更なる考察 陸
「何ですかその蛇信仰というのは?」
「その蛇神信仰というのは、蛇神は水の神様であるという信仰だ。水の神は主に川であり沼であったりするもので、それを具現化する際、蛇に見立てているのだよ」
「蛇は水の神様だったのですか?」
私は蛇の姿を想像する。
「蛇はキリスト教に於いては悪者になっている。悪魔の化身とされ忌み嫌われているのだ。旧約聖書の創世記に載っている最初の人間であるアダムとイヴの話では、悪魔が蛇に姿を変えイヴを唆し、神に禁じられた善悪を知る木の実を食べさせた。また黙示録の現れる龍もそのイヴを騙した蛇の化身だとも言われている。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教はそもそも同一の物から端を発しているので、どれも蛇は悪魔の化身と見られる事が多い」
「確かに蛇は悪い印象が多いですよね」
「しかし日本では古来、神の使いとして信仰の対象になっていた。長い間餌を食べなくても死なない事や、脱皮をすることが死と再生を繰り返していると見られ、不死の化身であると思われている節もある。岩国の白蛇はその最たるもので幸運の象徴とされている。また、日本だけでなく、キリスト教圏、ユダヤ教圏、イスラム教圏を除く世界各地の原始信仰では蛇は大地母神の化身と見られていたというのがある」
「ヨーロッパもですか?」
「ああ、古代ギリシャでも蛇は川の神だ。古代エジプトではファラオの被る冠には王や神である象徴として蛇型記章を戴いていた。ツタンカーメンのマスクの額に付いているコブラみたいなのがそれだ。また中国の神話に出てくる伏義と女禍は共に蛇身人首の神様だ。はたまた印度のナーガなど蛇を神様としていて、信仰なども多くある。いずれにしても蛇神は水の神様であるという考えなんだ。日本に於ける蛇神信仰及び竜神信仰は、印度のナーガの信仰などと共通の部分があるので、かなり古くに伝わった伝承、若しくは日本国内で自然発生した伝承の上から、仏教伝来後に蛇神の上から龍神が上書きされたような感じになるのだろう」
「そういえば昔話とかで、日照りなどが続いて水不足に至った際、龍神に祈ると雷を起こし雨を降らせてくれるなどの伝承も伝わっていますね。とすると、さっき出てきた伝承に即して考えると、田貫沼と名を変えた長者ヶ池が龍なのでしょうか?」
「いや、龍は湖沼に棲むが、龍そのものは矢張り河川の象徴として見られる事のほうが多いように思える」
「河川ですか……」
「そうだ。古い伝承に残る八俣大蛇なども河川を指しているという。その八俣大蛇の話は日本最古の書である古事記、日本書紀に出てくるのだが、高天原を追放された須佐之男尊が出雲国で美しい娘を挟んで泣いている老夫婦を見留める。娘の名前は櫛名田比売と云い、その老夫婦にはその娘を含め八人の娘が居たのだが、毎年のように八俣大蛇という八つの頭と八つの尾を持った怪物が現れ娘を食べてしまったという……」
「ええ、その話、昔、絵本で読んだ記憶がありますよ」
私は記憶を辿りながら言及する。
「須佐之男尊が通りかかった時、今年は末娘である櫛名田比売が食べられてしまう番だと泣いていたというのだ。須佐之男尊は櫛名田比売との結婚を条件に八俣大蛇退治を請け負った。そして八つの酒樽を用意してそれを八俣大蛇に飲ませ酔った隙に十拳剣で切り刻み退治したという」
「その話と河川は何か繋がりがあるのですか? 余り関係が無さそうに思えますが……」
私は首を傾げた。
「いや、八俣大蛇は洪水の化身であると云われ、娘を攫うというのは河川の氾濫を指し、八俣大蛇退治は治水をした事と同義とも云われている。洪水後に出来る鱗状砂洲なども蛇の這い進んだ跡に見られたり、出雲のある島根県に流れる日野川、斐伊川、飯梨川、江の川、そしてその支流を頭が八つある竜に見立てたという説も残る。また全国各地に九頭龍信仰というものが伝え残っている。君が云っていたように龍が改心して善神と化し、雨乞いをすると雨を降らせてくれるようになるという物だ。戸隠や箱根、福井、安房などで見られ、戸隠では九頭龍大神という名称で登場し、箱根では芦ノ湖に現れ、福井では九頭龍川として伝わっている」
「雨乞い譚ですね」
「安房の伝承はほぼ古事記の須佐之男尊の話と同じだが須佐之男尊ではなく日本武尊が退治する話になっていた。実の所、その九頭龍と八俣大蛇は同じ物だと云われている。八俣大蛇の説明には八つの頭と八つの尾を持つ化け物であると書かれているが、俣が八つなら首は九つある筈である。つまり九頭龍だ」
「そうか、俣が八つなら確かに首は九ですね。じゃあ、長者ヶ岳と天子ヶ岳にある川を追ってみたらどうでしょうか?」
「一応、それらも追っているんだが、それらしい地名が出て来なくてね」
中岡編集は地図を凝視する。
「普通の地図や、山梨の山百選とかの本ではなくて、細かく載っている本の方が良さそうですね」




