推理の奪い合い 参
「あ、あの、その中岡慎太郎さんの話は置いておいて、死亡推定時間の誤差の方を進めて頂きたいのですが……」
福が云い辛そうながら呟いた。
「あ、あっ、こ、これは失礼しました。脱線しすぎましたな…… だが、重要な志士である中岡慎太郎の事を知らないというのは良くない。不勉強ですよ。なので今後は中岡慎太郎の事を覚えてください。良いですね」
「は、はい、勉強します。それと写真でお顔も拝見したいと思います」
福は同意した。でも本当はどうでも良いと思っているに違いない。
「さて、続きに参りたいと思います。えーと、ところで僕はどこまで説明しましたっけ?」
熱くなりすぎて本題を見失ったらしい。
「柱に縛り付けられていた理由と、ベランダに繋がる障子やガラス戸が開いていた事と凶器が無い事から、死亡推定時間の誤差が作られたとかなんとか……」
「あっ、そうだ。そうです。続きを説明させて頂きます。まず、亡くなられた大田原氏の遺体を見てください」
中岡編集は遺体近くまで皆を促す。
「大田原氏の腹部に刺し傷がありますよね」
「ええ」
福は頷く。
「実はですね、腹を刺されたからといって、すぐ絶命する訳ではありません。いえ、すぐ絶命する刺し傷もありますよ内臓まで深手を負ってしまっていれば、不全状態に陥り、すぐとは云いませんが比較的早く亡くなる事でしょう。ただこれも状況によって変わる事がありまして、凶器が突き刺さったままであれば凶器が血の流出をくい止めてくれますので絶命までは時間が掛かる事になります。それでも深手ですから死んでしまいますけどね。また凶器が内臓まで達していない場合というのもあります。この場合は早期発見や凶器が刺さって血の流失を防いでくれていれば助かる事があります。ですが凶器が引き抜かれ血が流失して、止血の手段を得られなかった場合は出血多量によって絶命してしまう可能性が出てきます」
「なるほど出血多量による死ですか……」
福は納得気味の表情をする。
「この大田原氏の遺体の傷の位置と、浴衣の下で傷そのものは見えませんが傷の幅からすると、致命傷では無かったように思われます。ですが、凶器が引き抜かれている事、そして、両手両足を柱に縛りつけられている事からみると、止血をする事が出来なかった」
「あっ、じゃあ、その為お父様は出血多量で死んでしまったと……」
福は強張った顔で後を続けた。
「そうです。その可能性が相当に高いと僕は考えるのです」
中岡編集は凛として答えた。
「な、中岡様も色々ご存知なのですね、なにやら中岡様も格好が良く見えて参りました。凄いと思います。ち、父を殺害した犯人を何卒、早急に見つけ出して下さいませ……」
福は真剣な顔で呟いた。
「か、か、か、か、格好が良いですって! いや、いや、いや、それ程でも御座いませんよ! いや、似ているかは解らないでしょうが、中岡慎太郎と僕も事実似ているのです。いやいや参ったな……」
瞬間的に中岡編集は舞い上がった。
「実は僕がどうしてこの部分に着目しているかといえば、近江屋事件が関係しているのですよ。知らないようなので折角ですからご説明致しましょう」
「えっ、近江屋事件の説明?」
「ええ、説明です。慶応三年十一月十五日! あの大政奉還の一ヶ月後、京都河原町近江屋で、坂本龍馬と中岡慎太郎は三条制札事件について語り合っていたのです……」
福はしまったといった表情をしていた。
福の横では美由紀が眉根を寄せて福を見詰め、なんで格好が良いだなんて云ったのよ! っといった視線を送っていた。だってお姉さま、あの人にも格好が良いって云ってあげないと気の毒だし……、いいのよそんな事気を使わなくても、それより、またあの良く解らない歴史講談が始まっちゃったじゃない! あれ、どうすんのよ! ご、ごめんなさい……。そんな会話が聞こえてきそうだった。福は美由紀に向かって申し訳なさそうに頭を下げている。そんな事は何処吹く風状態で中岡さんは熱く話し続ける。
「夜、その近江屋に十津川郷士を名乗る男がやってきました。な、なんとそれは刺客だったのです。そして刺客は階段を上がり、襖を開け、龍馬と中岡に襲い掛かりました。龍馬は額を切られ、続けて後頭部から背中を切られたと云います。そして中岡の方は、脇差で相手の剣戟を必死に受け続けましたが、全身数十箇所を切られたと云います。良いですか、ここが重要ですよ、龍馬はほぼ即死状態だったと云われ、中岡の方は剣戟を受け続けた後に気絶したとされています。ですがね、な、な、な、なんと! 中岡慎太郎は翌二日後まで生きていたのです。その後吐き気を訴えて死んでしまいましたがね…… つまり僕が云いたいのは、刺され切られたとしても、死ぬまでの時間は切られたり刺された時の状態によると云う事なのです」
切られたり刺されたりしても、すぐ死ぬ訳ではないという説明だけなのに、随分長かったな……。




