船の中の殺人事件 壱
富士の間にはある程度の人が呼び集められているようで、夕食時に私の傍のテーブル席に座っていた人達や、お座敷の上で殿様と家臣といった様相で食事をしていた集団なども見受けられた。ただその場所には先程いた殿様の姿が無かった。主君不在状態で正室と家臣が蒼白な上で強張った表情をしているように見えた。この状態から鑑みると、殺された人物とはあの殿様なのかもしれない……。
そんな中、皆に対して鋭い視線を向けている男がいた。出で立ちは茶色の袴、黒い着物に黒い羽織、そして極め付きは陣笠のような物を被っており、まるで大岡越前…… いや忠臣蔵の時の大石内蔵助のような感じだ。傍には同心のような部下がいて脇を固めている。
もしかしたらあの大岡越前風な男が船長で、横にいる同心が航海士か何かなのかもしれない。この船は和の雰囲気を崩さないように配慮がなされている訳だから、船長や航海士もそれなりの服装をしているのではいかと想像できる所でもある。職業コスプレだな。
ある程度人が集まったのか、その陣笠を被った男が声を上げた。
「えー皆様、お休みの所を態々お集まり頂きまして、誠に申し訳ございませんでした。私はこの船の船長を務めます遠山金四郎と申します。以後お見知りおきを……」
と、遠山金四郎とはまたベタな名前だ。
「さて、こんな夜半に呼び出され何事かとお思いの事とは思いますが、逼迫した事態が起こってしまったので、皆様に集まって頂かなくてはならない状態になってしまったのです」
遠山船長は頭を少し下げた。
「それで、その逼迫した事態というのは、実は…… この船の中で殺人事件が起こってしまった事にあります」
皆ある程度呼び集められる際に聞いていたのか、悲鳴を上げるような事はなかったが、蒼白な顔でざわめきを洩らす。
「その殺害された人物というのが、特等の客室に泊まっていたこの船の船主大田原孝蔵でありまして、我々の雇用主になる者であります。この大田原氏が宿泊していた部屋の中で胸を刺され殺害されていたのを仲居が発見しました。大田原氏はこの場所で夕食を取った後、家族の方々と一緒に部屋へと戻ったとの事でした。そして、最終的には廊下で別れ一人部屋に帰ったとの事でした。その後、つい三十分程前に遺体となっている所を発見されたのです……」
その殺された大田原孝蔵の連れ達は様々な反応を示していた。まだ整理が付かないのか強張った表情をしている者、顔を伏せ怒りや憤りでわなわな肩を震わせている者、泣きじゃくっている者、沈痛な面持ちで項垂れている者等々だ。
「それで、大変申し訳ありませんが、不審な行動をした者がいないかどうかを確認する必要を感じます。誠に恐縮なのですが、大田原氏が部屋に戻った午後六時半頃から、遺体が発見された午後十一時頃まで、皆様がどのように行動されていたかを確認させて頂きたいと思いまして……」
その説明の最中、一人の女性が手を上げた。その女性は大田原孝蔵の連れではなく、夕食時、私の斜め前に席で食事をしていた一行の人間だった。
「あ、あの、どうして此処に呼ばれたのは私達だけなのですか? そのお話でしたら、二等や三等の客室の方々からもお話を聞くべきではないのでないかと思いますけど……」
その質問に遠山船長は頭を掻きながら答えた。
「実は、二等と三等客室から一等、特等の客室に上がるには中央の大階段を使用しなければ行けないようになっているのですが、一等、特等のお客様に万が一の事があるといけないので、午後六時以降は境となる踊り場に監視員を立たせているようにしているのです。そして、その監視員はその時間の間誰も上に通していないという事なのです。なので行き来が可能な一等と特等のお客様のみ此処へ集まって頂いた次第なのです」
その船長の説明にその女性は納得したような顔で頷いた。
しかしながら周囲を見回すと、その大田原孝蔵の一行以外には三組程の集団しか見受けられない。意外と一等や特等に泊まっていた客は少ないようだった。
まあ、こういった場合家族が怪しいという可能性が往々にして高いものだが、もし違っていた場合、家族側からしたら自分の夫や父親を殺害した人間を是が非でも見つけ出して警察に突き出したいという考えが生じる事も理解できる。そういった意味合いで捜査を行なうという事もあるだろう。
「本来ではこういった事は警察が行なう事だとは思いますが、生憎ここは海の上です。また真夜中でもあります。急に航路を変えると海上事故に繋がります。またこの海上では警察はすぐには呼べません。明日、到着後警察による捜査が改めて行なわれるとは思いますが、今は船長であるこの私に全権が委ねられていると考えます。私は船長として皆様に安全に航海をして頂く責務がありますので、これ以上船内で問題が起きないようにしなければなりません。ご協力を願えると幸いでございます。それでは、申し訳ありませんが簡単な行動確認を始めさせて頂きます……」
船長は再び厳しめな視線で私達を見た。




