
私は嫌悪感を露にして身を震わせる。
「まあ、確かにちょっと危険だと思う。それもあるから、今回の調査にかなり強力な助っ人も参加してくれる事になったのだよ」
中岡編集はニヤリと笑う。
「か、かなり強力な助っ人?」
何だそれ、このシリーズ初の出来事だぞ。
「ああ、相当な助っ人だ。百人力だね。弁慶みたいな感じだよ、だから安心してくれたまえ」
「安心してくれたまえって、仮に弁慶がいても安心なんて出来ませんよ、実際に信者百人で押さえつけられたら、例え弁慶だってやられちゃいますよ、それに現代には銃があるんですよ、どんな大男だって頼りになんてなりませんよ!」
私は泣きそうな声を上げる。
「まあまあ、助っ人の姿をみれば納得できると思うよ、安土駅で待ち合わせしているからさ」
中岡編集は自信有りげに言及した。
……ど、どんな大男だろうが、宗教はやばいぞ! それに、そんな調査するなんて聞いていないし…… や、やばい、凄く危険だ! 今回の調査は危険すぎる! 少しでもヤバそうになりそうなら逃げよう。タイミングを見計らって逃げ出そう。中岡編集がリスクより調査を優先させるようなら、申し訳ないが置き去りにさせてもらおう。
私は心の中で密かに叫んだ。
そんな私達をのせた列車は能登川駅を経て、目的の安土駅のホームへと滑り込んで行く。
私の思い込みのせいなのか、安土駅には何やらどす黒い嫌な気配が漂っていた。
重い足取りのまま列車から降り、駅の北側の改札を抜けるてみると、そこには妙な人が立っていた。
鎧姿に陣羽織、そ、そして、赤赤熊型兜を被った人物が、背を向け仁王立ちで竦んでいるのだ。駅から出る者は奇異な目でその人物を眺めていた。
あ、あれって、まさか!




