館山へ 弐
中岡編集は改まって大きく息を吐き、ゆっくりと言及する。
「え~と、名前の件はさておき、今回の取材の話をしよう。一応前にも云ったが、今回は南総里見八犬伝を舞台にした推理小説書いてもらいたいと考えている……」
私は心の中で、さておくなよ、と思ったが敢えて口には出さずに小さく頷く。
「君に少し前に伝えておいたが南総里見八犬伝の話は予習してきたろうね?」
中岡編集が聞いてきた。
し、しまった。
私は僅かに動揺する。
一応、図書館で本は手に入れておいたが、読もうとするも、内容が難解なのと、古い文体が読み辛過ぎて、すぐに睡魔が襲ってきて、殆ど読めていなかったのである。そして、本を開きながら殆ど船を漕いでいた。つまり惰眠をむさぼり余り予習をしていなかった……。
しかし、私は予習してこなかったと思われるのが嫌で小さな嘘を吐いた。
「……ええ、ちゃんと予習してきましたとも」
「さすがだ。さすが小説家坂本龍馬子だな。高い意識を持っている」
懲りずにまた云いやがったな、と心の中で思いつつも、後ろめたさがある私は強く突っ込めない。
「そうしたら、少々あらすじを僕に語って聞かせて貰えるだろうか?」
「えっ、あらすじですか?」
予想していなかった更なる追求に私は聞き返す。
……正直答えられない。
「ああ、あらすじだよ」
「あ、あらすじですよね、それは……」
私は嘘の上塗りをする為に、知っている知識を総動員させて答えた。
「それはですね、戦国武将の里見氏に滅ぼされたある武将とその妻の怨念が、里見氏に復讐するという理由で、呪いを掛け、里見家のお姫様を攫って、その生き血を飲もうとするのです」
私は必死に思い出しながら答える。
「……それで?」
「それで、お姫さまに仕えていた八人の犬士がお姫様を救い出そうと奮闘し、ついにお姫様を助け出し、妖魔と化した武将と妻を退治せしめるに至るのです」
「……」
中岡編集は冷たい視線で私を見た。
「どうして剣士ではなく犬士なんだね?」
「そ、それは……」
私は声が詰まる。
「では犬士というからには狼男のような戦士が戦うのかね?」
「いえ、人間でした。確か犬という漢字が付く姓の人間です」
「どうして犬士と呼ばれるのだろう? その説明が無いね」
「……」
中岡編集は大きく息を吐いた。そして私を睥睨する。
「……君のは映画か何かの話だね…… 退治せしめるに至ったなどと、さも読んできたように云っているが、君は本当は里見八犬伝の話を殆ど読んではいないのでは? 良く知らないのではないかな?」
「……」
「君は本当に予習してきたのかね?」
探るような視線で私の顔を覗き見てくる。まるで嘘という獲物を狙う蛇のような目だ。もう追求に耐えられない。私は観念した。
「……す、すみません。本を何度も読み始めましたが、中々頭に入っていかなくて……」
私は頬を掻きながら頭を下げた。
「じゃあ、さっき知ったかぶりで説明した話は?」
「お、仰るとおり、確か映画か何かで見た記憶です……」
私は肩を窄めつつ答えた。
中岡編集は大げさに呆れた風を装い、大きく溜息を吐いた。その表情や仕草が一々嫌味臭い。
「仕方がない奴だな君は…… 何が推理小説家、坂本龍馬子だ」
自ら名乗った覚えは一切ありませんけど……。
「こういった取材には予習が必要だろう。僕なんか相当読み込んだ上で実際の史実の里見家の事まで事細かく調べてきたぞ」
「す、すみません」
私は只々頭を下げるしかなかった。
「本当に仕方がない奴だ……」
「申し訳ありません……」
「……仕方が無いから…… 僕の方で一応説明しておいてやろう」
随分偉そうだが、ここは頭を下げるしかない。
「よ、宜しくお願い致します」
中岡編集はふんと鼻息を吐きながら頷いた。
「いいかい、まず南総里見八犬伝と云う物語は色々な形で紹介されている。歌舞伎であったり、映画であったり、漫画であったりだ。しかし原作に忠実なものは以外に少なく。結末が違ったり、端折っていたり、アレンジが違ったりしている物が多いのだ。横溝正史先生の八つ墓村と同様にね。八つ墓村も、映画やドラマでは尼子の祟り色が強い物や、森美也子が破傷風で洞窟の中で絶命するものもあれば、森美也子が告白しながら絶命するものもある。そして、原作ではヒロインである里村典子は、脇役でしか登場しない物が多く、出て来ないという作品すらあった。原作では辰弥とのラブロマンスや、宝探し的な冒険譚要素、そして極めつけは典子とのハッピーエンドが結末なのに、どの映画もしんみり寂しい結末ばかりだ」
さすがに編集をしているだけあって推理小説の知識は豊富だ。確かに映画などの八つ墓村は原作に忠実な作品は少ない。恐ろしい余韻を残す為にハッピーエンドは避けられている傾向にあるように思われる。
「さてと、僕もそこまで詳しくは無いが、南総里見八犬伝の原作というのはだな、江戸時代後期に曲亭馬琴の手によって書かれた伝奇小説で、舞台は室町時代中期から後期、里見義実が足利将軍家の内乱から端を発した結城合戦に参戦し、破れ、安房の国に落ち延びて行った所から物語は始まるのだ」
「と云うと、現実の歴史と被っていると云うのですか?」
私は戸惑いながら質問する。
「まあ現実の背景や舞台を使って書かれてあるから史実と重なる点も多い事は確かだが」
「な、なるほど……」
私は一応歴女である。だが南総里見八犬伝は文学であるから読んでみないことには、その詳細は解らない。史実に忠実ならば、私にもある程度の知識はあるのだ。とはいえ安房は歴史的にはかなり地味であるからそこまで詳しく学んでいないけど……。
「物語の中の安房の国では神余光弘という豪族が力を持っていた。しかし神余は悪女である玉梓に誑かされ、酒びたりとなり怠惰な生活を送るようになってしまっていた。そんな神余の部下の一人である山下定包という男が、あろう事か玉梓と繋がり謀り、主である神余を策略の上で殺害し、神余の座を奪い取ってしまうのだ。で、その逆臣である山下定包と玉梓を安房に落ち延びた里見義実が討つ事になる。里見義実は山下定包に不満を持つ者をどんどん仲間に引き入れ、知略を尽くし、とうとう山下定包を倒す事に成功する。そして、悪の片棒を担いでいた玉梓を捕まえ、処分をどうするか検討する事になった……」
「あっ、そうだ。思い出した。そうですよ玉梓って名前ですよ。その玉梓が怨霊となって姫の生き血を求めるんですよ」
「黙らっしゃい!」
「ひっ!」
中岡編集はきっと睨み付けてきて、私を制す。
「す、すいません」
「続けるが良いかね?」
「はい……」
「玉梓に関しては、女の身であるからという理由で、助命するという流れだったが、山下定包を討ち取った金碗八郎がこの女は悪女だから殺した方が良いと進言してきたのだ。結果、玉梓は処刑される事となるのだが、そんな玉梓は斬首される間際に、里見の子孫を末代まで祟り、畜生道に落としてやると、呪いの言葉を吐き捨てるのだ。嫌な感じだな。まあ、ともあれ、山下定包と玉梓を討った里見義実はその戦で人心を得て、そのまま神余の領土を治める事となる……」
「す、凄いじゃないですか、いきなり領土を治めるとは相当な出世譚ですね」
私は当たり障りのない事を云った。
「まあ、里見家は清和源氏の由緒正しき血筋だ。当主を嵌め殺した悪者を退治して人心を得たという流れなのだろう。この辺りは史実にある里見氏が安房を治めていった流れを踏襲しているのかもしれない……」
「なるほど」
「さて、そんな義実が神余の領土を引き継いでから十六年後、安房郡領主の安西景連が里見領に攻め込んできた」
「あ、あれ、安房郡というのは里見領ではないのですか?」
私は恐縮しながら質問する。
「その頃は結構狭い範囲で小競り合いを繰り返していたようだな、安房の国というのは安房郡、朝夷郡、平郡、長狭郡で構成されているのだけれども、里見の初期の旧領は朝夷郡で、城は館山駅の隣にある九重駅近くの稲村城が本城だったらしい。安西氏という国人は安房郡で力を持つ豪族で館山に本城を構えていた。その安西氏が里見氏の所領である朝夷郡に差し迫ってきたと云うわけだ」
「初期の本城は稲村城という城だったんですか…… 確か戦国末期には館山城が里見家の本城になっていたような記憶があるのですが?」
「ああ、その通りだ。館山城が里見家の本城となったのは上総を没収され、乱世が落ち着いてからだ」
「でも物語上では安西景連を倒してからは館山城が本城として?」
「いや、本城は滝田城となっている」
「えっ、となると物語上では、館山城はあまり出て来ないのですか?」
「出てこない訳じゃない。左程登場しないだけだ」
「だとすると館山に行くは良いですが、ちゃんと南総里見八犬伝の取材になるんですかね? 余り参考にならないじゃないじゃ……」
「そんな事は無いよ、現在の館山市には館山城も旧稲村城もあるし、里見氏が最初に城を築いたとされる白浜もすぐ傍だ。里見八犬伝の取材をするにあたっては館山は良い起点になるのは間違いない」
「起点ですか…… なるほどです」
私は地理的にいまいち良く把握出来ていないながらに頷いた。




