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歴女作家 坂本龍馬子の奇妙な犯科録  作者: 横造正史
第一章       ● 其ノ七 里見八犬伝と不老不死伝説殺人事件
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館山へ  肆

 列車はゆっくり止まり私達はホームへと降り立った。さすがにこの辺りで一番大きな駅なので、下手な県庁駅程の規模があった。


 ホームから階段を登ると、駅の東と西を繋ぐ橋の上に改札口がある。そこから出て私達は駅の東口へと降りていった。


「中岡さん、これからすぐに宿へ向かうんですか?」


 駅前を興味深げに観察しながら、私は質問する。


「いや、まだ時間が早い、色々見て回る予定だ。だがその前に、腹ごなしをしないとな」


 そう云いながら、中岡編集はお土産屋さんの横を抜け、その隣にある煉瓦張りの古そうなパン屋へと入り込んだ。


「パンを買うのですか?」


「いや、ここの二階で食事をする」


「ここ二階で食事出来るんですか?」


「ああ」


 そう答えながら中岡編集は二階へと階段を登っていく。上がってみると、二階は喫茶店のようになっていて食事が出来る様相である。


「ここはパンがとても旨いんだ。僕は館山に来るたびに此処で食事を摂っている」


「あ、あれ、来るたびって、中岡さん館山にはよく来るんですか?」


 意外な一言に私は聞き返す。


「ああ、よく来る。実は僕は館山という町が大好きなのだ。いや、僕の癒しの地でもある。僕は心が疲れると館山にやってくるんだよ」


 おいおい、心が疲れるようなタマか? それに自分が館山に来たかっただけじゃないのか? 里見八犬伝取材と云うのは実はオマケなんじゃ。


 私は訝しげに中岡編集を見る。


 中岡編集は奥まで進み、ショーケースに入った食事の見本に視線を落としながら、


「すいません、シチューのセットを二つお願い致します」


 とオーダーをした。私の意見を少しも聞くこともなく。


「君も同じもので良いよな?」


「もう頼んじゃったじゃないですか……」


「まあ、僕が選んだものは間違いないから、きっと君も満足する筈だ」


「はいはい」


 お金を出してもらう以上余り文句は云えない。


 中岡編集はカウンターで代金を支払う。


「準備が出来ましたらお席の方へお持ちしますので、お好きな席にお掛けになってお待ちくださいませ」


 そう店員さんに云われ、中岡編集は壁際の席へと腰を下ろした。私はその対面に座る。


「一応、宿には四時頃入る予定だ。なのでその前に館山城と稲村城跡を見ておこう。宿は稲村城近くに取ってある」


「館山城は里見氏の本城じゃないと云っていましたけど、見に行くのですか?」


「歴史上では、里見氏の末期には館山城が本城になるんだ。それに天守閣もあり、その中は資料館になっているんだ。折角だからそれも見学しておいた方が良いと思う」


「なるほどです」


 そんな会話をしていると、店員さんがトレーに乗ったセットを運んできてくれた。


「大変お待たせ致しました。シチューのセット二つです」


 そのセットはまるで学校給食のようだった。トレーの上にバターのたっぷり染み込んだ焼きたてのトーストと、コーヒー、サラダ、そしてシチューが……。


 私はトーストを手に取り口に運ぶ。


「うん、美味しい!」


 ふわふわのパンとバターの塩梅が絶妙だった。


「見た目は給食のようで懐かしさを覚えつつ、味は相当旨い。僕はこの雰囲気、味、この一時が大好きなんだ」


 中岡編集はコーヒーを口にしつつ目尻を下げながら云った。本当に大好きなのだろう。


 中岡編集はスプーンでシチューを掬い口へと運んだ。続けてパンを食べ、サラダを口にする。私もシチューを口にしてみた。


「凄く美味しいです」


「そうだろう」


 中岡編集は嬉しそうに頷いた。


 そんなこんな料理的な物を大体平らげると、中岡編集はゆったりとコーヒーを口にし始める。私も砂糖とミルクを入れて食後の一杯を堪能する。少しだけ落ち着いた時間が流れた。


「……さてと、腹も満たされたし、そろそろ館山城へと向かうとするか」


 中岡編集は窓の外へ視線を送る。コーヒーを口から離して私は小さく頷いた。


 店を出て、目と鼻の先にある駅前ロータリーで。私達はタクシーに乗り込んだ。


「館山城までお願いします。出来れば海沿いの道で」


「海沿いの道ですと少し遠回りになってしまいますが良いのですか?」


 中岡編集の要求にタクシーの運転手はバックミラー越しに視線を向けながら聴いてきた。


「構いませんよ、遠回りでも僕は海が見たいので」


「解りました」


 タクシーの運転手が車をスタートさせた。線路沿いを少し南に進み、すぐに踏み切りを渡る。踏み切りを渡った傍には和風な日本料理屋があった。


「そこにある料理屋さんは寿司がとても美味しいんだ。ここも良く来る店なんだよ」


「美味しそうな料理屋さんですね……」


「ああ、地魚が旨いのだ」


 そんな料理屋を横目で見つつ、タクシーは海岸線へ出る。


「うわっ、海ですよ、海!」


 私は眼前に広がる海を見て喜びの声を上げる。


「意外と波が穏やかなんですね……」


「ああ、ここ北条海岸は鏡ヶ浦とも呼ばれる程波が穏やかなのだよ」


「北条海岸ですか?」


「ああ、此処は対岸に富士山も見えて景観も素晴らしいのだぞ」


「へ~」


 タクシーはそのまま海沿いの道を進み、途中内陸側へと折れ曲がった。そして、すぐに館山城址と書かれた敷地内に入り込んでいく。


 タクシーを降りると斜め上に聳える小高い丘の上には天守閣の姿が見えた。


「良いですね山城ですか」


「ああ、あそこまで登っていくぞ」


 中岡編集は指差しながら云った。


「ええ、了解です」


 私達は登り始めた。麓から山城の構造が始まっているようで、少し登った辺りに曲輪とも云える踊り場が見え隠れしている。 


「……館山では南総里見八犬伝を大型時代劇にしたいと考えている部分があるんだ……」


 登っている最中、中岡編集は山の上に聳える天守閣を見上げながら云った。


「でも、大型時代劇って史実に基づいた話が基本ですよね? 里見八犬伝のような物語は大型時代劇にはならないんじゃ……」


 私は首を捻る。


「基本は確かにそうだが、必ずしも史実に基づかない作品もある」


 そう云われて、私はあまり大型時代劇などを見たことはなかったが、どんな作品があったかを思い返してみた。しかし、史実に基づかない作品など無いように思われた。


「史実に基づかない作品なんて無かった気がしますけど……」


 中岡編集は首を横に振る。


「いや、少ないが、ある事はある」


「何の作品ですか?」


「例えば宮本武蔵だ」


「で、でも、宮本武蔵はちゃんと史実に基づいているんじゃないですか?」


「いや、宮本武蔵は確かに現実にいた人間だが、佐々木小次郎とは時代が少々ずれていると云われているし、巌流島の戦いなども実際には無かったようだ。宝蔵院の僧との戦いなんかも記録が無いようで創作されたものだとも云われている」


「そうなんですか……」


「つまり、史実に基づかなくても、余りにも突飛な部分を無くして、ある程度史実に照らし合わせた物語であれば大型時代劇にする事は可能になってくると云える」


「突飛な部分と云うと?」


「それは、南総里見八犬伝に於いては化け猫を退治したり、雷雲に攫われたりるような部分を排除すると云うことさ」


「ああ、確かに化け猫なんて出できたら、現実離れし過ぎますもんね」


 中岡編集は頷く。


「里見家の歴史を鑑みると、結城合戦で落ち延びた里見義実は安房に逃げ、そして、安房の豪族であった安西景連を倒し、しだいに安房を手中に治めていったのは間違いない。まあ、関東管領である上杉家との些細な対峙があったかは定かではないが、安房、上総全域まで版図を広げ、戦国大名化に至ったのは確かだ。最終的には徳川家に改易させられてしまうが、そこまでは出世譚だった事は間違いない。そこを利用してドラマ化すれば良いのではないか思うのだよ」


「でも、それじゃあ面白くないんじゃないですか? 八犬士が出てこない里見家の伝記作品では、里見八犬伝とは云えないんじゃないかと」


「それは解っているよ、だから何処まで摺り合わせていくかになってくると思うんだ」


「摺り合わせですか?」


「ああ、例えば、ギリシャの抒情詩であるホメロスに出てくる、ギリシャとトロイの戦いであるトロイア戦争などは、映画化されたりもしているが、話の中にアキレスだのアテネなどのギリシャの神々が登場したりもする。史実半分、伝説半分といった話だ。だがシュリーマンがトロイの遺跡を発掘した事で、史実に近い物と認識されるようになった訳だ。そんな感じに物語と史実を摺り合せていく必要があると言う訳さ。確かに今のままでは大型時代劇は望めないと思う」


「ですが、なら八犬士はどうするんですか? それがいなければ汁しかない饂飩みたいなになってしまいませんか?」


「ふっ、汁しかない饂飩か、上手い例えだな…… まあ飛び散った玉を手にした八犬士は無理だとしても、僕としてはその里見家が版図を広げる際に活躍した武将を八人集めて八犬士に見立てたら良いんじゃないかと思うんだ」


「武将を八人ですか?」


「ああ、例えば武田信玄の家臣で武田家を支えた武田二十四将というのがあるだろ。徳川家にも徳川十六神将なんてものもある。そんな風に里見八将を選出し、八犬士に宛がい、摺り合わせれば良いのではないかと思うのだよ」


「なるほど…… それで、そんな武勇を持つ八人は居るのですか?」


「いや、まだ調べていないから良く解らないが、国府台の戦いなどで活躍した武将などがいたようだったから、居ない事はないと思うが…… それに武田二十四将には武田勝頼なんかも入っているから、里見家の人間を含んでもでも良いのではないかと……」


 城山の中腹まで登ってくると、城山の案内図があった。


 私は休憩をしたい気持ちもあったので、案内図を確認するように足を止めた。今居る場所の少し先には孔雀園があるようで、天守閣まではまだまだ登らなければいけなそうだった。


 ふと、案内図の左端の方に、八遺臣の墓と書かれた部分があった。私は驚いて中岡編集に声を掛ける。


「中岡さん、ここに八遺臣の墓というのがありますけど、何ですかこれは? 八犬士の墓ですか?」


「ああ、それか……」


 中岡編集は知っていたのか余り驚いた顔は見せなかった。


「……まあ、一応、そこも見学しておいた方が良いか…… 後で墓の描写の際に使えるかもしれないし……」


 ぶつぶつと独り言を云ったかと思うと、


「よし、そこも見学しに行こう。だが、そこに行ってから天守閣に行くとなると、一度下ってから再度登る事になるが、君の体力的には平気か?」


「まあ多分平気だと思いますけど…… それより中岡さんの方が……」


 私はどちらかというと、すぐへばる中岡編集の方が心配だと思った。


「僕は取り合えず大丈夫だ。駄目そうなら君に背負ってもらうから……」


「背負えるか! それに私を当てにするなよ、当てに……」


 私は叫ぶ。


「まあ、背負ってもらわなくても多分大丈夫だと思う。最近ちょっと痩せたし」


 痩せた? 私はまじまじと全体を見る。左程変わっていないように見えるが……。


「取り合えず行こうじゃないか」 


 そうして、白孔雀のいる孔雀園の前を通過して、八遺臣の墓へと赴く事になった。


 八遺臣の墓は少し寂しい場所にあった。八つの石の墓が並び、その後ろに木に名前が書かれた札が立ち並んでいる。


「そこに墓の説明が書かれているから読んでみるといい」


 私は促され案内板を読み上げていく。そこには元和八年に倉吉郊外で没した里見忠義に殉じて八人の家臣が殉死した事が書かれてあった。その遺骨を分骨してこの地に供養した物だと……。


「元和八年は大阪の陣の少し前だ。そして倉吉という地は鳥取県にある。大阪の陣の目前に徳川家が軍を率いて江戸から離れる際に、江戸の近くにいる外様大名である里見氏が邪魔だった為に難癖付けて改易して鳥取の片田舎に追いやってしまったんだ。当時の当主であった里見忠義は心労と病を得て、故郷から遠く離れた土地で二十一歳の若さで死んでしまう。そして、付き従った八人の家臣が殉死したという訳だ。その墓は鳥取県の慈恩寺という所にあるのだが、分骨してこっちに持ってきたという事らしい。一説によるとその八遺臣が八犬士のモデルとなったと云われているが、戦って死んだ訳ではなく、時代も里見家改易後の物なので、八犬士のモデルというのはちょっと考えにくい気がするが……」


「だとすると、この墓は里見八犬伝に関係がありそうで、それ程関係ないない墓だと云うのですか?」


「まあ、八犬士は最期に富山で仙人のようになったとされている。もし死んだらこの墓のような墓が残ったのではないかと思われるから。印象は覚えて於いた方が良いと思う」


「なるほど」


 八遺臣の墓に手を合わせ祈ってから、私達は急な斜面を登っていった。


 かなりキツイ。横では例の如く中岡編集が四足の獣のように激しい息使いで傾斜を登っていた。痩せた効果はないらしい。まあ、取り合えず助けは求めてこないから良しとしよう。


 やがて傾斜の終わりが見えてきた。傾斜を登り終えると、山の頂上のような場所に至った。その頂上広場にぽつんと天守閣が置いてある。他の城ならば櫓や鉄砲狭間の備わった塀などが城や石垣と繋がった形で天守閣がある気がするが、本当にぽつんと天守閣だけががあった。


「ふう~、館山城には本当は天守閣はなかったらしい……」


 疲れの為か横で座り込んでしまった中岡編集が声を発した。


「天正八年に小規模な城として完成し、その後、天正十八年に大改修を経て本城として使われるようになった。ただし天守閣は無かったと云われている。昔ながらの山城だったので、石垣の痕跡は残されておらず、曲輪などがあるだけだ。そして、大阪の陣の前に突然の改易で里見氏は安房を追い出されてしまった。江戸末期には美濃の稲葉氏が館山に入り館山藩を作るが、この時も天守閣は作られなかった。ただ天

正末期の資料が見付からないだけで、本当はあったかもしれないので、犬山城に似た望楼型天守閣を昭和になってから再建したんだ。そして内部は博物館に……」


「そうなのですか……」


 少し呼吸が整う待ってから、中岡編集と私は天守横にへばり付いている櫓の入口で、百五十円の拝観料を支払い内部へと入り込んだ。


 博物館には伏姫と八房の絵とか、八犬士の浮世絵を凧にしたものなどが飾られていた。


「あれ、八房ってぶち模様の犬だったんですね、私は白い犬だと勝手に想像してしまっていましたが……」


 伏姫の絵を見ながら私は思わず言及する。


「ああ、八房は白地の体に牡丹のような黒い模様が八つあるとされている。それで八房と名付けられたと…… そして八房の親は狼に殺されてしまったらしく、狸に乳を貰い育ったと云われている」


「狸ですか?」


「ああ、その狸がいわく付きでね、色々あるんだ。まあ、その話は宿に着いたらゆっくり説明しよう。その宿にも少々関係があるから……」


 中岡編集は含んだ物云いをした。


 階段を登り、最上階からベランダのような廻縁に出た。景色が素晴らしい。


「この城山の展望台、そして、この城の周縁から見る館山湾の景色はとても良い……」


 改まって中岡編集が云う。


「さっきの北条海岸が綺麗に見えますね……」


 そのまま私達は廻縁をぐるりと一周回って館山の景色を堪能する。そして、館内の残りの部分を見学してから階段を降り外へ出た。


 外へ出ると三浦半島側から吹いてくる風が顔に当たる。気持ちが良い風だ。そのまま海側まで進むと、天守の上からとはまた違った印象の景色が視界に入ってくる。建物に視野を狭められていた為に違って見えたのかもしれない。


 その場で佇み、しばらく展望を楽しんでから、私達は館山城を下っていった。

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