不老の温泉 伍
その後、私達は一度自分達の部屋へと戻った。そして、三十分程部屋でゆったり過ごしてから、夕食場所だと指定されてた広間へと向かった。
「もう、用意されているのですね」
広間には長机が縦に連なるように並べられており、そこに天婦羅や煮物風な料理が置かれていた。
「さて、何処に座れば良いのだろう?」
中岡編集が左右を見回していると、すぐに仲居が気付き声を掛けてきてくれた。
「ああ、中岡様と坂本様で御座いますね、では、そちらへお座り下さいませ」
「えっ、は、はい」
私と中岡編集は指示された場所に並んで腰を下ろした。対面にも人が座れるようになっており、そこにも私達の目の前同様に料理が並べてあった。そして目の前には温泉で一緒になった安西達一行が横一列に座っていた。何だか複雑な心境だ。
しばらくすると、広間の入口の方から安房比丘尼に必死な顔で不老不死の謎について質問していた中年夫婦がやってきた。
「ほうほう、もう料理が並んでいるんだな」
夫の方が口を開く。
「あっ、網乾様ご一行様ですね、では其方側にお座り下さいませ」
「そちらだね」
夫婦は少し離れた場所に腰を下ろした。
少し落ち着いた所で、安西が私達に会釈をしながら声を掛けてきた。
「中岡さん、坂本さん、先程はどうも」
「いえ、こちらこそ」
中岡さんは自然な感じで返した。私は横で頭を下げるに留めた。
「仲直りは出来ましたか?」
神余女史が心配そうに聞いてくる。
「ええ、何時までも喧嘩していても仕方が無いので……」
私はボソリと答える。
そんな感じに皆どう振舞って良いのか今一解らないでいると、仲居が近づいてきてお盆に載った茶碗と御椀を皆に配り始めた。
「松茸の炊き込みご飯と山茸のお吸物で御座います。お熱いうちにどうぞ召し上がり下さいませ」
「もう食べて良いのですか?」
赤岩が質問する。
「ええ、宿坊形態では御座いますが、料理宿でも御座いますので、どうぞお好きなタイミングで召し上がって頂いて結構で御座います」
「おお、それでは」
赤岩は待ちきれなかったと云わんばかりに天婦羅を箸で摘み口へと運ぶ。
「じゃあ、食べましょうか」
扇谷女史も箸を手に取り料理を摘みはじめる。そして、私達も料理を食べ始めた。松茸のふんわりとした香りが鼻腔を刺激する。
しばらく食べ進んだ所で、中岡編集が思い出したような顔で安西に声を掛ける。
「そういえば、皆さんは里見八犬伝の研究サークルだと仰られていましたが、里見八犬伝のどんな場面がお好きですかな?」
「えっ、僕ですか、そうだな、僕は、芳流閣の戦いが好きですね、犬塚信乃が村雨丸が偽物だと疑われ捕らえられそうになった所で、別の罪で捕らえられていた犬飼現八に信乃を捕らえることが出来たら放免するという条件を出されて、二人が戦う事に! 犬士対犬士の壮絶な戦いですよ。ここが僕にとっては一番熱くなりましたね~」
安西は答える。
「いやいや、確かにそうですよね、あのシーンは熱いですよね~」
中岡編集は嬉しそうに頷き目を細める。
「私は庚申山の妖猫退治の部分ですよ、自分の父を殺し、その父である赤岩一角に化けていた妖猫を犬村角太郎が退治するシーンです。父の仇だけでなく、妻の雛衣の仇となった妖猫と対峙するも、妖猫は部屋中を暴れ周り手に負えません。そんな妖猫を何とか退治する所が良いですよね、一番の見所だと思いますよ」
扇谷女史が熱く説明する。
「ええ、ええ、そうですよね、燃えますよね」
中岡編集は同意だとばかりに答える。しかし予習をちゃんとしてこなかった私には話がさっぱり解らない。仕方が無いのでとりあえず解ったような顔をしつつ笑顔で頷き続けた。
「では、中岡さんはどうですか?」
赤岩が聞いた。
「えっ、僕ですか、僕はですね」
中岡編集が嬉しそうに語り始める。
「信乃の伯父と伯母の蟇六と亀篠が、養女浪路を無理やり代官との縁談させようとするシーンですね、信乃の許婚なのに、あいつはこの村から逃げていっただのと嘘八百を並べ立て……」
中岡編集が真剣な顔をする。
「あいつは帰ってきやしないわい、あいつはお前を捨てて逃げたんだ」
「そ、そんな筈はありません信乃様は私と結婚する約束をしているのです。逃げたりなんて致しませんわ!」
だみ声と、やや高い声色を使い分け、中岡編集が小芝居をし始める。
「しかし困ったのう、わしは代官殿と約束をしてしまったのだ。約束を違えるからにはわしは切腹をして詫びねばならん、父が切腹しても良いと云うのか?」
「で、でも、嫌です。私は信乃様と結婚するのです。約束しているのです。他の人となんか結婚したくありません!」
「浪路よ、父であるわしが切腹しても良いのか?」
「……」
中岡編集は女性ぽい仕草で考え込む。ちょっと気持ちが悪い。
「良いのか浪路よ! わしが死んでも!」
「ああ、解りました、解りましたとも…… わ、私は、その方と結婚します……」
中岡編集はさめざめと泣く振りをする。
「おお、そうかそうか、これで我が家も安泰だな」
そんな様子を奥に座る中年夫婦は興味深げに眺めていた。
「あ、あの、あのさ、中岡さん」
安西が怪訝な顔をしながら手を上げる。
「なあ、浪路じゃなくて、浜路だろ? 浪路っていうのは、団先生の鬼百合と……」
「う、うわあああああああああっ!」
安西の声を掻き消すかのように中岡さんが大声で叫んだ。顔が真っ赤だ。
「いや、うわああああああああっていうのは置いて於いて、浪路じゃなくて浜路だよね?」
安西がまた訊いた。
「い、い、い、いえ、あれね、最近読んだんで間違いちゃいました……」
誤魔化すように中岡編集が手を横に振る。動揺が半端じゃない。
「えっ、最近読んだの?」
安西の追及は意外としつこい。
「…………えっ、ええ……」
搾り出すように中岡編集が答えた。激しく頭を掻いている。何のことか意味が解った人は顔を赤らめている。私には詳しくは解らないが赤くなりようから何となく意味が解る気がする。
安西はにやりと笑った。
「素敵な愛読書ですね」
「…………い、いえ……」
「ふう、もう台無しですよ……」
斜め前の赤岩は少し軽蔑したような顔で中岡編集を見た。
「…………失礼致しました……」
中岡編集は俯き顔を隠した。
そんな中岡編集のミスにより、里見八犬伝の話はそこで立ち消えとなった。その後は差し障りのない雑談をしながら皆静々と食事を嗜んでいく。




