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歴女作家 坂本龍馬子の奇妙な犯科録  作者: 横造正史
第三章
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不老の温泉  肆

「成程、成程、面白い縁だし、面白い関係性だ。僕等の関係にちょっと似ている気がする」


「お二人の関係にもですか? となるとお二人もカップルで?」


 赤岩が聞いてきた。


「ち、ち、ち、違います! カップルなんかじゃありません。上司と部下みたいな感じです」


 私は慌てて否定する。


「えっ、じゃあ、似てる関係性って?」


「いや、実は僕は中岡と申しまして、こっちは坂本と云いましてね」


 中岡編集が自慢げに云った。


「ああ、成程、中岡慎太郎と坂本龍馬って事ですね」


 ちゃんと中岡慎太郎を知ってやがる。だけど此処までだ。それ以上は願い下げだぞ。


「いやあ、それだけではなくですね……」


 中岡編集が続きを話そうとする。


「あ、あ~っと、もう良いじゃないですか、そんな話は、とにかく私達は中岡と坂本と申します。以後お見知り置きを…… それよりこの温泉本当に凄いですよね、肌に良さそうで泥パックといった感じで……」


 私は強引に温泉の話に戻しつつ、湯を首とか頬に擦り付けた。


「ええ、本当に効くんですよ。私もいつも塗りたくってますよ」


 可愛い神余女史が顔に泥を塗りながら云った。何とかかわせたようだ。


「顔とか頭とかまで塗ると、ちょっとやり過ぎかなと思う事もあるんですけど、後で効果が感じられて凄いんですよ、髪まで若返るというか何というか…… じゃあ、そろそろ、やろうかな、いつも出る少し前にやるんですよ……」


 神余女史が泥を掬い上げ、顔に塗りたくり、あろう事か髪の毛にまで塗り始めた。何だか凄いぞ。


「これ髪もつやつやになるんですよね」


 扇谷女史や赤岩も顔や頭に泥を塗り始める。みんな粘土で作った人形のようになり始めた。


「坂本さんもやってみて下さい。本当に後で凄いから」


 神余女史が笑顔で薦めてくる。泥まみれで笑顔がちょっと怖い。


「え、ええ」


 私は躊躇いがちに顔に泥を塗り始めた。でも目が沁みそう。


 私は目の周りまでは塗らず、ファンデーションのように泥を引き伸ばし塗っていった。


「坂本さん、目の周りも塗らないと駄目ですよ、そこに弛みとか皺が出来やすいんですから…… そうだ私が塗ってあげますよ」


 神余女史が私に近づいてくる。


「目を瞑っていてください」


「えっ、は、はい」

 

 私は戸惑いつつも目を瞑った。


「塗りますよ」


 神余女史が私の顔に丁寧に泥を塗っていく。


「折角ですから髪の毛も塗りますね」

 

 髪に泥が掛けられ引き伸ばされていく。もう全身泥パック状態だ。


「もう大丈夫です。ここの泥は沁みませんから目を開いて大丈夫ですよ」


 私は躊躇いながら目を開けてみた。沁みない大丈夫だ。だが頭が泥のせいか凄く重い。


「僕は面倒くさいから、こうしちゃおう!」


 いきなり中岡編集が泥風呂に頭から潜った。そして出てきたと思ったら一気に頭の先から泥まみれになっている。泥人間だ。


「しばらく乾かすとより効果がありますよ」


 神余女史が教えてくれる。


「なるほどです」


 すぐに泥が乾いてきて内側の肌が引っ張られるような感覚が訪れる。効果的な感じだ。だが泥が垂れてきて目に入りそうだぞ、私は薄目をあけてそれに備えた。そして泥まみれの男女六人が泥温泉に浸かり佇む。


「お、おや」


 ふと、中岡編集が眉根を寄せつつ私をまじまじと見た。


 何だ?


「き、君、大変だぞ」


 大変って、何がだ?


「そ、その泥に染まった作務衣の襟といい、泥まみれの髪と顔といい、か、桂浜の龍馬像にそっくりだよ!」


「り、龍馬像?」


 安西がそう云いながらぎょろりと私を見た。赤岩も見た。神余女史も見た。扇谷女史も見た。


 こいつ、何てこと云いやがる!


「ぶはっ!」


 安西の口元の泥が飛び散った。


「そ、そ、そんな事云っちゃ…… 駄目、駄目、ごほっ、ごほっ」


 入ってるじゃねえか! 


「ぷっ」


 神余女史は慌てて顔を背けるも、口元から泥が飛んでいた。


「ごほっ、げほっ、ごほっごほっ!」


 赤岩と扇谷女史の方は咽返り、私に背を向け顔を隠す。


 またこれかよ! 中岡の馬鹿者めぇぇぇっ!


「あっ、ほら、作務衣の腹の隙間に右腕を差し込んでみたまえもっと似るぞ!」


「やりません!」


 私は歯を食いしばりながら云った。もう怒り心頭だ。


「じゃあ、そうしたら」


 いきなり中岡編集は浴槽から出て、湯船の対岸の床のまで赴くと、右手を握りこぶしにして腰に沿え立ち竦む。私の正面だ。


「じゃあ僕は室戸岬の中岡慎太郎像をやろう!」


「やらんでええわ!」


 私はとうとう叫んだ。


「何なんだ中岡っ! 一体、何が大変なんだ云ってみろ! そもそも、なんでいつもいつも龍馬って云うんだ! よりにもよって皆の前で! 何度も云うんじゃねえって云ってるだろ!」


 私はぶち切れた。


「い、いや、ほら、こ、今回僕は龍馬とは云っていないよ、龍馬像って云ったんだよ。龍馬像は初めてじゃない、ね?」


 糞みたいな言い訳抜かしやがって!


「同じ事だろう! 龍馬像は龍馬じゃねえか! それに中岡慎太郎の像なんか持ち出したら、あたしが龍馬に似てる事がばれちまうだろ! 気を使えよ!」


「えっ、龍馬に似てる?」


 口が滑った。


 皆が改めて私を見た。嗚呼またか、こりごりだ。もう先に言い放ってしまおう。


「そうよ、私は坂本龍馬に似ているのよ、だから泥が付いたら龍馬像にも似てるわよ! どう? 解った? さあ笑いなさいよ! 笑えばいいじゃない! うぇーん、えーん」


 私は悔しくて悔しくて感極まって泣いてしまった。


 怒りの涙に近いが、徐々に悲しみの涙に変換する。少しだけ同情を引く演技も含ませてみる。


「も、申し訳なかった……。す、済まなかったよ……」

 

 安西が本当に申し訳無さそうに頭を下げた。


「ほ、本当にごめんなさい、笑ってしまって……」


 神余女史も必死に謝ってくる。赤岩と扇谷女史も、本当に済みませんでした。と口にする。私は謝罪に対して、手を挙げそれに応えた。


「ほら、中岡さん、あんたも謝りなよ、そもそも、あんたが一番悪いんだからさ」


 安西が中岡編集に促す。


「えっ、謝る?」


「えーん、えーん、うえ~ん」


 私は泣き続ける。


「ほら謝んないと!」


 中岡編集が仕方が無さそうに云った。


「え、えーと、ご、ごめんな、僕が悪かった…… 言い過ぎたよ……」


「えっぐ、えっぐ……」


「もっと誠意を込めないと……」


 安西が促す。


「……ど、土下座……」


 私はかすれた声で呟く。


「ほら、土下座ぐらいしないと、あんたの事は許せないみたいだぞ、ほら、やって謝りなよ」


「えっ、土下座、ど、土下座までするの? そこまでとは……」


 中岡編集は抵抗の気配を見せる。だが周囲の非難の目がそれを許さない。


「ほら早く!」


「え、ええ……」

 

 中岡編集は促されるまま膝と手を付いた。


「ほ、本当に御免なさい……」


 中岡編集は頭を床に近づけ深々と頭を下げた。泥まみれの作務衣姿で土下座する姿は、中岡慎太郎像どころか、まるで盗掘でもした下手人のようだった。これを機会に深く反省しろ。


「じゃあ、申し訳ないけど、俺達はそろそろ出るから、あんたもっと誠意を込めて謝っておいてくれよ、兎に角あんたが悪いんだから」


「え、ええ……」


 安西や神余女史達は、居た堪れないといった雰囲気で頭を下げ、洗い場で泥を洗い流してから風呂場を出て行った。


「えっぐ、えぐっ」


「おいおい、そんなにいつまでも泣くなよ、土下座したじゃないか……」


「…………」


 中岡編集が深い溜息を吐く。


「……そんなに泣くとまた乙女姉さんに叱られるぞ!」


 な、何っ、お、お、乙女姉さんだと! こ、懲りずにコイツは!


「だ、か、ら、乙女姉さんは要らないでしょ! もう坂本家を出すな!」


 私は顔を上げ叫んだ。


「おっ、もう涙なんて出てないじゃないか、やはり半分嘘泣きだったか、汚い真似をしおって……」


「嘘泣きなんかじゃありません。最初の方は本当に泣いていました。辛くて哀しくて悔しくて…… 本当ですよ! なので、もう、これを機会にもう二度と龍馬だとか龍馬子だとか、龍馬像だとか云わないで下さい」


「わ、解ったよ、気をつけるよ」


「気をつけるでは駄目です。云わないと誓ってください! また土下座させますよ」


「わ、解ったよ」


 仕方が無さそうな顔で中岡編集は答えた。だが、またやるだろうなコイツは……。


 そんなこんなで、私と中岡編集は泥風呂での深いな一時を終え、洗い場で泥を洗い流してから浴場を後にした。風呂の気持ちよさ半分と笑われた不快さ半分の入浴だった。

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