高崎の夜 参
私は一度自分の部屋へと戻り、手拭と浴衣を携え風呂へと向かった。一人はちょっと怖いが、女湯と男湯に別れているからどのみち一人になる。そんな訳で自分のタイミングで風呂へと向かったのだ。
大浴場と書かれた案内を追い、一階部分に設けてある浴場へと入り込んでみる。中に入ると空いていて、脱衣所の駕籠を見る限りでは私以外に人は居なそうだった。
すぐに服を脱ぎ、手拭を持ち浴場へと足を踏み入れてみた。内湯と外湯があり中々充実している風呂だった。
私は洗い場で体と頭を軽く洗ってから、外湯の方へ繰り出してみた。風呂の上に木組みの天蓋が設けられていて、とても趣がある。
私はざぶざぶと湯を掻き分け端の方へ陣取ってみる。
いい、凄くいい。私は肩まで身を沈め湯の温もりを身に受けた。
端には垣根が設けられており、その向こう側は男湯か何かになっているようだ。
そんな場所でしばらくお湯と戯れ静かに佇んでいると、垣根の向こう側から人がひそひそ何かを話している声が聞こえてくる。特に何もする事がない私は、ついついその声に聞き耳を立ててしまう。
「……坂本と…… 中岡も…… 泊まっている…… ら……ぞ……」
えっ、なにっ。
私は拾った第一声に驚かずにはいられない。
な、なんだ、一体、向こうで何を話しているんだ。
私は垣根の先へと更に耳を欹てる。
「……そうした…… 先に中岡の方を…… 始末して…… しまうか……」
お、おい、こ、こ、殺しにきているぞ!
それを聞いた私は、温かい湯に浸かっていながら、全身に鳥肌が立つのを止められなかった。
「その…… 方が…… 後が…… 楽かもしれん……」
ど、ど、どうしよう……。
予想するに、これからの行動を話しているようだ。中岡編集が今、何処に居るのか定かではないが、これから起こる事らしい。な、なら、まだ回避できるかもしれないぞ。
そう思い至った私は、水音を立てないように静かに湯船から身を上げた。そして、足音を立てないように湯船脇を歩き進み、内湯へと戻った。
転ばないように早足で内湯脇を抜け、脱衣所手前で手拭を使い身を拭き上げていく。そして、脱衣駕籠まで歩み寄った所で持参した浴衣を手に取る。
く、くそっ、そんなに急を要する事ではないかも知れないが、一刻を争う事態の可能性もある。
ブ、ブラジャーは省こう、どうせ鳩胸程度だ!
私はTシャツのような物の上に浴衣を羽織った。そして、髪もろくに乾かさずに、大浴場から躍り出た。そして、廊下を小走りに進み、中岡編集の部屋へと向かって行く。
何なんだこのシチュレーションは、私はお龍さんじゃないんだぞ! うおおおおおおおおおおおっ!
階段を駆け上がり、中岡編集の部屋の前に至ると、私はドアノブを思いっきり掴んで引いた。が、開かない!
えっ、い、居ない! 居ないのか!
「な、中岡さん! 中岡さん! 居ないのですか?」
私はどんどんと戸を叩き声を掛ける。しかし反応は無い。
ま、まさか風呂? 風呂だったら飛んで火にいる夏の虫じゃない!
しかし、何度戸を叩き声を掛けるも戸の奥からは沈黙しか返ってこない。
途方に暮れた私は、仕方が無いので一度自分の部屋へと入り込んだ。そこで心を落ち着かせ、改まって作戦を練ることにした。
ど、どうしよう? 私には助けに行くという程の事は出来ない。そこまでして私が殺されてしまうのは避けたい。だが伝える位はしてあげたい。そして武器ぐらいは授けてあげたい気がする。
武器、武器なんてあるのかよ。
周囲を見回してる私に、武器になりそうな物がようやく見えてきた。
靴べら……。取り合えず一応使えそうだ。そして持っていっても変じゃない。いや変だろう。まあ、ぎりぎりだ……。
いやいや、そんな事より問題はもっと大きい所にある。この件を中岡編集にどう伝えるかだ。
誰かに伝えてもらうという方法が一般的だが、そんな突拍子もないことを真面目に受け取ってもらえないようにも思える。
とすると出来る事は限られてくる……。
し、仕方が無い…… や、やるか……。嫌だがあれしか方法がない……。
私は腹をくくった。
いつも髪を束ねている位置を上の方へずらし、丁髷風に認め直した。そして乾いた手拭で胸を締め付けその上にTシャツ、浴衣を羽織る。
よ、よし、行くぞ!
そうなのだ。私は男の振りをして男風呂に入り込み危機を伝える事にしたのである。




