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歴女作家 坂本龍馬子の奇妙な犯科録  作者: 横造正史
第二章
240/539

食事処へ  参

 部屋に戻るとすでに布団が敷かれていた。担当の仲居が用意してくれていたらしい。仲居さんが敷いてくれる布団によくありがちだが布団と布団の距離が近い。もっと離さねば……。


「あ~っと、私はもっと海が見える場所に寝たいな~ そうだ奥側に布団を移動させよう」


 私はそそくさと一組の布団を窓際へと移動させる。


「僕も海が見える方が良いかな……」


 何か云ってやがる。


「無理ですって奥は狭いですよ、布団を二組は並べて敷けません。諦めてください」


「そうなのか?」


「そうですよ」


 私は厳しめに言及する。ゆったり寝たいぞ。


 そして、そのまま布団の上に寝転がってみる。柔らかい布団で大層気持ちがいい。


「そうしたら僕は風呂にでも行ってこようかな」


「あれ、さっき行っていませんでしたっけ?」


 確か私が風呂から出た時何処かへ行っていたようだったが?


「いや、館内をうろついただけで風呂にはまだ行っていないぞ」


「そうでしたか、まあ、ビールも飲まれている事だし、長風呂には気を付けて下さいよ」


「そんなに飲んでいないから大丈夫だ。まあ一応気を付けるがね」


 そう云いながら、中岡編集は手に手拭を掴み、部屋から出て行った。


 私はそのまましばし布団と戯れる。腹が一杯で酒も少し入っている。当初、食後に図書館に行こうだとか、遊戯場に赴こうなどと考えていたが、このままのんびり寝てしまいたい気分になってくる。そして、睡魔も襲ってくる。私はそのまま布団に身を預け目を瞑った。


 どの位経ったのだろうか、私は私の部屋の戸を激しく叩く音で目を覚ました。腕時計に視線を向けると午後十一時半辺りを指している。入口近くの布団には中岡編集が横たわり、んがかあああああ、ひゅるひゅるひゅ~と奇妙な鼾を掻いていて寝ていた。ひゅるひゅるひゅは一体どこから音が出てるのだろう。


 鼻腔か?


 中岡編集は起きる気配が無いので、私は仕方が無く布団から身を起こし、部屋の戸の部分まで赴き戸を引き開けてみる。


「何か御用でしょうか?」


 私はやや不機嫌な顔で出迎えた。すると私の部屋の担当だった藤枝が強張った顔で私に声を掛けてくる。


「お休み中に恐れ入ります。大変な事が起こりました。誠に申し訳ありませんが、ご一緒に食堂の方までご足労願えませんでしょうか?」


 こんな真夜中に起こされ、そして食堂に来いと言われても、はい、そうですか。と素直に従う気にはなれない。優雅でのんびりとした船旅を満喫しているのに台無した。


「大変な事って? まさかとは思いますが、火事が起こったとか、船が転覆でもしそうなんですか?」


 私は藤枝の神妙そうな表情をみて、事故や災害的なものをイメージして訊いてみる。しかしながら煙たくも無ければ、船が傾いている気配も感じられない。


「いえ、火事や転覆の恐れなどは無いのですが……」


「じ、じゃあ一体?」


 私は食堂に赴くなら、赴くなりの理由を聞かないと納得できない。一応理由を質問してみた。


「そ、それが…… 大変恐ろしい事なのですが、この船の中で殺人事件が起こってしまったのです……」


 藤枝は躊躇いがちに呟いた。


「さ、殺人事件ですって!」


 私は驚嘆の声を上げる。


「ま、またどうして? それに一体どこの部屋の方が?」


「上の方の部屋の方なのですが、一応一等客室のお客様にもお話をお伺いした方が良いと船長が……」


 安眠を妨害され、優雅な一時を過ごしている最中に、食堂に態々呼び出されるというのは癪に障わるが、殺人事件が起こってしまったとなると、協力しない訳にもいかない気もしてくる。


「まあ、仕方がないですね、解りました食堂へ赴けば宜しいのですね」


「申し訳ありませんが……」


「それじゃあ、ちょっと支度をしますので、待って頂けますか?」


「そうしましたら、戸の外でお待ちしますね」


 藤枝は深く頭を下げると、そのまま静々と部屋から出て行った。


「中岡さん! 中岡さん! 起きてください! 事件が起こりましたよ!」


 私は中岡編集の傍に寄って肩を揺り動かす。


「んがあああ……、ひゅひゅひゅ……」


 起きない。だが呼吸音がひゅひゅひゅと短くなってきた。


「中岡さん!」


 いきなりがばっと中岡編集が身を浮かす。


「な、な、何事じゃ! と、と、と、十津川郷士か! 見廻組かぁ!」


「はい?」


 叫んだかと思ったら、パタンと身を伏せ目を閉じた。寝言だったらしい。


「中岡さん!」


 私が再度呼びかけると、うっすら目を開ける。


「……何事じゃ、龍馬?」


「いえ、龍馬じゃありません!」


 中岡編集は薄目ながら目を左右に動かし周囲の様子を探っている。


「……そうか……僕は豪華客船に乗っていたんだな…… いや、近江屋で襲われていた時の夢を見ていたよ……」


「いやいや、別にあなたは近江屋では襲われていませんから!」


 私は厳しく指摘する。


「それでどうした? なぜ僕を起こすのだ?」


「さっき仲居さんが来ました。この船で殺人事件が起こったらしいです。それで集まって欲しいとの事でした」


「殺人事件?」


 中岡編集の目が見開かれる。


「ええ、殺されたらしいですよ」


 中岡編集が不敵に笑った。


「ふふふ、面白いじゃあないか、客船での殺人事件とは、ナイルに死すのようじゃないか! 安眠を邪魔されたのは気に入らないが、協力しない訳にはいかないだろう。ふふふ、行こう! 行こうじゃないか!」


 熱くなってきたらしい。


 そうして私と中岡編集は茶羽織を浴衣の上に纏い廊下へと出た。藤枝は出てきた私と中岡編集にぺこぺこ頭を下げる。


「お休みの所、本当に申し訳ございません」


「いえいえ、人が殺されたとなると、大変な事です。協力しない訳にはいかないでしょう」


 中岡編集は偉そうに答えた。


「では此方へ」


 そうして、私と中岡編集は仲居の藤枝に引き連れられ、夕食を食べた富士の間へと赴いた。




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