身延へ 肆
女中は何度か角を曲がった後、とある部屋の前で立ち止まった。
「こちらでお待ち下さい」
そう云うと前に並ぶ板戸を右へ左へと引き開けていった。戸の奥は六畳程の和室を縦に三つほど連ねたような形状をしていた。そして、奥の方は一段高くなっており、小舞台といった様相である。
そこに、まるで殿様といった感じで老人が座っていた。更にその手前の両脇の壁沿いには家族だか親族だかが、まるで部下といった風に中央を向き座っている。
「近こう寄れ!」
鋭い声が掛かった。
「どうぞ真っ直ぐ前へとお進み下さいませ……」
女中は顔を伏せたまま呟く。
私と中岡編集は恐ず恐ずとその部屋へと踏み入った。足の裏で畳みの感触を感じつつ、竹林の描かれた襖戸の間を抜け高座の前まで歩き進んだ。親族なのか家族なのか解らない者達が向き合っている間には、赤い座布団が二つ並べて置かれてある。
「どうぞ、そちらにお座りになって下さい」
家族席の方から声が掛かる。
私達は戸惑いつつも、その赤い座布団に正座してみる。とはいえ何だか滑稽な感じだ。中岡編集に関しては顔が噺家のような顔をしているので余計そう見えてならない。
「随分、遅かったではないか!」
また鋭い声が上がる。
「も、申し訳御座いません。い、いや、道が複雑で迷わないように慎重に来たものですから……」
中岡編集は場の空気感化されたのか、頭を下げ額を畳みに擦りつけながら答えた。まるで殿様の部下といった様相だ。
私は思わず、地図が悪い、と云いそうになるが、心象が悪くなるといけないと思い直し、敢えて口には出さないでおいた。
「貴様達が、埋蔵金探しの手伝いを志願してきた者達で相違ないな?」
「は、ははっ!」
中岡編集はまた額を擦り付けた。
「要綱に書いてあったと思うが、我々は先祖が隠したという埋蔵金を探しておる。その価値は現代の金額にして、二十億は下らないと云われている代物じゃ、何が何でも見つけ出したいと思うておるのじゃが、上手く見つけ出すことが出来ずに困っておる」
「は、ははっ」
中岡編集はまた謙り頷く。
「貴様等を募集した新聞広告に記載していたと思うが、もし貴様等の協力を得て埋蔵金を見つけ出すことが出来たなら、報酬として埋蔵金の百分の一を引き渡そう。百分の一とはいえ凡そ二千万円程になる。十分な報酬だと思うが、どうであろうか?」
「ははっ、畏れ入ります。尽力させて頂く所存で御座います」
「しかしながら、何も見つけ出すことが出来なかった場合には報酬など一切無い。それは承知しておるか?」
老人はギロリと睨みながら問い掛けてくる。
「了承しております」
中岡編集は額の汗をハンカチで拭いながら答えた。
どうにもこの老人は一方的に話す癖があるらしく、こちらに話す隙を与えてくれない。
「ふふふ、ならば、宜しく頼むぞ。期待しておるからのう」
老人は笑う。
「ち、因みになのですが、こちらの方では何か手掛かりを有してらっしゃるとかいう話を聞きましたが……」
中岡編集は探るような顔で問い掛けた。
「ふふふ、それが気になるか、まあ、当然気になるであろう」
「ええ、それがどういったものか解らなければ、私共は探しようが御座いませんので……」
中岡編集の答えに老人はまたニヤリと笑った。
「では、その部分に関しては、妻の静子に説明させよう」
そして、老人は家族席の方へと目配せをした。
家族席からは、年の頃は五十歳程の女性が僅かに前へ出る。細面の綺麗な女性だった。
「畏れ入ります。私は穴山勝一郎の妻で、静子と申します。以後お見知りおきを……」
静子は優しく微笑みながら軽く顎を引く。私達は頭を下げそれに返した。
「それでは、お話をさせて頂きます。まず、私共穴山家は戦国武将であった穴山信君の子孫だと云われております。穴山氏は武田家の親族筋として、甲斐河内地区を治める豪族でした。その七代目当主であった穴山信君こと穴山梅雪は信玄公の娘を嫁に迎え、武田家との繋がりが強かったとされています。しかし、信玄亡き後、その子である勝頼とは反りが合わず、織田信長や徳川家康に内通し始め、ついに天正十年、織田方の甲州征伐の際には旧領である河内領と駿河江尻領の領有を条件に織田徳川方へと寝返るに至ったので御座います」
そうなのだ。今回訪れたこの家は穴山信君の子孫筋だという家なのである。
「その後、梅雪は家康と共に安土を訪れ、御礼言上を行いました。その安土からの帰りに、家康と共に堺見物をするのですが、そこに本能寺の変の知らせが届きます。家康は伊賀をを抜けて三河に戻るルートを、梅雪は京都と奈良の県境を抜けるルートを選び国元へと戻ろうとします。しかし梅雪は途中、落ち武者狩にあい、生涯を終える事になってしまったのです」
静子は改まって私達を見た。
「しかしながら、そんな梅雪の死に関して、尾鰭が付く事になりました。それは、梅雪を殺害した落ち武者狩りの野武士の首領である諸澄九右門という人物が、梅雪の懐に入っていた武功録を奪い取り、そこに記された梅雪が隠し埋めたとされる埋蔵金の三分の一を隠し場所である天岩戸から持ち出したというものになります。しかしながら、残りの三分の二は持ち出す事が出来なかったと……」
静子がそこまで説明すると、穴山家の当主であろうと思われる老人が徐に口を開いた。
「ふふふ、面白い話であろう、 興味深い話であろう」
「ええ、大変興味深いお話です」
中岡編集は、穴山老人を見ながら真摯に頷き返事をした。表情から窺うに本当に興味深く思っているようだ。
「ただのう、この話は飽くまで伝説、噂話の域を出ないものだと感じてならぬだろう」
「た、確かに」
「では、貴公に質問するが、この話が伝説や噂話などではなく実際の話だったとするならば、何が必要になってくると思う?」
「えっ、必要な事ですか?」
中岡編集は戸惑った顔で考え込む。
「た、例えば、諸澄九右門という人物が本当に実在していた人物だったという証拠や、その武功録というのが本当に存在して、そこに埋蔵金の事が書かれていたとかですかね……」
その答えを聞いた穴山老人はニヤリと笑った。
「その通りだ。実際の所、穴山梅雪は実在した人物だ。甲陽軍鑑にその名前は出ており、信長への御礼言上の帰りに堺見物をしたのも間違いはないだろう。そして、本当に遺骨が埋められているか定かではないが、奈良と京都の県境を走る木津川近くに梅雪の墓もあると云う。いずれにしても梅雪が殺されたのは偽りのない事実だろう。とするとそれを殺した者というのは間違いなく存在する訳じゃ」
「ええ、殺されたのなら殺した者が居るはずですよね?」
中岡編集は納得気味に頷く。
「なので、儂はその諸澄九右門という人物の事を細かく調べてみたのだ。どこかに墓があったり、その後、歴史に何か名を残してやしないかと。しかし残念ながら諸澄九右門なる人物の名は見付からず、その消息は全く掴む事は出来なかったのだ……」
穴山老人は顔を横に振った。
「ならばと思い、儂はその盗まれたという武功録を探し始めた。梅雪の物だったのなら、尚更子孫である我等の手で探すべきだと思ったからじゃ、しかし、当然の事ながら簡単に見付かるようなものではない。何年も何年も探し続け、いよいよ諦めかけた所で、何と儂はその武功録を発見し、入手する事に成功したのじゃよ」
「そ、それは本当ですか?」
中岡編集は目を剥いて問い掛ける。
「ああ、本当じゃ、昔、甲府にあったという両替商の家にそれはあったのじゃ、明治の頃まで商いを続けていたようじゃが、戦後に廃業したようじゃ、その家の古い蔵の中に求める武功録があったのだ。儂はそれを入手して中を調べ上げた。当然の事ながら偽物という事も考えられるので、中に記されていた梅雪の文字や花印と、下部温泉に残るという梅雪が書いたという直筆の許可証の文字、そして、そこに記された花印が同一の物なのかなのかを鑑定してもらったのじゃ」
「け、結果は如何だったのでしょうか?」
中岡編集は我慢できないといった顔で問い掛けた。
「ふふふ、同一の物だという結果がでたのだ」
「それは凄い!」
中岡編集は唸った。横で私も興奮を抑えきれずにいた。
「そ、それで、その武功録には埋蔵金の事は書かれていたのでしょうか?」
その問い掛けに穴山老人はニヤリと笑う。
「書いてあったわ、金を隠したなどという文言がな」
「おお、凄い、凄いです!」
「だがな、そんな武功録を手に入れている状況だというのにも係わらず、我が家族たちは不甲斐ない事に埋蔵金を見付け出す事が出来ずにいるのじゃよ」
穴山老人は家族席に冷たい視線を投げかける。家族たちは揃って身を竦めた。
「さて、では、埋蔵金探しの資料として、貴公等にその武功録をお見せしようと思う」
「えっ、我々に見せてくれるのですか?」
「見せんでは探せんではないか」
穴山老人は鼻で笑う。そして、家族席に再び視線を送った。
「では、松子よ、武功録を此処へ」
松子と呼ばれた年の頃は二十代と思われる綺麗な女性が頷き前に出た。手には底の浅い桐箱を持っている。
その松子はずずいと前に出ると、その桐箱から古そうな和綴じ本を取り出した。その和綴じ本の一番上には一枚の紙が載っていた。
「それがその梅雪の武功録になる」
穴山老人は顎先を向ける。
「そして、上に載っている部分が埋蔵金について書かれている部分になるのじゃ」
松子は上の一枚を手に取りそれを我々に見えるように翳した。そこには蚯蚓が這い回ったかのような文字が書かれていた。正直何が書いてあるのか全く解らない。
「お、畏れ入りますが、そこには、な、何と記されてあるのでしょうか?」
中岡編集は戸惑い気味に問い掛けた。
「何だ、読めんのか? 本の編集をしていると聞いたが、意外と学がないのじゃな」
穴山老人は呆れ顔を作る。
「申し訳ありません」
中岡編集は頭を下げた。
「良いか、そこには、身延の山にて拝み、天の岩戸なる龍口より入らずんば、備えを隠したる彼の地に辿り着くなり。戦の際には活用するべきなり。と書かれておるのじゃ」
「備えを隠した彼の地…… ですか……」
中岡編集は真剣な顔になり文言を繰り返す。私は横で聞いた内容を手帳にメモしてみた。
「お、畏れ入りますが、その続きはどのような?」
しばし考え込んだ様子の後、中岡編集は続けた。
「ん? 続きとな? 埋蔵金の事らしき事が書かれていたのはその部分だけじゃったが……」
「えっ、この文言だけなのですか?」
「ああ、そうじゃ、他の部分を事細かく調べてみたが、埋蔵金に関係がありそうな事が書かれてあったのはその部分だけじゃったが……」
「こ、これだけですか…… よく、その諸澄九右門と云う人物は埋蔵金に辿り着くことが出来ましたね……」
これだけだとすると、余りに情報が少ない。これで探すというのは余りに厳しすぎるだろう。
「諸澄九右門と云う人物は、中々賢い男だったようじゃな」
そんな老人の答えに、中岡編集は眉根を寄せて深く考え込んでいる。
「あ、あの、他に何か情報のようなものは御座いませんでしょうか? 流石にこれだけでは、余りに情報が少なすぎる気が致しますが……」
中岡編集は穴山老人を上目使いで見上げた。