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歴女作家 坂本龍馬子の奇妙な犯科録  作者: 横造正史
第一章       ● 其ノ七 里見八犬伝と不老不死伝説殺人事件
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館山へ  壱

 安房の国とは昔の律令区分で定められた国の呼び方だ。


 房総半島の先っちょに位置し、石高は九万二千石と左程大きくはない。その安房の国と云う名は、古くに阿波の国(徳島県)に住んでいた天富命が、東国により良い土地を求めて忌部氏を率いて黒潮に乗り、房総半島南端に辿り着き、その土地を阿波に因んで安房と名付けたのが始まりとされている。天富命という人物は初代天皇である神武天皇の側近だったらしいのだが、神武天皇自体が神話の中の人物とも云われ、実在が定かではないという見解が多い事から、天富命という人物も神話上のものなのか、本当に実在したのかは判断がつかないらしい。しかし阿波に因んで安房と名付けたという説以外に、なぜ安房と名付けたかという説が無いらしく、天富命は実在したように感じないでもない所もある。


 そんな安房国の国司があった館山を目指して、私は内房線に揺られていた。


 天気は概ね晴れで、車窓からは東京湾、そして、その先には三浦半島の姿が見えている。景色が良いので私は陽光に煌く海ばかりを見ていた。


「おい、聞いているのか龍馬子君。今日我々が泊まるのは……」


 車窓ばかりを見ていた私に、ボックスシートの向かい側に座っている私の連れである中岡編集が少し苛立ちげに声を掛けてくる。


「……え、ええ、ちゃんと聞いていますよ」


 私は正面に視線を戻す。


「……今日宿泊する予定の場所は館山市の南側にある、寺と宿泊施設が混ざったような場所なんですよね」


 私は海を見ながらもちゃんと話を聞いていた。ただ海を見ていたかったから視線を車窓に視線を向けていただけだ。


 しかしながら聞き捨て出来ない事を云われ、むっとせずにはいられない。


「おお、ちゃんと聞いているじゃないか、しかしながら人の話を聞く時は、ちゃんと話している人の目を見てだな」


 中岡編集がしつこく苦言を呈す。


「……解りましたよ、それはどうもすみませんでしたね」


 私は中岡編集の目をまじまじと見ながら恭しく頭を下げた。


 しかし、そのまま憮然とした顔で云う。


「それでなんですが、私からも苦言を一言。私はいつも、いーっも、龍馬子と呼ばないで下さいと云っていますけど、どうして龍馬子って呼んだのですか? 私の名前は亮子だと何度も何度も…… それに伴い龍馬子と呼ばれても返事はしないとも云っておいた筈ですが……」


「……だって君が話を聞いていないようだったから……」


「でも、ちゃんと聞いていましたよね?」


「まあ、一応は聞いていた様だが……」


 中岡編集は頷いた。


「それで私も顔を背けて話を聞いていた事を謝ったのですから、中岡さんも私を龍馬子と呼んだ事を謝ってくださいよ」


 中岡編集はふうと大きく息を吐いてから声を発した。


「大変申し訳なかったよ、龍馬子君」


「あ、謝りながら、また云ったぞ!」


 私は睨む。


「ああっ! 龍馬子と呼んでしまって申し訳なかったよ龍馬子君」


「に、二回も云った!」


 中岡編集は頬の辺りをぴくぴくさせる。


「ああっ! もう、良いだろ、もう良いじゃないか! もう癖なんだよ、もう止められないんだよ! 龍馬子君と云わないと、僕の頬の筋肉が攣ってしまうんだよ!」


 中岡編集が叫んだ。


 頬の筋肉が攣るって何なんだよ。

 

「もう龍馬子で良いじゃないか! 諦めたまえ。君は龍馬子君だ。龍馬子君なんだよ! 君は坂本龍馬子だ!」


「ち、違うわよ!」


 私は叫んだ。


「ああ、どうにも止まらない。どうしても龍馬子君といってしまう。その似た姿が瞬間的に僕の脳に龍馬及び龍馬子という電気信号を送ってくるんだよ」


 どんな電気信号だよ!


「でも、私は嫌だって云っているんですよ、何とかして下さいよ」


 中岡編集は頭を抱えつつ搾り出すように云った。


「う~ん、そうしたら、ちょっと難しいが、その姿を別の信号に置き換えてみよう……」


「別の信号? 何ですかそれは?」


 私は眉根を寄せる。


「君の容姿からくる信号を、別の信号として書き換えるのだ。つまり、別のキャラクターに置き換えるのだよ」


「別のキャラクターですか……」


 中岡編集は頷く。


「実を云うと、君の全体的な姿の印象に似た人がもう一人いるのだよ」


「わ、私の全体的な姿の印象にですか?」


 誰だろう? 私は考える。


「その人も、ややパーマ掛かった長めでややボサボサな髪で、人懐っこい笑顔が特徴。しかし顔立ちは平凡。体躯は細く、茶色い羽織に、袴を履いているんだ」


 それ何か聞いた事があるぞ、嫌な予感が……。


「その偉大で有名な人物の名前からとって、君の新たな呼び名を金田一耕子と名付けようじゃないか!」


「こ、耕子ですって! それも嫌ですよ!」


 私は叫んだ。


「なぜ? 推理小説の世界で一番有名な偉大な名前じゃあないか?」


「だから、耕子も龍馬子も嫌ですよ、そもそもなんでいつも男なんですか、女にしてくださいよ、女の偉人に!」


 中岡編集が上目遣いで私を見る。


「だって、居ないんだもん」


「居なくわないわ、居るだろ、うりざね顔の女の偉人が! 百人一首に沢山いるでしょ! 持統天皇とか小野小町とか、小町で良いですよ、小野の小町で!」


「小町ねえ…… ずいぶん美人を選ぶんだね…… でも君は小町って柄じゃないな……」


「なにを!」


 中岡編集が改まって私の顔を見詰める。そして顔を横に振った。


「いや、駄目だな、やっぱり、金田一耕助でもない…… 顔が違う…… やっぱり龍馬だよ」


「なんだと!」


「シルエット的には金田一耕助でもいけるけど、顔を見てしまうと龍馬だ。龍馬だという電気信号が僕の脳に訴えているよ」


「もう黙れ、兎に角黙れ、私は亮子だ。亮子だ。亮子だ。亮子だという電気信号を刻み込めよ!」


 私はぎろりと睨んで強く叫んだ。


 そんな訳で、実は私は小説家なのである。そして、前に居る中岡慎一は出版社の編集であり、私の担当編集なのである。


 私が小説家デビューの切欠となった推理小説の公募に小説を送り、その小説が受賞する運びとなって、出版社の編集と会うことになった。その会うことになった編集が中岡慎一だったのだ。  


 その初対面の場で中岡編集は私に失礼な事を云ってきた。それは、君は坂本龍馬に似ているね。という言葉だった。そして、あろう事か私のペンネームを坂本龍馬子という失礼極まりない名前に強引に決めてしまったのだ。脳みそが沸騰するほど頭にきている。


 まあ、そんな紆余曲折を経ているものの、私と中岡編集は次に私が次に書く予定の小説の題材を取材する為に、房総半島の南端を目指しているのだ。


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